落語・左甚五郎三部作

2010年06月21日 00:00

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 07:05:07 ID:rT0hJg2U

落語・左甚五郎三部作

竹の水仙
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5419000

ねずみ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6590763

三井の大黒
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5591368
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左甚五郎その1:命名秘話

2010年06月20日 00:02

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 17:56:53 ID:fASr5E8P

足利将軍家の家臣に伊丹左近尉という者がいた。
しかし時は乱世。まだ幼い息子と妻を残して左近尉は死んでしまう。

母子は親戚の縁を頼って金森長近の家臣、河合忠左衛門の元に身を寄せる。

やがて成長した息子は上京して禁裏大工に弟子入り、大工として身を立てる。
大工としての腕は良かったようで、江戸幕府成立後、江戸城の改築にも参加。
しかし、西の丸から城外に通じる秘密地下道の建設に携わってしまった為、機密保
持として命を狙われるようになってしまう。

しかし、彼に対しては幕府トップも同情していたようで、老中土井利勝の手引きで
利勝の娘婿でもある讃岐高松藩主、生駒高俊に匿われたという。

彼は若い頃、大工の腕を妬んだ同僚によって右手を斬られ、それ以来左利きとなっ
たとも言う。
「左手一本の名工」という事で、彼は左甚五郎と言う名で後世に知られるコトにな
る。

「実在しない伝説上の人物」「何人もの職人が左甚五郎を名乗った」等、様々な説
があるが、とりあえず高松藩の分限帳には「大工頭 甚五郎」なる名前が残ってい
るらしい。

……アンタなら自分で義手を作れば動くんじゃねぇか?右手。


連投になってしまいますが、左甚五郎作の彫刻が地元にもあると知って調べてみた
ら、出てくる出てくる逸話の山ですな、この人。
全体的に「動く彫刻が人々に迷惑をかける」話が多いので、一括で悪い話に投下さ
せていただきます。
「連投ウザい」という方はスルーしてくだされば助かります。




左甚五郎その2:薬師堂建立

2010年06月20日 00:02

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 17:57:57 ID:fASr5E8P
現在の埼玉県越谷市。歴史はあるがすっかり荒廃した薬師堂があった。
ある時、日光東照宮の修理に向かう大工がこの薬師堂の近くを通りかかった際、夕
立に降られてしまった。

大工は薬師堂で雨宿りをしたのだが、荒廃していた堂は隙間風が吹き込み、雨漏り
も酷い。
この有様を見た彼は、

「もう夕方だし、今夜はこのままこのお堂に泊めていただこう。その代わり、一泊
の礼として私に出来る限りの修理をさせていただこう。きっと薬師如来にも喜んで
いただけるに違いない」

翌朝、大工が日光に向けて旅立った後、村人達は薬師堂を見て仰天した。

「あ、新しくなってる……!!」
「いつのまに立て直したんだ!?」

そう、大工は一晩にして「修理」どころか新しいお堂を「建立」してしまったので
ある。

その大工の名を左甚五郎と言う。




左甚五郎その3:甚五郎と龍神

2010年06月20日 00:02

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 17:59:08 ID:fASr5E8P

現在の埼玉県さいたま市。見沼と呼ばれる大きな沼があった。
その沼には龍神が棲んでおり、大雨の度に龍神は沼で大暴れをして付近の住民を困
らせていたという。

そんな時に見沼を通りかかったのが日光帰りの左甚五郎。
近くの国昌寺に宿を取っていた甚五郎は話を聞くと、「任せとけ!」と言って一体
の龍を彫り始める。

やがて、見事な出来栄えの木彫りの龍が一体、村人達の前に引き出された。

「コレは見沼の龍神を彫り上げた物だ。真に見事な彫刻には魂が宿ると言う。つま
り、この彫刻には見沼の龍神の魂が宿っているってコトだっ!」

そう言うと甚五郎は龍の頭に釘を打ち、国昌寺の山門に据え付けた。
半信半疑の住人達だったが、それ以来見沼の龍が一帯を荒らすコトはなくなったと
言う。

しかしコレには後日譚がある。
ある時国昌寺の檀家が亡くなり、葬儀が執り行われた。
棺を担いで例の山門を潜った所、突然棺が軽くなってしまったのだ。

担ぎ手を務めていた遺族は不審に思い、棺の中を改めると、もぬけの殻。
つい先刻まで確かに遺体はあったし、担いでいた棺は重かったのに……

甚五郎によって封じ込められた龍神に取って喰われてしまったのだ、と言われ、そ
れ以来国昌寺の山門は誰も通れないよう、開かれなくなったという。

現在でもこの山門は特定の日以外には開かれないと言う。




左甚五郎その5:「つなぎの龍」

2010年06月20日 00:01

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 18:01:14 ID:fASr5E8P
現在の埼玉県秩父市に奈倉という地域がある。
ここに大層立派な龍の彫刻があった。

徳川家康によって秩父神社が再建された際、奈倉地区の住人達はお祝いとしてその
龍の彫刻を秩父神社に奉納。神社でも立派な贈り物を喜び、本殿に飾るコトにした。

が、この龍の彫刻が神社に飾られるようになってから、秩父の街に異変が起こる。
秩父神社近くの沼で、夜な夜な龍神が暴れ回り、沼の付近では畑や家畜に大きな被
害が出ていたのだ。
そして龍神が暴れた翌朝、神社の掃除をしていると、必ず例の龍の彫刻の下に大き
な水溜りが出来ていたという。

「この彫刻は明らかにおかしいぞ」
秩父神社では遅まきながらもこの彫刻の由緒について調べ始めた。

すると、超有名な名工が手掛けた傑作だと言うコトが判明する。
だが、同時にその「超有名な名工」、別の意味で有名な「とある問題」がある人物
であった。
そう、彫った龍神が動く確率、限りなく100%に近い男、左甚五郎である。

実は奈倉の村でも同じように田畑を荒らされ、ほとほと困っていた為に秩父神社に
押し付けた、というのが真相だったのだ。

「や、やられた……!」

秩父の住人は頭を抱えるが、奉納され、本殿に安置された彫刻を「やっぱり要らな
い、返す」と言う訳には行かない。
本殿を飾るには見栄えが悪くなってしまうが、背に腹は返られない。宮司は鉄の鎖
で龍の彫刻をグルグル巻きにしてしまった。

それ以来、龍の被害はなくなったという。
現在でも龍は秩父神社に「つなぎの龍」として存在している。


同様に夜な夜な寺を抜け出して付近を荒らす左甚五郎作の龍は滋賀県の三井寺(園
城寺)にも存在している。
コチラは甚五郎本人が処置をした為か、秩父神社よりも容赦がない。
そう、龍の目に釘を打ち込んで動けないようにしてしまったのである。
こちらの龍も三井寺に現存している。




左甚五郎その6:「蝉錠」

2010年06月20日 00:01

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 18:02:12 ID:fASr5E8P
現在の京都府綾部市に厄除け八幡宮と呼ばれる神社がある。

そこには左甚五郎作の鍵(錠前)があり、蝉のような形をしていたコトから「蝉錠」
と呼ばれていた。
その蝉錠、鍵ではあるのだが、甚五郎作である以上、動く……いや、鳴く。

蝉の季節でもないのに八幡宮には蝉の鳴き声が響く。
どこにいるのかと探してみると、蝉錠が鳴いていたという訳だ。

関ヶ原の合戦の際、田辺城の細川幽斎を攻撃した小野木軍が、この綾部にも襲来し
た。
小野木軍は八幡宮にも落ち延びた兵が隠れてないかとやってきた。

神殿を護るようにしっかりとかけられた蝉錠を見て、兵士は怪しいと思ったのか、
刀で何度も何度も錠を突き、壊そうとした。

蝉錠は傷を残すも破壊は免れた。しかし、それ以来一度も鳴き声は上げなくなった
と言う。

……しかしまぁ、錠前まで作ってたんかい、甚五郎www




左甚五郎その7:「竜ヶ渕」

2010年06月20日 00:00

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 18:02:57 ID:fASr5E8P
現在の京都府宮津市。
その昔、この辺りが旱魃に見舞われた頃の話。
あまりに雨が降らず、困った住人達は成相寺の和尚に雨乞いの祈祷を頼んだ。

和尚は一晩お経を読み上げ、祈祷をしたのだが、雨は降る事無く、代わりに仏のお
告げをいただいたと言う。

「この近くに名人と呼ばれる彫刻家が滞在しているらしい。その彫刻家に龍の御姿
を彫ってもらい、この寺に安置すればいい。名人の彫った作品には魂が宿るという
から、きっと雨が降り出すだろう」

和尚の言葉を聞いた住人達が探し出したのが、若き日の左甚五郎。彫った龍神が動
き出す確率、限りなく100%に近いあの男である。

しかしこの頃の甚五郎、まだ一回も龍を彫った経験がなかった。
しかも、今まで他人の彫った彫刻や、他人の描いた絵画で龍を見たコトはあっても、
実物を見たコトはない。
実物を見ずに魂が宿るホドの傑作は作れない、と辞去する甚五郎。

「そこを何とか!仏様のお告げでもありますし!」

熱心に頼み込む住人達に押し切られるように、龍神の彫刻を引き受けることになっ
た。
引き受けはしたものの、まったく出来る気のしない甚五郎は、和尚にお告げをした
という仏に縋ってみるコトにした。
すると、

「この寺の北に深い淵がある。そこでなら龍の姿が見れるだろう」

と仏様に告げられる夢を見た。
これぞ霊夢。甚五郎は一人、告げられた淵に出かけ、幾日も龍神に祈り続けた。

幾日過ぎた頃だろうか、突然周囲が暗くなり、甚五郎の周囲のみが猛烈な風と雨と
に包まれると共に、淵の底から大きな龍が姿を現したのである。
甚五郎は逃げもせず、心ゆくまでじっくりと龍神を眺めた後、成相寺に帰り、彫刻
に取り掛かった。

完成した龍の彫刻は素晴らしい出来で、それを掲げて雨乞いの祈祷をすると、忽ち
の内に雨が降り始めたという。
甚五郎が龍を見た淵を「竜ヶ渕」と呼ぶようになり、龍の彫刻は今でも成相寺で大
事にされているという。




左甚五郎その8:円教寺の力士像

2010年06月20日 00:00

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/19(土) 18:04:32 ID:fASr5E8P
現在の兵庫県姫路市。名刹として名高い書写山円教寺がある。

その昔は弁慶もここで修行したと言われるこの寺。開山の性空上人を本尊として祀
るお堂を作ることになった。
そのお堂は開山堂と呼ばれ、中に本人の遺骨が入った、快慶作と伝わる性空上人像
が本尊として安置された。

そしてこの開山堂を建立する際、呼ばれたのが左甚五郎。
建物の軒下に、屋根を支える力士像を彫ったのが甚五郎であった。

しかし、甚五郎の彫った力士像。素直に大人しく屋根を支えてなどいる筈がない。
…………逃げた。wwww

山形県の専称寺の力士像はサボッて遊んでいる所を最上義光に鉄砲で脅されて持ち
場に帰ったようだが、ここはあいにく姫路である。義光はいない。

四方を支える力士の内、一体がまんまと逃げおおせ、行方は誰も知らないという。
現在も開山堂の屋根は北西隅の一人を欠いた三人の力士で支えている。


……以上、連投終了です。
お付き合いいただきありがとうございました。