生活の状態が悪いのでこのようなのである。ああ。

2016年01月16日 17:57

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/15(金) 21:54:51.20 ID:CiWguw9k
 殿下秀吉公、上杉中納言景勝と御和談が調い、中納言は一万騎で上洛された。
もっとも御和談のうえであるので常の行列であるとはいえど、ことのほか厳重でありましたところ、殿下は密に粟田口まで御覧なされ、
ひどく上杉家の行列の備えを誉められました。分けても景勝の乗り物が多人数で取り巻きなさる勢いは誠に鉄城のようだと、
かえずがえす上杉家の軍法に大いに興味を持ちなされました。

 それにひきかえ、いかに治世であるといっても、大小名方は日雇いの人数を行列に遣わすのは余りのことである。
これというも大小名方は前と違って、生活の状態が悪いのでこのようなのである。ああ。
(本阿弥行状記)

大名行列って日雇いばっかだったんですけど、戦国以前では全員軍人だったのですかね



217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/21(木) 10:33:30.17 ID:1LtlXlv+
>>192
景勝の馬廻り衆が8000人だから(秀吉時代だからもうちょっと増えてるかも)
それに直江の馬廻りとか奉行衆の連れてる家臣とか足したら日雇い無しで普通に一万じゃね
米沢時代になったら大分減るかもしれんけど景勝の馬廻衆は譜代(謙信の分と実父の分含む)だからなあ
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敵よりは景勝を恐れたのである

2016年01月06日 12:48

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/05(火) 23:38:20.91 ID:LZRsqKCk
大坂陣の時、信貴野口にて、先手の仕寄を見物しようと上杉景勝の近習で
非番の同輩らが忍んでやって来た。

その後で、景勝が巡見のために一騎でそこにやって来た。これを見た近習らは
咎められるかもしれないと恐れて、鉄砲の玉が降るほど飛んでくる竹盾の外へ
出て、景勝から身を隠した。

敵よりは景勝を恐れたのである。

――『北越太平記』



878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/05(火) 23:50:05.53 ID:nMWthXiW
当たらなければどうという事もない

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/06(水) 01:22:18.84 ID:L/qhRbOX
上杉にとっては大坂の陣など子供の石合戦に等しいとかなんとか

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/06(水) 18:35:19.60 ID:UJPgkuoq
当時の火縄銃の有効射程かなり短いよね50mだったかな。
多分あたっても小さな石が当たったくらいかなと。

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/06(水) 18:46:16.52 ID:WlNmolV7
口径によってだが現代の9mmパラからショットガン並みの威力があったわけで球形弾だからといってそこまで威力減衰はしない

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/06(水) 23:17:14.56 ID:XM3CD45w
>>883
狙って当てられる距離と殺傷力を保つ距離は違いますので
50メートルってのは狙って当たる距離でしょうね

士卒たちが景勝を恐れる勢いは

2015年12月31日 20:23

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/30(水) 19:42:28.73 ID:r+hYBIID
上杉景勝が富士川を船で渡った時、供の者たちが乗りすぎたせいで、
川の中央で船が沈みそうになった。

この時、景勝が怒って杖を振り上げると、それと同時に皆々が川に
飛び込んで、泳ぎ渡った。このため、船は沈まずに無事であった。

士卒たちが景勝を恐れる勢いは、この類だったのである。

――『北越太平記』



831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/30(水) 21:16:18.82 ID:cS0Z8B2g
ともに泳ごうという武将は誰がいるんだろ

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/30(水) 21:38:00.72 ID:ZnahLR22
長尾政景「よし、父であるわしが」

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/30(水) 22:05:41.41 ID:7X/69COl
この後、寂しくなった景勝もドボンして一緒に泳いだという。
上杉主従の固い絆の前には不粋な船など無用の物でしかなかったのである。

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/30(水) 22:10:33.13 ID:LSRfg72C
兼続「船は無粋だから不要と申したか」

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/31(木) 00:07:08.08 ID:iHgA7DWx
鞭声シクシク兵河を渡る

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/31(木) 01:22:14.48 ID:bTASrGu+
>>833
ワロタ
日本人には「みんな飛び込みましたよ」って伝えるジョーク思い出した

河津作兵衛はいつもこう言っていた

2015年08月20日 16:11

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/20(木) 11:51:19.55 ID:D164uGun
上杉景勝の家臣に、河津作兵衛という者があった。
彼は相撲を好み、家中の若侍などに多くの弟子を持っていたが、彼は力量があるだけではなく、
書を読み琴を弾き、普段はまるで柔弱な人のように見えた。

彼は門人に対し、いつもこう言っていた
「何事も、人は心を広く持たねばならない。学ぶときは何事も、無用のことは無いものである。
自分の気力が盛んだからといって、人の気力が弱いのを侮り、また自分が発明だからといって、
人が愚かなのを見下すなどというのは、拙い心であり、藝の至極には至らぬものである。

たとえば、人の賢愚というのは、人の背丈の高い低いのように目に見えるものならば恥ずかしさも
あるだろうに、師とも呼ばれ、また上などと言われては、己を高ぶり、終いには身の程を忘れて
大きな不覚を取るものである。この事をよくよくわきまえて、何事も修行しなければならない。」

(明良洪範)




587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/20(木) 13:06:11.78 ID:Hav+ORCQ
>>586
ありがたきお言葉いただいた

逆鱗

2015年03月05日 18:37

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/05(木) 04:12:34.98 ID:nfbRX8pP
逆鱗

慶長5(1600)6月、上杉景勝は大坂から国許の会津に下り、内府家康を討つために近隣の諸大名に一味同心を求め使者を遣わしていた

仙台正宗(伊達政宗)からは「由(よし)なに」と返事があり、中山北の山形義光(最上義光)からも「今しばしお待ちください」と宝物を伴った使いが会津を訪れた

上杉方では之を伊達と最上はややも同心したものとの返事ととって心を許していたところに、近国の諸大名が米沢口より会津攻めに最上を大将として山形に馳せ集まったと伝え聞き、さては謀れたかと大に怒り、さっそく家臣たちを召し集めた

「義光は時間稼ぎをして我等上杉を騙した。これは非常に許し難い事である
要所を堅め篭城すべきか、またはこちらから攻め立てるべきか」

そこに上方からの知らせが入り「関西の諸大名が大坂で挙兵し、伏見・大津の城を攻め落とし、猛威を振るっているばかりか、
山形に集まっていた北国の兵も自国での一揆の騒ぎに退散してしまっている」といった話も伝えられて来た

「これぞ天佑。義と天は味方にあり。義光を早々に退治し、酒田と永井(長井。置賜地方)を分断する後顧の憂い(山形の最上領)を取り除くべし」と評は決し、
直江兼続・春日元忠・上泉主水・水原親憲を先駆けとして最上陣(攻め)が決定された

「奥羽永慶軍記」




慶長八年の御成

2014年08月08日 19:13

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/08(金) 00:44:17.31 ID:UbC4BRbC
慶長8年(1603)1月28日、徳川秀忠は江戸桜田の、上杉景勝の屋敷を訪問した。
これは関ヶ原後、上杉家に対する初めての御成である。

この時景勝は、直江山城守(兼続)はじめ3人のみを邸内に置き、その他の家士は皆下屋敷に
つかわし、門々の警護は徳川普代の諸大名に頼み、徳川家の御家人に諸事を扱わせた。

後でこれを聞いた徳川家康は、景勝は分別者であると大いに感じ入ったそうである。

また、上杉景勝は当時、石田三成の第一の与党であったと考えられていたため、そこに
御成まであったと言う事に、これを聞いた、かつて西軍に与した西国上方の大名たちは皆
「もはや我々に患いはない」と安心したとのことである。

(徳川実紀)

徳川秀忠の、上杉景勝邸への御成のお話。




「カゲカツクッゾ!」

2014年01月30日 19:14

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/29(水) 19:52:16.82 ID:d5QP/6IU
山形西部の畑谷・五百川・八ツ沼には古老が伝える昔話があった

木々に覆われる山間(やまあい)の地で親は子を叱る時に決まってこう言った

「カゲカツクッゾ!」

怠け者や親の言う事をきちんと聞かない悪い子は、山の更に奥から物陰や闇に身を隠し、眼を爛々と光らせた
黒ずくめの恐ろしい怪物が現れて、人知れぬ魔界へと連れ去ってしまうという…



…文字面を追うなら
慶長出羽合戦で畑谷を撫で斬りにした直江軍がモデルにしか思えない…

※畑谷・五百川・八ツ沼は幡谷・芋川・八沼とも

※昔話には地域、人づてにより差異があります




423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/29(水) 20:44:29.71 ID:8w+BPvO3
カゲカツなら全然平気
カゲトラ(初代)はマジ危険

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/29(水) 23:20:43.02 ID:U+WWCZFi
>>419
この手の脅し文句って全国的にあるよね
まとめで長宗我部元親が来るぞ!って話も読んだ気がする
元ネタは後漢の遼来来なのかしら?

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/29(水) 23:23:05.84 ID:P6hpv2b6
ハンニバルが戸口にいるぞ!
てのもローマで子供を泣き止ませるのに使ってたし
どこでも発送は同じ

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 00:41:53.86 ID:E0LhXwrm
さっきやってた珍百景で、亀はいかなる形のものでも大切に扱わなければならない、みたいな風習
残ってるところあったし
一回怖い人で定着すると、もう存在や名前だけで伝説化しちゃうからな

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 01:02:57.46 ID:K74jiCIz
>>423
軍神の関東遠征は単に略奪に来てた説あるからな

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 01:17:56.23 ID:xURM9PiZ
軍神本人の直属軍(越後軍)はちゃんと民間人への略奪乱暴狼藉禁止令出てるし
大規模な略奪があったのは第一回関東征伐の小田原攻めの後だけだから
高確率で略奪やらかしたのは軍神じゃなくて集まってきた関東組

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 02:43:29.00 ID:Zoyk2cFD
まあ、信玄なんかでも上野に侵入した時はそのへん統率しきれなかったから、謙信の寄せ集めでは
なおさら無理だろね

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 03:42:54.20 ID:HkdSXETq
>>432
栃木県には「越後の兵が来た、奪った、去った」といった故事もある

上杉兵が直属・旗下に関わらず人さらい(人買)や略奪をしたというイメージは
上杉クラスタ以外にはほどほど定着してるんじゃね?

小田原攻めの上杉軍の話以外に長谷堂合戦でも直江軍が山形西部の寺社の焼き打ちをやってる記録も残ってる

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 07:47:23.38 ID:BCk7C9X8
禁制の発給に関係なく兵糧は現地でゲットしてるだろうしな

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 07:54:26.05 ID:7AGfpJwO
聖帝先遣隊とかぶる。まさに世紀末。

カングイカス殿領地、ヨナンズア到着

2012年12月08日 19:54

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/07(金) 20:38:12.26 ID:JUiaU8f2
カングイカス(景勝)殿領地、ヨナンズア(米沢)到着

ヨナンズア(米沢)の町に到着するには、この日と金曜日の両日かかった。
カングイカス(景勝)殿が同地の領主である。しかし皇帝(徳川家康)が帝国の支配権を求めて戦争をしていた
その時に、その友好陣営にいなかったので、皇帝は彼を幽閉し、二百万石以上を取り上げ、子供らを江戸で人質に取った。

この町に到着する前に、領内入国の許可を求めて皇太子(秀忠)に書簡と到着の知らせを通訳とともに送った。
直ちに彼は必要な物と宿の用意を命じ、あたかも自分の家に入るように入国して良い、と言ってきた。

そして我々は、到着後の訪問とその御手への接吻を許されるよう求めた。
それに対し景勝殿の返答は

『都合の良い時にそうしよう。しかしし現在、少々不調である。もっと有り体に言えば
皇帝が自分から領地を取り上げたので気鬱の病にかかっている』

と言ってきた。これを知って司令官は彼に面会しないことにした。
何故なら先程も私が述べたように、諸侯への面会は物入りで、しかも何か贈り物をするからには
相当のものでなければならないのだ。

そういう訳で(景勝をスルーし)旅を続ける許可を求め、彼はそれを許可し、自分の領地内では何処にても
必要な物はなんなりと無償で用意せよ、と家来に命じた。

セバスチャン・ビスカイノ旅行航海報告書)

関ヶ原後、景勝が鬱だったらしい事と、それをこれ幸いと対面スルーに利用したスペイン使節の記録である。




679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/07(金) 21:43:50.14 ID:kbzzmrWJ
景勝って幽閉なんかされたっけかw

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/08(土) 01:50:53.29 ID:+Vk4vNwx
カングイカス、ヨナンズア
うん、ぱっと見どころかしげしげと見てもさっぱりだw

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/08(土) 02:44:00.46 ID:n1yEdEyf
そこだけならイーハトーブと同じにおいがする

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/08(土) 03:42:25.47 ID:uEUz6gsd
東北弁だとそんな感じに聞こえるかもね >カングイカス、ヨナンズア

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/08(土) 06:37:16.58 ID:2xUxGqyy
カングイカス
後のググレカスである

「今度の様子頼もしからず」

2012年09月26日 20:28

574 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/26(水) 00:57:27.13 ID:IU4GiR0Q
天正十一年(1582)八月、
上杉景勝は越後、信濃の旗下の兵を動員して反乱を起こした新発田へ出陣した。
同年九月、
この隙をついて隣国深志城の小笠原貞慶は、兵三千余を率いて上杉方の竜王城を襲った。

この時、城主清野清左衛門佐は景勝の新発田攻めに従って居た為、
城には隠居した父の清就軒と兵四十余が籠るに過ぎなかったが
清就軒は、信玄公以来の武功の将だったので、
兵を三つに分け城内や山岳に潜ませ五千六千の兵に見えるように配置した為、
小笠原勢を食い止めることに成功した。
そして自らは、海津城の村上(山浦)国清の許へ援軍の要請に向かった。

海津城で国清に面会した清就軒は、
「我等が敵を引き付けている内に海津城から兵を出し、
敵の後方から切り崩せば小笠原勢を討ち取る事が出来るでしょう」
と主張したが国清は、病気を理由に出陣を渋った。
これを聞いて清就軒は、
「自身の出陣が無理ならせめて二十三十の寄合武者だけでも寄越すべきである!
このような不義な振る舞いをするのであれば、
川中島の四郡の内に貴殿の下知に従う者は一人も居なくなるだろう!!」
と怒り戦場へ戻って行った。
これに国清もさすがにこたえたのか二日後に配下の島津勢を加勢に向かわせた。

島津勢が到着する前の九月十一日払暁、
小笠原勢は竜王城の守りが堅く進攻は無理だと判断し、兵を九つの備に分け撤退を始めた。
山上からこれを見た清就軒は、
十騎に雑兵四百五十余を率いさせ山上に残し、自らは三十騎を率いて山を駆け下りた。
不意を突かれた小笠原勢は混乱し、歩者二三〇、士五六騎の被害を出して壊走していった。

十月五日、帰国した景勝は清就軒に感状を与え、救援を拒否した国清は、春日山城に召喚され
「今度の様子頼もしからず。ゆくゆく、川中島を敵に取られるべき事眼前なり」
と叱責され海津城主を罷免された。

『管窮武鑑』




575 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/26(水) 10:27:59.59 ID:Ii86Mq/S
寡兵を多勢に見せるって話はよく聞くけど
ちゃんと成功するもんなんだなー。
それにしても、小笠原勢は一度も攻めなかったのか。

583 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/26(水) 23:25:22.35 ID:aENemeea
>>575
敵の主力が出陣している隙をついて敵地に乱入する小笠原貞慶
そのまま攻めかかった場合は、こんな感じ。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-630.html

家康「今の日本では景勝なら」

2012年07月31日 20:50

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 02:53:45.13 ID:NN47ay0t
徳川家と豊臣家が不和となり戦が始まろうとした頃
家康に家臣たちは皆「各地に関所を設けて大坂に人が集まるのを食い止めるべきだ」と
言ったのだが
家康は「その必要はない」と言って取り合わなかった。
そして「今の日本では景勝なら私の意見に同意するだろう」と言うので
本多正信は上杉に使いを送って景勝の意見を聞いてみた。
すると景勝は「関所など必要ない。大身の者の動向にだけ注意していれば良い。
中心となって率いるべき人間がいなければ烏合の衆など少人数なら取るに足りず
数が多ければ必ず意見がまとまらず対立しあい蹴散らすのはたやすい」
と答えた。


なんでそこで景勝だったんだろう。




760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 07:58:54.00 ID:kqikBUUh
上杉がらみの記録なんじゃないのか?

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 07:59:46.03 ID:fRaNXw5O
当時はもう少ない実戦経験者の一人で、普段しゃべらないからここぞという時の発言にインパクトがあるから?

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 09:42:08.95 ID:UeWVt17J
>大身の者の動向にだけ注意していれば良い。
>中心となって率いるべき人間がいなければ烏合の衆など少人数なら取るに足りず

つまり俺は豊臣には行かねってことかな?それとも関が原の皮肉か。

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 09:53:08.16 ID:SHqZ/elM
10年ほど前に懲りてますねん

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 10:33:06.12 ID:NN47ay0t
つまり上杉に振ったってのは毛利らは懲りてないと思ってたという…

景勝はそういう「国を纏める事」には慣れてそうだからかな?と思ったけど
なんで大名連中のなかピンポイントに景勝に…と思ったので

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 10:52:29.09 ID:NPlztew/
戦国生き残りの大名家で、幕閣連中が納得するネームバリューがあると言ったら景勝くらいしかないんじゃね。

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 11:07:49.12 ID:neGBq095
>>759
関所設けないことで不満分子を大阪に集められるって意味もあるのかな

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 11:14:03.88 ID:10uOKFPf
家康で納得しないなら誰に言わせても意味ないだろうし既に納得はしてるだろう

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 11:30:52.96 ID:EKEgfHjO
>>764
皆様ご承知の通り輝元はバカなので。

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 11:38:41.19 ID:neGBq095
淀君が戦にまで口出すような状態の国に反幕府勢力が一点で集まってくれるなら、
幕府視点で見れば、権現さまや景勝のような歴然の武士じゃなくともおいしいと思うはず
しかも大阪方は人が欲しいばかりなんだから
三方ケ原以降の権現さまは軍神

771 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/31(火) 12:22:34.21 ID:D1ARJBNX
戦国生き残り実践派の中では、

政宗だと、内心は家康に賛成でも、ひねくれて変なこと言うかも知れない。
秀家は島まで聞きに行く人がかわいそうだし、輝はしょせんTERU。
藤堂、黒田は「なぜピンポイントで俺に聞く?」と変に裏を勘ぐってくる。
三斎様、スーパー宗茂様は指揮官としては優秀だけど、こっち方面はあまり得意でなさそうだし、
島津の人たちは何行ってるか聞き取れない上、「関所作りまくれ」とかきっと言う。
鍋島さんは多分忘れられてた。

その点、景勝なら必要なことだけ、素直に答えてくれそうだ。安心の景勝クオリティー。



772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 12:30:57.33 ID:TODWIQHa
権現様を使ったよくある藩祖持ち上げエピじゃないのけ?

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 15:51:00.46 ID:r9Ht9tNk
景勝のこの無難ポジションは見習いたいもんだ
なんというか過不足無い感じ
義父のエキセントリックさが反面教師になったんかね

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 16:18:15.77 ID:fP6t7Xxr
藤堂黒田はまだしも、この中では確かに一番安全パイだわな

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 16:19:17.56 ID:dL+82e8W
しかもこの後に戦になったら上杉軍無双だからな

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 17:22:18.01 ID:UeWVt17J
>>765
(#●ω^)「そうか俺は認められぬか酒井殿、ならば相撲で決着つけようぞ!」

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 20:14:57.59 ID:cOqgJv/T
>>768
バカなのはお前だ
遠国のTERUに聞きに行く手間も考えることができないのか

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 20:31:27.53 ID:8bb2Lu8j
だって景勝の意見なら
本多正信→本多政重→直江兼続
身内に聞くだけで終わるし
 
780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 20:33:59.86 ID:s7aZodH2
>>768
もしもしごときに侮られるとは、輝元公が不憫にござる

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/31(火) 20:38:00.24 ID:AAyt2pbo
>>778
>皆様ご承知の通り輝元はバカなので。

これは関ヶ原の後の、吉川広家が出した弁明状の一節だよ。
[ 続きを読む ]

景勝が直江をやたら重用した理由

2012年01月07日 22:03

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 00:44:55.28 ID:jmrtBHjb
逸話という訳じゃないが景勝が直江をやたら重用したのも
一門とのやり取りを見てるとなんかわかるっつーか
ただでさえ謙信のおかげで一門が少ないのに
上杉景虎・上杉十郎・枇杷島上杉は御館の乱でバトル済みで且つ
義理の兄弟の上条上杉と山浦上杉とは揉めてるし

景勝「勝頼が救援よろしくしてきたから池」
上条「えー!武田とかもう遅いって信濃口の防御固めた方が良くね」
景勝「武田が落ちたらこっちも手詰まりだろうが!馬鹿なの!?死ぬの?良いから行け!」
景勝「え?上条なんでそんなとこに留まってんの?そんなとこ守ってどうすんの?
もっと前に出ないと意味ないだろ!…救援に出した上条から返事が来ないんだけど。
…武田が落ちてもまだ勝頼さえ無事ならまだ何とか…」
上条「あ、もう勝頼殿死んだみたいですよ残念!戻っていい?」
景勝「勝頼ー!」

そして天正壬午の乱でどさくさに取った信濃を
山浦国清(村上義清の息子で謙信の養子)に任せたら
国清さんたら信濃に戻れたのが嬉しくて勝手に年貢の徴収始めたりして
「おいおい独立させるとは言ってねーぞ!」と怒られた挙句
国清の家臣が北条に寝返って「……国清。チェンジで」してみたら
上条「俺は景勝様の相談係として朝に夕にお側に侍ってたのに…(ブツブツ」
景勝「…(お前ずっと文句言ってばっかじゃねーか…誰かなんとかしてくれよ…)」
上条「あ、信濃経営大変なんで直江こっちに貸してw」
景勝「ちょ、直江貸したらこっちが困るwこっちの仕事が困るww」
上条「景勝最近全然言う事聞かんし!俺を誰だと思ってるんだ!」
三成「え?ちょ?こっちに来られても困るんですけど!上杉とうちの関係悪化させるつもりですかw」
結果一門衆が誰もいなくなったので一門に任せる仕事も
全部自分でやるか直江に任せるかになって(もう一人重用していた狩野は早々にダウン)
「山城、御屋形様に少しは仕事休んで下さいって言ってくれよ。過労死すんぞ」

少なくとも直江は如才でも景勝の意志に反する仕事は一切しなかった。
景勝政権初期の景勝文書のイライラキーキーっぷりは面白い。
「なんでそんなことも分からないの?」とか怒りながら事細かく指示出してる辺りが
なんでも直江に任せてたみたいなイメージと違って。




620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 10:55:47.09 ID:ExlNur62
>>616
関係ないけど太河の天○人で景勝が直江が六人?いればいいなぁみたいなこと言ってたのを思い出したw

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 11:20:35.38 ID:2dWjTK5b
景勝って手紙だと急に饒舌になるのな・・・

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 12:57:56.04 ID:sOA9GXco
と殿は仰っておられるので祐筆書きとめよ

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 15:56:18.75 ID:ummXfLAv
>>621
2ちゃんねるでやたら長文書き込んだりレスしまくりの奴ほど実生活では…
のパターン

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 16:23:22.81 ID:23VN7y6d
戦国時代なんだから書状書かんと仕事にならんだろうがw

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 19:11:01.53 ID:KkT78Psi
確かに景勝時代の上杉は人材いないイメージ。
忠実な一門にも将にも猛者にも能吏にも恵まれた家康は幸運だな。

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 20:36:17.15 ID:WGM1VMA9
家康さんは一向宗との面倒を上手く治めたからな~

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 22:46:55.80 ID:23VN7y6d
謙信「忠実な一門?一族同士で殴りあうのが越後の習慣ですよ?」
って感じに越後は豪族同士でのどつきあいが基本で謙信や景勝は必死に手綱捌く役だから…
景勝時代は御館の乱で反対勢力一掃したから謙信時代よりまだ良くなった方という。

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 23:05:09.10 ID:gQDzT4dL
>>626
武力で真正面から倒したんで、うまくとは違うような…。
代償も大きかったし。

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 23:19:12.41 ID:Ms9+AjN6
のちの大賀弥四郎事件で、弥四郎の共謀者だった倉地平左衛門とか、
(鬼半蔵、槍半蔵の検挙から天竜川を泳ぎきって逃げた)小谷甚左衛門とかも元一向宗側だったし、
家康に許されたやつにも不平分子は残ってるんだよなあ

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 23:20:29.21 ID:WGM1VMA9
家康さんとこは万事水に流して、結構帰参してなかったっけ?
オレの認識違いだったらサーセン

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 23:37:58.29 ID:Ms9+AjN6
家康が家臣たちを許したことで利点もおおいけど、
内心家康に不満をもったまま帰参した家臣も
少しはいたんじゃないかって書きたかったのです。

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 23:53:21.64 ID:WGM1VMA9
アンカー付けなかったオレがいかん・・・
>632は>>628ってことね

後腐れなくバッサリと処理するか、燻ったままの火種を家中に置いておくか
難しい判断なんだろうけど、文句をいいながら家康さんのこと大好きな連中多いからな~
メンドクサイ、メンドクサイ

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/08(日) 09:35:26.70 ID:97C/BHPz
>>627
そう考えると謙信は景勝のように権力持てなかったかもしれないけど
優秀な人材を失わないで活用できたってことになるのかな

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/08(日) 10:12:28.84 ID:vEUW27IU
北条毛利とか相模北条家を越後に呼び込む先導役になってくれやがったりしてますが
こいつのこと景勝も許してるのがマジで謎

政治や軍を任せられる家臣と言う意味なら景勝時代のほうがいて
謙信時代の方が謙信一人で必死こいてたイメージだけどなあ
会津三奉行とか。官僚機構じゃなくてどいつもこいつも軍事も政治もやるけど。

新発田の捕虜二人と上杉景勝

2011年12月23日 22:01

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/22(木) 23:17:59.65 ID:XD0OP6RK
放生橋の戦いの頃、新発田の兵二人が上杉軍に捕らえられる事があった。
この兵たち、見れば新発田城に兵糧を運び込もうとするところだったようである。
二人は景勝の前に引き出されたが、すると景勝が言うには
「強き敵なら兵糧攻めも兵法の一つだろう。
しかし新発田に対しては正面から実力で打ち勝ってこそ価値があるというものだ。
兵糧を運び込むというならそれを止めることはない、放してやれ」
と言い二人をそのまま城へ帰させてしまった。
無事兵糧が到着したことに新発田城の者達は喜んだ。

…のだが新発田重家、上杉の陣から無事に帰ってきた二人を見て
さては上杉に内通しており中から城に火を放つ算段であろうと思い、これを斬り殺してしまった。
この話を聞いた葦名の者達は皆景勝を讃え重家を憎んだ。




488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/22(木) 23:43:40.13 ID:NicxQjXz
なんで蘆名なんだw

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 00:15:34.50 ID:MGFqYCTY
ほぼ確実に作り話だろうけど新発田の乱には葦名が援軍出してたからかと。
当初は織田からの援助もあって新発田も元気だったけど
本能寺の変後は葦名だけでは当然支え切れなくなって
挙げ句景勝の怒りに触れて本庄繁長に侵攻される手痛い反撃食らって
和睦を申し出た事が下敷きになってると思われ。(この頃は盛隆だったか)

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 08:37:07.39 ID:IEVKlzM5

>>487
景勝えらい長くしゃべったな~~。

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 10:02:29.34 ID:Bvcz/+VQ
>>494
直江「と殿が申しておる」

景勝、馬禝を斬った話

2011年12月14日 22:00

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/14(水) 10:16:29.90 ID:e1wkP88w
上杉景勝が上洛する最中、罪を犯したとしてある家臣を誅殺する事があった。
(この誅殺の際と思われる逸話もあるみたいだがそれはちょっと悪い話なので置いといて)
ところが越後に戻るとこの家臣に立派な葬儀を執り行い、更には景勝自身も焼香しにきて言った。
曰く「この者は罪を犯し、天命は一人のためには変えられぬものである。
大将として今回の死罪は仕方のない事だった。
しかし罪による誅罰と長年の忠義軍功は別であり、彼の功に報いて篤く弔いたい」
景勝はまるで生きている者に話すように死者に語り掛け、別れを惜しんだ。
死を賜った家臣の家中の者たちはこの姿に大層感激し、なんとありがたい事かと感謝したという。

景勝、馬禝を斬った話。




981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/14(水) 10:19:52.06 ID:BiZdl56w
景勝さんがながながとしゃべってるのはなんか新鮮だ

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/14(水) 10:20:17.54 ID:yqAXL+q6
泣いて斬る話とは裏というか対の関係かな~
いかにも景勝さんっぽい話ではあるけど

景勝公人見知りのため

2011年11月14日 22:00

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/14(月) 17:41:57.53 ID:zrzjCj5w
まとめサイトに見当たらなかったんだけど、有名な話だからかな。

関ヶ原の合戦のその後、先の征伐の元凶となった上杉主従が家康へ謝罪のために上洛した。
軍神謙信の武名も名高くそして今や権勢を極める徳川様に堂々と逆らったあの上杉が久々の上洛である。
市井の人々の噂は高く、かの名物主従を一目見ようと町は見物人で溢れ
上杉の大名行列の周囲は黒山の人だかりに。
そして執政直江は屋敷に残し、景勝一人登城し家康からの沙汰を待つこととなった。
しかしここでも、普段ならお目にかかれない会津の太守を一目見ようと
小大名や旗本達が用もないのにわらわらガヤガヤと入れ代わり立ち代わり
景勝の座す間を覗きにやってくる。

「………………」

ついに徳川方のほうがあまりの見物客の多さに気を遣い
「景勝公人見知りのため」として部屋に衝立てを置き見物人達から景勝を覗き見られないようにした。

ちなみに家康から大減封の沙汰を受けた景勝、
相変わらず動じた素振りも見せず至って堂々した態度で受け入れたそうである。

「武命の衰運驚くにあたわず」すらやらなかった糞大河ェ…




546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/14(月) 17:46:22.08 ID:prr/6Al0
>>545
> 「景勝公人見知りのため」

大の大人にしてはえらく可愛らしい理由だなw

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/14(月) 18:46:24.11 ID:Fa5xKq66
まるでパンダかアイドル扱いw
勝ち負け関係なく、人気あったんだね

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/14(月) 19:12:00.41 ID:CCziQp/D
>>545
いい年こいて人見知りとか言われるよりは、じろじろ見られてた方がまだマシって気がw
罰ゲームみたいだw

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/14(月) 19:25:51.34 ID:wDm6OtSY
一応罰を与えようとするところなんだから
あんま堂々としてるのを大勢の人に見られても困るんじゃね?

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/14(月) 21:00:56.29 ID:5aJqhWAZ
>普段ならお目にかかれない

逆に普段お目にかかれるのはどんな面子だろう?
北のDQN王は目立つから嫌でも見知ってるだろうけどw

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/14(月) 22:43:28.36 ID:f5JgQewv
泣き言もごねたりもせずその後さらに半減もただひたすら耐える
騙されたと恨みを引き摺り、やりかえそうぜが正月恒例行事
ごねて現状維持を勝ち取り、戦犯匿いあげくにチェスト関ヶ原

下の2人は上杉さんを見習ったほうがいいと思うの

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/15(火) 08:42:46.47 ID:3vch3oXb
>>545
家康が減封を言い渡した時は一切顔色もかえず即座に一礼して沙汰を受け
そして上杉屋敷に帰って出迎えた直江に
「何、運が無かっただけだ。驚くことではない」と一言言い置いたそうな。

って話までちゃんとやったら格好良かったのになあ…

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/15(火) 10:07:01.54 ID:ZDbjOvJT
「運がなかった」ですませて原因の追求と改善をしなかったから
この後も衰運が続くことになるのかねえ

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/15(火) 10:22:05.48 ID:DDiXgzpa
今更過去を悔やんでも仕方ないと思ったのかな

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/15(火) 10:48:59.21 ID:3vch3oXb
>>561
いや、徳川との戦いは上杉家としての決断で賭けでもあったんだから
原因追求も糞もないんだろ。
直江状だってほぼ同時期に景勝自身が家康への回答として同じような答を返してる。
奉行たちが直江一人のせいにしようとしたのは大老同士の戦争を避けようとしただけで
上杉にとっては誤算は関ヶ原がまさかのたった一日で終わった事でしかないし
後世では追撃したらよかったと言われてるが当事者には追撃なんて発想外の話。
家として決断したことの責任を家臣に押しつけなかった美談であって
戦さで家を守ってきた景勝の戦国人らしい発想だと思うがね。

上杉景勝、真田昌幸に頼られ

2011年05月02日 00:01

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 00:15:27.88 ID:Z9qh0Iky
天正13年
沼田の問題から真田と徳川は手切れとなり、徳川の軍勢が上田に迫った。

この時真田昌幸は上杉を頼ることとし
「先年貴国の配下となるよう仰せられて参ったところその御趣旨に沿わなかった。
 これは思慮が浅かったと後悔している。何卒お許し願いたい。
 そして今沼田の件によって徳川家が大軍を率いてまさに上田に迫っているとき
 伏して乞い願うは所は貴国の勢を借りて家運を開きたいところである。
 この願いを入れて孤城をお救いくださるならば、愚息源次郎信繁今年一九歳をして
 軍卒百騎を以て春日山の外回りの防備に遣わせよう。」
と誓紙を書いて須田相模・島田淡路の両名に上杉景勝へと届けさせた。

これに対いて景勝は
「真田は先年自分に背いた。今徳川家に背いて討伐を受けようとしている。
 しかし救を頼む所がなく、孤城は危うくなり、あらゆる手だてが尽きてしまい我が力を借りようと願って来た。
 危機に臨んで他を頼ったり又は降ったりして先祖のおたまやや国土を保つのは
 士たる者として当たり前のことである。なぜ過去を咎めようぞ。
 その上(断ったならば)自分が今真田が無勢なのを侮り、徳川の大軍を恐れたと世の人は嘲るであろう。」
と兵を発して真田を救うことを誓約し、上田へ援軍を差し向けた。




300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 00:24:53.16 ID:Zdf/dG/4
>>299
人質の信繁が勝手に抜け出して、秀吉の人質になったときの景勝の顔を見てみたいw

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 00:26:05.39 ID:7CQ9Irq9
直江「…と殿は申されております」

302 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/01(日) 01:51:09.88 ID:S48UF4G2
真田の誓紙なんて、1年期限とかだろwww

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 04:28:52.55 ID:s5VKx7Ee
>>302
1年後に文字が消える墨を開発する昌幸の姿が浮かんだ

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 07:35:00.77 ID:+wzEBxkI
昌幸の元主君信玄公がああいう人だから家来の昌幸がそうなっても仕方が無い

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 10:40:40.20 ID:g7lm3NRT
さすが、小信玄
主君コロコロ変えても生き残る術を持ってる、いい話

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 11:07:54.78 ID:KuJr0QDO
こういう事ばっかやってると、誰からも信用されなくなって孤立→フルボッコになりそうな気もするんだがなぁ

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 12:16:57.86 ID:h6idBEbS
凡人が場渡り的にやるとそうなるんだろうけど
計算し尽くされてやるからやられた方もグーの音が出ないんだろうね

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 12:22:58.80 ID:S23UAFMY
そんなこと言うなら、季節ごとに立場を変える、北関東の領主の皆様はどうなるんだよ・・・

雑談・由良氏宛上杉景勝書状について

2010年10月15日 00:00

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 10:02:46 ID:bwxF3gue
この記事はちょっと面白いな

上杉景勝の書状発見 県歴史博物館で初公開
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20101003/CK2010100302000069.html

>  書状は一五八五(天正十三)年前後に出されたとみられ、日付は閏(うるう)八月二十日付。
> 当時、赤堀氏は金山城(太田市)の由良氏に従属し、ともに小田原の北条氏に制圧されていた。
> このため、由良氏は赤堀左馬助を通じ、越後の景勝に援軍を要請し、書状はその返書となる。
>
>  内容は「佐野城(栃木県佐野市)は何とか防戦し、北条勢を撃退してほしい」と求めた上で、
> 「(景勝方の)秀吉が出馬してくれたので、富山城(富山市)の佐々成政が降伏し、関東へ軍勢が
> 振り向けられる」との見方を示した。
>
>  さらに「(信濃から上州を拠点とする)真田昌幸が味方になったので、上州への道を妨害する者も
> なくなった」ため、「すぐにでも越山したい」と伝えている。ただ、その後、軍事的な情勢により、
> 援軍は実現しなかった。
>
>  同博物館の簗瀬大輔主幹(学芸員)は「情報量が豊富な書状だ。この時期は既に、関東が秀吉の
> 影響を受け、もはや小田原成敗が不可避になっていた状況を示唆している」と分析している。

小田原の陣(天正18年)の5年前の段階で既に、秀吉の勢力による対北条戦争が不可避だったとすれば
その間の氏政の外交姿勢も一概に否定しきれ無い訳で、いろんな意味で北条涙目の話だな。



700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 12:16:55 ID:VNWaa3Bu
由良氏の本拠である金山城には「ガイダンス施設」という一種の小規模な博物館があるんだけど
その展示の説明文書いてる人が北条大好きなS氏という研究者で
笑っちゃうほど北条寄りの解説文があるんだよね。
「上杉氏の脅威と北条氏との友好関係」な~んて調子で全編書いてあるんだがw

こういう書状が見つかるとS氏の解説は成り立つはずもないんだが
どうするんだろうね。解説書き換えたり・・・・は、大人の事情でしないんだろうなw

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 12:43:10 ID:ODsOxZhO
沼尻の合戦を扱った本を最近読んだとこだったので割とタイムリーな話題だった~
結局は、書状・文献の解釈は主観だからね~

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 14:58:12 ID:gd0br4zg
まぁ一書状だけなら宛名だけに向けたものだもんな。
内容が真意かカマシかは背景にもよるわな。

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 15:25:35 ID:f92/O9nk
>>703
これが真田昌幸の書状とかだったら内容信用する奴の方が少ないレベルなんだろうけど景勝だとどうなんだろうw

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 15:42:21 ID:oqdnCe+M
景勝は書状だと割と率直で熱血気味。
ちょっと謙信に似てる(謙信ほど腰引けてないが)
家臣に「馬鹿じゃねーの」みたいなノリの書状を送ったりもする。

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 16:04:41 ID:YLCD1iNu
直江「祐筆よ、殿が甘粕殿に馬鹿じゃねーのpgrと書簡を送るように命じておられる。」

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 19:26:27 ID:ND/zJ380
>>707
絶望先生の無口だけどメールだと毒舌な女の子を連想した!!

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 19:42:48 ID:0Acvk5k/
めるめるかwww

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 21:29:04 ID:Dz31ifMT
>>707
狩野秀治宛の書状は、わりと羽目をはずしているというか、「寡黙」な
イメージからはだいぶ遠い感じがする。
あとは、魚津に篭城した武将たちへの書状で、中条や吉江といった武将ひとりひとりに呼びかけるような
のもあって、これも印象的だな

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 22:37:59 ID:/MVLgtBj
>>699
要するに、いったん世紀末覇者にテロ支援某みたいな扱いされたら
並大抵の自助努力じゃ敵視政策止めてもらえない、ってこったろ?
今も昔も同じじゃん

徳川秀忠の上杉景勝邸御成りと伊達政宗、補足

2010年08月18日 00:00

489 名前:367[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 00:08:36 ID:pV110F1o
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4513.html
の逸話で最後に付け加えようかどうしようか迷ったんですが……

この逸話が紹介されている書物には次の様にも書かれている。

「上杉家は勧修寺家の子孫だから『竹に雀』の家紋を使っている。伊達家も山蔭中納
言(藤原山蔭)の子孫だから『竹に雀』の家紋を使っているのである。福島の戦いで
伊達家の陣幕を奪い取ったから、家紋まで奪い取って使用しているワケではない」

どーやら、戦利品の陣幕を自慢気に見せびらかして、政宗に恥をかかせたまでは良い
モノの、それが有名になりすぎたようで、
「上杉家の家紋は伊達家からの戦利品だ」
と、まことしやかに語られる様になってしまったらしいwwww


政宗へのイヤがらせが上手く行き過ぎて、自分達のトコへ還って来てしまった上杉さ
ん家の悪い話。

あ、ちなみに確かに伊達家は藤原山蔭の子孫を名乗っているようですが、伊達家で
『竹に雀』を使っているのは、伊達実元が越後上杉氏に養子入りする際、上杉氏から
引き出物として伊達家に贈られたのが由来。
それ以前は『竪三つ引き両』という紋を使っていたそうです。




490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 06:52:18 ID:5E+ocTdA
スゲー

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 11:40:39 ID:jmqYpn/O
養子を渡さずに家紋を貰ったら陣幕を厠の飾りにされたでござる

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 13:35:39 ID:n3/7LKNx
>>491
“かわや”じゃなくて“うまや”じゃね?

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 13:57:37 ID:OLUldZcc
でも厠にこもってる時にパッと見れたら便利だと思うの

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 13:59:50 ID:L8Ua+ZHA
伊達実元の養子入り未遂後も竹に雀の紋は上杉家で使い続けていた(形は違うけどな)ので、
上杉に仕える者が厠武功を誇るのはともかく厠に飾ったりするか?という突っ込みは入って
いるんだよね。

デザインは違うから主家への侮辱とはならないよ、おkと寛大にに受け止められるような
社会ではあるまい。

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 14:16:10 ID:3lbrsTia
謙信公と同じ場所で死ねるのだからありがたく思えとかいう話がなくて良かった

496 名前:367[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 15:11:12 ID:pV110F1o
うお、何かいつの間にか陣幕が張られたのが『厠』だったっていう流れになっとる!?
『厩』ね。『うまや』『馬小屋』!

ま、まぁ……ほとんどの皆さんは判った上で茶化しているだけなんだろうケド。


497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 15:11:20 ID:k3C+rrOp
>>489
実元が貰った竹に雀を晴宗が所望して伊達の紋になったんだっけ<竹に雀

んで、成実の代も当然使い続けてたら政宗から「宗家と同じ紋使うなよ」って文句付けられたけど
「元々ウチの親父が貰ってお前のじーさんにやったモノなんだから
 使い続けて文句付けられる覚えはねぇ」って突っぱねたんだよな
さすがに政宗もそれ以上何も言えなくて、結局ウヤムヤになったとかw

そういえば伊達の竹に雀、○の外に葉を出したのは成実の可能性があるらしい
もしかするとこのイチャモンのせいなのかもなw

551 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/08/19(木) 10:13:26 ID:sRJsTjdp
>>489
そして何故か山形の伯父さんも竹に雀を使っているのだった・・・

最上義光兜の前立て中央に刻まれた紋(右)
ttp://samidare.jp/yoshiaki/data/12446083931.gif

これは関が原時の長谷堂合戦で義光が使用したという兜のものです。
なんで竹に雀なのかはわかってません。伊達との縁戚関係があったのは周知ですが、それと関係あるのかは
やっぱりわかってません。

ちなみにゲームのBASARA3では、二引き両に変えられてますね。伊達とかぶるのがやだったんでしょうw

一応伝承では、織田信長に贈り物をした返礼で桶側胴具足を拝領した、それがこの兜だとなってます。
それをそのまま信じるなら、信長が何故か気を利かせた結果ということに・・・

上杉さん家の『義』ってなあに

2010年06月29日 00:00

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 23:25:01 ID:nYNpJL13
越後から会津に転職した上杉さんと、上杉さんの後任として越後に就職した堀さん。

「俺が貰うハズの初任給、なんで上杉が貰ってんの!?」
「あぁ、コレ、退職金。お前も前の職場で退職金貰っとけば良かったのに、何やっ
てんの、バカじゃね?」

という訳で隣国同士で大層仲が悪かった上杉と堀。
それでもラスボス会長が存命の頃はまだ良かった。
ラスボスが死んでまだ幼い二代目が就任、実権を握るのは徳川専務か石田部長か、
となった途端、話はややこしくなってくる。

三成「例の計画、上手く行きそうだよっ! 毛利が総大将を引き受けてくれたから
   ね」
兼続「そりゃ良かった。で、奥羽の状況はどうなってんの?」
三成「佐竹は味方してくれるだろうケド、最上も伊達も徳川方だねぇ。あ、でも、
   越後の堀がこっちについてくれるって!!」
兼続「…………堀?」
三成「うんっ! 越後がこっちについてくれれば、徳川包囲網がかなり強固になる
   よね」
兼続「……かもねぇ……」
三成「で、徳川を潰した後、堀の希望は上方で一国ってコトだから、越後が空くん
   だよね。ココはやっぱり、上杉にあげちゃおうかって思ってるんだケド、ど
   う? ……あ、勿論関東管領職はそれとは別にあげるよ、勿論!」
兼続「……越後くれるの? ウワァ、ウレシイナァ。それじゃぁ、今後の越後支配の
  
 為に、カネツグ張り切っちゃおうっと!!」

で、上杉さん家の直江クン、「今後の越後支配の為に」越後牢人衆に反乱を起こさ
せた。

三成「…………え? 何で?」
兼続「いやぁ、こんなこともあろうかと、上杉家に縁のある牢人衆に武器や金を支
   援してたんだよねっ!!」
三成「いや、だから……堀は味方……」
兼続「さぁ~カネツグ、頑張って堀さんの首、取っちゃうぞぉ!!」
三成「……………………………………(泣)」

味方のハズの越後を引っくり返したり、江戸に攻め込まず最上いぢめしてたり、ど
う考えても、徳川vs石田のどさくさまぎれに越後-会津-庄内-山形と一円支配
を企んでいた様にしか見えない上杉さん家。
『義』ってなぁに?という上杉さん家の悪い話。




609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 17:39:58 ID:UhrrJq8P
>>604
上杉とか毛利とか、キーマンが好き勝手やってるんだから負けたのも道理なのかな・・・・

上杉景勝、名幡馬義任の提言に

2010年06月25日 00:01

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 00:55:03 ID:U9OQY8q1
慶長五年(1600)、上杉征伐に軍を進めていた徳川家康は、上方での石田三成蜂起
の報を聞き小山よりその軍を返した。

奥州浪人の名幡馬義任、景勝の陣を訪れ、今後の作戦を言上した。

「治部少輔殿が大坂にて挙兵し、伏見に迫っているようです。毛利を筆頭に西国の
大名は皆、治部少輔殿の味方となり、内府が率いていた面々も大部分が上方の味方
として早々と上洛してしまったようです。最早孤立してしまった内府は小山からも
撤退し、スゴスゴと江戸に逃げ帰ったと聞きました! この期に上杉全軍を挙げて
江戸に攻め寄せれば楽々勝利できますぞ!」

景勝「…………」
直江「……この度の戦は内府に仕掛けられた故、受けてたったまで。上杉家も徳川
   家も、共に豊臣家の大老職にあり、互いに争わぬと亡き太閤殿下に誓紙を出
   したのだ。徳川がそれを破ったからと言って、上杉も破る理由にはならぬ。
   上杉家は専守防衛に徹し、自らの領土からは一歩も外に出るコトはない。と、
   上様はおっしゃっておられる」

「いえ、しかしっ! 治部少輔殿の戦略は上方と会津で内府を挟み撃ちにするとい
うモノ。我等が北から江戸を窺わぬとなれば、治部少輔殿もまさかの不覚を取らぬ
とも限りません。そうなれば戦後、内府に真っ先に潰されるのは上杉家ですぞ!
戦って名を落とすのと、戦わずして滅びるのと、どちらをお選びになるのか!?」

景勝「…………」
直江「……内府が孤立したと言うが、奥羽には最上、伊達が居り、佐竹もどっち着
   かずで信用ならない。江戸への途中には結城秀康が迎撃体制を整えて待ち構
   えている。周囲を敵に囲まれているのは我が上杉の方ではないか。と、上様
   はおっしゃっておられる」

「最上、伊達がごとき小録の者共、各城に配置した諸将の軍勢で十分抑えられます!
それに結城なんぞの若造、我等の足止めにすらなりゃしません!佐竹は日和見の様
ですが、既に車丹波らが援軍として着到しておるのですから、彼等を上杉軍に加え
れば戦力的には十分です!」

景勝「…………」
直江「……内府が小山から江戸に帰ったのは確かだが、配下の軍勢が上洛したのは、
   ホントに治部に合力するためか? 内府を甘く見てはいけない、用心せよ。
   と上様は………………っつーか、前線に陣取ってるワシが何でココに居るの
   か考えろよ! お前に言われんでも上様にはとっくに言上しとるわい! 何度
   も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
   何度も何度もなぁっ!!!」

結局、こちらから家康を攻めるのは道理に合わない、と景勝に押し切られ、江戸へ
の出兵は見送られた。

鮭「『こっちからは一歩も攻め込まない』……? 誰が……?」


>>523とは家康の評価が正反対だが、「やっぱ追撃かけるべきだよなぁ」というの
は上杉家中の共通認識だったようだ、というお話。


ちなみにこの頃、東軍側では上杉家臣団の切り崩しを画策しておりました。

蒲生秀行「キミたち、元々蒲生家の家臣だもんね、内通してよ!」
岡左内・他 「「断る!!」」




553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 01:22:33 ID:jE0dtj9u
>>549
直江の腹話術はすっかり定着したねw

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 02:29:32 ID:AJgfe+/W
>>549
地味に突っ込んでらっさる方が w

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 03:08:31 ID:/PguvnW1
> >>523とは家康の評価が正反対だが、

名幡馬義任の家康評はそれこそ杉原親憲の言っている

> 「我が軍の中には、内府は我々と上方という前後の敵を恐れたために、早々に軍を引き返したのだ、
> などと言っている者が居るが、

このたぐいではないだろうか。

竹俣兼光

2010年06月04日 00:01

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 01:05:16 ID:jTCq7f/M
やっと規制解除された自分が、喜びのあまり逸話を書き込んじゃうぜ。

 
愛刀家で知られる上杉景勝。
ある時、竹俣兼光という太刀を修理に出すことにした。
この竹俣兼光は、家臣の竹俣朝綱が献上したもので、朝綱がこの兼光で鉄砲ごと敵をぶった斬ったという
曰く付きの有名な太刀だった。
景勝が竹俣兼光を京の刀工へ修理に出すと、しばらくして刀は見事修理されて戻ってきた。
景勝「…………!」
直江「素晴らしい!流石は京の刀工、まるで新刀のようだ!
と、景勝様は喜んでおられる。
いや~、綺麗に直って返ってきましたな~!」
と、一同喜んでいたのだが、元の持ち主である竹俣朝綱は、
返ってきた刀を見て怪訝な顔をした。
朝綱「……殿、これはかの兼光ではありません。偽物でありましょう」
景勝「!?」
直江「ナ、ナンダッテ──!?」
朝綱「ほら、ここをよく見て下さい。
元の刀はですね、このハバキから一寸五分程の鎬(シノギ)のところに、
馬の毛を通す程の大きさの穴がありました。
ですが戻ってきたこれには、孔がありません。偽物です」
これを聞いた景勝は、すぐさま京に使いを出し、本物の行方を探させた。
その探し方はなかなか大掛かりなもので、
「おい、景勝様が兼光の刀がないかと探しておられるんだが、
何か良い物はないか?」
「へえ、どんなものをご所望でしょうか?」
「うむ。兼光の作で、長さは二尺八寸から三尺の物が良いそうだ。
売り物があれば、直ちに上杉に持って参れ」
「へへえ」
といった風にして刀剣業者の間を触れ回らせ、刀を片っ端から
持って来させたのだった。
するとほどなくして本物の竹俣兼光が発見され、
偽物に関わった者らはみな厳罰に処さることになった。
景勝は見付かった竹俣兼光をますます大切にしたという。
景勝の刀への情熱と、竹俣朝綱の物覚えのいい話。

しかしその後、この件を知った収集マニアのラスボスに、
竹俣兼光は召し上げられてしまうのだった…。
ここまで書くと悪い話になっちゃうか(´・ω・`)