秋田俊季とタバコ

2013年04月28日 19:00

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 14:48:24.79 ID:7HUDBhEw
秋田俊季とタバコ

「秋之夜之夢噺」(個人蔵)という史料には、三春藩秋田氏歴代藩主のエピソードが記されています。
真偽とりまぜたエピソードの中に、初代俊季について、次の話が載せられています。

俊季はタバコが好きだったようです。3月か4月のころ、タバコの火消しを持ってくるよう声をかけたところ、
誰もやってこなかったそうです。俊季は、御殿を歩き回って家来を探しましたが誰もいません。

それもそのはず、家来達は、春の陽気に誘われ、三春城三階櫓の辺りで駆けくらべをやっていたのです。
家来達の遊びが終わった後、俊季は咎めることもせず、何の話もしなかったそうです。

俊季のタバコ好きはすさまじく、狩りに出かけた時は、馬の口取りをする中間のキセルを使ってタバコを吸ったそうです。
(記述者 個人名)

秋田俊季とタバコ|Web資料館|三春町歴史民俗資料館(生涯学習課) より引用

出羽より常陸宍戸、後に三春に移封した秋田俊季。俊季は、三春藩主になってわずか3年半、
ほとんど三春に住むことなく、慶安2(1649)年正月3日、52歳で死去しました。との記述もあります。

移封の顛末は 過去レスで 秋田実季と嫡男・俊季 ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1136.html

三春は江戸時代から葉タバコの名産地だそうです。俊季が地元の煙草を吸っていたかどうかは
定かではありませんが、草葉(葉タバコ?)の陰から末永く三春の地を見守っていることでしょうね




145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 17:38:30.55 ID:9iZ4bBa4
>>144
春めいた、のどかでいい話ですね
今はタバコ受難の時代だけどw

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/29(月) 00:37:22.45 ID:llpKtHqJ
タバコの火消し程度で怒るのもバカバカしいと思ったんだろうか
でもタバコが狂おしいほど好きならそうは思わないよな

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/29(月) 01:29:46.44 ID:jqvMRw0N
そこは殿様の度量じゃないかな
せっかくみんなが楽しく遊んでるのに水を差しても可哀想だと思ったのではなかろうか

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/29(月) 01:59:13.26 ID:ADp+5ffo
誰も殿様に気付かなかったにも関わらず火消し所望してた記述は残ってるって…

それはさておきDQN眼竜も愛煙家だったっけ

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/29(月) 06:30:46.22 ID:BjfKzb7M
愛煙家エピが残ってるのは宗矩

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/29(月) 12:14:18.03 ID:u8LRxcpm
>>144
狩りには自分のキセル持っていかなかったのね

157 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2013/04/29(月) 21:37:18.27 ID:oyb4lvdo
>>146
そういう問題よりも、近習や小姓が一人も主君の声の届くところに居なかったっていうのは
本来はかなりの責任問題のような気がする

スポンサーサイト

秋田実季と嫡男・俊季

2010年06月05日 00:02

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:21:35 ID:jU6RVhz4
1598年、秋田実季に嫡男・俊季が誕生した。
彼の母は細川昭元の娘で、秀忠の正室とは従姉妹の関係にあたる。

そして1602年、秋田家は宍戸に移封される。
実季は不満たらたらだったが、徳川家にも目論見はあった。
次代俊季と三代将軍家光とは又従兄弟となる。
長い目で見れば、北関東に配置して損はないだろう。

大坂の陣後、俊季が藩政を掌握すると、それは見事に当たる。
藤井松平家から妻を娶り、将軍家から譜代格の待遇まで受けた俊季は発奮。
連年割り振られる公役を積極的にこなした。
物心ついた頃から宍戸藩嫡子、俊季は完全な新人類世代だった。

と、こうなると面白くないのが父親の実季である。
親しい僧への書状には、
「今年もまた、将軍御上洛に俊季がお供します。財政難はお察しください。
 大坂在番はともかく、此度の普請は未曾有の大規模。
 家の滅亡を招きかねず、本当に迷惑しております」
とまで書き、露骨に俊季と幕府を批難。フラグを立てる。
俊季も藩政にうるさく介入する父に反抗し、
「以後は凍蚓(実季)様に公務への口出しをさせないこと。皆、よく心得ておけ」
と政界追放を宣言。
ついに親子の対立は、実季自身が「和漢に比類なく」と表現する最悪のものとなった。

決裂から二年後の1630年。実季は伊勢への物理的追放を、幕府より申し渡された。




188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:29:05 ID:57z5U14z

>>187
同じような世代の細川忠興が、息子に対して幕府への奉公をむしろせっついているのに比べると、
はやり視野が狭いと言う印象を受けるな>実季

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 22:31:02 ID:/KBF0XII
そしてもう一人の自分と向き合う時間が始まるのか

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/04(金) 07:28:12 ID:xMVYQ+Sg
>>188
俊季のバックには湊安東氏がいるんだから、檜山安東氏である実季は自派閥の人間を守る為に対立せざるを得ない
俊季が毎年のように幕府の公役を務めて藩政が赤字だったのは確かだし
根が深いんだよ、檜山と湊は。どっちも正統じゃないし……
さらに三春藩のお家騒動は宍戸以降の新参組と実季の側室である荒木氏が結びついて三すくみになるし。