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「太郎左衛門はブサイクの上、言葉に詰まる者」

2012年08月06日 20:53

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/05(日) 21:37:08.29 ID:VmSSSJRT
家康公の命による立花攻めの前日、
立花方に申し入れることがあり、
大家太郎左衛門を使者とするように直茂公が命じた。
鍋島の者はみな、
「太郎左衛門はブサイク(醜男)の上、言葉に詰まる者ですから使者にはどうかと・・・」
と申し上げたが、直茂公は、
「今回、立花への使いは男ぶりや弁舌はいらない。
気骨ひとつですむ案件なのだ。
太郎左衛門の気骨の逞しさは、日頃から見抜いている」
と仰せになって、立花方へと遣わされた。
さて太郎左衛門は立花家へおもむいて、
「このたび、家康公の御命令により、
明日、当地へと攻めよせます。
もし、釈明なさるのなら、
早々に黒田、加藤両検使までお申し出になるとよろしかろう」
と、つかえながらもなんとか口上を申し述べた。 (1/2)

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/05(日) 21:54:07.02 ID:VmSSSJRT
返事を待っていると、襖一つへだてた隣の部屋で、立花の侍たちが、
「なんという生ぬるい口上か。
西国無双の立花とまで言われる当家が、
この期におよんで釈明をするなどと思っているのだろうか。
それにつけても、あの使いの男の見苦しさはなんなのか。
口上もろくに喋れず、鍋島にはよほど人がいないらしい」
など、さまざまに悪口を言った。
さて返事を聞いて、立ち帰るときとなり、太郎左衛門は大声をはりあげ、

「ただいまそちらでの御評判の内容、
こちらへもはっきりと耳に聞こえました。
鍋島の槍が手ぬるいかどうか、明日皆様方へお見せしよう。
畳の上での御批判とは、ちと違うことがおわかりになると思います。
さてまた、拙者が醜男で口上が下手だとの批判はもっともと思います。
しかしながら、武士にとって男ぶりや弁舌が役に立つとお思いですか。
私の戦場での働きもあわせてお目にかけましょう。
見事この醜男と立ち合ってみてください。
もし、今すぐにでも私が本物か確かめたいのであれば、参られよ。
ひと働きいたしてお目にかける」

と断言し、しばらく待ったうえで、立ち帰ったとのことである

葉隠より (2/2)




847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/06(月) 01:23:13.96 ID:PUboeWhc
過去に、龍造寺四天王が五人もいた鍋島家を舐めるなよ!

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/06(月) 07:49:03.88 ID:0LN+yIEo
四天王の数なら最上も負けてないな

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/06(月) 09:11:35.86 ID:WzSuK31I
直茂は「立花相手には弁舌より気骨が大事」って言って
太郎左衛門をチョイスしたわけだけど
この場合、その気骨は通じてるの? いないの?
最後の啖呵を聞いた立花側の反応が気になるわー

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/06(月) 10:32:27.18 ID:OhhBUc+k
>と断言し、しばらく待ったうえで、立ち帰ったとのことである

反論や失笑が無いようだから、相応に気骨は通じたんじゃないの?

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/06(月) 10:57:31.13 ID:Eshz7pim
いや、実際に開城してるから通じたんだよ。

鍋島直茂「身分の上下にかかわらず時節が到れば」

2012年03月05日 21:55

129 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/03/04(日) 20:28:04.77 ID:4/MOPlgG
山本常朝
『直茂公が元茂公に、

「身分の上下にかかわらず時節が到れば、
一家が滅びる時も来るのである。
その時、無理に滅ぼすまいとするならば、
いかにも未練がましく、恥を晒すような滅び方をする。
滅びの時節がやって来たと考えられる時には、
きっぱりと滅びの覚悟を決めるべきだ。
そうすると、滅亡を食い止めて、
家が立ち直る方法が見つかるものである」

と話されたとのことである。
この話は、元茂公がよく話されたが、
それを御次男の直朗殿が覚えておられたとのことだ』




130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 22:36:03.31 ID:EbILmyLh
山本常朝とか鍋島って

口だけ番長って感じしかしないんだよね 立派なことをのたまうけど実績がなにもないという

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 22:42:43.69 ID:Dc0S7bqK
彦左衛門の悪口はやめたまえ

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 22:50:58.53 ID:BcNEzkJ2
>>130
実績十分じゃないか。お前が無知すぎるだけだよ。

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 22:52:59.74 ID:gYzq8koS
鍋島さんの実績が無いとか口が裂けても言えない

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/05(月) 00:56:00.85 ID:gso5OchV
鍋島さんで実績が無いとか言ったらほとんどの武将の実績が無い事に

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/05(月) 01:44:19.67 ID:U0erznG+
>>129
>その時、無理に滅ぼすまいとするならば、
>いかにも未練がましく、恥を晒すような滅び方をする。
龍造寺季明「…」

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/05(月) 12:58:28.07 ID:dt00DVTT
>>138
鍋島は右翼の大将で新納伊集院隊を包囲中
総大将が死んだ状況で次席指揮官が責任放って殉死するとか言い出したら周りが普通止めるだろ
木下昌直の戦死の逸話はこの辺りの経緯をきちんと説明してる

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/05(月) 13:13:47.50 ID:XS+sIK1X
鍋島さんを主家簒奪でうまいことやった人と捉えるか、
有能なばかりに貧乏くじを引きまくった人と捉えるか。
個人の感覚の差が出そうだな。

俺は後者だと思ってる。
ご長寿の人に対して、
「周囲が死にまくっても一人で生きなきゃいけなかった気の毒な人だろ。
めでたかねーよ」とコメントしたとか、
最期の断食エピソードとか見ると、
死んだ方がマシって実は思ってたのかな、と

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/05(月) 13:38:09.70 ID:1hfdUHya
貧乏くじに近いなw

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/05(月) 15:18:00.46 ID:MT9UQiEy
直茂も確か手紙とかで「もう大名とかやめたい」とか弱音吐いてたよな確か

鍋島直茂の甲冑観

2012年02月08日 21:51

817 名前:sage[] 投稿日:2012/02/08(水) 15:55:21.49 ID:+JUVUADs
鍋島直茂の甲冑観。

鎧は質実ならば簡素なものでよい。ただし兜は立派なものにせよ。
討死にすれば、首に添えられて敵の大将のお目に掛かるものだからな。

鍋島直茂所用の甲冑(佐賀祐徳稲荷博物館蔵)の兜は風格ある
銀箔押の六十二間小星兜で、たしかにその言にふさわしい。

でも、鎧(銀箔押碁石頭札白糸威二枚銅)もけっこうおしゃれなんだよな。
袖も銀箔押札を色々威した大袖だし。





818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/08(水) 18:01:52.95 ID:/S/nxhT/
戦国時代までだな
戦場で個の美意識を表現出来たのは。
幕末にも先祖伝来の甲冑で参陣した武士もいたようだが、
時勢は洋式にあった

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/08(水) 18:05:22.31 ID:TAJigT+Q
もっと時代が下ればノーズアートとか出てくるけど

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/08(水) 21:04:38.37 ID:7T5LRf9p
明治期の士官の軍服は各自のオーダーメイドで、日露戦争後半でも好んで肋骨服を着ていたものもいる

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/09(木) 02:15:16.63 ID:xXCSSQS+
幕末の装備は難しいな。
甲冑は機動力を極端に落とすし、鉄砲には負ける。
けど、混戦や切り合いがないわけじゃない。

加藤清正・等身大の絵

2011年08月20日 23:01

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 16:56:08.66 ID:7Vn6ZGyX
鍋島直茂が絵師を呼び、慶長の役は蔚山城の戦いで勇戦する加藤清正の、等身大の絵を描かせた。

「殿、下絵ができました。これでいかがですかな?」
「どれどれ………いや、ダメだ。加藤殿の姿を、もっと大きく描け。」

「はぁ……では、これぐらいですかな?」
「まだまだ。今一層、丈高くせよ。」
「ではこれぐらい?」
「まだまだ、もう少し大きくせよ。」

こんなやり取りが数刻も続いて、ようやく直茂は「うむ、良く似ておる。」と納得した。
「いやいや殿、これもう人間じゃないでしょ?!」

清正の姿は、城門ほどの背丈に描かれていた。

「何を言う!わしは、かの蔚山の戦いでは援兵の第一陣を仰せつかり、朝鮮・明軍を押しのけ掻き分け、
ようやく城門に近づいた。

加藤殿も、このような敵に囲まれて久しく城に篭もり、苦しみ衰えているであろうと思っておったが、
かの御仁は我らの姿を認めるや否や、喜び勇んで城門を開き、みずから先を切って敵に駆け入ったわ。

鬼神の天より降るとはまさにあの事。その意気、我らをも圧し、その姿、門一杯に見えたものよ。」


「へへ…今日のアンタの背中、デッカく見えるぜ……」は現代だけじゃない、という話。




151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 17:06:22.45 ID:3uflP1B0
> 清正の姿は、城門ほどの背丈に描かれていた。

真柄十郎左衛門「俺より少し小さいくらいか」

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 17:07:38.63 ID:s+nwuQ5f
大豪院邪鬼かよ

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 18:49:26.36 ID:vU6hV/RG
誰だっけ…って男塾か?

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 19:14:25.00 ID:MBX5VQ++
登場したときは成人男性の何倍かはありそうな巨躯だったのに
畏怖の一言で片付けてしまったアレか

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 19:36:18.67 ID:qE58xJjl
闘気で巨大に見えるという男塾の正しさが証明されてしまったな

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 21:45:52.92 ID:yNAa3gac
NGMS「なにィ! 援軍に駆けつけこの戦局を切り開いたは我というに(ry」
栗山「殿、空気読もうや」
広家「あ、加藤殿、馬印ください」

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 23:22:12.65 ID:ESku/hhC
後藤又兵衛「じゃNGMS様の兜の角も城門並みにでかくしましょうか
      河に身を沈めても判るようにねw」

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 23:38:25.12 ID:kkAlWRMa
茂安や家信が清正に感謝されてるのはやっぱ鍋島勢が先陣だったんだな

鍋島直茂、占いで

2011年08月18日 23:01

123 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/18(木) 00:34:53.40 ID:B764rqvz
>>73 の逸話で千葉家へ養子として送り込まれた鍋島直茂は鍋島家に戻った後、
独立勢力として動いていた竜造寺家の当主、隆信に仕える事になった訳だが、1569(永禄12)年3月
大きな危機が訪れた。竜造寺家の本拠地である村中城が、豊後の大友宗麟の大軍に包囲されたのである。
多くの家臣は

「このまま戦っても勝ち目はありません。ここは降伏するか、筑後へ逃げましょう。」

と隆信に提案した。そんな中で直茂だけは、

「城中に裏切り者が出なければ簡単には城が落ちる事はありません。戦うべきです。」

と発言した。隆信も直茂の意見に賛同したものの、不安が拭いきれず、念の為占ってみる事にした。
すると一計を案じた直茂は、事前に占いを行う泰長院の住職である震龍に、

「『城を去らないのが吉、去るのが凶。』だと言うように」と要請した。

その結果、震龍がその通りに占って見せた為、その場は逃げずに篭城する事で決まった。
竜造寺軍は4月、中国の毛利家による大友領侵攻への対応に迫られた宗麟と和睦を結ぶ事に成功した。
村中城は翌年も再び大友軍に包囲されたが、この時は直茂が自ら夜襲で大友軍に大打撃を与え、やはり
和睦に持ち込んだという。

占いで弱気な家臣を黙らせた、直茂のかっこいい話。




124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 01:19:49.18 ID:A18oTpXS
そうかなぁ…?
まぁ、いいけどさ

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 01:27:52.86 ID:DJ+3M4DL
直茂公の運がいい話か

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 02:52:17.35 ID:honRDmw9
とことん世渡り上手というかなんというか

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/18(木) 10:18:31.20 ID:5lML0jXz
>>124-126
カッコいいってのは確かに違う気もするが、これは運じゃなくて時間さ稼いでれば毛利にしろ島津他勢力にしろ
後ろに敵がいっぱいいる大友ならどこかは必ず動くってとこまで読み切ってるだろう。
どっちかという周りが単細胞ばっかりの中、一人だけものが見えてる人間の気苦労を感じるわ。
頭のキレる人間が真っ向から論破しちゃうとどうしても反発勢力が生まれるから、どうにかしてうまく乗せて
こいつら使わなきゃ、ってことじゃないか。

「勝茂殿、この場で謡(うたい)を披露して貰えぬか?」

2011年08月15日 23:01

87 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/15(月) 00:36:27.25 ID:PIq/ftzB
鍋島直茂が息子の勝茂と共に毛利輝元の屋敷に招待された時の事である。宴席で勝茂は輝元に

「勝茂殿、この場で謡(うたい)を披露して貰えぬか?」

と求められたが、「・・・・・・」

全く謡おうとはしなかった。見かねた直茂が

「そ、某が代わりに謡いまする!!」

と謡い出した為、その場はしらけずにすんだものの、屋敷に戻った勝茂は

「父上の謡が可笑しくてしょうがなかった。」

と母の陽泰院に語ったのである。すると陽泰院

「そなたが謡わないからじゃ。」

と叱責し、直茂も家臣を通じて、

「こういう時の為に稽古しているのだから、以後あの様な事がない様にせよ。」

とたしなめたのだった。 息子のフォローにまわった直茂のいい話。

ちなみに、勝茂には笑われた直茂だったが、輝元からは

「田舎者だと思っていたが、礼儀を知っている。」

と以外にも賞賛されたという。





88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 00:38:25.97 ID:RtKDHikd
これは勝茂の悪い話でもいいんじゃねーのw

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 00:50:48.29 ID:LNrrdclm
何で歌わなかったんだろう勝茂 輝元嫌いだったの?

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 01:07:35.81 ID:EAmhqRYT
いきなり歌えといわれても、素面だったり気が乗らなかったりしてると
難しいと思うなー

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 01:07:54.62 ID:TpO4hKBC
カラオケが嫌いだったんだよ

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 01:10:57.24 ID:8bNDRU9e
謡いみたいな芸者の業って賤しいこととされてたからじゃね

93 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/15(月) 01:49:38.73 ID:g8QnWfFG
カラオケ歌いたくないから歌わなかったら礼儀しらずで、
それをフォローしたら立派だと誉められる。
人間関係は現代とかわらないな。
悪い意味でめんどくさい

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 02:09:55.86 ID:BeXho3SF
直茂「息子に敢えて社交辞令を教えず宴会に誘う事で俺の覚えもよくなり息子も教育できて一石二鳥、
輝元と息子と面目?はて…」

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 09:38:46.12 ID:VMYCWJ+0
>>92
室町以降の謡(というか能)は他の芸より一段上の扱いを受けていて
直茂も習っていいる様に基礎教養の一つくらいの認識だった。

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 10:39:49.94 ID:iqE/T8aC
直前に史記で趙の恵文王と秦の昭襄王が会見する話を読んじゃったんじゃね?


97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 10:49:47.28 ID:WVXmKLRL
歌えと言われて歌ったら芸人みたいでかっこ悪いじゃん?

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 11:25:19.98 ID:g8QnWfFG
この場では直茂と輝元の価値観が一致したけど、
勝茂の行動を評価する武将もたくさんいそう

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 13:32:22.17 ID:OQg08i8C
屋敷に招待されてるのに気の利いた頓知も無く黙って拒否るだけじゃ誰も好評価せんよ
おまけに直茂はワザと謡の下手なふりして場を和ませたんじゃないかと思う

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 14:17:33.52 ID:8bNDRU9e
でも輝元と勝茂って立場的にはそんなに変わらないわけだろ
将軍家ならともかく、輝元程度のご機嫌伺いなんてできるかとでも思ってたんだろう

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 14:21:51.46 ID:vOpK5owu
だとしたらつまらない意地をはって宴をぶち壊しにしかけ
さらに後始末を親に丸投げした悪い話にならないか。

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 14:37:53.58 ID:CK8igihU
まあ秀吉とか家康なら断わられても逆に勝茂をフォローするくらいの器量はありそうだがな

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 17:54:10.92 ID:v/ANKqqB
結論:そもそも謡を所望するテルが悪い

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 18:21:11.81 ID:LZkkqcYM
えー、それは輝が気の毒。

ホームパーティーに来た育ちのいいボンボンがいて、
たぶん、歌だって一通り習ってるはず。
褒めていい気分にさせてあげるためにも、
「ちょっと歌って」ぐらい言うよ、ホストとしてはさ。

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 19:41:32.46 ID:o3fwW92s
>>104
逆じゃね?
普通なら遠路はるばる来てくれたゲストに対してホストが余興を用意するでしょ
まぁ、立場とか考慮してないんだけど

個人的には謡わなかったことより、後で乳を平気で笑っちゃうところにイラッとする

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 19:42:55.93 ID:o3fwW92s
乳→父だった ゴメン

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 19:46:02.29 ID:aJIdJnNH
>>100
輝と勝茂だったらやっぱり輝の方が一応立場的には上だと思う。
年齢的にも1世代は違うしね。

まぁこの話的には、直茂の言う事が結論で良いんじゃないかね。
どうせ勝茂ももう少ししたら能が好きな将軍(秀忠)を仰ぐ事になるんだから、
ここで練習でもしとけば良かったと思うがw

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 14:41:11.05 ID:RQvdJyJN
>>87
テル「よのために鍋島直茂が小唄を披露した事しかと書き留めよ」

右筆「ハハッ」

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 14:43:20.82 ID:G5OFN2wp
テルの唄

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 14:51:38.27 ID:aV3tdLDy
鍋島家家臣某
「毛利家では宴席で徳利を叩き歌うと聞いています。両家の友好を祝し、叩いて頂きたい」

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/20(土) 16:18:06.98 ID:eLbC0xMl
TERU
「残念ながら当家ではおじい様の言いつけで歌舞音曲の類はちょっと」

鍋島家の、4歳の次男坊

2011年08月12日 23:04

73 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/11(木) 22:33:27.15 ID:IAMtFCWD
1541年、少弐家に仕える竜造寺家は、肥前国小城を拠点とする千葉胤連と主家を結びつけて
日之江城城主の有馬家に対抗する事を画策した。この方針の下、竜造寺家の重臣だった鍋島家の
次男坊は、4歳で胤連の養子となった。事実上の人質であり、小城に来て間もない頃、胤連から

「もし叶うなら、家に帰りたいのではないか?」

とこの少年に尋ねたが、

「帰りたいですが、貴方は返せないでしょう。」

と大人びた返答をした。これを聞いて大物になるだろうと確信した胤連に、この少年は大切に育てられ、
家臣や領地まで与えられたという。この少年は後に竜造寺家を背負って立つ事になる鍋島直茂である。

鍋島直茂4歳頃の逸話である。




74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/12(金) 04:40:47.82 ID:GonQ/GCT
ひねておるなw

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/12(金) 13:05:00.53 ID:nhM7i+8j
>>73
養子に入る時にその心得とかは言い聞かせられてはいたんだろうが、この問いに対して
この答えは、単に言いつけを守るだけじゃなくちゃんと意味を理解してないと出てこないもんな。

鍋島直茂とネコ

2011年08月10日 23:01

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/10(水) 17:15:41.65 ID:dGbiFb6G
別にいい話じゃないけど小ネタ

佐賀藩といえばまず浮かぶのは有名な化け猫騒動だろう
じゃあその佐賀藩の藩祖である鍋島直茂自身はネコをどう思っていたのだろうか
それが意外にも高くかっていたようだ

鍋島直茂「ネコほど重宝なものはない。家のネズミを防ぐためならどんな工夫をするよりも
       良いネコを連れてくるのが一番だ」




63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/10(水) 23:03:31.30 ID:DPId/KRA
>>62
あら意外 確かにうちも猫飼ってる時期にねずみ見たことない 猫は重宝する動物だよね
しかしそれなのに、今も鍋島藩士の子孫の人は猫飼ってないんだってね

葉隠から、横尾内蔵之丞の誓紙

2011年06月15日 00:01

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/14(火) 17:20:14.01 ID:geQ44YMC
葉隠から

山本常朝
横尾内蔵之丞は天下無双の槍の使い手で、
直茂公から大変気に入られていた。
直茂公はお孫の元茂様に、
『内蔵之丞が若い時の武勇をお前にも見せたかった。
誠に惚れ惚れとする武士であったぞ。』
と語り聞かせるくらいであったのだ。
内蔵之丞も直茂公のお心を有り難く感じ、
公が亡くなられたときは一番に腹を切りお供をしますと約束の誓紙を差し上げていた。
ところがある時、内蔵之丞が百姓と揉め事を起こし裁判沙汰になった。
この裁判によって内蔵之丞のほうに無理があることがわかり、
裁判は内蔵之丞の負けということになった。
これに内蔵之丞はひどく腹を立て、
『百姓に味方され見捨てられた拙者が、どうして殿の後を追いましょうか。
差し上げていた誓紙をお返しください。』
と申し上げたところ、直茂公は、
『一方が良ければ、一方が悪くなる。
武勇は良いが、世間知らずが良くない。惜しいことだ。』
と、つぶやき誓紙を返されたとのことである




鍋島家の保険のかけ方

2011年04月12日 00:01

鍋島家の保険のかけ方

鍋島直茂


860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 09:20:08.09 ID:pqLZfEf6
関ヶ原前夜、諸大名が勝ち馬に乗るべく様々な保険をかけたのはみなさんご存知の通り。
肥前は鍋島家の保険のかけ方はちょっと変わっていた。


6月のある日、鍋島家の重臣葉次郎左衛門が直茂に呼ばれた。

次郎左衛門「殿、なにか」

直茂「ここに銀五百貫がある。お前に預けるゆえ、東海道の村々に行って、ありったけの米を買い付けてこい」

次郎左衛門「はっ。して、その米はいかがいたしましょうぞ。大坂に送りますので?」

直茂「いや、そのまま村々の庄屋に預けておけ。おって沙汰する」

次郎左衛門「かしこまって候」


当時の米一石は銀十匁ほど。つまり銀五百貫で少なく見積もっても三万石は軽く買えた。
こうして東海道各地に買い付けた米は後に東海道を引き返してくる家康に献上され、
東軍諸部隊の兵糧として消費されたという。

鍋島の軍勢は西軍に属して、結構手柄立てたというのに、戦後鍋島家に一切の咎めが無かったのは
この米献上が効いたとされる。

鍋島直茂のちょっとどころではない大変あたまのいい話でした




861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 13:29:42.17 ID:iIZ05fob
買い付けた兵糧をすべて大阪に運び込めば
兵糧不足で東軍の動きが鈍って西軍大勝利、鍋島大幅加増だったじゃね?というのは浅はかか。

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 16:35:59.11 ID:q+qWzZ/k
在れば助かるけど、しかし有利不利がひっくり返るほどの量でもない気もするがね

863 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/04/11(月) 17:47:53.16 ID:o+TjW5kS
たった3万石で、数十万石の減俸がチャラなワケ無いと思うのだが、、、

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 17:58:53.95 ID:pqLZfEf6
>>463

そうした声は当時からあったと言われる。なんといっても、鍋島勝茂は伏見城攻撃に参加してるしね。
常陸の佐竹なんかは表立っての攻撃はしとらんのに常陸ボッシュートだったのに比べりゃ不公平だろ~、と。

そう言われた家康はこう言ったという。

「お前たちは誰の米食って戦ったと思ってんだ」

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 18:14:23.02 ID:ipRC2aUC
まあ兵糧以前に、鍋島の場合、直茂がかなり早い段階から家康に接近してて、
言い訳の効く状況だった、という事はある。

あと九州は何のかんので遠隔地だからなあ。江戸に近い常陸とは条件が違いすぎる。

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 18:31:19.54 ID:pqLZfEf6
>>465

>早くから家康に

確かに直茂は個人的に家康を買っていたのは確からしい。
けども、例えば同じ国持ち大名で遠国なところも一緒な長曽我部さんちの盛親クンは問題無用の
領地ボッシュートだったわけだし。
長曽我部さんのとこは小牧・長久手の時から家康の先物買いだぜ?

っていうか島津・鍋島の処遇に比べて長曽我部の処遇厳しすぎだろjk


867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 18:50:47.93 ID:X4WXbWJu
>>866
殿、先ほどからバックパスが長すぎまする

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 18:51:02.94 ID:ipRC2aUC
>>866
多分おいら宛だと思うので答えるがw

長宗我部は関ヶ原の直後にお家騒動起こしてる。しかも友人である藤堂高虎とのつてを使って
長宗我部存続の交渉をしていた、実兄の津野親忠を疑い殺害する、という形で。
まああの状況の中で権力闘争をやってたのね。

ともかくこれで、それまでの交渉経路を一方的に断絶された家康の側が激怒、
盛親は斬首されるところを井伊直政の説得で罪一等を減じて改易、というのが
土佐没収までの流れだな。

とにかく当時の盛親の、君主としての指導力の無さや立場の弱さが招いた改易だったと言える。

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 19:12:06.28 ID:tWXZLPcP
佐竹は仕方がない
大事な時に日和見決め込んだ結構な石高の外様が本拠地のすぐそばにいるとか不気味で嫌だろ

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 19:16:57.95 ID:N53taArO
義宣は殺る気満々だったけどな、佐竹

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 19:35:34.47 ID:kywsxU/T
佐竹が東軍に付いた場合

外様の大大名が徳川領に隣接しているのを家康は嫌うだろうからどのみち転封

しかし味方した以上加増しないといけないから100万石くらいにはなるだろう
代わりに津軽か九州等におもいっきり遠国に飛ばす

でも清和源氏で100万石とか危険過ぎるよね
いずれ理由を付けて潰されるよ
なら西軍が勝つ方に本領安堵を賭けたほうがベターじゃね?


という高度な政治判断があったとしたのが漫画、雪の峠

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 19:43:57.95 ID:ipRC2aUC
ぶっちゃけ、佐竹は関ヶ原の頃も未だ洞中体制を脱しきれておらず、当主の義宣、あるいは義重が
決断したとしても、それで即他所を攻められるような体制ではない。

どうしたって徳川が攻めてくるか、よほどの勝ち馬状態にならない限り、武装中立が
精一杯だっただろうね。

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 20:02:49.58 ID:pqLZfEf6
佐竹のところは義宣が三成と仲良かったのもあるけど、それよか「伊達と協力?ごめんこうむる」だったんじゃないかな?と。

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 20:08:52.51 ID:hNsF5SVz
それだ!

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 21:05:24.28 ID:pqHlFajX
佐野さんの改易にまつわる難癖を考えると、佐竹なんて味方になっても
絶対に潰されてた

直茂公に仕えるなかに徳久という者がいた

2011年03月14日 00:00

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/13(日) 14:15:33.46 ID:uzSltVqn
山本常朝
「今日は直茂公の時代の話をしようか。
当時、直茂公に仕えるなかに徳久という者がいた。
彼は生まれつき変わり者で、どこか抜けたふうに見られがちな人であったという。
あるとき、家に客を招きドジョウのナマスを出したので、
徳久殿のドジョウナマス』
と、そのころの人々の間で笑い話のタネになっていた。
ある日、徳久殿がお城に出仕したときに事件はおこった。
城中である者が例の『ドジョウナマス』を持ち出して徳久殿をからかったところ、
徳久殿がその場で抜き討ちに斬り捨ててしまったのだ。
殿中での抜刀であるから勿論お取り調べとなった。
結果、徳久殿には切腹を申しつけることになったのだが、
調べの一部始終を聞き終えて直茂公は、
『人に馬鹿にされて黙っている者は腰抜けである。
殿中だからといって、見過ごすわけにもいくまい。
そもそも、人を馬鹿にするような者こそがたわけ者である。
馬鹿にした者は斬られ損だ。』
と仰せになられたという」




鍋島直茂と隠居先の近くの小さな寺

2011年03月10日 00:01

130 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/09(水) 12:56:15.08 ID:wfue5VTg
今、話題の知恵袋に掲載されていた鍋島直茂の逸話からそのまんま転載。

肥前の雄、鍋島直茂の晩年の話。
彼の隠居先の近くに小さな寺があった。
欠かさず日の出には鉦を叩き、お経をあげる声が聞こえてくる。
「奇特である。人間はあの坊主のようにわが職分に励みたいもの」
すっかり感心した直茂は「何か褒美をとらせねばなるまい」と使いを出した。
が、寺をうかがいに行った家臣は顔色をかえて帰ってきた。
坊主は寝そべったまま、バチを足にはさみカネを叩いていたという。
直茂はうれしそうに笑い「苦しからず。手が足に替わろうが、カネの音にかわりがあるものか。
よきことは真似でもせよというではないか。寺禄を与えてやれ」と言ったという。

いかにも結果オーライな鍋島直茂のいい話。
寺の坊主にとってはバツの悪い話。




131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/09(水) 13:18:27.15 ID:7CyUdqL6
いやいや、その僧は禅で言うところの心身一如の状態である
「三昧」の境地に至っていたのかもしれんぞ

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/09(水) 16:50:54.62 ID:sC62vkHg
>>131
三斎にしか見えなかったぜ・・w

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/09(水) 22:30:10.48 ID:F74B19ax
足で鐘を叩く方が高度な技だろw

鍋島さんの小西評

2010年12月15日 00:01

39 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/14(火) 02:09:51 ID:i7fi4oGa
>>4
鍋島さんが小西と加藤の仲裁してるけど鍋島さんの小西評。


行長の戦い方はただ大軍で小兵を飲み込みだけの無能者の手口。
しかも勝って当たり前の勝利を誇らしげにするところが更に小者臭い。
まぁその後明軍が援軍に着た際化けの皮がはがれたよね。
ほんとにあいつは…一方の清正は(ry

清正評は良い事ばっかり書いてあって印象になく忘れました。
(兵は整然とし士気溢れ~とかだったと思う)

鍋ちゃん小西さんになんか嫌な事でも命令されたのか?('A`)
出典は確か鍋島関係の書状だったと思います。




40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 08:29:26 ID:qqUpo91o
反目してると散々な言われ様だなw
大軍で寡兵を圧倒する戦い方は古来、王道の戦い方なのに

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 10:16:52 ID:QXLGzJVN
小西さんとか三成って、知らんうちに他人に嫌悪感を抱かせてしまう性格面での要素でもあったんだろうかね?

42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 10:18:13 ID:0sHdGFmt
まぁ明来てからは壮絶な戦やってる連中が多いだけに嫌いな奴でそこそこ程度だと評点辛くなるだろなw

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 10:25:21 ID:X5P8Ax6x
今山沖田畷を知ってるからこそこういうことも言いたくなったのではなかろうか、とかおもた

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 10:53:50 ID:3VdUqJ7R
>>41
仲悪いと言われている相手も性格的にどうなのよ?って人が多いんで・・・
どっちもどっちな感じだと

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 12:18:59 ID:qqUpo91o
だね、
勝者は自画自賛の書き物を残したりできるけど、敗者は一切反論できないしな、歪められまくりだ

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 17:49:56 ID:S1SBfOqb
>>45
そういう事よく言われるけど、後世の印象なんて勝者にだってコントロールできるものではないよ。
足利尊氏なんて室町幕府の創始者なのに、その室町幕府の全盛期ですら神格化・偶像化どころか、
むしろかなり評判の悪かった節があるw

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 18:53:37 ID:cTKSOB0d
実際は連戦連敗で良い所なく終わった大坂方が、
いつの間にか各地で奮闘し、最後の戦いでは
家康を追い詰めたことになってる大坂の陣とか

意外と歴史は勝者の物ではないかも知れない

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 19:10:34 ID:qqUpo91o
そういうのは後世の小説家や講談家のおかげじゃね?あくまでフィクションの世界限定でだし

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 19:17:11 ID:lmcfnwDP
判官贔屓は日本の伝統芸能みたいなもんだと思うw
その結果同じ立場にも関わらず割を食らう人がいるのも。毛利さんとか

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/14(火) 19:30:26 ID:wBjjQ4hM
勝者の書き残した歴史(三河物語とか)と
民間伝承(講談など)は全くの別物だろ

特に江戸時代の講談は幕府への不満に対するガス抜きという側面があるから
厳しく取り締まって情報管制までするメリットは無いよ
現に歴史としては勝者の書き残したものが信憑性の高い史料として扱われてるのだから
第四次川中島などは講談の方が通説となってるけど

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/15(水) 00:37:01 ID:Ulx/bxE5
>>46
幕府の監査が入った梅松論でも後醍醐に対する反逆を払拭しようとしてないんだから
室町幕府自体に、そこまでねじ曲げて神格化しようとする意志が無かったように思えるんだが

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/15(水) 21:03:11 ID:dGBZ5zDz
「勝者は歴史を捏造するというが、
敗者は敗者でこれ以上惨めにならないように美化させた記録を多く残すモノである。」
なんかの本で読んだが、妙に腑に落ちた。

葉隠から、鍋島直茂と蒟蒻

2010年11月30日 00:00

515 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/28(日) 21:43:19 ID:xpDCb4XP
葉隠から鍋島直茂の話

山本常朝が言う
「直茂公が本庄村の梅林庵で習字を習われていた頃の話なんだが、
梅林庵の近くにあった宝持院という寺が、
髪の手入れ、着付などすべてにおいて心からのお世話を直茂公に尽くされた。
その後、直茂公がご成長なされ感謝の気持ちから宝持院に対して、

『何なりと望みのものがあればかなえましょう』

と仰せられたので、宝持院は、

『当寺としてはなにも御願いすることはありません。
ただ蒟蒻を一生の間食べ続けたいと思っています。
直茂公がご親切に仰ることでございますので、どうかこの望みをかなえてください。』


と申し上げたそうだ。
なに!その願いはどうなったかと?
もちろん我が鍋島藩の誇る直茂公のこと、それ以前に武士に二言はないのが当たり前でもあろう。
生涯に渡り、2日に1度、使いの者が宝持院へ蒟蒻を届けたということである。




516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 23:25:22 ID:44CUhdD0
一生こんにゃくか ヘルシーだな

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 23:29:02 ID:rNf5YOEl
後のマンナンライフである

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 00:23:26 ID:xNPSrX4U
当時こんにゃくって一年中作れたんだっけ?
ぐぐったら1700年代後半に粉こんにゃくができるまでは
収穫期にしか食べることができなかった、としてあったが
でも葉隠の成立時期から考えるとこの逸話のほうが正しいのか

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 01:47:55 ID:OEVQNE8B
>>518
賞味期限の概念がない時代だし、蒟蒻をどう保存していたのかもわからないし、
じっくり調べないと答えが出なさそうな問題だね

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 01:49:39 ID:NQE4ka3t
その前に、「一生こんにゃくを食べ続ける」ということが、
毎食、あるいは毎日食べ続けることに直結するか否かという問題があるが。

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 01:58:31 ID:MVJYrPUX
当たり前だがこんにゃくは『作る』ものだ。
買ったりもらったりするようになったのはここ4,50年くらいだよ。
群馬じゃ今でも家庭で作るしね。

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 03:32:29 ID:c2xRG3Z6
佐賀でも作るよ
ばあちゃんが作ったこんにゃく食べると市販の物は食えない


523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 10:16:22 ID:U+fTly3G
蒟蒻芋だったら保存効きそうだしね。

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/29(月) 15:19:06 ID:PxPDDUSz
本当に食用に使ってたのか気になる

山伏の夢と黒田長政、鍋島直茂

2010年11月21日 00:00

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 01:41:27 ID:7vny0g+F

ある時、一人の山伏が黒田長政に面会を許され、こう言った。

「昨晩、黒田様が五ヶ国の太守となった夢を見ました。お目通りが許されるタイミ
ングでこのような夢を見たとは、間違いなく吉兆の霊夢かと思われます」

それに対して長政、

「おおそうか、そりゃ目出度い!そなたの夢の通り、五ヶ国を拝領したら必ずや祝
儀を与えよう!」
と応え、その場では何も与えず、面会は終わった。


数日後……

「昨晩、鍋島様が五ヶ国の太守となった夢を見ました。お目通りが許されるタイミ
ングでこのような夢を見たとは、間違いなく吉兆の霊夢かと思われます」

佐賀城で同じ事を言う山伏の姿が。
その言葉を聞いた鍋島直茂

「そりゃ良い夢だ!真に目出度い!おい、祝儀として金を包んでやれ!」
と、金百疋を山伏に与えたという。


「殿……よろしかったので?あの山伏、筑前の黒田家でも同じ事を言っていたと聞
いておりますが……?」

山伏が退出した後、恐る恐る直茂に疑問をぶつける家臣。

「よいのだ。我々が弓矢を取って生活を立てるように、皆それぞれの方法で生活を
立てねばならんのだ。あの山伏は、あのような事を言って金を施してもらわねば生
きて行けぬのだろう?あの金子はあ奴に恵んでやったと思えばよい」


直茂さん、山伏の嘘を見破った上で、「物乞いに金をくれてやっただけ」と平然と
言ってのける。の巻。
突っ込み所としては数日前の福岡での出来事を何故佐賀の家臣が知っていたのか。
早耳デスネ?と言った所だろうか(笑)




378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 02:01:32 ID:gDmkp1VX
>>377
狼煙なら、3時間で伝わるし・・

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 02:39:54 ID:nN51s4Y9
>>378


380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 04:50:13 ID:Yvq3my9o
のろくないのに「のろし」、とはこれいかに?

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 08:01:10 ID:eFxm3Mvf
・・・<嘘くさいと思っても、その場で金子遣るくらいの度量がないから、うちのb・・・若殿はダメなんだよ。

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 08:12:11 ID:jxmb+j0T
これ、もしも勝茂さんだったら、どうなってたんだろう。金子を与えた事を家臣や奥さんから非難されて、
何も言い返せない図しか浮かばないが

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 12:49:00 ID:XIlMvHZa
どこも二代目は苦労するな

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 13:21:33 ID:Q7V1/wZB
「殿様が五ヶ国の太守に(略)」

毛利輝元「よーし、徳川征伐しちゃおっか」
家臣「お止めください!」

前田利長「今より睨まれるのー!?(((;゚Д゚)))ブルガタ」


伊達政宗「五ヶ国……?
そーだ、百万石もらってねー!!今からねじこむぞ!!!」


386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 13:25:38 ID:0mp2jpGY
>>385
なるほど、新年の恒例行事は本当は
毛利輝元「徳川征伐の用意は整ったか」
家臣「まだその時ではありません」
が正しかったわけか

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 14:10:21 ID:XIlMvHZa
五ヶ国てのが、ふと五州二島の太守思い出させた

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 15:38:36 ID:GI03jBwm
>>378
すげえな
昔の狼煙はずいぶん細かい情報を伝えられたんだな

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 19:46:00 ID:ucqWrv6w
乱数表を開発したのは山本勘助が起源ニダ

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 19:56:18 ID:vaRLvTYd
エチオピアなんかは通信手段に太鼓使ってたらしい
いろいろ考えるもんだな

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 20:52:45 ID:vU5A9Zud
>>377
なんか好きだね、この話。

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 23:39:17 ID:gDmkp1VX
>>388
赤、青、黄色、白、黒の組み合わせで表現できる

鍋島の行列がみっともないのは

2010年09月10日 00:01

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/09(木) 19:44:37 ID:0KXSNCyQ

鍋島の行列がみっともないのはかなり昔からの伝統(?)だったみたいね。

ラスボスの島津攻めの際、龍造寺軍の行軍が乱れがちになっているのを見て、
「龍造寺は軍法がなっておらずけしからん。罰しましょう」
と奉行が進言したのに対し、
「龍造寺はアレで勝って来たのだ。アレこそが龍造寺の軍法。要は勝ちゃあいいんだ
よ」
とラスボスは龍造寺の名代、鍋島直茂をかばったと言う。

そのせいか、直茂はラスボスのコトが好きだった様だ。

ラスボスが吉野で盛大な花見の会を催した時、お供として参加したのは直茂の息子、
勝茂。
直茂は既に隠居していた為、鍋島家当主として勝茂が参加するのは当然だったのだが、
直茂は自分がこの花見に参加出来なかったコトを滅茶苦茶悔しがったと言い、隠居所
の襖絵として吉野の風景を描かせて参加出来なかった吉野の花見に思いを馳せた。

直茂は自室の襖絵のみならず、居間にも吉野の絵を飾り、吉野尽くしの隠居所となっ
たのだという。


……関ヶ原で勝茂が西軍についたのって、親父のラスボス好きを知っていたからなん
じゃなかろうな。
親父本人はもうちょいリアリストだったようですがwww


関連
太閤様も認める九州の強者竜造寺
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6347.html


895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/09(木) 20:17:04 ID:J3JqomgX
秀吉好きって言えば
真田昌幸も九度山の配所に秀吉の肖像画を持ち込んだ話があるね。
秀吉の人たらしは相当だったよう。

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/09(木) 20:38:02 ID:A6zr8ptJ
>>895
それただ単に家康に対する反骨心を現したものじゃないの?

鍋島直茂が領内の下村という地で鷹狩りを行った

2010年09月07日 00:01

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 04:38:22 ID:X5PW3iS5
ついでだから同じく狩りの話で直茂父さん。

ある時、鍋島直茂が領内の下村という地で鷹狩りを行った。
早朝から夢中で山野を駆け回った為、すっかり喉がカラカラになってしまった直茂。
一軒の寺を見つけたので、喜んでそこに駆け込んだ。

「突然のコトで申し訳ないのだが、喉が渇いてしまって難儀している。水を頂いても
良いだろうか?」

囲炉裏で火を炊いていた住職は快くそれに応じ、お湯を少量碗に掬い、水を注して直
茂に差し出した。

直茂はそれを一気に飲み干し、「もう一杯!」とお替りを要求。
住職も笑いながら、再び椀を差し出す。

一杯目で人心地ついた直茂は、ゆっくりとお湯を飲み干す。

「……住職」
「はい、何でしょう?」
「今し方頂いたお湯のコトだが、一杯目と二杯目とでお湯の温度を変えたのは、ワザ
となのだろうか?」
「ええ、勿論。水を求めて駆け込んできた方に、熱いお湯など差し出しては口を火傷
してしまいますからな」

そう、住職はお湯に注す水の量を変え、一杯目は一気に飲み干せる程度のぬるま湯を、
二杯目は身体を温めるように熱い湯を差し出したのである。

「ふむ……住職、勝手なコトを言うようだが、還俗せんか?」
「は!? 一体何を……?」
「還俗して、家臣として私に力を貸して欲しい。頼む!」

直茂はこの住職の気遣いに感じ入り、自らの家臣として出仕するコトを望んだ。
芳叔と号したこの僧侶、やがて還俗して下村生運を名乗り、直茂の望み通り、彼に仕
えるコトとなる。


三成の「三杯の茶」の原型なのかな?
こちらは葉隠に載っている話なんだケド、三成の話はいつ頃成立した話なのかは知ら
ない。




あの有名な一節は…

2010年09月02日 00:00

825 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/01(水) 17:47:14 ID:b6bkGgAo
武士道は死狂い也は葉隠れのなかにある有名な一節だが、
これは著者の山本常朝の言葉ではなく、鍋島直茂の発言を葉隠れに書いたもの。

「武士道とは死に物狂いそのものだ。死に物狂いになっている武士が一人いたなら、
これを数十人で襲い掛かっても打ち殺すことは難しい。」

これなんですけど皆さん、鍋島直茂の言葉だと知ってましたか?
自分は今日始めて知りました。(今日まで山本常朝の言葉なんだと思っていた)
勘違いしている人もいるかなと思い書き込んだ次第です




贔屓の理由

2010年06月15日 00:00

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 22:01:08 ID:7LdNBIuV
「贔屓の理由」

鍋島家の家臣達の間に、ある不満が広がっていた。
隠居している大殿、直茂が最近雇われた新参者をいつも側においているのだ。
しかもこいつが槍働きなんぞできそうにも無く、やたらに軽薄なだけの奴であった。
直茂は隠居したとはいえ、未だに家中からは畏敬の念を持たれている。
はやい話、「な、なんであんな奴が大殿のお気に入りなの!?」という嫉妬であった。
で、ある家臣がみんなを代表して直茂に苦言を呈した。

家臣「最近〇〇をやたらに可愛がられているそうですが、
我々が戦場で現役だった頃には全然見かけなかった奴ですよ?
これから先も役に立つとは思えないんですが、どこが気に入って可愛がっておられるのですか!?」
(今程何某を別けて御懇ろに召し使はるゝと相見え申し候。我々槍突き申し候時分、終に相見え申さず、
先途の御用に相立ち候儀、心得申さず候が、如何様の思召し入にて御懇ろに召し使はれ候や)

直茂「まあ確かにその通りだな。あやつは先々も大して役に立たんだろう。
その分気安く使えるから、俺のお尻を拭かせるのに雇ってるんだよ」
(いかにも尤もの存じ分にて候。彼の者先途の御用に立ち申したる者にてもなく候へども、
我等気に入り、心安く候故、尻をも拭はせ申し候)

家臣「……(汗)」

直茂「だってほら、いざって時にはお前らが頼りだけど、
お前らに俺の尻拭かせるわけにはいかないだろ?」

家臣「お、大殿……(泣)」

葉隠に載ってる有名な話だが、書いた人は美談のつもりだったんだろうなあ……
現代人にはなんとも言えない話なのでこっちに投下してみた。




395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 22:11:51 ID:/oiKNLnt
始めはクロカンさんみたいな「わしが嫌われておれば勝茂の人気が…」的な落ちかと思ってたら
ここはそういえば悪い話スレだったw

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 23:34:44 ID:fVos4uPQ
なんだ下の方の槍働きか

金峯和尚が鍋島直茂邸で目を覚ますと…

2010年04月17日 00:06

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/15(木) 23:24:04 ID:GsrICfC9
佐賀鳥栖は玉林寺の住職、金峯和尚は鍋島直茂の厚い帰依を受けていた。

その金峯が一線を退き、隠居すると聞いた直茂は、
「長年の厚き恩義、感謝のしようもござらん。せめて隠居料として知行百石、進呈しよう。」
と申し出たが金峯は、
「テメェの武功は、ワシが数珠の房を揉み切るほどに祈祷してやったからじゃろが。その恩も忘れて、
たった百石で恩人を突き放そうっちゅうんかい。恩を返す気なら、せいぜいワシに付き合えや。」
と怒り、知行を断った。

直茂はこれに応え、たびたび自邸に金峯を招き、夫人の彦鶴(陽泰院)と二人で金峯の話を聞いた。
時に話は深夜に及び、そのまま三人一緒に一つの部屋で寝ることすらあった。


ある朝、金峯が目を覚まして寝返りを打つと、そこには寝乱れた人妻の姿が!!


「ウワァァァアアアアアアアアアア!!!!!」
仰天して隣室に駆け込むと、「やあ、和尚おはよう。」そこには澄ました顔の、直茂の姿が。

実は、朝起きたらすぐに身支度を整えるのが日課の直茂、早起きしたその日は、すっかり金峯を
信頼して、金峯の横で眠る妻をそのままに起き出していたのだ。

『金峯立腹にて「以ての外」と、ねだり申され候由。』と、「葉隠」は結んでいる。




395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/15(木) 23:58:03 ID:q7jbv+3G
その妻は
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-520.html

の話で有名な戦国時代では珍しい恋愛結婚で結ばれた妻だというのに
一つの部屋で寝るとか並大抵の信頼じゃねーぞw

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 00:47:12 ID:GH3q/BfQ
妻もそれだけ信頼してたってことだね

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 00:50:17 ID:GH3q/BfQ
あ、直茂が妻を信用してたって意味で

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 02:55:21 ID:AVggSamv
葉隠れがあるおかげか、直茂はいいイメージが多かったりするのは卑怯だ><

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 06:33:53 ID:vyBDDKfY
葉隠自体は「佐賀の議論倒れ」とか皮肉られる一因になっちゃったけどなw
鍋島はなんとなく優秀な文科系な印象がある

同じラブラブ夫婦でも維新斉のほうは体育会系の国だな

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 09:06:01 ID:+ZOIibkV
三歳「何故ラブラブ夫婦の話で俺の名を挙げないのだ」

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 09:39:36 ID:bpk/dX0X
フロイス「ドンナ・ガラシャは日本人の中で最も凶暴なある大名に嫁してました」

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 09:47:10 ID:b9kzsCIl
>>394
時期からして、彦鶴もいい加減な歳だろうにw
そして、なんか寝起きドッキリしかけて隣の部屋の襖から寝室をニマニマ覗いてる直茂公を想像してしまった。

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 10:00:23 ID:AVggSamv
>>399
そう考えると隆信の「分別も久しくすればねまる」に反してておもしろいなw
まぁ、それだから幕末に技術力持ったりしてたのかしらね

404 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/04/16(金) 10:40:56 ID:ATD8EL9x
>>400
三歳児の愛情表現じゃ・・・

405 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/04/16(金) 12:26:39 ID:RN9fvzFj
島津忠恒「ラブラブな夫婦の話ならば、私も混ぜて下され!」


413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 15:33:40 ID:vyBDDKfY
>>403
熊に分別が無いから足して二で割るとちょうどよかったんじゃね?
2人いた時の龍造寺はバランス取れてたわけだな

>>405
まーくんとか市松とか鮭様とか宇喜多とか爆弾正だと素直に笑えるのに
悪久ネタだと全く笑えないのは何故だろう…特に夫婦ネタ