結城秀康の死去/家康怒りの改葬

2016年12月25日 17:11

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/24(土) 14:37:00.84 ID:TsTbPz9n
結城秀康の死去/家康怒りの改葬


結城秀康は慶長12年には父家康により伏見城番に任じられたものの病が重くなり
3月1日に伏見から越前に帰国したものの、同年閏4月8日に34歳で死去した。
嫡男の忠直が江戸にいたため葬儀は大幅に遅れてしまい、わざわざ北庄まで
弔問にきた毛利輝元も痺れを切らして帰国してしまったという(『毛利家文書』)。

秀康は結城家菩提所の曹洞宗の寺、福井孝顕寺(結城氏は代々禅宗だった)に葬送され
孝顕寺殿吹毛月珊大居士と称したものの、それを聞いた家康が
「我が家の者は浄土宗である、結城を名乗っているのならともかく
 既に復姓し松平となっているのに、このたび禅宗に改めるとは何事か!」
と激怒した為家康の意向により、知恩院から満誉大僧正を導師として下向させ
満誉を開基とした浄光院(のち運正寺)を同年中に建立し、浄土宗へ改葬させて、
法号も浄光院殿と改められたという(『知恩院古記録』)。


――『福井県史』など



464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/24(土) 16:11:14.91 ID:tyQB9IgX
増上寺は浄土宗だけど寛永寺は天台宗なんだが...

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【ニュース】県庁前に秀康が“2人”?

2016年03月14日 18:35

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 19:24:19.35 ID:aCW8pZdW
中日新聞福井版2月21日
県庁前に秀康が“2人”? 結城会が新設に動く
現在の像「容姿」に異論
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2016022102000199.html
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/images/PK2016022102100124_size0.jpg
PK2016022102100124_size0[1]
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/images/PK2016022102100125_size0.jpg
PK2016022102100125_size0[1]
江戸時代初期に福井藩の初代藩主を務めた徳川家康の次男、結城秀康(一五七四~一六〇七年)の騎馬像について、
結城家のゆかりの福井市民らが違和感をもち、新像の設置を模索している。福井城跡である市内の県庁前に立つ
現在の像には子孫関係者からも異論が出ており、インターネット上で「中国風」「日本の美意識がない」と批判
されたのを機に動き始めた。今の像を計画した市側は静観するが、二つの像が並び立つ日が来るかもしれない。 (中場賢一)

馬にまたがり、手綱を持つ姿で、県庁の来訪者を迎える秀康の石像。越前国北ノ庄(現福井市)入りから四百周年を
二〇〇一年に迎えたのを記念し、福井市と、市の歴史や文化を紹介する公益財団法人「歴史のみえるまちづくり協会」が
城跡を管理する県に贈呈し、〇二年に除幕された。

制作したのは県と友好提携している中国浙江省の石像作家。協会が依頼したが、デザインや制作先を決めた経緯について、
協会関係者は「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」と話す。

建立直後から、結城家の家臣の子孫の市民らでつくる「福井結城会」には、秀康の子孫の結城松平家や結城家の関係者から
「イメージに合わない」と異論が届き、撤去するよう要請があった。ネット上では「中国風にデフォルメされている」
「日本独自の美意識が感じられない」と評されている。
会の片岡賢三副会長兼事務局長(67)は「不評や失笑どころか怒りを買っている」と新像を計画。秀康に関する資料を精査し、
銅像制作を手掛ける富山県高岡市の「竹中銅器」に昨年十二月にデザインを発注し、一月に完成した。

その姿は秀康が愛用していた唐冠形兜(とうかんなりかぶと)をかぶり、手には天下三名槍(めいそう)の誉れ高い
「手杵(てぎね)の槍(やり)」が握られている。顔は「ナマズに似ていた」ともされているが、イケメン風にアレンジ。
ただ、片岡さんは「あくまでたたき台」と強調する。




316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 19:44:56.84 ID:mmYKOCFu
容姿に異論、ていうからギイに似ているとか鼻が欠けた姿にしていたのかと思いきや

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 19:53:36.58 ID:Q9hijGnh
>>315
>「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」
キックバック?公益財団法人の悪い話…。

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 21:14:50.13 ID:/SDAcKHs
>>315
>制作したのは県と友好提携している中国浙江省の石像作家。協会が依頼したが、デザインや制作先を決めた経緯について、
>協会関係者は「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」と話す。

態々、浙江省の石像作家に頼むからこんな中華風な像なるんだよな
国内の製作者でも戦国の騎馬武者像を正しく作れる人がどれくらい居るかも分からんのに

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 23:42:28.69 ID:AcXeEgg+
>>315
御手杵を馬上で使える訳無いだろw
関係者に馬鹿しかいねぇwww

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 23:59:30.17 ID:wbpvzEpq
はい草

322 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/03/14(月) 01:14:31.04 ID:Vz9aN3QN
>>320
変に関羽みたいになっとるw

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 15:55:50.98 ID:X6LOFWbh
戦国時代騎馬武将の写真なんてあるわけないし
当時かかれた絵もおもいっきりデフォルメされてるので細部は全くの不明
誰も本当の姿なんて知らないし県庁前とおるほとんどの通行人も興味もないししりたいとも思わないので
わざわざ作り直す必要性もないだろう

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 17:24:28.52 ID:fT7s1wsQ
左手にサイコガン付けようぜ

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 17:38:31.19 ID:lbTjKK+/
ヒューッ!

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 20:04:24.99 ID:xlMMQtnb
>>323
鎧とかなら残ってるんじゃないのかな

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 20:36:53.05 ID:Yol0YFF+
馬具も馬術書もある

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 20:58:58.14 ID:egIkNCog
中華風にプロレタリア感が加わった何とも言えない石像だなとは思った
まあ結城秀康といえばあの脇立がなきゃって気もするし、どっちもあっていいんじゃないの

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/15(火) 10:28:25.24 ID:4eCAY+2k
中華風にリアリィティないというなら各地の駅前とかにある馬上戦国武将像もあれだろ
ポニーサイズの馬に変更しないと・・・

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/15(火) 13:38:45.21 ID:utlpfOlk
>>339
ポニーだって体高150くらいあるの知ってる?

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/15(火) 13:42:56.47 ID:vNIvEO5E
>>315
たぶん、碌な資料も渡さずに発注したんだろうな。
秀康像の困惑顔は作家の本心を表してるに違いない。

「もし大将をお許しになるのなら、私はここに留まります!」

2015年10月28日 08:34

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/27(火) 20:50:43.24 ID:DVPqIe60
会津征伐の途上にて石田三成の挙兵を知った徳川家康は、小山にて諸将と軍評定を行い、
その後息子である結城秀康を呼んだ。

秀康が家康の陣所に参ると、本多正信が迎え出て
「少将様(秀康)、天下の安否は今日に決します。よく心してお答えなさいますよう。」
そう申し上げると跡に従って家康の御前へと出た。

家康は東西の軍事状況を秀康に説明し、
「秀康、お前が私のためにここに留まって関東を鎮めるならば、私は上方に向かって戦おうと思う。
これをどう考えるか?」

秀康はみるみる機嫌を悪くし
「この秀康、どうして御後に残りましょうか!?ただどこまでも、先陣をのみ望んでいます!」

しかし家康
「上方の軍勢は、みな国々からの集まりに過ぎず、それが何十万騎となろうと何ほどのことがあろうか?
しかし上杉家は累代関東の大将であり、中でも故輝虎入道(謙信)の時に至って、弓矢を取って
天下に肩を並べるものは少なかった。その子として景勝は、幼少の頃より合戦の中で成長し、
歳も既に老け、現在彼に対してたやすく合戦の出来るものは多くない。
天晴、お主のためには良き敵ではないか。

海道に向かって打ち込みの戦をするより、お主一人ここに留まって合戦をすることは、
且つは弓矢取っての面目、且つはこれに過ぎたることはない、何よりもの孝行である。」

そう語ると、秀康は少しの無言の後
「…合戦は、必ずしも軍勢の多少には寄らぬと承っています。上方の大将にも、名を得たもの
少なく有りません。軍勢の規模もきっと多いでしょう。

秀康は未だ合戦に慣れていませんが、景勝一人の軍勢と戦うのに、何ほどのことがありましょうか?
もし大将をお許しになるのなら、私はここに留まります!」

本多正信はこれを聞くや感極まった
「よくぞ仰せに成りました!関東を鎮められるというのなら、その大将に参らせられること、
仰せにも及びません!」

家康も世にも嬉しげに、しきりに涙を流し、自ら鎧一領を取り出して
「この鎧は私が若い頃より身につけ、ついに一度の不覚も覚えなかったものだ。
この、父の嘉例に准じて、今回奥方の大将として良き戦をし、天下に名をあげるのだ!」
そう言ってこれを与えた。秀康も心地よさげに御前を下がり、下野国宇都宮に陣を取り、
関ヶ原の役の間、関東を鎮めた。

上方で西軍が敗れた後、景勝も降参を乞うて伏見へと参った。
秀康にはこの勲賞として越前国が与えられ、明けて慶長6年5月、福井城へと移った。
(藩翰譜)




893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/27(火) 21:24:59.96 ID:3XFxN570
>家康も世にも嬉しげに、しきりに涙を流し

利用する為には、子供に対してもこんな小芝居しなきゃならんのか

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/27(火) 23:14:33.66 ID:74kpQ63m
秀吉もそうだがこういう時にちゃんと泣けるのが天下人なんだろうよ

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/28(水) 07:39:19.25 ID:jibHBUEb
演義の劉備は泣いて皇帝になった、と言われるが
実際役立つんだな

少将殿の仕置

2015年04月21日 18:21

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/20(月) 19:44:21.09 ID:apEtfDEE
越前少将殿(松平忠直)の家臣に、小野某という者があった。
彼は越前家の江戸屋敷に老母を残していたので、江戸に参り老母に会いたいと思っていて、
主人の江戸参府の供に当たることを3,4年待っていたが、当たることがなかったので、耐え兼ね
今度は支配に願い出た。これによって支配より申し立てたものの、その時にはすでに供方帳も
決定していたため、この度は相成らぬという沙汰であった。

小野某は憂悶し、ついに主君の少将に願書を提出した。その文の中に『数年老母に対面仕りません。
この度は是非是非お供仕って江戸に参って、対面したいのです。』とあるのを、少将は見て
「是非是非という申し分、法外のことだ!」
と、大いに立腹し、「切腹を申し付ける!」と言ったのを、家老たちが諌め
「若輩者が不調法申し上げたことは恐れいったことですが、それは孝行の心より起こったことですから、
切腹のことは御免下さるべし」と、様々に説得したため、塩川七之丞の所にお預けという処分に成った。
そうして小野某は一間に入れ置き、足軽12人が呼ばれ、昼夜6人ずつで番をする事になった。

ところで、この塩川七之丞の妻は、同藩平塚左衛門の娘であったが、この平塚平左衛門の妻というのが
奸曲な女であって、塩川七之丞に嫁がせた娘にも、夫に対する様々な悪意を申し含めたため、
自然と塩川と妻の仲も悪化した。

ある日、平塚平左衛門夫婦が塩川の所に来て、ふとした事から塩川と口論に成り、追々言い募り、
ついには平塚平左衛門の妻が

「左様な者の方には大切な娘は置けない!たった今連れて帰る!」

そう言い出し、塩川の妻を引き立て連れて帰ろうとした、平塚平左衛門も止める様子もなく、塩川の妻も
拒む様子もなく、3人共に同意と見えたため、塩川七之丞は暫く黙然としていたが、
「今は免し難し」
そう言うと刀を抜き打ちに、平塚の妻を斬り殺し、次に平左衛門、並びにその娘の自分の妻の3人を
忽ち討ち果たした。

これを見て小野某の番人たちは大いに驚き、小野に向かって
「塩川七之丞殿、乱心と見え舅平左衛門殿夫婦並びに自分の妻3人を皆斬り殺した!きっとこちらにも
斬りこんで参るだろう。こちらに来ない内に早く立ち去れ!」
そう言ったが、小野は

「心配していただいたのは、忝く思います。ですが私は、主命によってこのように籠居している身です。
何事があっても、私は一歩たりともこの外に出ることは出来ません。」

自若としてその場を動かないでいると、そこに塩川七之丞がやって来て、3人を斬り殺した趣意を語り
「この事は家老衆に書き残して私は切腹いたす。さて、貴殿とは御亡父より懇意を申し上げる仲であったが。
対面も唯今限りです。」
そう暇乞いをし、それから届書を認め、元の座敷に戻りその封書を床の間に置くと、平塚平左衛門夫婦の
死骸の上に乗って切腹して果てた。

その後、小野某は山口太郎右衛門へお預かりと成ったが、塩川七之丞が3人を斬り殺した騒動の時、
番人の者達は皆逃げ退いた中、一人主命を守って動かずに居たのを感ぜられて、それから程なく暇を出された。
また、逃げた番人の足軽たちは、その時の当番6人全員が死罪となった。

少将殿は武辺者であるが、武辺者過ぎて仕置も厳しすぎた、と言われている。

(明良洪範)



679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/20(月) 20:02:58.11 ID:lh78JhE4
この流れで暇を出されるのか…

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/21(火) 02:10:29.36 ID:sgD726Jq
江戸に行って親孝行してやれ…と言う意味かと思ってたが越前屋敷にいるんだな
この場合お母さんはどうなるんだろう

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/21(火) 02:13:59.64 ID:GmfWYMbu
暇を出されたって、禁固刑食らってたのを赦されたって事じゃないの?

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/21(火) 10:05:55.08 ID:UbkiBjMC
それなら赦免されたとか許されたとか記されてるんじゃね?

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/21(火) 19:22:45.07 ID:d9ATDP9Z
原文見ても「何共なく只暇を出されける」
としか書いてないか
「いとまごい」の暇で休暇ってことだとは思うが

上方の武辺とは

2013年05月18日 19:54

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/18(土) 18:14:35.61 ID:NW8/BH9g
江口(たぶん正吉のこと)は丹羽の亡き後に、
越前の黄門君(結城秀康)へ召し出されて一万石を所領した。

越前の家子に高木勘平という武勇の者がいた。高木は新参者が一万石を領するのを怒って、
ある時、江口の膝に迫り寄り、「上方の武辺とは、どのようなことを申すのだ」と問うた。

江口はこれに答えて「上方の武辺とは、人に武辺者と言われ、ここの殿の様な所へ
召し出されて、高い知行を取ることを申すのだ」と言った。

すると、高木は尾も無き様子で「うん」と言って退いたという。

もし江口がその時に「私の前々よりの武功」など言ったなら、
高木は「自分もそれくらいの事を八百回もしたぞ」と言おうと思っていた。

江口は武のみにあらず、才もすぐれた者なので、よく返答したのだ。

――『老人雑話』




631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/18(土) 19:58:10.06 ID:rrY+3lO/
むしろ尾も無き様子が気になる

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/18(土) 20:11:05.67 ID:futhla0H
越前の逸話なのにキチガイが出てこないなんて!

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/19(日) 01:37:57.29 ID:IDLcGgKx
>>631
文句付けようと思ったら上手く交わされて
「お、おう……」
がある意味一番正しいんじゃないかなあw

どっちかと言うと
「丹羽の亡き後」
の長重のすっ飛ばされっぷりが気になる

天晴れ、内府の御子

2012年10月05日 20:38

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 17:14:09.51 ID:f62JAsST

小山評定により今後の対応を決定した徳川家康上杉景勝の押さえとして
結城三河守秀康を残すこととし、松平玄蕃允家清を使いにしてその旨を伝えた。

しかし、秀康は「上方の戦を捨ててこの地に残るとは思いもよらなかった。
例え父君の仰せでもその儀には従い難い!」と憤慨し、梶原美濃守と原隼人を
家清に同伴させて、家康に上方への出陣を願った。

「三河守の若さではそのように思うのも無理はない。直接話したい故、急ぎ本陣に参れ」
家康が梶原らにそう伝えると、秀康は本陣にやって来て家康と対面した。

「此度の上方の敵は何十万騎いようとも烏合の衆にすぎない。一体何程のことがあろうか。
しかし、抑えなければならない上杉家は謙信入道以来、弓矢を取って天下に並ぶ者はいない。
また、景勝は幼弱より軍の中にあって、その武名はとても広く知られている。

今彼と容易く戦えるような者はいないだろう。それだけの者を相手取ることが、
おことの面目を著しく損なうようなことにはなるまい。それに上方へ向かう人々や
その家人らは人質を江戸に留めている。関東の守りが薄くては人々の心も堅くはならず、

勇気を振るうこともできないだろう。そうしたことを考えれば、景勝を抑えるためには
おことをこの地に残さなくてはならないのだ」

話を聞いて秀康も終いには残留を了承した。家康は殊の外嬉しい様子で涙を流し、
自ら着背長を一領取り出した。

「この鎧は儂がまだ若い頃より身に着けていた物だ。これを着ていると不覚を取ることは
一度も無かった。父の佳例になぞらえて奥方の大将となり、名を天下に揚げるのだ」

秀康は心も打ち解けて、心地よく鎧を受け取った。すると本多正信が秀康の側に進み寄り、

「よくぞ殿は御受けなさいましたな! 大殿が一統の功を立てなさるのも、この御一言によって
定まりました。天晴れ、内府の御子にございますぞ!」と、秀康の膝をしきりに叩いて喜んだ。

――『徳川実紀』




726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 18:05:17.51 ID:MIIXgLVq
>>725
秀康を信用してたんだな実子だし99%無い話だけど家康が関が原に向かったあと秀康が謀反起こしたら
とんでもないことになるからなそうなったら伊達や最上も寝返る恐れが出てくるし
秀忠や忠吉じゃ対上杉戦には心もとないからな

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 18:06:43.32 ID:4wttK68v
運命の巡り合わせなのか、九州、小田原、朝鮮、関ヶ原と毎回大戦の中の動きの無い場所担当になるよねこの人は。

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 18:27:01.09 ID:juFqUsIZ
手柄たてると実父も養父も困ってしまう微妙な立場だもの

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 18:30:25.57 ID:Bx8jRiDT
抑えってなんもしないのが仕事だから簡単そうに見えて、実は難しいもんで
ちょっと違うけど、溺れてる人間はパニクらずもがかなきゃ自然に浮くのは頭で分かってても、なかなか出来ないようなもんで
駆けずり回るだけが働きじゃないんだなぁ

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 18:38:30.08 ID:uBKtLrES
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

柳生新陰流の極意なり

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 20:45:55.88 ID:aVbq8uSS
対上杉は家康は完全に秀康に一任してるよね。榊原、正信、大久保をつけた秀忠と違って配された重臣って平岩親吉ぐらいだし。
不仲なんてもってのほかだろうな。

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 20:59:52.44 ID:MNnGkwRU
>>731
でも養子に出たとか、いろいろあったにしても、跡継ぎにしてない時点で
どうしても不仲に見えてしまうけどなw

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 21:01:37.79 ID:7dNJWe3w
>>732
母親の身分が、他と比べても著しく低いからしゃーない。
秀忠の生母西郷氏は三河守護代家の家柄だし。

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 22:41:38.53 ID:1PlcJx60
>>731
当初は秀忠も残してたけど、上杉が撤収しちゃって暇になったから
秀忠を真田討伐へ投入しただけだね。

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 09:34:15.97 ID:Thi7JGJa
>>732
織田信広とか他の庶子で後継げなかった者はいっぱいいる。
その中で秀康は活躍できたほうじゃないか。

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 13:11:03.45 ID:ojgsjiKr
・・・先生!まーくんは敵じゃないってだけで信用しちゃいけないと思いますw

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 15:04:13.63 ID:Liro16MX
まーくんには鮭さんを傍に当てておけば勝手にいちゃいちゃして大事にならないから大丈夫だっ!

息子は走り寄って、遺体を肩にかついで

2012年07月03日 21:00

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 22:37:19.22 ID:ahYKAU7E
松平忠直の家臣の馬場三郎兵衛は息子とともに大阪冬の陣に参加したが、
敵の陣に突撃して討ち死にしてしまった。すぐそばで父の戦死を目の当たりにした
息子は走り寄って、遺体を肩にかついで、戦場から撤退しようとした。

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 22:40:21.13 ID:ahYKAU7E
>>218の続き
銃弾の飛び交う中を6~7間ほどさがった時、息子はふと「これでは父親を
盾にして引きあげるようではないか。心得のある武士のすることではない」と
考えて、自分の家来に遺体となった父を囲ませて、敵の銃弾が当たらぬように気を配った。




220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 23:10:10.08 ID:bO8stOcc
大阪冬の陣って事は下手すると初陣か・・・立派すぎる
しかし父としては自分を盾にしていいから生還してほしいと願いそうな気も

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 23:30:17.93 ID:41/r/Fye
政宗「父を盾にする奴は父と一緒に撃ち殺してしまえ!」

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 23:49:28.66 ID:pAZgF9/v
家来を遺体の盾にする分にはいいのね…

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 00:03:30.79 ID:HU9wdxzM
言われてみればw
部隊を率いる者としては一人前とは言えないなw

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 00:04:15.19 ID:IDaq8dwx
主君の遺骸を守るとか真の忠臣じゃないですか

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 00:40:45.54 ID:wIlRQ0aT
>>222
人は城、人は石垣、人は濠
盾に使って何が悪い(´・ω・`)

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 03:14:23.18 ID:8jTMfKbX
>>225
それはどこの人海戦術軍かと。
地雷原?そんなの兵士を散開させて進ませればいーじゃん、ていう考えは北の大国では今も健在なのだろうか…。

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 03:42:12.05 ID:IUnFH5m1
>>225
「疾き事屁の如く 徐かなる事屁の如く 侵略する事屁の如く 動かざる事屁の如し」

旗印にどうぞ

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 03:51:52.32 ID:Zxzeslwz
>>226
シベリアのスッカスカぶりに焦ってるらしいから、やんねーんじゃないな
その下の国(除くモンゴル)は、やりかねないけど

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 12:57:51.83 ID:8jTMfKbX
>>228
下の国も一人っ子政策の影響で兵士が跡取りばっかでうっかり死なせられないって嘆いてるって聞いたな。
その割りにどっちの大国も人命軽視なエピに事欠かないような気もするが(汗

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 13:28:04.70 ID:sEZ18WdI
共産主義っていうのはいろんなものを停滞させるのかな?
両国とも結局は資本主義、自由経済に飲み込まれたけど人の命の重さもふくめていろいろと
『オマエラもう中~近世じゃないんだからそろそろ慣れろよ・・・』って言いたくなる時代遅れっぷり
を感じることはよくある、地力はあるだけに隣人としては厄介この上ない

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 13:40:15.97 ID:wiZ0Tdq2
共産主義以前から、専制国家だった歴史が長いからだろ

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 14:15:16.27 ID:Mo9SyXmX
>>230
ああいうのは資本主義を利用しても、理念には馴染まないから強いんだよ
マフィアの強さと同類(笑)


233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 20:11:14.99 ID:IUnFH5m1
共産主義こそが堕落した資本主義の一歩先をゆくのだ

そして今や資本主義は崖っぷちに立っている!

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 23:00:44.07 ID:Rvoq3Uov
>>226


人間なんて10何億のトコは密集突撃で地雷原啓開だお。

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 23:39:13.42 ID:y0G7Djti
>>233
一歩先に崖から落っこちたのはどこのどいつだい?

秀康二話

2012年06月13日 21:00

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/13(水) 18:53:53.33 ID:Ip47AwPS
まだ出ていないと思ってwikiから引っ張ってきました

その1 「秀康と相撲観戦」

秀康が家康と伏見城で相撲観戦していたとき、観客が熱狂して興奮状態になり騒ぎ始めた。
すると秀康は観客席から立ち上がって観客を睨みつけた。
その威厳に観客の誰もが驚き、騒ぎは一瞬で静まったと言われている。
この秀康の威厳には家康も驚き、『校合雑記』には「今日の見物ある中に、三河守(秀康)が威厳驚きたり」と述べたという。

その2 「秀康と阿国」

秀康は弟の秀忠が徳川氏の家督を継いだとき、伏見城代を務めていた。
出雲阿国一座を伏見城に招いて、阿国の歌舞伎を絶賛した後、
「天下に幾千万の女あれども、一人の女を天下に呼ばれ候はこの女なり。我は天下一の男となることかなわず、あの女にさえ劣りたるは無念なり」
と、こう漏らしたと言う。





何をしても逆効果な結城秀康

2012年01月29日 21:58

902 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/29(日) 04:13:43.68 ID:+SM43X7k
生後しばらくの間、徳川家康から実子として認められなかった結城秀康は、父に気に入られていなかったことを
伺わせる

逸話を残している。ある時、腫れ物を患って回復後に家康に招かれた秀康は、病気で欠けてしまった
鼻を貼り薬で隠していた事で不快感を抱かれて面会を拒否されてしまった。
家康いわく、

「美男を好むのは、公家や町人のする事だ。この家康の子として生まれ、一軍の将たるべき者が、
鼻の形が醜いのを気にするなど言語道断である。」

という真意だったという。また親子で京にいた時、近所で火事が起こると、秀康は家臣を引き連れ
素早く消火に当たったものの、
家康から

「親を出し抜くとはけしからん奴だ!」

と不興を買ってしまったという。 何をしても逆効果な秀康のかわいそうな逸話。



関連
徳川家康、醜い事は恥ではない・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1386.html


903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 08:15:10.56 ID:rpkgUPaU
きしゅつ

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 08:47:13.76 ID:dV7cpYjB
そもそも秀康が家康に気に入られたと言うか、認められてないと関ヶ原の時の上杉の押さえとか、
関が原後要衝の越前任せるとかありえないからなあ。

幼少期に実子と認められなかったのも、母親の身持ちが悪く、実際の所本当に家康の子かどうか
かなり疑わしかった、というのがホントのところですな。

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 15:27:39.64 ID:yfHPd8mh
おまん、だっけ?

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:24:43.30 ID:skFjOdns
家康が気に入らなかったのもわかるおまんの子…つまり

                                 Y
                ,. '"´三二二三`ヽ      _ノ    r┐
              /,ィ彡'"´ ̄  ̄ ``ヾミヽ     〈  r‐-┘└っ
              /   /    殺     ', ヽ    ノ   r‐-' 'ーっ
            /   /::(         ノ:::)  ヽ   く   二」 こ
              /   /く´‘`ヽ ',从,' ∠‘``',   ヽ ノノ  (__=ノヽ〉
          /    ハ´ ̄`フ.:;;;;;:: ヽ ̄`フ',   ヽ )   ____
            /    /     ,,   ,,      ',    〈{ /::::::::::::::::..ヽ
         /   /::、  /   .;;;;;;'  ヽ   /::ト、   〃. l::::::::::::::::::::::::::|
         ./   //:::::::; l /⌒ー一⌒ヽl ;:::::ト、V //  \::::::::::::::::/
        /   // 1:::::;  V.:ViiiiiiiiiiiiiViiV  ;:::::ト、V /     `""""´
      /   // ./.l:::::;. /l /´  ̄ ̄`ヽ  ;_ ___ノ    にニニニニ7
       /   // /  l::::; l | .:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:|   ;::: ̄\
     /   // /   1::; | |.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.|  ;::! i i 弋
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     // /   /  ハ:::::::::.\ V´ ̄`Vく/  l | | |  `ヽ.    | |
.   // /   /   l  >.-、/   ヽ  ヽ  | | ! !   ノ     | |
   // /   /    |/ /       \)  l/ | |  く.      | |
  .// /   /    V   〉   '"´  ``ヽ).     | !   ゝ     | |
      /    /  〈    '"´   ``ヽ)    l/   .ノ     | |




907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:54:54.27 ID:EYUcwgXw
こうか?


                   / / / ´ {ミ丶   ヽ
                   ,' / / /  }ミ、 ヽ  '.                   オ レ       テ ロ リ ス ト
                     |,  〃 , ´ ̄ `ヽ  '.  i                  拙者は三河の戦国大名
                     |   /   家  '.  }  l
             ,  - ―<!   {.  康  }  i!   {⌒ヽ               今日は仏閣壊したぜ!
            /___   |     ≧ェ.、 rィェ彡 i!   '.   \                  イマガワ
           /´. -‐- 、`ヽ.|    |   ト   ! i!  .l    丶     /:::::     明日は旧 主掘ってやる!
         ' , ´     ヽ |     |〈__ ー|‐`, } i!  .|、    }ヽ    }:::::::       サツガイ      サツガイ
       , -/ /        }     rくWWW/ ハ i!  .|ヾ:、  ノ }    ノ:::::::     下克上せよ!下克上せよ!
      { ' '        ノ .i!   、ト、` ̄ ' イ/リ     |ヽ、`¨´ /  /::::::/
      | { {         /  ハ  ト、 T77´,//ハ     !'//`Y´   /::::::/; /
      | i! '.      /  イ '.  |ヽ }/ i !// //    |///∧   .!:::::/; /ゝ
      |人  `ー一   イヽノ  l .K ///リ/,イ//     !////ハ   ノ/; /ゝ
     /// `ー-‐ 7´ムイ: `ヽ  ! |ヽ`ハ///`//    |/////'>´\/ ´
.     ////////////  {: : : : } i! ト、} } 〉/イ/イ  ,ィヘ .l/: :r‐/XXX >
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   '//////// ' :: 〉/!:::::::::::`¨´:::::::::::i!:|:://:}::}//////:: ::/ヾ   ン  ゝ
  l//////// :: : //,ト、:::::::::::::::::::::::::::i!::!{::|::ノイ'//////XX(`'ヽィ´  ,ヘノ
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  |/////〈 :: :: /// |ミヽ:::::::::`ー::イ:/::レ::::::////XXXX/::|
  ∨'///∧ :: ////ト、:`: ̄ ̄>:イ:::::::::::///XXXX/}:: ::|
.   } ////∧7///八: :ヽ:::::::,::'::O:::i!:::::::: '/XXXX///| :: :!
  ∧/////∧/////ヽ、:ハ /O:::::::::i!:::::/XXXX/////| :: :|
  /:: ∨////,∧//ム. -―<:::::::::> /XXXX/`ヽ'///! :: :!
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908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:56:51.88 ID:76xNHuPX
秀康の指料として残ってる刀も朱塗だし
黒厨の家康とはそもそも趣味が合わなかったんじゃないか
ttp://www.emuseum.jp/detail/100491?word=&d_lang=ja&s_lang=en&class=6&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=89&num=5&mode=detail

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 17:18:02.03 ID:3xhA950k
秀康は太閤の養子になったから
趣味が豊臣寄りになってたりして

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 19:16:29.07 ID:61E2U3Ei
病気で鼻が欠けるっていうと真っ先に梅毒を思い浮かべてしまうんだが
違うよね?w

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 19:19:28.21 ID:wQnKxtvE
梅毒説は有名じゃないか
真偽は知らんが

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 20:09:50.33 ID:Kqkq2qBQ
>>908
>黒厨の家康
意外に政宗公と趣味が合うかもw

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:06:02.25 ID:J1U8VOXD
>>910
スレチになってしまうが、梅毒説のある武将って秀康の他に誰か居たっけ?
黒田如水くらいしか知らないんだけど

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:09:16.63 ID:P3SWhhgo
加藤清正/浅野幸長

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:09:55.16 ID:B3B2HeGF
朝鮮行った武将ならけっこうもらってそうだけど

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 08:28:42.41 ID:KgTdxVb6
朝鮮で梅毒めっちゃ流行ってたんだよな

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 09:04:05.98 ID:mGfRkdlz
前田利長の死因も唐瘡とされている
小早川秀秋も可能性を否定出来ない

豊臣氏が朝鮮の役で被った最後にして最大の被害と言えるのかもしれない

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 09:05:39.23 ID:t23fue6q
あっちでヤリまくってた大名も悪いんじゃね、ヤルことしか楽しみがないんだろうけど

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 09:37:03.12 ID:3CjR41MJ
家臣の妻襲えば安全なのに。

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 10:11:10.07 ID:mGfRkdlz
松平忠吉も梅毒で死亡したと思われる

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 19:38:50.87 ID:8bWUm58O
板がヒャッハー状態

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 00:55:29.22 ID:c4+tXjYN
避妊で病気を防ぐ概念は無かったのかな

923 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/31(火) 01:51:03.52 ID:0dCNrhUH
当時は衛生観念違うし【今度産む】もなかったしなぁ
粘膜接触は避けられなかったんじゃない?

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 11:09:32.88 ID:ZdAjZkdo
梅毒にかかると妊娠しにくくなるから、梅毒にかかってようやく一人前の遊女という
風潮すらあったとかいう話だな・・・


925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 11:30:37.21 ID:+xvUJork
安全な大名の女遊びのやり方をお教えしましょう。

まじめな家臣に美人の嫁を斡旋する

家臣を上方もしくは江戸に単身赴任させる

慰労ということで家臣の妻を呼んで・・・・ウマー

この時遊び人の家臣を選んではいけません、回りまわって感染してしまいます。
気性の荒い家臣を選んではいけません、斬られます。
口うるさい老臣に近い立場の家臣を選んではいけません、折檻されます。

これで楽しいアバンチュールを安全に楽しみましょう

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 13:09:02.65 ID:vF+4Fqq8
宗リン「いやあ、恐ろしい手法じゃ」
TERU「誠に恐ろしい、そのような人面獣心の輩の顔が見てみたいものじゃ」

松平忠直とおむに

2010年07月29日 00:00

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/28(水) 19:21:51 ID:nApKwByj
それは一枚の絵から始まった。

越前中将、松平忠直がある夏の日の夕涼みのおりに、一枚の美人画が落ちているのを見つけた。
その絵の女の美しさに心奪われた忠直は、家臣たちに「この絵にそっくりな女を探してくるように!」と命ずる。
家臣たちは大いに苦労した挙句、ついに関ヶ原で絵にそっくりな女を見つけた。
これを連れ帰ると忠直は大いに喜び、彼女が「一国と変えても惜しくない美貌だ」として、『一国』と名づけ
寵愛した。ところがこのおむに、その美貌と共に、大変に残酷な女でもあった。

ある時、おむにが言った。
「私は今まで人が殺されるところを見たことがありません。一度くらいは見ておきたいのです。」

「そんなものは簡単なこと」
忠直は直ぐに、既に死罪と決まった罪人を連れてこさせ。おむにの前で斬り殺した。
おむにはこれを見ると、かわいらしい声を上げて大いに喜んだ。

それからは忠直は、おむにを喜ばせたいと思う毎に、罪人を連れてこさせ斬り殺した。
しかし死罪の確定した罪人もそうそういるわけでもなく、ついにはごく軽い罪で捕まった罪人まで、
斬り殺されるようになった。

さらに忠直は罪人だけでは飽きたらなくなり、自分の小姓であっても少しのミスで
斬り殺すようになった。

忠直が人を殺すたびに、おむにはコロコロと喜んだ。
おむにの喜ぶ顔を見たさに、忠直もますます人を殺した。

これをみて、おむにに取り入る奸臣も現れた。名を小山田多聞と言う。
彼はあるときなど、自分の領内の百姓の家に押し入り数十人を生けどり、それを忠直の
試し切りの生贄として捧げ渡した。

こうして松平忠直は、徳川秀忠によって改易されるまで、1万人以上を惨殺した、とも言われる。


陰惨な血の彩りに覆われた、松平忠直とおむにの逸話である。




230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/28(水) 19:38:31 ID:PrpAjCjM
これまたテンプレ通りな暴君と毒婦だな

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/28(水) 20:07:09 ID:FWI3mkJw
これは酷い
もしかして>>197の側室がおむに?
つうか一国って書いておむにって読むのか

松平忠直の残虐な趣向

2010年07月28日 00:00

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/27(火) 18:26:37 ID:k2yq5SnQ
暑い夏にこんな話を。

越前の大名、松平忠直は残虐な趣向が好きであった。
彼には妊婦を臼の中に放り込み、杵でついて殺した、などという不気味な逸話もある。

そんな忠直がある時、寵愛する側室と共に家臣の屋敷に御成をすることとなった。
これに側室が甘えた声で言う

「ただ普通に御成りをするのはつまりませぬ。」

「ほう?お前に何か考えでもあるのか?」

「ええ一つとびきり面白い事を思いつきました。殿様もお喜びになると思います。
どうぞ今回の御成の趣向、私にお任せください。」


御成の日

その家臣の屋敷には、入り口から屋内までぎっちりと、無数の罪人の首が並べられていた。
そのあまりの不気味な光景に、屋敷の者たちも付き従った家臣たちも皆、恐れ怯え、
蒼白な顔をしていたが、忠直とこの側室だけは大変面白がり、終始上機嫌で愉快にこの御成を
過ごしたのだという。

松平忠直の残酷な趣味に関する、逸話の一つである。




198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/27(火) 18:33:26 ID:uKg5gCfr
桜の森の満開の下ですか

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/27(火) 19:13:18 ID:ovhYHduN
暴君伝説としてありがちなとかうんぬん

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/27(火) 23:23:09 ID:a6YPF0Lp
>>197
ヨーロッパや中東あたりでは珍しくもない話だが
日本ではこういう人あまりいないね・・・

真の武士とは

2010年07月06日 00:01

56 名前:真の武士とは 1/2[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 10:51:14 ID:IX9IBn7l
結城秀康の重臣、狛伊勢守孝澄の嫡男が鎧着初めの儀式を行うことになった。孝澄は家中で武名の高い阿閉掃部に
着付け親を頼み、同僚も隣家の主人も裏の隠居も向いの女房もみんな呼んで祝宴を開き、大々的に儀式を行なった。

着付けが無事に終わり、祝宴の席で孝澄は掃部に、一つ頼みごとをした。

「今日は誠にかたじけない。ついでと言っては何だが、愚息への教訓に、『真の武士』たるお主の武辺話など語って
もらえぬだろうか?」
「いやいや、拙者以上に見事な武者振りを遂げた者など何人もおり、拙者にその呼び名はふさわしうはござらん。
が、祝いの席で断るも無粋ゆえ、拙者の戦場往来のうち、最も『真の武士』の名にふさわしい者のことを話しましょう。
そう、あれは賤ヶ岳の戦の折・・
=================================================

賤ヶ岳の戦いに参戦した阿閉掃部が、余呉湖の湖畔で馬を進めていると、
「おぉ―――――い!!」
はるか後ろから声をかけて来た男がいた。敵であった。掃部は馬を返し、歩みを止めた。

「やぁ、止まってくれた。有難い!実はな、今朝からずーっと、一稼ぎせんと戦っておるが、会う敵は雑兵ばかり。
良き敵を探しておったところで、貴殿を見かけた。不肖この身とお相手いただき、わしの手柄になってくれたら幸いだ。」
「おぅ、望むところよ!」

二人が距離を取り、ぶつかり合おうとした時、男が大声を上げた。
「待った!!わしは今朝から雑兵ばかり突いて、槍が血で汚れておる。これでは貴殿に失礼だ。しばらく待たれよ。」
男は掃部に背を向け、余呉湖の水辺に槍を浸すと、念入りに洗った。
「お待たせした、いざ!」 「・・うむ!!」

57 名前:真の武士とは 2/2[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 10:52:25 ID:IX9IBn7l
掃部と男は阿修羅の如く、激しく渡り合ったが勝負はつかず、やがて日も暮れ、男が再び声をかけて来た。

「もはや槍先も良く見えん。偶然、槍が当たって勝っても手柄とは言えぬ。勝負は、ここまでとしよう。」
「よかろう。貴殿の名は?」
「わしの名は、青木新兵衛。」「拙者は、阿閉掃部。では、さらばだ。次の戦場では・・」
「うむ、他人にかかわらず、再び貴殿と槍を合わせるべし。もしも味方同士となれば友とならん!!」

=================================================
・・敵を背後から襲える立場にありながら、声をかけた正々堂々たる姿勢。不敵な言葉をかけ、一戦を挑む余裕。
槍の汚れに気づく注意深さ。敵に後ろを見せながら、槍を洗う度胸。己の誇りを曲げず、手柄の機会を捨てる潔さ。
かの者、青木新兵衛ほど見事なる武士は、ついに見かけることは出来なんだ。今頃、どうしておるのか。」
「ふむ、新兵衛と言えば武の名門・上杉家にあっても手柄を立てた勇者。どこかに仕えて無名のハズは無いが・・」



「・・あの時、貴殿は黒の具足を着け、栗毛の馬に乗っておられたな。」
そう言って掃部の前に進み出たのは、裏の隠居・方斎老人だった。「おお、まさしく!では、貴殿が・・・・」

「うむ。もはや老いぼれ、世に出ることもあるまいと気楽な隠居の身よ。だが貴殿がそこまで、わしを買ってくれていた
とあっては、名乗り出ぬわけにも行くまい。このジジイが、新兵衛にござるよ。幻滅させてしまったかの?」
「とんでもない!やはり、貴殿が、貴殿こそが『真の武士』・・・・」

青木方斎の名は国中に高くなり、秀康は武士の手本とするべく、辞退する方斎に強いて、掃部と同額の高禄で召抱えた。




58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 11:46:59 ID:SvVnH6cH
グッときた。

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 12:08:48 ID:FMuqBlq7
いかにも結城秀康の家らしい逸話って感じ

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 15:30:18 ID:YKujBNJX
命の取り合いなのに、青春スポーツ漫画の一コマのようだ・・・・

61 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/07/05(月) 16:01:05 ID:iZN+CThn
命の殺り合いだからこそってこともあるんだろうな~
まぁ、名を惜しむからなんだろうが~

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 18:31:08 ID:dVyVa2TB
こう、武士ってのは「潔く」って通りのお話だよな。
もし討っても「俺が討ったコイツは凄かった、敵として惜しかった」
討たれても「コイツに討たれたんじゃしょうがないよな」とか思えるのが最高。

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 18:33:37 ID:NlwqhCGD
正直、ここまで来ると「スポーツかよ!」とツッコミたくなって来るけどね

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 18:37:16 ID:ZXOaZrWM
これぞまさしく真剣勝負

……槍だけど

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 19:04:25 ID:Qs05bcoI
真剣勝負ってやっぱり江戸時代になってからの言葉なのかねぇ

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 19:10:14 ID:O5dzooFn
>>65
多分明治以降

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/05(月) 21:57:26 ID:DpvdXPxj
真剣が当たり前の時代にはわざわざ言わないだろうしなあ。
江戸期に道場剣術が流行ったレベルでも木剣や竹刀と対比しての真剣だったろうし。
本気で、ガチでという意味で真剣勝負と言うようになったのは
そんだけ真剣での立ち会いが当たり前じゃなくなったってことだから廃刀令の後くらいでもおかしくないね。
[ 続きを読む ]

譲り合い 宇宙

2010年06月01日 00:04

93 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/30(日) 21:56:17 ID:uejqOBNB
譲り合い 宇宙

徳川家康が将軍だったころ、結城秀康が父家康の命で江戸に赴いたことがあった。
品川まで来ると、なんと徳川秀忠がわざわざ江戸城から出迎えに来ていた。
「兄上、よくぞお越し下された。」
「わざわざのお出迎え、痛み入ります。」
挨拶の後、さあ、江戸城に出発となったが、秀忠の輿は動かない。
「兄上、どうぞお先に」
だが、秀康は上杉景勝との席次譲り合いにも見られるように、謙虚な人柄であった。
「何を申される。あなたはお世継ぎではないか。あなたより先にはいけない。」
ところが、秀忠は、景勝と違い、「それなら」といえない男だった。
「兄上を差し置いて先に行くなど、長幼の序にもとります。」
二人には、頑固で意地っ張りな徳川家康の血がしっかりと受け継がれていた。
二人とも、引かず、媚びず、(周りを)省みなかった。
結局、二人は江戸城までの道のりを延々と譲り合いながら進み、
街道を通る人々は大いに迷惑したということである。




94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/30(日) 22:34:55 ID:71LF2OSW
あなたが家康の子として認知されるのが遅すぎたのよ!
どうして今ごろ(ry

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/30(日) 23:12:49 ID:UarV/tyk
チッ!少しでも前に出てくれれば謀反の兆ありと親父に訴えて
謹慎改易切腹の三連コンボ食らわしたのに

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/30(日) 23:27:54 ID:Ce9G0vJ4
家光「言い掛かりでも何でもやっちまえばいいのに…」

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/30(日) 23:53:48 ID:2VUgCQ+B
家康も秀康には色々気を使っているからねえ…

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/31(月) 00:07:11 ID:wDer8lfn
秀康が豊臣側に寝返れば面白かったのに・・

秀康にスイッチが入った

2010年03月16日 00:01

306 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/03/15(月) 15:54:54 ID:BmyniogW
制外の家

結城秀康が参勤のため江戸に向かっていたところ、行列が碓氷峠の関所に到着した。
関守「騎馬に徒士の家臣、足軽に弓槍鉄砲、ん?鉄砲ですか?」
結城家家臣「いかにも、鉄砲がござる。参勤のため軍役のために必要でござろう。」
関守「いけませぬ!箱根と同じく碓氷峠の関所は『入り鉄砲に出女』は禁止事項です。
   将軍家の決められた法度を破るわけには参りません。ここを通過させるわけには参りません。」
結城家家臣「なぜ?当家は『制外の家』ましてや将軍家一門にござるぞ!通しなされ!」
関守「制外の家なんて知りません!だめ!鉄砲はおいてきてください!」
結城家家臣「なんだこの面倒くささは!通せ!それともお前、三河者か!??」
こうして、内容が結城秀康の耳に届いた瞬間、秀康にスイッチが入った。

秀康「成敗!」

関守はおそれた。なんと言っても自分を斬るために万余の軍勢が今まさに前進しようと
いうのだから。そこで、江戸にお伺いを立てた。
結果は鉄砲付きで通してよいというものだったと思うが、詳しくはわからない。
ただ、事態収拾に成功したと共に徳川秀忠がこの事に関してのコメントがわかっている。

徳川秀忠「関守は・・・兄上(秀康)に殺されなかっただけでも幸いであった。」




307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 16:48:18 ID:CSoXGzu/
その関守は三河者では無い事確実だな。
三河者だったら攻撃されそうになる前に、
自分から相手の軍勢に切り込むはず。

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 18:34:47 ID:GgibeMuK
>>306 秀康「成敗!」
松平健吹いたw

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 18:51:53 ID:OJs4obV1
>結城家家臣「なんだこの面倒くささは!通せ!それともお前、三河者か!??」
どんなつっこみだよw

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 19:45:42 ID:Oh8TdMn0
鬼武蔵なら江戸にお伺いを立てる時間も与えず殺ってるだろうな

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 20:07:21 ID:KV+WWKmE
>>310
鬼武蔵が関守をするのか・・・

314 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/03/15(月) 20:22:45 ID:BmyniogW
>>311
ある意味見てみたい。
結城秀康VS森ヒャッハー鬼武蔵長可
の碓氷峠関所の戦い。

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 20:24:34 ID:2C8Pe3zK
見たらそのあと一週間は魘されそうだなあw

316 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:45:34 ID:dBysh5fY
>>311
いや、違うだろ。
鬼武蔵長可なら関守を間髪入れずにたたき切ってるってことでしょ。
実際、関所破って皆殺しにしてなかったっけ>鬼武蔵長可

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 20:58:38 ID:v8suGHnw
鬼武蔵華麗なる関所破りの歴史

1:京の関所
役人を問答無用で斬首。さらに部下に銘じて放火をしその混乱に乗じて通過。
殺した相手は味方。

2:瀬田橋の関所
番人を切り捨て通過。
殺した相手は味方。

3:熱田橋の関所
番をしていた浅野長政の家来を切り捨てて通過。
殺した相手は当然のように味方。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-382.html


318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 21:06:30 ID:rHTtFp6S
味方殺しは男のロマン

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 22:07:10 ID:kytjmE0p
中世の関所と、江戸時代のそれも碓氷峠の関所は規模が全然違う。
鬼武蔵独りで碓氷峠を突破なんてムリだよ。
・・・って無粋な書き込みスマソ

石田正宗

2010年03月13日 00:05

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 17:25:07 ID:GLNx7NWK
結構知られている話かな?

石田正宗
三成の前田邸での襲撃事件後、三成は家康に保護される
そして家康の勧めにより彼の領国の佐和山に帰るのであった
その際、家康は次男の秀康を警護として同行させた
太閤の養子であり秀頼の義兄弟にもあたる秀康と三成は互いに好意を持っていたようであり、
別れの際に三成は世間の羨望である佩刀の五郎正宗を秀康に贈ったのであった

関ヶ原の合戦後、諸侯は幕府を憚り三成の名前を口にすることも恐れる風であったが、
秀康は贈られた刀を「石田正宗」と命名し生涯愛用したのであった
また、刀身に傷があるので「石田切込正宗」とも呼ばれている

因みに、この傷のせいで国宝には出来なく重要文化財止まりだとか




626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 17:31:48 ID:A/8vzjn3
結城秀康は大谷吉継の敦賀正宗も所持してて羨ましい

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 18:10:44 ID:wdTkVIKp
>>625
既出じゃなかった?

傷があっても国宝にすればいいじゃない!って思っちゃうねw
勿体無い

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 21:19:54 ID:TsrSZ6ww
傷のせいで刀剣としての価値が下がっちゃったから国宝になれないのかな

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 21:44:42 ID:fYSkWgHC
国宝として生き長らえるより、実戦で使い潰される方が刀も本望だろう

久世但馬守の反乱

2010年01月07日 00:03

502 名前:1/2[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 00:09:47 ID:Oe5gUBV5
松平秀康が死んで、間もなくのことである。

越前松平家家臣、久世但馬守は元は佐々成政の家臣であり、その後秀康に仕えた。

同じく越前松平家に仕える伊木左衛門という侍があった。彼は元々関東の人間で、
算術に巧みであり、越前家において勘定奉行を任されていた。

ある時久世の領地の百姓が、伊木の領地の百姓から妻を娶ったことがあった。
ところが何事かあったのか、伊木領の百姓たちが久世領におしかけ、その女房を
取り戻す、と言う事件があった。

久世はこの事を大変に憤り、鷹師の某と言うものを使い、連れ戻しに押しかけた伊木領の百姓を
闇討ちにした。

伊木左衛門は、自分の領民が殺されたこの事件に驚き、独自に捜査をしたが、
犯人の目星は付かなかった。
そうしているうちに、先の鷹師が犯人である、と言う噂が世間に流れた。これを伊木は
取調べようとしたが、その前に、これも秀康に取り立てられた竹島周防守と言う者が、
密かに手の者を出してこの鷹師を殺させ、遺骸も埋め立てた。

鷹師が行方不明になったことに伊木はさらに不信の念を強め、ついに、この事件に関する
情報を伝えたものに賞金を出すと触れた。

この時、久世但馬の家来に堀内新三郎と言うものがいたが、これが賞金に引かれ、
伊木の元に申し出た

「伊木様の百姓を殺したのは、久世但馬の指図です!」

又同じ頃、竹島周防守の徒士に、罪を言われ逐電したものがあったが。これも伊木の元に
逃げ込み、鷹師を竹島の手の者が殺したことを暴露した。
これにより伊木は、自領の百姓を殺したとして、久世但馬を正式に告訴した

久世は伊木の元に密告があったことを知らなかったため
「証拠もないことを言われても困る」と、取り合わない。

ところが、伊木の元から証人が出、さらに鷹師の埋められた場所まで言い当て、
実際にそこから死体が出てくると、久世はもはや言い逃れることも出来なくなり、
自分の屋敷に籠り籠城の構えを見せた。この事件、いよいよ合戦へと発展したのだ。

越前家では、久世は歴戦の武功の者であり、容易く討つ事は出来ないと、しっかりと準備をして
討伐に向かった。
やがて大手には多賀谷左近、裏口からは吉田修理、落合主膳などが軍を集結、一斉に乱入すべく
屏を乗り越えんとした。

しかし久世但馬はかねてから屏の内側にも高もがりをゆわせてあり、これに引っかかった兵を
次々と鉄砲で撃たせた。
自身は邸内に物見の小櫓を作らせそこから四方を見て下知をしていたが、ついに兵が
屋敷の中に侵入すると、もはやこれまでと、屋敷に火をかけ自害して果てた。

寄手にも多くの被害が出たが、これは久世但馬が、普段人使いが荒く家来から嫌われていたにも
かかわらず、それでも「この期に及んで逃げ出すことは出来ない」と、皆とどまって抵抗した
故だと言う。
久世がかけた火は、他に延焼する前に無事、鎮火された。



503 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 00:10:45 ID:Oe5gUBV5
さて、この事を知った駿府の徳川家康は、越前家の家老たちを呼び出し報告をさせ、
その一部に、秀康の死後早々家中を混乱させ、合戦にまで自体を悪化させた責任をとらせた。

さて、この時あの鷹師を暗殺させた竹島周防守も駿府に召喚された。
「お主はなぜ、久世但馬に一味したのか?」

竹島、申し上げるに
「私は但馬とは何の繋がりも無く、また友達付き合いをしていたわけでも有りません。
ただ私には、秀康様の御重恩があった故に、この度の事を行ったのです。

秀康様はご生前、良くこの様に言っておられました。

『私には越前を拝領して、嬉しい事が二つある。一つは北陸道の大名にしてもらい、実に良い城を
頂いたこと。
もう一つは、佐々成政秘蔵の臣として知られた久世但馬を我が家に迎えたことだ。

久世はかつて成政の家臣たちを取りまとめていた男で、成政のさらさら越の時、その家臣一人残らず
成政に付いて行くと言った。困った成政は、それならば久世但馬を残すと言ったところ、皆も、
但馬が残るなら我らも残るとして、皆留まったほどだそうだ。これほどその人間の確かさが
解る話はあるまい。また、鳥越の合戦での働きも、世の人皆知るところである。
このような男を望むままの領地を与えて家臣に出来た事、これほどの大慶があるだろうか?』

秀康様ががここまで思われていた但馬を、少しの事で、その身上破滅させてはお家のために
よろしくない。あの鷹師を殺しさえすれば別状はないだろう。そう思ってやった事なのです。
彼に親しみがあって行ったことでは、決してありません。」

家康は竹島の、その志に感じ入り、「罪を許し、前と同じように召し使われるように図ろう。」
と言ったが、

「一度縄目を受けたと同じ囚人の立場になった以上、再び御奉公するなど、私の本意ではありません。」

この様にそれを断ると、駿河、丸子において切腹して果てた、とのことである。




504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 00:57:09 ID:TKz8zQ8p
>ある時久世の領地の百姓が、伊木の領地の百姓から妻を娶ったことがあった。
>ところが何事かあったのか、伊木領の百姓たちが久世領におしかけ、その女房を
>取り戻す、と言う事件があった。

鷹師殺す前になぜここをしっかり詳らかにしなかったのかと・・・

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 12:36:41 ID:bIyLHG1K
露見して台無しになったけど、あくまで闇に葬り穏便に済ますつもりだったんだろうな
悪い意味で日本的

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 13:31:04 ID:sqvCnYm8
そだな、取り繕って終わりにしようとしたら破綻したって感じだな。

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 13:39:03 ID:JAYRqitJ
風通しをよくするために、時には空気読めない人も必要かも。

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 14:52:32 ID:uVtcBN0b
おいおい、空気読めよ、ここは殿様が自分より先に通るなといった橋だぜ?

結城秀康、呼ぶのを忘れて

2009年07月02日 00:05

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 18:14:53 ID:UNSSxNj0
越前において、結城秀康が城を出て温泉に入りに行った事があった。
これに出発する前、秀康は見送りの家臣たちを一人づつ呼び、声をかけた。

ところがこの時、どうしたわけか片倉武兵衛だけは呼ばれず、声をかけてもらえなかった。
武兵衛はこれがあまりに口惜しく、面目を失ったと、切腹し、果てた。

武兵衛の切腹を知った秀康は驚いた。
「ついうっかりして、呼ぶのを忘れてしまった。しかし武兵衛の事を気にかけていない
訳ではなかったのに!」

深く後悔した秀康は、武兵衛の跡目を取り立て片倉家を存続させた。
そしてこの事を生涯、自分への重い戒めとしたそうである。

この時代武士の面目とは、生き死にに直結する重大な問題であったのだ、と言うお話。





857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 18:42:47 ID:6S0I9vrY
短気にもほどがあるだろ

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 18:48:03 ID:nL0yTrah
何も腹切らなくてもいいじゃないかw


一万石の江口三郎兵衛と高木勘平・いい話?

2009年05月13日 03:56

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 09:05:37 ID:jPagyO9i
これはまだ無いはず。同じ一万石知行のお話


丹羽家の重臣として有名であった江口三郎兵衛は、関ヶ原による丹羽家没落の後、
越前黄門、結城秀康に呼ばれ、なんと一万石で召抱えられた。

これを快く思わないのがそれまでの家臣たちである。
秀康の家臣で武勇の知られた高木勘平も、
「新参者がいきなり一万石を領するとはなにごとか!」
と、怒りがおさまらない。

ある時この高木が、江口と同席する機会があった。高木、この時とばかり江口に詰め寄り
こう尋ねた

「上方の武辺とはどういう事を言うのか!?」

一般に東国の武士からは、上方の者は柔弱と思われている。高木はその上方者である
江口の武辺を笑って恥をかかせてやろう、そう思ったのだ。

これに江口、答える。

「上方の武辺と言うものは、人に武辺者と言われ、この殿のような方に召し出され、
高い知行を取ることでござる。」

高木はこれを聞くと、「うーん」と唸り、そのまま言葉も無く引き下がった。

高木勘平が後に言うには
『あの時江口が、それまでに自分のなした武功を語ろうものなら、「わしはそれほどの事を
八百度も成したぞ!」と言ってやるつもりだった。
江口と言う男は武のみではなく、才も優れた人間だ。」

と、感心したとの事である。


正直この程度の答えに素直に感心しちゃう高木勘平が、ちょっと可愛いお話。




524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 09:16:18 ID:OavpmR4+
言ってやろうとした台詞を考えるに脳筋だったんだろうなぁ高木

越前松平家家臣、吉田修理「こんなこともあろうかと。」・いい話

2009年04月29日 00:06

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 04:01:46 ID:pO1AnOht
『こんなこともあろうかと。』

吉田修理は元は関白秀次に仕え、後に結城秀康に仕えた人であった。

・修理が始めて結城秀康にお目見えしたときの事。
秀康は丁度その頃、北ノ荘の城を改修しており、修理に向かって

「これより二の丸の虎口縄張りの改めをせねばならぬ。おぬしも付いて参れ。」

と、その席より立ち、修理もそれに付き従った。
さて、工事現場に着くと、どういうことか長さを測る間竿をなくし、その場の者たちが困っていた。

「何をやっておるのか!早く見つけて縄張りの計測を再開せよ!」秀康公も不機嫌そう。
しかし間竿は見つからずみな慌てている。その時である

「お待ちください!」

秀康の傍にいた吉田修理が声をかけた

「こんなこともあろうかと、家臣にこれを持たせておりました。」

一同「ああーっ!それは間縄(一間ごとに結び目をつけた縄)!!これで長さが測れるー!」

流石は名臣吉田修理。


・結城秀康の嫡男松平忠直の下に、将軍秀忠の娘、勝姫のお輿入れがあったときの事。

吉田修理はお迎えのため、街道まで出ていた。その日は快晴であったのだが、どうしたわけであろう、
にわかに曇ったかと思えば、たちまち激しい雨となった。お輿入れのお供の者たち、突然の雨に打たれ
困惑した、その時である

修理「こんなこともあろうかと。これを用意しておりました。」

一同「ああーっ!それは大量の傘!お供の者全員にいきわたるように2,3百本はそろえてあるーっ!」

流石は名臣吉田修理。


・松平忠直が、その家臣久世但馬を成敗する、と言うときの事。

吉田修理の屋敷は、久世但馬の隣であった。
この久世成敗の時、その混乱の中で屋敷は出火し、大変な家事になったのだが、
不思議と隣の吉田修理邸に延焼することは無かった。

後で人々が、「あなたの屋敷は無事で本当によかった」と言えば、修理

「こんなこともあろうかと、あれを用意してました。」

一同「ああーっ!久世の屋敷に近い長屋には残らず濡れムシロがかけられているー!!
延焼対策は万全だーっ!!」

流石は名臣吉田修理。




95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 06:55:16 ID:jVetBLIH
そんな用意のいい吉田修理ですが、秀次、忠直と主君二人の暴走を止める事は出来ませんでしたとさ・・・

96 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/28(火) 09:10:22 ID:vfKB/cMf
秀次の暴走は嘘だらけだが

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 10:10:38 ID:Hy9SfFOw
吉田修理の家臣、常に大荷物を持って付き従ってそうだな。

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 10:41:41 ID:Uuks431N
>>94某宇宙戦艦の真田技師長かとおもたw

どこかで忠直卿を諌めることができたら名臣に「忠臣」の評も加わったんだろうがちと惜しい。

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 20:37:41 ID:yx6NYlMK
>>94
吉田修理があのタヌキ型ロボットとしか思えなくなったじゃないかw

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 20:47:36 ID:QfIzPQnM
戦国の世で、さすがに虎右衛門と名乗るのはいないだろうな。

末森城攻防戦、後日談・悪い話

2009年03月30日 00:02

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 17:36:34 ID:c616FHnA
前田家家臣奥村永福が末森城で妻共々奮戦した話は有名
が、実際の戦はこれで終わっていないのである

佐々成政軍は突出と後退を織り交ぜ前田軍に追撃の隙を与えなかった
前田軍は追撃に度々失敗し結局は佐々軍本隊を逃す大失態を演じている
逆に久世但馬守率いる一隊がかつての一向一揆の激戦地、鳥越城を奪取し前田軍の侵攻を阻んだのである
佐々成政は秀吉軍本隊接近であっさりと降伏したと思われがちだが実際は前田利家と泥沼の消耗戦を繰り広げていた
事実この鳥越城、数倍の前田軍相手に秀吉の富山仕置まで一年近く保ちこたえた
佐々成政降伏後、久世但馬守も開城して牢人となったが越前に入封した結城秀康の家臣となった
秀康死後に越前騒動(久世騒動)に名が残る事からも久世但馬守は有能であったようだ

前田家の文書では末森城以後富山仕置までの話はスルーされている
もちろん主な小説や大河ですらスルーされた
大藩加賀藩の藩祖が小勢に手こずった事実を隠すかの様に

勝者の歴史、その陰の話




284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 18:21:20 ID:Rkh/mFwB
佐々軍はさっさと進軍したんだな。

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 18:26:31 ID:Su2M0lKK
前田に追撃されてりゃ当たり前だ

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 18:34:56 ID:YCtA8wVP
2発続けてコメントしにくいレス書くなよw

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 18:56:39 ID:kg5Ou1DT
川相さん帰りますよ(AAry

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 19:35:01 ID:hV3sgwva
>>287
井端乙