宇佐美佐太郎の仏罰

2010年06月08日 00:00

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 11:24:36 ID:ADrqbNso
永禄三年(1560)7月10日、上杉謙信家臣、宇佐美定満は信濃国川中島に攻め入り、武田方の栗田国時の軍と
交戦した。

宇佐美軍の攻勢に栗田は防衛しきれず撤退。この時宇佐美定満の嫡子佐太郎は勝ちに乗じて
善光寺まで攻め入り、安置されていた如来像を略奪して引き上げた。
これに栗田は困り佐太郎に如来像の返還を要求。折衝の結果栗田の所領八百貫と如来を交換、と言うことになった。

さて二年後永祿五年の秋、武蔵国上尾における上杉軍と北条氏邦の軍と合戦において宇佐美佐太郎は討死した。
人々これを「如来の仏罰であろう」と恐れたという。

如来像を略奪したのが悪かったのか、それとも略奪した如来像で利を得たのが悪かったのか。
宇佐美佐太郎の討死、仏罰とされる、と言うお話。




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