高千穂神社の生贄

2010年06月05日 00:00

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 19:45:11 ID:UwllS4Jp
三田井家が治める高千穂では毎年秋に高千穂神社の神主が矢を放ち、その矢が落ちた家の娘が
生贄にささげられる、という慣習があった。

そして1570年、本年も慣習に従って神官が弓を放ったところ、その弓は甲斐宗摂の家に落ちた。
それを知った宗摂は非常に悲しんだが、古くからの慣習に逆らうわけにも行かず
泣く泣く娘を生贄にする準備を始めた・・・のだが、ここで宗摂は逆ギレした。

「なんで俺の娘を生贄に捧げなければならないんだ!生贄など猪で十分だ!」

宗摂は三田井家の執政家老という立場を利用し、無理やり古来からの儀式を改変してしまった。
生贄に苦しんでいた人々は非常に喜び、宗摂を褒め称えたが宗摂の主君である三田井親武は
先祖代々伝わる慣習をぶち壊されたため激怒し、宗摂との仲は非常に険悪になってしまった。

この一件は後に宗摂が高千穂に侵攻してきた高橋元種に内応する一因となったという。
ちなみにこの儀式、今も「猪掛祭」として行われている。




217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 19:55:07 ID:lPaGfd7G
>>216
これは良かったのか悪かったのか…
でもまぁそれまでは風習に従ってたんだろうし
自分の娘に降りかかってきたから破るってのは卑怯な振る舞いだな

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 20:37:15 ID:N0lyTKei
三井田は器ちっちゃいのう
よし!とすれば家臣もより働くのに

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 20:42:41 ID:dcXcd0NK
>>224
科学とか発達してる今の時代ならともかく、当時でそれは中々難しいんじゃねーかなあ。

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 20:47:11 ID:NYo2pK/r
>>224
当時の人の感覚では器が小さいのは宗摂の方だと思う。
何にしろ、九州の山奥はさすがに遅れてるなぁ。

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 22:19:13 ID:5PkuGTex
リアル人身御供なんてもっと昔の時点でやめてそうなもんだが
戦国時代あたりまでやってるとこもあったんだな

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 22:27:30 ID:Pgm1OOtH
これ以外にも人柱の話とか結構あるしなぁ

まぁソースの無い事は話半分にしとけ
ここは2chだ
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