杉原親憲の先見

2010年06月23日 00:00

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 17:36:05 ID:Qw1iLuuu
慶長五年(1600)、上杉征伐に軍を進めていた徳川家康は、上方での石田三成蜂起の報を聞き
小山よりその軍を返した。

さて、上杉家家臣、猪苗代城代、杉原常陸介親憲はこれを知ると、このように嘆息した。

「我が軍の中には、内府は我々と上方という前後の敵を恐れたために、早々に軍を引き返したのだ、
などと言っている者が居るが、それは内府と言う武将の器量をあまりに知らない言葉だ。

私はつくづく考えるに、内府は諸侯と相図って、上方に軍を出すのだろう。
勝敗はどう言う結果になるかわからないものの、おおかたは内府が勝利を得るだろう。

仮にそういう結果になったとしたら、わが主君景勝様は内府よりも優れた御名将であると私は信じているが、
今回の、撤退する軍を追わないと言う判断は、内府に対して『どうぞ天下をお治め下さい』と
言ったも同然の処置である。

ああ、こんな事態を恐れていたから、私は前から『到着前とは言え、内府が諸将に命じて我が国に攻め入らないのは
却って不気味でござる』と言っていたのだ…。」

その後、戦の展開はことごとく杉原の言ったとおりになり、彼の先見の明の確かさに、後々まで感嘆するものが
絶えなかったと言う。


杉原親憲の先見、と言うお話。




524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 17:53:06 ID:BBc2pF5c
確かに家康の到着前に、福島たちに岐阜城を攻めさせたりしてたな

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 18:19:13 ID:8j9hEVkS
>>524
到着前違い
上杉征伐の諸将が会津手前で停止していたことを指す
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水原常陸の錦の直垂

2009年12月29日 00:29

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 13:38:17 ID:C1edwapH
>>633
上杉さんちの本庄さんだか水原さんだかが
確か古くさい服着てきたら
「さっすが上杉さんちだぜ古風でまじかっけえ!」と
なんか褒められたという話があったような。



642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 16:02:44 ID:3QO/1iQD
>>635
水原常陸だったと思う>まじかっけえ

長年愛用した鎧はもうボロボロ、鎧の上に能衣装を羽織って大阪に出陣
それを見た家康が「見よ、あの者は錦の直垂を付けておる。」

さらに水原を本陣に呼んで「それはどのような由来のものか?」
これに水原は「どのような由来のものか定かではありません」」と回答
家康は「由来がわからぬほど古いのか。さすがは上杉、古雅なことだ。」




うっかり記入ミス‘杉原親憲’・悪い話

2009年02月16日 05:38

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/15(日) 21:03:46 ID:rOO8uqVf
水原親憲の話はまとめにあるがオチが無かったんで詳細

大坂夏の陣の後、上杉家の将帥に対して家康が感状を渡す事になった
実はこれ、上杉家の主従の絆に割り込む無礼な行為
正式には景勝に感状と目録を下賜し、景勝から臣下に下賜すべきなのである
これに対して水原は貰った感状をその場で開く事で意趣返しをした
これまた無礼な行為なのである
本多正信を始め咎めようとした者もあったが家康は笑って許した
さらに、水原は主君景勝を無視した内容であったら破り捨てるつもりであったと伝わっている
そして退出後、「子供の石合戦如き戦で感状とは」と言ったのである(『常山紀談』)

で、これだと何が悪い話かわからない
実はこの感状宛だった
読みはどちらも‘すいばら’だから間違えられたのである
将軍から頂いた感状の名前が間違っているなどと言えるはずもなく
しかたなく水原親憲は杉原親憲に改名した
周囲に訪ねられると「ああ、夏の陣に参戦する前に改名したのよ」と言い続けたと言う

家康晩年の(記憶の)悪い話

人の名前って間違うと色々気まずくなるよね




53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/15(日) 21:14:39 ID:22qNby3M
昔の書状って当て字が多いって聞くけど
感状はしっかり字があってないとだめだったのかね

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 01:09:35 ID:AAYkJOJl
>>53
日記や手紙などの私的文書なら、当て字でかまわない。
しかし感状や宛行状などは公式文書なので、字が違うということは
人そのものが違うと看做されかねない。
現代でいえば、土地の登記簿の字が違っている、以上の話です。

このエピソードで言えば、将軍が感状を出したのは杉原親憲という人で、
水原親憲なんて人には感状を出していないよ、となりかねないんですね。

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 01:59:26 ID:z9gvCkZF
>>52
>「子供の石合戦如き戦で感状とは」
子供の頃解体工事現場で石合戦やったけど怖かった~。
よくけが人がでなかったもんだ。つくづく子供は馬鹿だな。

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 02:28:33 ID:gS0P5Ryx
なんか砂みたいのを積み上げてるところが近所にあって、
その塊を砕いて、こぶし大にして投げ合ってたな
そしたら石が混じってたらしくて、おれの頭にがっつーんと・・
いや、石合戦危ないよ

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 02:31:58 ID:b5Fmkdi9
>>72
真田信繁の子どもの真田守信は、京で石合戦やって死んでいるってことにして
預かった伊達家は存在を隠しているんだから、石合戦は死人も出る危ない遊びだぞ。

投石部隊は武田家の主力部隊の一つだし。