166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 02:03:48 ID:FmHEMEC+
関東に名だたる名家の一つに、関東八平氏の一家に数えられる千葉氏がある。
戦国時代においても形の上では下総一国の大半を支配する大勢力だったが、
その内実は多くの一族、家臣が半独立した勢力として活動し、
惣領家にはあまり権限が委ねられていない緩やかな同族連合といった存在で、
その為に躍進してきた北条家の圧力に耐えかね、その従属国という地位に貶められていた。
天正十三年には当主千葉邦胤が頓死すると家督を北条氏政の子直重に乗っ取られ、
名実共に下総は北条家の直轄領に組み込まれてしまう。
そして同十八年の小田原征伐にも独自性を完全に奪われた千葉氏は北条に組し、
一族ことごとく失領の憂き目を見ることになったのだった。
さて、この時に領地を失った千葉一族の一人に、成東千葉家の房胤という人がいた。
彼の父将胤は成東城落城に際して自害を遂げ、今は天涯孤独の身である。
ある時、彼の存在を知った徳川家中の者が、彼の登用を家康に具申した。
家康は名門の家系に手厚い。そして成東家は千葉一族でも宗家に継ぐ家格である。
おそらく誰もが成東家の再興なることを予期しただろうが、意外なことに家康の答えは「否」だった。
それから暫く、三代将軍家光の傅役青山忠俊らが、再び成東家の再興を斡旋した。
だが今度も幕府の答えは「否」で、以後は成東家のために取り計らおうというものもなくなった。
房胤はその後も臥薪嘗胆の時を過ごしたが、老境に入ってもはやこれまでと観念し、
承応二年に自害を遂げてしまった。
二度目の仕官拒否は、面談直前に房胤が病を得て応じることができなかったためとも言うが、
千葉一族は全般的に大名としての復活や幕府直参への取立てが認められない傾向にあり、
その関東への影響力を警戒されて将軍家に疎まれてしまっていたらしい。
これは千葉宗家についても同じで、宗家と成東家は復興の芽もないまま、
生まれながらの浪人という日々を以後百数十年(宗家は明治維新まで!)まで過ごしていくことになる。
……ちなみにこの千葉家と成東家。
幕府が影響力を恐れるのも当然で、両家とも浪人身分ながら帰農したり、
或いは他の大名家に仕えた旧臣たちと百年の時を重ねつつ交流を保ち、
18世紀末になってもまだ昔の家臣から仕送りしてもらったりして生活していたらしい。
おかげでニートでも不自由はなかったっぽいけど、それはそれでどうなのだろう。
千葉一族の生まれが良すぎて悪かったお話。
167 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/03(木) 02:13:42 ID:WJwcs81S
>>166
そんなに恐れるほどのもんなんですかね?
畿内とかどこか遠い土地で3千石くらい与えて旗本にしとけば、
旧家臣との付き合いもなくなっただろうに。
169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 02:24:15 ID:LndYSzql
>>166
飼い殺しにすらさせてもらえなかったのか…
家康なんかは、関東でのよそ者意識をまだ感じてたのかなあ
170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 02:33:18 ID:FmHEMEC+
>>167
関東入部~幕府草創期はやっぱり恐れるほどのものだったんじゃないかなぁ
で、草創期を抜けたら今度はわざわざ配慮するべき存在でもなくなっていると
だから草創期も登用されないし、安定期も無視される……
というか房総半島の旧支配者に冷たいんだよね、江戸幕府
せっかく北条征伐や関が原を切り抜けた里見も、難癖つけて潰されてるし
171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 02:50:55 ID:4z+0aMl6
越相同盟のときも
北条が佐竹に譲歩して出した領有地だと
千葉氏を下に抑えなきゃいけないから無理、とか言ってるくらいだしな
断る言い訳だろうけど
172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 06:29:32 ID:K8xbx2Kg
千葉は現代においても県内に影響力を持つ氏族だよ
宗家である下総系と仲たがいした武蔵系もずっと嘆願活動を続けていたんだよね
執権原氏の家臣で北条氏の直参扱いにもなる高城氏だったか
江戸時代に旧領にもどると旧家臣や領民が集ってきて旧主の子孫を囲んでもてなしていたとか
173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 12:51:42 ID:W0wKUtIi
>或いは他の大名家に仕えた旧臣たちと百年の時を重ねつつ交流を保ち、
>18世紀末になってもまだ昔の家臣から仕送りしてもらったりして生活していたらしい。
名門の威光ってのは凄いもんだな…
逆に、一代でのし上がった秀吉はこういう目に見えないところでの蓄積の無さが後々の泣き所になったな
174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 15:10:21 ID:bonYjEQ7
だから小田さんはフェニックスのように
何度も復活できたんだね。
175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 15:26:51 ID:FLfxh0Ge
といっても、全ての旧家名族の子孫がそうなったというわけでもないしねえ。
そもそも本当に家臣たちが慕い忠誠を誓っていたのなら、一族分裂も下克上もなく衰退も無かったわな。
176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 15:35:14 ID:bMcVD0tC
>>174
毎回家臣を生贄にしてるけどなー
177 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/03(木) 15:47:29 ID:FxfGugzg
フェニックスって確か不死じゃなく死ぬ度に甦るんだよ~
まさに小田さんにピッタリだ
178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 15:50:21 ID:c6BQW+KK
>>176
生贄はコストなので帳消しにはできませn
むしろ家臣があれだけ沸いて出るのが異常かと
179 名前:大浦政信[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 15:55:56 ID:4uviHLKT
よし、生n…もとい誰かある!
突撃するぞ!我に続け!!
180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 17:40:00 ID:1P/6fSdb
>>174
結城さんとこに太いパイプもあるからいざという時は結城さん経由で詫び入れられるしなー。ついでに軍神様も佐竹さんも
諸方に敵抱えてるから、小田さんの首にとことんこだわる余裕もなかったしね。
182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 19:55:02 ID:cUpO4Con
>>170
源頼朝に対して恩着せがましい房総半島の連中がいたから、頼朝を尊敬してたらしい家康にとっちゃ嫌な先入観でも
あったのかしらね
183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 20:04:37 ID:7knymvTF
房総だけじゃない。
下野・常陸の諸豪族も根こそぎ改易・転封だ。
力はなくても、関東の支配の正統性を持ってる一族を旗印にして
攻めて来られることのないよう危険の芽を摘んだんだろうな。
しかし、それにしては一番危険そうな喜連川公方家を残してるのは変な感じだが。
184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 20:48:47 ID:/KBF0XII
大関・大田原も何だか知らんが明治維新まで全く不動だったがよく分からん
で、大関は迷いなく新政府軍に参加しました
190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 23:07:00 ID:mtuRBCsj
>>184
大関は汚い!本当に汚い!
191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 23:27:49 ID:hgAGRPDS
>>190
漂白剤入り洗剤でよく洗ってから陰干ししてやれ
関東に名だたる名家の一つに、関東八平氏の一家に数えられる千葉氏がある。
戦国時代においても形の上では下総一国の大半を支配する大勢力だったが、
その内実は多くの一族、家臣が半独立した勢力として活動し、
惣領家にはあまり権限が委ねられていない緩やかな同族連合といった存在で、
その為に躍進してきた北条家の圧力に耐えかね、その従属国という地位に貶められていた。
天正十三年には当主千葉邦胤が頓死すると家督を北条氏政の子直重に乗っ取られ、
名実共に下総は北条家の直轄領に組み込まれてしまう。
そして同十八年の小田原征伐にも独自性を完全に奪われた千葉氏は北条に組し、
一族ことごとく失領の憂き目を見ることになったのだった。
さて、この時に領地を失った千葉一族の一人に、成東千葉家の房胤という人がいた。
彼の父将胤は成東城落城に際して自害を遂げ、今は天涯孤独の身である。
ある時、彼の存在を知った徳川家中の者が、彼の登用を家康に具申した。
家康は名門の家系に手厚い。そして成東家は千葉一族でも宗家に継ぐ家格である。
おそらく誰もが成東家の再興なることを予期しただろうが、意外なことに家康の答えは「否」だった。
それから暫く、三代将軍家光の傅役青山忠俊らが、再び成東家の再興を斡旋した。
だが今度も幕府の答えは「否」で、以後は成東家のために取り計らおうというものもなくなった。
房胤はその後も臥薪嘗胆の時を過ごしたが、老境に入ってもはやこれまでと観念し、
承応二年に自害を遂げてしまった。
二度目の仕官拒否は、面談直前に房胤が病を得て応じることができなかったためとも言うが、
千葉一族は全般的に大名としての復活や幕府直参への取立てが認められない傾向にあり、
その関東への影響力を警戒されて将軍家に疎まれてしまっていたらしい。
これは千葉宗家についても同じで、宗家と成東家は復興の芽もないまま、
生まれながらの浪人という日々を以後百数十年(宗家は明治維新まで!)まで過ごしていくことになる。
……ちなみにこの千葉家と成東家。
幕府が影響力を恐れるのも当然で、両家とも浪人身分ながら帰農したり、
或いは他の大名家に仕えた旧臣たちと百年の時を重ねつつ交流を保ち、
18世紀末になってもまだ昔の家臣から仕送りしてもらったりして生活していたらしい。
おかげでニートでも不自由はなかったっぽいけど、それはそれでどうなのだろう。
千葉一族の生まれが良すぎて悪かったお話。
167 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/03(木) 02:13:42 ID:WJwcs81S
>>166
そんなに恐れるほどのもんなんですかね?
畿内とかどこか遠い土地で3千石くらい与えて旗本にしとけば、
旧家臣との付き合いもなくなっただろうに。
169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 02:24:15 ID:LndYSzql
>>166
飼い殺しにすらさせてもらえなかったのか…
家康なんかは、関東でのよそ者意識をまだ感じてたのかなあ
170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 02:33:18 ID:FmHEMEC+
>>167
関東入部~幕府草創期はやっぱり恐れるほどのものだったんじゃないかなぁ
で、草創期を抜けたら今度はわざわざ配慮するべき存在でもなくなっていると
だから草創期も登用されないし、安定期も無視される……
というか房総半島の旧支配者に冷たいんだよね、江戸幕府
せっかく北条征伐や関が原を切り抜けた里見も、難癖つけて潰されてるし
171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 02:50:55 ID:4z+0aMl6
越相同盟のときも
北条が佐竹に譲歩して出した領有地だと
千葉氏を下に抑えなきゃいけないから無理、とか言ってるくらいだしな
断る言い訳だろうけど
172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 06:29:32 ID:K8xbx2Kg
千葉は現代においても県内に影響力を持つ氏族だよ
宗家である下総系と仲たがいした武蔵系もずっと嘆願活動を続けていたんだよね
執権原氏の家臣で北条氏の直参扱いにもなる高城氏だったか
江戸時代に旧領にもどると旧家臣や領民が集ってきて旧主の子孫を囲んでもてなしていたとか
173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 12:51:42 ID:W0wKUtIi
>或いは他の大名家に仕えた旧臣たちと百年の時を重ねつつ交流を保ち、
>18世紀末になってもまだ昔の家臣から仕送りしてもらったりして生活していたらしい。
名門の威光ってのは凄いもんだな…
逆に、一代でのし上がった秀吉はこういう目に見えないところでの蓄積の無さが後々の泣き所になったな
174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 15:10:21 ID:bonYjEQ7
だから小田さんはフェニックスのように
何度も復活できたんだね。
175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 15:26:51 ID:FLfxh0Ge
といっても、全ての旧家名族の子孫がそうなったというわけでもないしねえ。
そもそも本当に家臣たちが慕い忠誠を誓っていたのなら、一族分裂も下克上もなく衰退も無かったわな。
176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 15:35:14 ID:bMcVD0tC
>>174
毎回家臣を生贄にしてるけどなー
177 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/03(木) 15:47:29 ID:FxfGugzg
フェニックスって確か不死じゃなく死ぬ度に甦るんだよ~
まさに小田さんにピッタリだ
178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 15:50:21 ID:c6BQW+KK
>>176
生贄はコストなので帳消しにはできませn
むしろ家臣があれだけ沸いて出るのが異常かと
179 名前:大浦政信[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 15:55:56 ID:4uviHLKT
よし、生n…もとい誰かある!
突撃するぞ!我に続け!!
180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 17:40:00 ID:1P/6fSdb
>>174
結城さんとこに太いパイプもあるからいざという時は結城さん経由で詫び入れられるしなー。ついでに軍神様も佐竹さんも
諸方に敵抱えてるから、小田さんの首にとことんこだわる余裕もなかったしね。
182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 19:55:02 ID:cUpO4Con
>>170
源頼朝に対して恩着せがましい房総半島の連中がいたから、頼朝を尊敬してたらしい家康にとっちゃ嫌な先入観でも
あったのかしらね
183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 20:04:37 ID:7knymvTF
房総だけじゃない。
下野・常陸の諸豪族も根こそぎ改易・転封だ。
力はなくても、関東の支配の正統性を持ってる一族を旗印にして
攻めて来られることのないよう危険の芽を摘んだんだろうな。
しかし、それにしては一番危険そうな喜連川公方家を残してるのは変な感じだが。
184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 20:48:47 ID:/KBF0XII
大関・大田原も何だか知らんが明治維新まで全く不動だったがよく分からん
で、大関は迷いなく新政府軍に参加しました
190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 23:07:00 ID:mtuRBCsj
>>184
大関は汚い!本当に汚い!
191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 23:27:49 ID:hgAGRPDS
>>190
漂白剤入り洗剤でよく洗ってから陰干ししてやれ
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