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ただ人に先んずる戦を以て

2021年12月04日 16:39

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/04(土) 16:32:21.32 ID:azef0qea
或る記に、大坂冬の陣、加藤式部少輔明成は豫州より渡海し神崎川上に控え、その家臣である
加賀山小左衛門を以て斥候をさせた所、帰り来ると「早く川を越して駐屯されますように。」
と申し上げた。

これに対して加藤家の功臣たる川村権七、佃次郎兵衛一成の二人は
「この寒天、しかも夜陰に及んで川を越えたなら士卒は凍えてしまう。その時に敵兵が寄せて来て
一戦すれば、手足がかじかんで忽ち利を失うだろう。であれば、川のこちら側で夜を明かし、
翌早朝に川を渡るのが良いであろう。」
と申し、皆、これに同意した。

しかし加賀山は重ねて

「拙者の合戦における経験は未だ不熟ではありますが、今宵、川を打ち渡るべきです。
何故ならばこの川の上下に連なる味方の軍勢の様子を見るに、早くも川を渡ろうと用意をしています。
その中でたとえ躊躇する勢があったとしても、一陣が渡れば緒軍皆渡るでしょう。そして明朝
合戦するとき、当家ばかり一戦も遂げなかったとしたら、武名の瑕瑾遁れられません。
かつ両御所(家康・秀忠)の御疑いを蒙り、国家も危うくなるでしょう。

今度の軍は天下中を味方とする事なのですから、戦の土地を争うような端軍とは大いに異なります。
然れば、強いて勝敗にも拘るべきでは有りません。後のことも計るべからず、ただ人に先んずる戦を以て、
専要とされるべきです。」

この言葉に、川村権七は大いに感心した。佃次郎兵衛は頃く思案し
「足下壮年と雖も、只今の諫言は理に当たっている。我等が及ばざる所である。」
そう言うと、加藤家の部隊に忽ち川を渡らせ、北中の島に駐屯させた。
この事について世間では、川村・佃が忠を専らとして、己を立てようとはしなかったことに
感じ入ったという。

新東鑑



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加藤一分殿

2019年07月10日 17:15

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/10(水) 15:49:22.27 ID:XPK8fwud
(前略)ところが明成(加藤明成)は闇将で武備を守らず、ただ金銀珍器を好んで臣庶国
民の困窮を顧みず、諸人の肉を削っても金銀となして集めることを喜んだ。

その金銀を集める時は、皆一分にして取り集めた。時の人はこれを“加藤一分殿”と称した。
(原注:“式部”と“一分”は発音が近い故、そのように言ったものか)

これ故に金銀財宝は蔵に充満した。私欲は日々に長じ、家人の知行、民の年貢にも利息を
掛けて取り、商人職人にも非道の運上を割り付けて取った故、家士の口論、商工の公事喧
嘩は止むことなし。これ故に老臣は心を合わせ、一同にこれを諫めても聞かず。(後略)

――『古今武家盛衰記』



加藤明成は独り廻章に

2013年05月28日 19:41

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 17:57:09.54 ID:IeDKOz3w
一説に、徳川二代将軍は諸侯に野心があるか否かを試そうと、密かに土井利勝に命じて
偽りの謀叛を計らせ、織田豊臣に縁故ある七大諸侯に廻章を出して同意を求めた。

侯伯らは直ちに利勝の逆意を密告するか、または書を見ずに返したのであるが、
加藤明成は独り廻章に点を掛けた。

これまた嫌疑を招いた一事であり、領土返還の事はあるいはこれにより起こったという。
記して参考とする。

――『鹿深遺芳録』





堀主水一族誅殺と会津加藤家の改易

2011年08月05日 23:01

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/05(金) 05:14:43.44 ID:RzrEyQsB
「会津加藤家の改易」
コメントには出てくるのに記事がなかったので書いてみます。
一般書からの、孫引きかひ孫引きかわからない内容なのでより確かな記述ができる方いれば
上書き更新してほしい所存。


堀主水は地味加藤家の重臣だったが、2代目明成とそりがあわず、退転することになった。
退去の際、主水は鉄砲隊を引き連れ、明成の居城に向かってぶっ放して憂さをはらした。
それだけでなく、幕府に明成の罪科11条を提出して、俗界の権力不介入を約束されている高野山に入った。

明成はどうにかして主水を捕らえて仕返ししたかったが、高野山に手は出せない。
幕府を通じて、懇願した。そしてそれはかなえられた。
主水とその一族は高野山を追放された上で捕らえられ、会津にひきわたされて、むごい運命を迎える。


皆殺しにしてすっきりした明成だが、ほどなくツケを払わされる。
幕府からの通告、領地召し上げ。理由は家中不取締り、ではない。

幕閣「先年ずいぶん無理なお願いをされましたが、そのおり、四十万石と引き換えてもいいから、
とおっしゃいましたな。お言葉どおり封土を受け取るのですが、何か?」

こんな理由で改易された例はそうないんじゃなかろうか。幕府だけがニヤニヤ笑いのとまらない、そんな話。




戦う道理

2011年01月14日 00:00

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/13(木) 20:22:41 ID:dKeKglmY
大坂冬の陣の話。加藤明成は大坂が近くなると加賀山小左衛門を斥候に出した。
戻って来た小左衛門の報告によれば

小左衛門「この先に神崎川があるから河を渡って対岸に陣を敷きましょう」

ということであった。しかし宿老の佃次郎兵衛河村権七郎が反対した。

佃&河村「冬の、しかも夜に河を渡ったら兵士たちが凍えきってとても戦えない。
      夜明けを待って、明日渡るべきでしょう」

明成「なるほど。もっともじゃ」

明成は宿老の意見を取った。しかし、それでも小左衛門は意見を曲げなかった。

小左衛門「天下を握る徳川家に味方しているのですから勝負に拘っても仕方ありません。
      また、後々のことを考える必要もないのです。
      しかし、他家に遅れを取るのだけはいけません。他家よりも先んじて戦うことだけを
      考えましょう。遅れを取れば軍が無事でも国が危ういのです。
      天下の乱れた戦国の世と徳川の世ではもはや戦う道理が違います」

佃&河村「な、なるほど~!」

小左衛門の考えに宿老も唸り、明成も小左衛門の意見を喜んで採用した。




241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/13(木) 21:21:16 ID:TofP9uyL
>>239

つまり争いの相手は大坂方ではなく徳川方の内輪の中、ということだな

加藤明成、伊達政宗からの挑発に

2010年05月18日 00:01

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/16(日) 23:50:49 ID:KJ5GaSTs
いい話スレで加藤明成の話が(悪い話として)出てたので、新旧DQN夢の共演をひとつ

宿敵藤堂高虎の余計なおせっかいのおかげで年取ってから会津に加増転封された
地味な方の加藤さんこと加藤嘉明
父としても息子の器量には不安があったようで、自分の死後は領地を返上するように遺言を残したらしい
(これはよくある幕府へのアピールでしょうが)

そんなこともありつつ、二代藩主となった加藤明成はある日、江戸城で伊達政宗に出会います
齢60を過ぎた政宗は若造(と言っても40近い)明成に対して、
「加藤家は要するに俺の牽制役として会津に移されたんだよね。
 俺も年食ったとは言っても甘く見てもらっちゃ困るね」
などと言って、からかいました。すると、血気盛んな明成はこう返します。
「アンタが60万石の倍の120万石だったら、今すぐにでも斬りかかってますよ?」

こんな明成ですが大坂の陣ではそこそこ戦功をあげているようなので、
戦乱の時代に生まれてれば違った評価を得ていたかもしれません。




加藤明成と堀主水・悪い話

2008年12月07日 00:00

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 02:11:35 ID:Gm31i4EM
【加藤明成と堀主水】
加藤明成はお金大好きで圧政を敷き一分金を収集しまくったので加藤一分とあだ名されるほど。
嘉明に采配を任されていた筆頭家老堀はそんな明成が大嫌い
明成は堀に嫌がらせ。堀も切れて「このバカ息子め」と面罵し一族郎党300人ひきつれ出奔
その時に若松城へ射撃し橋を焼き払い関所を破壊、家族を鎌倉東慶寺8幕府公認の寺)に預け本人は高野へ
明成、幕府へ「会津40万石に替えても堀の首をとることを許せ」と嘆願
堀はいろいろあって明成によって切腹、明成は東慶寺を軍事攻撃し堀の一族をとらえ全員処刑
幕府はこの幕府公認の寺への軍事行動を非難し加藤家一時終了

ちなみにこのとき東慶寺代表として加藤明成のことを幕府へ糾弾して
堀の家族を弁護し結果加藤家改易へのきっかけを作った天秀尼(俗名奈阿姫)は
何を隠そうかの豊臣秀頼の実の娘である(千姫の娘ではないが仲は非常によかったという)
彼女が37歳で死去し秀頼の血統は完全に絶えた
また幕府へと訴え加藤家を潰したことにより東慶寺は天下公認の男子禁制の縁切り寺となった




84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 02:14:32 ID:VHhQsQmn
堀の気持ちもわかるが、ちょっとやりすぎたな
でもどうせ切腹になるなら、一合戦やらかすのも良かったかもね

87 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/06(土) 11:27:19 ID:3VjKgd03
>>83
オマケ。
加藤明成は堀一族を変わった拷問にかけて殺した。
それは座って眠るハンモックみたいなものに罪人をのせ、
居眠りしかけたらゆすって起こす。
強制的不眠症にするというもの。
これがじわじわ効くらしい。

こんな凝ったアフォなことやるところから、
粘着質なDQN気質がうかがいしれるw
お父さんはいいひとだったのに(涙

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 11:42:38 ID:hj6wHzlW
しかし40万石の大大名のとる行動じゃないよな
上のものは部下の家族の生活のことも考えて行動してもらいたいもんだ

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 11:55:14 ID:/4SlluE9
天秀尼の要請により義母が雇った片目の浪人の策略で減封されたんですね

わかります

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 11:56:33 ID:3VjKgd03
>>89
山田風太郎、乙

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 16:56:06 ID:nhLGCYwi
アレの加藤親子は最高だったw