2つの安東氏~檜山と湊~ その1:ほんのちょっとだけ義満の悪い話

2010年06月05日 00:02

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 07:28:12 ID:xMVYQ+Sg

2つの安東氏~檜山と湊~ その1

遡ること応永二年(1395)
前年に太政大臣に命じられ、権力基盤が安定した足利義満が日本の南北に自分が影響力を持つ人物を配置した。
即ち、南の九州探題には今川貞世に変えて渋川満頼を、北の秋田城介には安東盛季の弟・鹿季を
切り離して置いたのである。
当時、秋田郡にはなおも南党残党が蠢動しており、これの制圧の為に義満が鹿季を抜擢したのが表向きである。
鹿季は京都御扶持衆であり、それ以降安東家が独占していた秋田城介は嫡流の盛季ではなく鹿季の系統に
引き継がれるのである。
幕府側の史料においては鹿季の系譜は「安藤(安東)」ではなく「湊」と記され、別家として確立された。
湊(土崎)安東氏の誕生である。


ほんのちょっとだけ義満の悪い話




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