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空太鼓

2015年08月25日 12:16

北信愛   
600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 01:13:04.02 ID:xfQW/kFg
慶長5年9月20日、南部氏の重臣北信愛(当時剃髪して松斎)は、
伊達領から攻め込んできた和賀忠親率いる一揆の攻撃を受けた。
彼の守る鳥屋ヶ崎城は侍わずか十数名しかいなかったが、民や女性まで動員してこれを撃退した。

一揆の襲撃を除けたその二日後のこと、城下の農民商人が城にやってきて、大きな太鼓を献上した。

「私どもは百姓町人ですので、武事に預かる事は恐れ入る事ですが、
もし今後鳥屋ヶ崎城へ一揆が来たなら及ばずながらも馳せ向かい、
後詰をして賊徒を討ち散らし御報恩に仕りたく、この儀をお許し願いたい。
城中にまた何か異変があれば、この太鼓を乱拍子に叩いてください、しからばこれを合図として馳せ参ります」

信愛はこの志を賞して願いを聞き、太鼓を受け取って家臣の熊谷惣三郎にこれを任せた。

さてこの頃、信愛の親戚の高橋伝助という男が三戸から来て城に入った。
だがこの男、大酒飲みで常に酔っぱらっており、いつも戯れを起こしていた。

城中に入った伝助は、そこで大きな太鼓を見つけた。
この時太鼓を管理する熊谷惣三郎はおらず、伝助はバチを持ってこれを思いっきり叩いまくった。

驚いた信愛は近習を遣わす。近習は伝助の姿を見てこれを咎め、伝助は事情を知り大いに恐れた。

近習「伝助は民が集まる事を知らず、ふざけて太鼓を叩き、今は大いに後悔しております」
信愛「……酔っていたとはいえ、その故を知らなかったのであれば仕方がない」

と信愛は急ぎ人を走らせて、酒数石分を買わせた。
そして数百人もの農民商人たちが城中に集まってきた。
信愛は多くの蓆を敷かせて席を設け、また酒器を並べ、自ら彼らの前に現れて言った。

「このたび上方の風説に、我がお館様がかの表において抜群の勲功を上げられ、
 その賞として将軍家より格別の御加増を賜るべきとの風説がきた。
 しかしながら未だその実否は詳らかではないけれども、まことに目出度きこと恐悦なれば、
 その方らも一層身命をなげうって働いてほしい。
 私はそなたらの志を知っているので、一刻も早くこの事を知らせ、
 我らと共に喜びを分かち合おうと思い、太鼓にて呼び上げた次第である。お上を祝して心よく飲むべし」
 この言葉に集まった者たちは大いに喜び、数石の酒を飲み干し帰っていった。

熊谷惣三郎はこれを無益な事だと思い、それが態度に出ていたようで、信愛は言った。
「酒を費やした事は無益の事だと思うけれども、三戸の客人が酒によっていたずらに太鼓を打ったななどという事実を告げたら、
 我らが法令を軽んじているなどと知らしめ、その後は太鼓も合図にならなくなってしまう。
 よって、本意でもない偽言をもって空太鼓の誤りを取り繕った。
 諺にも下郎は喰に着くというだろう、祝いの席と称して酒を勧めて喜ばせて、今後の合図を違わぬように計らったのだ」

この言葉に熊谷は伏したという。
また信愛は周りに語り
「人は皆酒は好物であるものだが、我が親類高橋のごときは酒に飲まれるというものだ。いずれ酒は量の問題だが、
(南部家臣の)石井伊賀親子や中野吉兵衛、岩清水右京、桜庭安房、大槌孫八郎等は真の上戸と言える。羨ましい酒飲みだ。
 この者たちはいくら飲んでも酔っぱらうという事は無い。しかしながら孫八郎や右京は一升枡で一息に三升の酒を続け飲みするという。
 これは確かにすごいが、下郎の如き振る舞いで不愉快だ。
 戦いでは少し酒気を帯びれば、勢いに乗じて日の中水の中も怖れることなく、また大雪や寒風の中でもいささかも厭う事がない。
 敵前での働きも一層潔くなる、そう考えれば酒は実に徳のある物だ。
 しかし高橋のごとく心を放しては、酔酒飲に劣りたり、と言うものだ」

 この言葉に周囲の皆は感服したという。

(公国史)



601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 09:15:01.69 ID:0Nk9RM79
>>600
北さんは隠れた名将だよな。

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 17:24:24.86 ID:YltpjxhE
信愛なる北様へ

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/26(水) 18:50:25.96 ID:KiNWDPYW
高橋のおっさんは最後まで改心もしてないし評価もされてないんだな
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北松斎(北信愛)と奴踊りの始まり

2012年08月18日 20:51

北信愛   
117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 22:12:40.86 ID:m9sndWvf
本日北松斎公400年忌

北松斎(北信愛)と奴踊りの始まり

慶長6年4月26日、伊達に支援された和賀忠親の篭る岩崎城を陥落させた南部軍は、
戦勝に喜びながらもさすがに疲れた様子で、岩崎街道を花巻へと帰還していた。
既に時間も遅く、空には夜闇が立ち込め、兵達は煌煌と灯るたいまつを手に列を作って粛々と行進した。

そして南城というところにさしかかった頃、東の北上山地から光り輝く月が顔をのぞかせた。
北上川は月の光りを映して銀色にさざめき、街道の松の向こうには花巻城のいらかが見える。

先頭を歩む隊長は、自分と馬の影がくっきりと映るほどの、松明もいらないほどの明るさに興が乗り、
部下達に松明を捨てさせ、そしてそれを踏み消させながら朗々と馬上で歌いだした。
つられた士卒たちもこれを真似て歌いだした。

  地こぶのてっぺんから
  星の親玉顔出して
  火事の卵をがちゃりと踏んごわした

地こぶとは土のこぶ、すなわち山のこと。星の親玉とは月。火事の卵とは松明のあかりのこと。
そして火事の卵とは、和賀稗貫領でくすぶっていた和賀一党の反乱のことで、その光を星の親玉――北信愛がうち消した、という歌なのだ。
将士はこの歌をすっかりと覚えこんで、歌に合わせてだれともなく両手を動かし、左右に足さばきをつけて踊りながら歩いた。
これが今に続く奴踊りの一番歌、その元歌とされている。

その後時を経て、花巻にある観音寺の祭礼の際、城中の若侍たちが唐竹で大きな鯨をこしらえ、これを車に乗せて町を練り歩いた。
その山車は評判となり、松斎の耳にも届き、これを見物してすこぶる上機嫌となり、若侍たちに酒をふるまった。
若侍たちは酒興に乗り、例の歌を北松斎の前で歌い踊った。

松斎は大変喜び
「気味のいい歌だ、もっとつづけよ」
とほめそやし、さらに勢いづいた若侍たちは縁側にかけてあった大うちわを手に取り、それをかざして踊りまわった。
これが、にないもの奴踊りの始まりだという。




118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 22:24:13.36 ID:yREJO4JG
戦国の頃は武士も領民も芸達者が多いようで宴会芸を一つも持っていない俺としては羨ましい

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 22:46:03.49 ID:s9xZ4BTH
では一つ某がエビ掬いをば…

北信愛の鷹

2011年06月17日 00:03

北信愛   
184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 13:45:35.94 ID:OkZ3MenE
南部の武将北信愛(松斎)が和賀・稗貫郡を領して、城代として花巻城にあった頃のこと。
時の藩主南部利直は、信愛が老齢で目を患い、楽しみの少ないことを哀れみ、
鷹野にでも出て気を慰められるよう、一羽の鷹を与えた。信愛はこれを喜び、その鷹を鷹匠に預けた。

ある日のこと、鷹匠のひとりが山野に出て、その鷹を放っていた。
鷹は一羽の鳥を捕らえると、そのまま近くの農家のそばに降り立った。
するとそこへ、たちまち一匹の犬が駆けてきて鳥もろとも鷹をかみ殺してしまった。

驚いた鷹匠はその犬を捕らえ、辺りの者を集めて飼い主をただしてみると、門右衛門という百姓の犬であった。
鷹匠は門右衛門を捕縛すると、これを同道して花巻城に引き返し、おそるおそる事の次第を信愛に言上し、
門右衛門とともに罪に服したいと願い出た。
それを聞いた信愛はいつになく立腹の体で鷹匠を叱りつけた。

「お前はなんと無分別なことをするのか。
この門右衛門は飼い犬をそそのかして鷹を噛ませたものではない。またお前とて、
鷹を犬に噛ませようとして放ったわけではあるまい。

元来、犬はその性分として鳥獣を噛もうとするのは当たり前のことだ。鷹は他の鳥類に優れて
眼も羽も速いものであるから、滅多に犬などに噛まれたりするものではない。
それが噛まれたというのは、鷹のほうに油断があったのであって、その命運が尽きたものである。

一体、あの鷹はその門右衛門に比べて、これまでどういう働きをしたというのか。
あの鷹は拝領の鷹である故、お前が責めを重んじてそのような処置をとったことは
一応無理のないことであるにしても、わずか鷹一羽のために、大事な百姓を痛めるわけにはいかぬ。
お前は粗忽にも門右衛門を捕らえてきたが、はやくその縄を解いて、門右衛門に謝罪せねばならない」

鷹匠はこれを聞いておおいに恥じ、門右衛門に深く詫びて帰宅させた。
この話を聞いた稗貫・和賀の人々は、いずれも信愛の仁徳に感じ入り、その信望はいや増すばかりであったという。





187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 21:43:49.92 ID:cAB8nhct
>>184
これは当時の鷹が現代で言えば高級スポーツカーとか、そのくらいの価値観で見られていたことを
考えると一層味わい深いな

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 21:52:05.59 ID:hO131Qev
>>184
弱い鷹だな。地上で戦えばそんなものなのか。

参考動画:モンゴルの鷹を使った伝統的狼狩り
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm7233456

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 23:43:38.90 ID:PV2sbT7t
>>184
当時の犬は放し飼いだったのかな。

鷹匠も一緒に罪を償おうとした、というところもいい話かも。

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 23:52:09.11 ID:iZVa/P0K
鷹と百姓(とか子供とか)の粗相っていうと、たいてい酷い結末になるから
どきどきしたけど、あ~よかった。いい話で。

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/16(木) 23:55:05.61 ID:mnA3Jpo6
北さんは名前からして優しそうだよな

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 00:10:01.58 ID:EMCM8gZ2
日本一の不覚人「もっと信頼されたかったなあ。」

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 00:20:39.30 ID:NF/zSc6j
信愛は晴継の烏帽子親を勤めながら、晴継謀殺の黒幕だったりして

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 00:33:36.62 ID:Omjbpnkk
南部さんちの周辺はけっこうえげつないからなー

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 09:36:17.26 ID:GmgcOAQh
南部晴政さんが農民の娘に泥を塗られて喜んでた話が好きだ
どっちかっていうとその娘さんに胸キュンなんだけど

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 10:06:09.10 ID:NF/zSc6j
その泥娘が晴継の母ちゃんなんだよな

198 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/06/17(金) 10:10:31.01 ID:9Hz2fsCK
泥を塗られて喜ぶってどんなシチュなんだ。
領民のどろんこ祭りみたいなものにおしのびで参加したってこと?

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 15:23:22.00 ID:RVbQrmXv
>>198
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4751.html
この逸話のことやね。

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 15:27:28.46 ID:T8Wp+0WD
ブスだったらその場で斬り殺されたと思う・・・

南部老臣の奮戦

2010年05月28日 00:00

北信愛   
311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 20:43:50 ID:x7m83FIY
南部老臣の奮戦

関ヶ原合戦の時、南部家の重臣北信愛(松斎)は、上杉責めに出陣した南部利直の留守を預かっていた。
彼のいた花巻城(鳥谷ヶ崎城)は伊達との国境にあり、
奥州仕置によって没落した諸豪族がいまだ影響力を持つ地域だった。
南部信直とその息子利直はこの地を重視し、北信愛を城代として八〇〇〇石をもって封じたのだ。

そのかつての旧領に返り咲かんとしていたのは、隣国の伊達政宗に仕えていた和賀氏の遺児和賀忠親。
彼は伊達正宗から白石宗直・母帯越中を通じて武器や物資のみならず兵士まで融通してもらっており、
利直の留守を狙って決起、一揆勢・伊達勢により南部領の各城へ攻撃が行われた。
信愛は各方面で起こった一揆を制圧する為に自らの兵を増援に送る。
それこそが一揆勢の狙いだった。

「いまぞ好機!」

和賀忠親は夜を待って、手薄になった花巻城を急襲した。

この時花巻城にいたのは御年77歳、眼盲を患った北信愛を加えてもわずか十数名。
それに対して敵の数は和賀忠親を大将として稗貫旧臣や農民も加わり約千。
だが信愛も歴戦の武将、知らせを受けると素早く城内を固め、兵のみならず
城下の住人、女・老人まで総動員して防戦にあたる。
だが多勢に無勢、三の丸、二の丸は次々に破られ、ついに本丸に追い詰められてしまう。

「敵はもはや本丸近くまで攻め入ってきております!」

信愛は慌てず騒がず、落ち着いた様子で武具を着ると、ふたりの女中に命じて、
二丁の鉄砲に次々に火薬を入れさせ、本丸から空鉄砲を次々に撃つ! その絶え間ない音は、
まるで二〇挺のつるべ打ちのように聞こえた。
それを聞いた部下の熊谷藤四郎が、その意図を読めずにやってきて問うた。
「こんな時になんで空砲撃ってるんですか?! 敵をひとりでも討ってこそ味方の助けになるでしょうに」

「わかっとらんな、相手に応じて手段も変えるものだ。
 寄せ手は大概地下人だ、命を捨ててまで駆けてはこんよ。
 大勢を無勢で防ぐには、味方を大勢に見せかけ、さらに敵はひとりも討っちゃいかん。
 ひとりでも殺したりケガをさせたら、連中は興奮して遮二無二に突っ込んでくる。そしたらこっちは落城だ。
 こうして時間を稼げば、じき救援が来る。ひたすら鉄砲で防げ」

その言葉通り、一揆勢は絶え間ない発砲音にたじろぎ、
まだ相当数の兵が残っていると思ってか、足を止めてしまう。
そして一揆勢が攻めあぐねている内に夜明けとなり、報を受けた近傍の南部勢が到着、一揆勢は南へ後退する。
態勢を立て直した南部勢は追いすがり、岩田堂にて激突、これを撃破し、一揆勢は岩崎城方面へと撤退した。
南部の老臣はったりで城を守りきる、の話。


ちなみに、花巻城を守った兵士のひとりに葛西旧臣だった新渡戸伝助という者が居る。
後の新渡戸稲造のご先祖さんである。




313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 21:32:47 ID:vcACwl9J
>>311
さすが南部のドロドロ時代を治めた人は格が違ったか…

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 23:31:19 ID:VDgj71J9
>>311
二丁の鉄砲を絶え間なく連射したら
ものの数分で銃身が焼け付いて、手で持てなくなると思うんだけど・・・

まあ、実際撃退してるのは確かなんだよねぇ・・・

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 23:36:01 ID:r7w6ad2y
>>316
ゴルゴでその解決法があったな、濡らしたウエスで冷却するという。
これなら当時でも十分可能なやり方だって。
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