糟屋正之助の報恩

2010年05月27日 00:06

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 00:19:23 ID:IHjmw4zL
天正6年(1578)、別所長治が播州三木城で蜂起した際、別所家重臣の加古川城主・糟屋玄蕃朝正も行動を共にした。
朝正は、信長に組した小寺政職の妹の子であり、政職の家老である黒田官兵衛は、必死に朝正を説得した。

「わが殿の縁戚である貴殿を悪いようにはせぬ、降伏なされ。わしから筑前殿(秀吉)に、うまく取り成そう。」
「何と言われようと、今さら別所殿を裏切ることなど出来ぬ。」
「ならば、弟御の正之助殿だけでも逃がしなされ!正之助殿は、まだ別所の家臣ではない。逃げても後ろ指は差されん。」

官兵衛の、この言葉に納得した朝正は、正之助を呼びつけた。

「おまえは、わしと同じ母の腹から生まれた弟ではあるが、わが父亡き後、母上が志村助右衛門殿に嫁いで生まれた。
つまり、『糟屋』の血に縛られる必要もないし、別所の恩を受けた身でもない。

よって、これより実父の名を継ぎ、どこへなりと行くが良い。わしは父上と助右衛門殿に成り代わり、おまえに弓馬の道を
厳しく仕込んだつもりじゃ。おまえなら、どこへ行っても生きて行けよう。」


正之助改め助右衛門は官兵衛のもとへ行き、秀吉の小姓となった。しかし、彼は異父兄の情を忘れることが出来ず、
その恩に報いようと、『志村』ではなく『糟屋』姓を称し、糟屋助右衛門数正と名乗った。
のちに賤ヶ岳で、佐久間盛政配下の猛将・宿屋七左衛門を討ち取って七本槍に数えられた糟屋武則が、これである。



姉妹スレで「糟屋さんの逸話ねーなーw」とか言われててカッとなって書いた、反省はしていない。




287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/26(水) 03:16:25 ID:3E21GW8C
>>283
糟屋武則かっこいいじゃねえか…
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