523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 17:36:05 ID:Qw1iLuuu
慶長五年(1600)、上杉征伐に軍を進めていた徳川家康は、上方での石田三成蜂起の報を聞き
小山よりその軍を返した。
さて、上杉家家臣、猪苗代城代、杉原常陸介親憲はこれを知ると、このように嘆息した。
「我が軍の中には、内府は我々と上方という前後の敵を恐れたために、早々に軍を引き返したのだ、
などと言っている者が居るが、それは内府と言う武将の器量をあまりに知らない言葉だ。
私はつくづく考えるに、内府は諸侯と相図って、上方に軍を出すのだろう。
勝敗はどう言う結果になるかわからないものの、おおかたは内府が勝利を得るだろう。
仮にそういう結果になったとしたら、わが主君景勝様は内府よりも優れた御名将であると私は信じているが、
今回の、撤退する軍を追わないと言う判断は、内府に対して『どうぞ天下をお治め下さい』と
言ったも同然の処置である。
ああ、こんな事態を恐れていたから、私は前から『到着前とは言え、内府が諸将に命じて我が国に攻め入らないのは
却って不気味でござる』と言っていたのだ…。」
その後、戦の展開はことごとく杉原の言ったとおりになり、彼の先見の明の確かさに、後々まで感嘆するものが
絶えなかったと言う。
杉原親憲の先見、と言うお話。
524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 17:53:06 ID:BBc2pF5c
確かに家康の到着前に、福島たちに岐阜城を攻めさせたりしてたな
525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 18:19:13 ID:8j9hEVkS
>>524
到着前違い
上杉征伐の諸将が会津手前で停止していたことを指す
慶長五年(1600)、上杉征伐に軍を進めていた徳川家康は、上方での石田三成蜂起の報を聞き
小山よりその軍を返した。
さて、上杉家家臣、猪苗代城代、杉原常陸介親憲はこれを知ると、このように嘆息した。
「我が軍の中には、内府は我々と上方という前後の敵を恐れたために、早々に軍を引き返したのだ、
などと言っている者が居るが、それは内府と言う武将の器量をあまりに知らない言葉だ。
私はつくづく考えるに、内府は諸侯と相図って、上方に軍を出すのだろう。
勝敗はどう言う結果になるかわからないものの、おおかたは内府が勝利を得るだろう。
仮にそういう結果になったとしたら、わが主君景勝様は内府よりも優れた御名将であると私は信じているが、
今回の、撤退する軍を追わないと言う判断は、内府に対して『どうぞ天下をお治め下さい』と
言ったも同然の処置である。
ああ、こんな事態を恐れていたから、私は前から『到着前とは言え、内府が諸将に命じて我が国に攻め入らないのは
却って不気味でござる』と言っていたのだ…。」
その後、戦の展開はことごとく杉原の言ったとおりになり、彼の先見の明の確かさに、後々まで感嘆するものが
絶えなかったと言う。
杉原親憲の先見、と言うお話。
524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 17:53:06 ID:BBc2pF5c
確かに家康の到着前に、福島たちに岐阜城を攻めさせたりしてたな
525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/22(火) 18:19:13 ID:8j9hEVkS
>>524
到着前違い
上杉征伐の諸将が会津手前で停止していたことを指す
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