985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 23:15:07 ID:AsMZk7bf
埋めがわりに
慶長15年(1610)10月14日、徳川家康の滞在する駿府城において火災が起こった。
この時駿府城にあった松平正綱は、御納戸に向かいそこから晒し布を取り出しはじめた。
「火災の中そんなものはどうでもいいではありませぬか!?早く逃げないと!」
そんな非難に正綱
「そうではない、こうするのだ!」
彼はその晒し布を結びあわせ、数箇所の石垣の上から、地面へと垂れ下がらせた
「この布を伝って石垣の下に避難せよ!!」
正綱のこの機転によって、城中の多くのものが無事に退去できた。
家康は正綱の措置を大いに褒め、新たに三千石を加増、さらに自筆の御黒印を下賜したとの
ことである。
ちなみにこの松平正綱、あの有名な知恵伊豆、松平信綱の養父である。
知恵伊豆の養父も知恵者であった、と言うお話。
埋めがわりに
慶長15年(1610)10月14日、徳川家康の滞在する駿府城において火災が起こった。
この時駿府城にあった松平正綱は、御納戸に向かいそこから晒し布を取り出しはじめた。
「火災の中そんなものはどうでもいいではありませぬか!?早く逃げないと!」
そんな非難に正綱
「そうではない、こうするのだ!」
彼はその晒し布を結びあわせ、数箇所の石垣の上から、地面へと垂れ下がらせた
「この布を伝って石垣の下に避難せよ!!」
正綱のこの機転によって、城中の多くのものが無事に退去できた。
家康は正綱の措置を大いに褒め、新たに三千石を加増、さらに自筆の御黒印を下賜したとの
ことである。
ちなみにこの松平正綱、あの有名な知恵伊豆、松平信綱の養父である。
知恵伊豆の養父も知恵者であった、と言うお話。
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