695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/27(水) 10:36:37.16 ID:vfT9Qfg0
長久手の戦いの時、成瀬隼人正成は十七歳であったが、敵陣に乗り込み、兜首を獲って
徳川家康の御目にかけた。この時家康は
「汝は勇士である。現在旗本の兵少ない。先ずここを守るように。」
と命じた。
成瀬は御馬の前に有り、息を継いでいた所、味方の先手が辟易しているのを見て、再び駆け出そうとした。
しかし彼の馬取は轡を執って抑えた
「殿は既に功名を遂げられました。再び敵の中に入り、命を滅ぼしては何の益があすのでしょうか!」
成瀬は怒り罵ったが、馬取は手を離さなかった。すると隼人は刀を抜いて峰打ちし
「小利をむさぼり大義を失うのが武士の道か!?今日の戦は敵を破り陣を陥落させ、逃走するのを追い詰めた
後に止めるべきものだ。名も知らぬ頸一つに身を顧みるものか!」
鞭打ち怒鳴りつけたが、馬取は猶放たなかった。
この様子を家康は、三十間ばかり離れた場所で見ていたが、ここでこう声をかけた
「味方足を溜めかねている。壮士の死戦すべき所はここぞ。ただその志に任せよ!」
これを聞いて馬取は轡を放した。それと同時に隼人は真一文字に戦場に乗り入り、再び兜首を挙げた。
そして東西を走り回り、味方を発奮させた
「君は間近で進退剛怯をご覧になっている!きたなく逃げ走っては、何の面目有って後人にまみえるのか!」
これに励まされ、引き色だった者も踏みとどまり、進む者はいよいよ勇んだ。
その年の暮、家康は成瀬隼人に、根来衆五十人を預けた。この時「隼人の長久手での働きは宿将老師にも
恥じないものであった。」と仰せに成った。
徳川家に於いて十七歳で将と成った者は、この成瀬隼人のみである。
(武将感状記)
長久手の戦いの時、成瀬隼人正成は十七歳であったが、敵陣に乗り込み、兜首を獲って
徳川家康の御目にかけた。この時家康は
「汝は勇士である。現在旗本の兵少ない。先ずここを守るように。」
と命じた。
成瀬は御馬の前に有り、息を継いでいた所、味方の先手が辟易しているのを見て、再び駆け出そうとした。
しかし彼の馬取は轡を執って抑えた
「殿は既に功名を遂げられました。再び敵の中に入り、命を滅ぼしては何の益があすのでしょうか!」
成瀬は怒り罵ったが、馬取は手を離さなかった。すると隼人は刀を抜いて峰打ちし
「小利をむさぼり大義を失うのが武士の道か!?今日の戦は敵を破り陣を陥落させ、逃走するのを追い詰めた
後に止めるべきものだ。名も知らぬ頸一つに身を顧みるものか!」
鞭打ち怒鳴りつけたが、馬取は猶放たなかった。
この様子を家康は、三十間ばかり離れた場所で見ていたが、ここでこう声をかけた
「味方足を溜めかねている。壮士の死戦すべき所はここぞ。ただその志に任せよ!」
これを聞いて馬取は轡を放した。それと同時に隼人は真一文字に戦場に乗り入り、再び兜首を挙げた。
そして東西を走り回り、味方を発奮させた
「君は間近で進退剛怯をご覧になっている!きたなく逃げ走っては、何の面目有って後人にまみえるのか!」
これに励まされ、引き色だった者も踏みとどまり、進む者はいよいよ勇んだ。
その年の暮、家康は成瀬隼人に、根来衆五十人を預けた。この時「隼人の長久手での働きは宿将老師にも
恥じないものであった。」と仰せに成った。
徳川家に於いて十七歳で将と成った者は、この成瀬隼人のみである。
(武将感状記)
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