八重緑悲話

2010年05月20日 00:00

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/18(火) 23:32:24 ID:5j5bImY6
八重緑悲話

永録8年(1565)、美濃攻略を進める織田信長は中濃の鵜沼城、猿啄城を攻め落とし、岸信周の守る堂洞城攻略にかかった。

その前年、関城主長井隼人正道利を盟主として、堂洞城主の岸信周と加治田城主、佐藤忠能は反信長の盟約を結んでいた。
この時佐藤忠能は娘の八重緑を岸信周の養女とし、人質として差出さえしていた。

ところがこの時佐藤忠能は信長方に寝返り、信長とともに堂洞城を攻め懸けたのだ。
これに怒ったは岸信周は決戦の前日、加治田城から良く見える長尾丸山で、
人質の八重緑を哀れにも竹槍で刺殺した、と言う。

そして加治田方面からの攻撃を想定していなかった堂洞城はたちまち落城。岸信周も自刃して果てた。


さて、現在堂洞城のあった岐阜県富加町にある町営住宅周辺には、謎の怪奇現象がよく起こるのだという。
地元の人はこれを、父に見捨てられ哀れにも死んだ八重緑の怨霊のためである、と言っているそうだ。

信長による美濃攻略の際の、やりきれなく悲しいエピソードの一つ、である。




842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/18(火) 23:40:07 ID:zY9BePBn
こういう人質の娘ってほぼ捨てられるの覚悟してるのかな
それとも「自分を見捨てる事は無い」って気持ちもあるのかな・・・

843 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/19(水) 01:24:24 ID:Bv/NykdP
この時代の人質て何か殺される率やっぱ高いな。

ところで猿啄城てなんて読むんだろう?

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/19(水) 01:40:13 ID:3mPlvQ20
>>843
さるばみじょう

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/19(水) 02:22:41 ID:STc5QpPj
>>842
人質って制度が一定のルールのもとで機能してたんだから、信用性はそれなりにあったんだろう
だから人質本人も…と個人的には思ってる

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/19(水) 02:32:18 ID:RsalYDAj
>>843
人質が殺されたるとニュースになって記録されるんだから
珍しかったんじゃないかなあ
こんなんもあるし
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2373.html
なしの皮だけじゃなくて、
「鬼ごっこの時はいつも長重公が鬼をやってくれた」>利常回顧談

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/19(水) 10:26:19 ID:nFR4B+JK
信長公記だと、加持田の佐藤がまず信長に寝返り、それに対応した長井が
加持田への押さえとして堂洞に付城を築いて岸を城番においた、となっているが、
この逸話は順番が逆になってるんですね。

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/19(水) 15:32:35 ID:5BjndYQT
>>842
「〇〇と考えていた」「〇〇と感じていた」っていう部分は、基本的に歴史には残らないです。
文書に残るのは、「××が△△した」ってことだけ。

そういう歴史学の限界を補完してくれるのが、ここの逸話だと思ってる。
かなり怪しいものもあるがw

862 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/20(木) 00:47:53 ID:ubiMqfPG
>>844
おーサンキュ
別にこの時代に限らないけど、読みずらい地名とか城とかてあるよね。
昼寝城とかみたいに、読みやすくて由来も分りやすいのって少ないなー
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