思う事 一つ叶えば又二つ

2017年02月18日 10:19

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/18(土) 08:41:13.19 ID:ljycbWKM
寛文年中の事。紀伊大納言・徳川頼宣の乗る船が、遠江沖にて荒天に出会い、海上は
茶臼を回すごとく荒れた。

しかし頼宣は顔色も平生に変わらず、船に酔った近習の者達を自身で救うなどした。
この時常の心持ちなど、ふと口ずさまれていた。題知らず

 思う事 一つ叶えば又二つ 三つ四つ五つ 六つかしの世や

人生の願い、絶え間のない実情を詠まれていた、頼宣公は高貴公達の御身であったが、かくの如き
方であった。

(武野燭談)


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徳川頼宣「動いて見給え。忽ち刺し申すぞ!」

2017年02月05日 13:58

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/04(土) 19:46:57.69 ID:5MePCLra
紀伊は山国であり、深山には色々と怪しい事ども多かったが、徳川頼宣はまるで気にしていなかった。

ある時、友島に猟に出かけ、臥木(倒れている木)に腰を掛けると、その臥木にわかに動き出し
龍の形となった。
しかし頼宣は少しも驚かず、志津の長刀をその蛇頭と思わしきところに差し当て

「山神であるのなら、どうして腰掛けただろうか!臥木の姿であったからこそ、臥木であると思ったのだ。
なんと見苦しき振る舞いだろうか!動いて見給え。忽ち刺し申すぞ!」

そう怒って叫ぶと、本の臥木へ戻ったという。

(武野燭談)



頼もしき家来の事

2016年07月21日 17:16

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/21(木) 00:27:49.69 ID:uZgz+BuU
頼もしき家来の事

紀州南龍院(徳川頼宣)様は、ある日和歌山で御物見に入られ往来をご覧されたことがあった。
御出になられたとも知らずに御家中の者は大勢往来していた中で、
ある御家来が供侍、草履取り、挟み箱持ち、槍持ちを従えて通りかかった。
御側に居た者が

「あれがかの噂となっている男ですか。」

と笑ったのをお聴きになられた。

「どのような噂があるのか?」

と言われたので、御側の者共はやむを得ず話した。

「かの者は身の上が苦しいとのことです。そうなのですが他に取り計らい方もあるでしょうに
甚だ不束なことをしているのでございます。」

「どのようなことをしているのか?」

「かの者が召し連れています侍はかの者の次男でございます。
草履取り、挟み箱持ち、槍持ちはいずれも三男四男、あるいは世話をしています甥などです。」

「それは頼もしい家来である。予は大勢召し連れているが、かの家来に劣らぬ草履取り、槍持ちがいるかというと心もとない。
家計の苦しさは関係のない事だ。」

程なくかの者を御取り立てられて、子供も相応の役に付けられたそうだ。

(耳袋)



「犬に食わせよ」

2016年01月29日 18:53

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 02:11:06.15 ID:cFB0egY4
安藤彦四郎はこう語ったという。

「武士の身の上には“伊達”というものがあるが、心得ている者は少ない。
武士の伊達には、討死にまさるものはあるまい」

――『武功雑記』

大坂夏の陣の時、安藤帯刀(直次)の子・彦四郎重能は、徳川秀忠の小姓の
成瀬豊後守(正武)の組であった。

彦四郎は常々人に語り、「およそ武士というものは、長生きして度々戦場に出て、
武功は多くとも死なずして世を送っては、格別に優れた勇士とは言い難い。ただ、
討死することこそ本望である」と、言った。

5月7日になって、彦四郎は「一番首と言わば彦四郎と思いなされ、一番に
討死と言わば、それも彦四郎と思いなされ!」と言い、撓いの指物を巻いて
井伊直孝の先陣へ行った。

そこで彼は庵原助右衛門(朝昌)に向かって、「いざ掛からん!」と言った。
しかし庵原は同意せず、「敵の待ち受けている矢先へどうして掛かることが
できるだろうか!」と、言った。

これに彦四郎は「待ち受けている矢先へ掛かってこそ勇士と言うべきである!」
と言うが、庵原は「いまだ早い!」と言って攻め掛からない。

すると彦四郎は、「さらば私が掛かってみせん!」と言った。庵原は彦四郎を
押し止めたが、彼はまったく躊躇わずに敵の中へ駆け入って討死した。

さて、父・帯刀は馬上で采配を取って諸軍を命令していた。そこへ従者が駆けて
来て彦四郎討死の旨を告げ、「屍をいかがいたしましょうか」と申し上げた。

これに帯刀は「犬に食わせよ」と言いながら、崩れた味方を立て直した。その後、
合戦が終わると、帯刀は大いに嘆いたということである。

――『明良洪範』



54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 03:22:56.23 ID:i2sa2dX4
匹夫の勇ってやつかね
子育てに失敗した悪い話だな

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 10:43:13.93 ID:p3p9MENe
ヴァイキングの社会では戦場で勇敢に戦って死ぬとエインヘルヤル
としてヴァルハラに行けるが、天寿を全う、病死、海難事故は藁の死と言われて
地獄行きの恥ずかしい死に方とされていた。

鬼武蔵こそ大正義

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 11:02:32.71 ID:Rw0/EE71
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-684.html
犬に喰わせろ、の話は既出

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 12:49:15.38 ID:Rw0/EE71
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3368.html
伊達も出典はないが既出だった

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 14:25:15.09 ID:uO/yXBy0
い、伊達

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 19:20:01.82 ID:gZducy7M
一番首(討ち死に)=ファーストペンギンの役目ってことなのかな?
自軍を鼓舞するには手柄あげるにしろ死ぬにしろ勇敢に奮戦するところを見せること

ちなみに彦四郎殿は南龍公の茶入だかを酔った末に破損
→自害も覚悟したところを許してもらっており、拾った命と思っていたのもあるんじゃない?

遅しとあるは、上意とも存じ奉らず

2016年01月02日 17:31

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 01:24:16.30 ID:7a9ptBXh
大坂陣の時、4月末に二条城へ徳川秀忠が入り、徳川家康と相談して大坂表での戦闘について
取り決めた。この時、14歳の徳川頼宣は御前へ出て、「御先手を仰せ付けてくださいませ」
と望んだ。これに家康は機嫌よく、

「もっともな望みだが、大坂表は将軍が先手を致されるので御気遣いなさるな。大和・紀伊・和泉・
河内の地侍どもは皆々秀頼へ一味し、攻め手の後ろより襲われるかもしれないので、後陣が
心許ない。義直と其の方と永井右近(直勝)や安西組は後陣に控えて、後ろからの敵を切り崩せ」

と、言ったので、頼宣はやむをえず退出した。

(中略)

頼宣が茶臼山へ上ったところ、家康は床机に腰をかけ、秀忠は敷皮にいた。そこへ出た頼宣を
見た家康は、「合戦があったのに今になって参ったのか。遅い!」と言った。

これに頼宣はこらえずに、「これを思っていたからこそ、二条の御城で御先手を望みましたのに、
それを御許容なされず後陣に御置きなされて遅いとは、仰せとも思えません」と恨み申し上げた。
これに家康は困って「わしの誤りであった。其の方が道理じゃ」と言った。

(遅しとあるは、上意とも存じ奉らずと、御恨仰上げられ候へば、権現様御困りなされ、
我等の誤り、其方が道理じやと上意遊ばされ候)

――『南竜言行録』



868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 12:18:22.01 ID:QoXbpbGz
家康 痴呆症だったかw

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 12:20:05.05 ID:vVBhAP4s
秀忠もこのくらい言い返してたら

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 17:49:30.88 ID:szi0CsCr
秀忠(…物覚えが悪い話しか……)

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/02(土) 19:45:06.24 ID:HHIRukF0
後陣が後詰の役割ちゃんと果たしのに怒られるとは
家康マジでボケてんじゃん

タバコで裏をかかれた水戸の殿様

2015年10月23日 19:48

858 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/10/22(木) 23:34:25.75 ID:fo5z/RBa
タバコで裏をかかれた水戸の殿様

徳川頼宣の江戸屋敷に水戸の殿様が時折遊びに来た。ところが水戸の殿様はタバコを出すたびに、
「何じゃ、このタバコは。もっと、よいタバコはないのか」とケチをつけるのである。
頼宣の家来は懸命にいいタバコを探して出すのだが、どんなタバコを出してもケチをつけられ、
ほとほと困ってしまった。
大番頭の加納五郎左衛門直恒は実直な男で、懸命に対策を考えた末一計を案じた。
水戸様が紀州屋敷にやってきたとき、五郎左衛門は水戸様のお供のところに行って、
御殿様がいつも吸っているタバコを所望されているので、そのタバコを出していただきたいと申し入れた。
さらにこのタバコは水戸様常用のタバコに間違いないという書付をとって奥に入り、水戸様に差し出した。
それとは知らず水戸様は、一服吸うと例の通り「なんじゃ、このタバコは・・・」とやりだした。
五郎左衛門は進み出て、「恐れながら申し上げます。この御タバコは御殿様がお持ちになったもので、
当方のものではございません」と言ったので、水戸様はぐっとつまって後が続かなかった。
その後は紀州屋敷に来てもなにも言わなくなったということである。(南紀徳川史)

この水戸様の名前は書かれていないが、頼宣と重なる水戸藩主は頼房か光圀である。
頼房は豪快で頼宣とは一つ違いの弟だから、遠慮なく大口をたたくことができたであろう。
光圀も豪快だが、伯父さん前でそんな大口はたたかないであろうから、この水戸様は頼房であろう。
(参考 たばこ史研究第五十一号)



859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/23(金) 08:48:01.77 ID:FBBKs4TO
>>858
CiNiiで調べたらそんな学術誌(?)ほんとにあんのなwww

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/23(金) 15:17:31.31 ID:kfYqM7hX
戦国が続いていれば頼房も5人目のDQN四天王になれたかもしれない

八王子の大猪退治

2014年11月12日 19:10

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 19:55:04.33 ID:avI3smnt
徳川家光の御代、武州八王子村に巨大な猪が出て、田畑を荒らし、また人をも踏み倒し、農民たちは
難儀に及んだ。幕府は御先手に仰せ付け鉄砲でこれを討とうとしたが、その走ること至って速く、
終に討ち留めることが出来なかった。

そんな中、紀伊大納言頼宣卿は猪狩りが好きでその巧者である事、将軍家も聞き及んでおり、
彼が登城の時に、この八王子の大猪の話題が出、頼宣卿にこの退治を依頼された。
頼宣卿はこれを忝なくお請けし、退出するとそのまま直に八王子へと出掛け、所の名主年寄りたちに
支度を申し付け、それから帰館して、家中に触れを出して皆々に用意させた。

そしてこの事は尾張、水戸の両家にも聞こえ、両家よりそれぞれ優れた猟犬が進ぜられた。

さて、猪退治の当日となり、頼宣は夜明けから出立し八王子に至った。
頼宣卿は床几に座り、焼飯を盛った三方を前に置き、水戸殿より進ぜられた犬を召し出し焼飯を与え

「汝、得たる所であれば、隠れ居る猪を探しだすのだ。」

そう語りかけると、犬はしばらく頭をうなだれていたが、やがて頭を上げて山の方に向かい、
尾を巻き上げて一目散に走りだした。
暫くあって大猪が、山の方より荒れ狂って走り来た。かの犬は猪の前後左右を走り廻り、飛び付き
噛み付きながら共に走り来た。

列卒はこれを見ると他の犬10匹ばかりを猪にけしかけ、かの犬は傍に引き退かせて水を飲ませ
焼飯を食わせて休息させた。

しかし、大猪は大勢の犬を事ともせずあちこち暴れまわった。
ここで頼宣卿は下知を下し、尾張殿より進ぜられた犬を放すと、やがて猪の元へ走り行き、その喉元に
噛み付いた。
大猪はそのまま暴れ廻ったが、次第に弱り、人を踏み倒す勢いも見えなくなったため、
頼宣卿は下知して家士達に槍を持たせ猪に向かって駆けさせせ、終に大猪を仕留めた。

その時、あの犬を見ると、猪の喉に噛み付いたまま息絶えていた。

頼宣卿は「あたら犬を死なせてしまった!」と甚だしく嘆き惜しんだという。
この話は御鷹匠の長田清左衛門が、その時猪退治の人数の中にあって見たものだという。

(明良洪範)




749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 21:12:47.29 ID:vSxAZHEF
>>747
これなんてシートン動物記?
ブルテリアのスナップの話を思い出して目から汗が

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 21:18:32.86 ID:j6Gg43p2
>>747
いい話スレの影響で、どうしても焼飯に目が行ってしまう

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/11(火) 21:58:20.71 ID:3V/B11q4
>>747
銀牙が頭の中から出てきた

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 01:13:53.00 ID:jojW1hFp
最近でもイノシシに殺された人居るし結構怖いよな

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 03:45:38.90 ID:49Pqado6
伯林の「ケモノシマ」でもイノシシの恐ろしさは描かれてるものね

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 05:37:51.64 ID:uuLfvMgq
ちょうど大腿の動脈あたりを牙にやられて逝くらしい

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 11:33:04.09 ID:F17jaxZE
猪スゴイよじゃがいも畑荒らすんだけど
畝の端から端までラッセル車みたいに一直線にむさぼり食って綺麗さっぱりw
ちょっと頼宣卿をおれも頼みたい

ていうか>>747ですごいのは犬じゃんw

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 12:12:52.39 ID:akETb3QX
最後に銃を使うと思ってたが犬を大量にけしかける戦法だった

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 12:27:04.93 ID:yZ9owJdf
大学時代、歴史好きの友人と城跡めぐりをしてるときに、あるところで、
「ここの、ちょっとした土塁と石積み、ちょうど猪垣くらいの感じだな」って言ったら、
都会育ちの友人に、「“ししがき”って何?」と真顔で聞かれた。

それからしばらく、猪垣について解説してやったら、「へぇ~っ」っとめっちゃ感心された
いや、今でも田舎の方に行ったら田畑の周りに残ってるところあるよ、って言ったんだけどね
うちの実家の周辺は今でも猪も猿も鹿もふつうに出没しますが何か?と言ったら宇宙人でも見るような目で見やがったw

そんな田舎者のオイラが通りますよっと

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/12(水) 21:53:09.16 ID:PKvY1zNW
最近でもイノシシに殺された人居るし結構怖いよな

「はて?他には誰も居ませんよ。」

2014年09月28日 18:55

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/27(土) 17:54:26.92 ID:VlJywYPD
先日いい話スレで出てた安藤直次のまとめサイトのコメント欄を読んでちょっと投下

「帯刀め、腹を切るべきところを、二度も許してやったものを・・・」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4521.html
これに被る話

この二度お許しにとの事は、
安藤直次が若輩の時、家康公の御愛童である井伊万千代を恋慕い御小姓部屋へ忍び込んだ事が二度有った。
一度は見つかりそうになったところを屑籠に隠れて難を逃れた。
二度目は部屋へ忍び入って居るところへ家康公が御成りになったので
万千代は部屋の入り口まで出迎え

「今夜は障りで気分も優れぬのでお相手出来ませぬ」

と気色ばんで申し上げため、家康公はそのまま帰って行った。

その後、横須賀衆がふと部屋へ入って来た。
直次急いで屑籠の中に万千代を隠し蓋を被せた。

「他に人影が見えていたのだが」

と横須賀衆が申し、その蓋の上へ腰掛けるた。

「はて?他には誰も居ませんよ。」

と直次は少しも臆せずに言った。

後にこの事を家康公がお聞きになったのでは無いだろうか。

(安藤旧談)

後半の訳に自信が無いからここに掲載されているので確認してみてくだされ。
ttp://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899839/3

尚、この逸話は『新東鑑』にも紹介されているらしい。




385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/27(土) 18:04:51.86 ID:AmO+dV8k
直次はん、なにやってるんですか

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 08:51:20.38 ID:wCR2Mv68
>>384
この横須賀衆って誰?
とゆうか、権現様が怪しく思って横須賀衆に様子を見に行かせたとかだったら怖い
籠に閉じ込めたのも見ていてその蓋の上にわざと腰掛けたとかさ
まさか横須賀衆まで小姓部屋に夜這いに来たわけじゃあるまいよな

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 09:13:27.00 ID:9sTixHBQ
横スカ臭(意味深)

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 10:46:58.53 ID:UMTVnVYd
三河衆なら憶えちゃいるが
横須賀衆だとチト分からねエなあ
面倒臭い野郎だって ここにゃ沢山いるからねエ
ワルイなあ 他をあたってくれよ

アンタ 万千代の何んなのさ!

海老江の勝左 里勝 ヨコスカ~

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 10:53:24.01 ID:ODGZljEx
港のよ~こ、よこはま、よこすかー

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 11:04:17.46 ID:rvsXJ7UG
まさに誰うま

安藤帯刀「あのように諸役人を遇するのは」

2014年09月25日 18:50

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 02:48:25.51 ID:HBI3MB18
徳川家康が駿河において、その十男徳川頼宣の邸へのお渡りが行われる事となった。
その頃土井大炊頭利勝は未だ家康のお側近くに使えており、家康より「今度の事で頼宣邸に先に向かい、
頼宣の家老・安藤帯刀直次が準備を指揮する様子を見学するように。」と仰せ付けられ、利勝は
毎日出向しその様子を見た。

ところが頼宣邸では、諸役人が帯刀の前に出て「この事はどうしましょうか?」と議する時、
帯刀が自分の意に適うことはそのまま了承し、そうでない事には「いや、それは良くない」とだけ
言って、内容について何の指示もしなかった。よってその者は同僚と重ねて相談し合った上で再び
帯刀の前に出てこれを伺うが、また意に適わない内容であれば幾度も前のようにし、終に納得すると
これを許諾した。

利勝は帯刀にこのように感想を漏らした
「私が思うに、物を問われたのに『良くない』とばかり言うよりも、直に『このようにせよ』と指揮したほうが
物事も早く終わるのではないでしょうか?」

帯刀これを聞いて
「私は犬馬の歳もすでに長けて、後はもう死ぬだけです。あのように諸役人を遇するのは、
まだ若き殿に、人物を作っておいて進ぜたいためなのです。

私の指示を受けてさえいれば済むと思ってしまえば、人々は何事も思慮を用いず、万事未熟のままで、
良き人物は出来ないものです。」

利勝はこの言葉に大いに感じ入り、「これが家康公が見習えと仰せになったことなのだ。」と気付いた。
そして後々機務を司るようになると、下僚より質問があった時、我が意に敵わない時は
「それはそうかもしれないけど、他に何かやり方がないかな?同僚と相談してもう一度言いに来て。
同僚と話し合いできないのなら、親族か家臣とも相談してみなさい。」
そうしていよいよ議論を重ねて、理にかなう内容になれば
「いかにも尤もである。その通りに行うように。」と言ったという。

(古諺記)



875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 11:42:59.89 ID:ZTk2Q6/A
土井にしても安藤のやった事をそのまま引き写したわけではないのが
またいい話だなと思う

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/26(金) 22:05:15.59 ID:PSfpCP45
>>874
>私の指示を受けてさえいれば済むと思ってしまえば、人々は何事も思慮を用いず、万事未熟のままで、

ジャン・リュック・ピカード大佐の組織論かよ

指物の大小

2014年09月18日 18:52

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 05:55:05.41 ID:t9HAUqx3
大阪の陣の時、徳川頼宣の家臣である矢部虎之助と言う者は大力であり、長さ二間(約3.6メートル)の
指物、三尺あまり(約1メートル)の大刀、立物は大位牌に一首の歌

『咲く頃は 花の数にも足らざれど 散るには漏れぬ 矢部虎之助

と記されていた。

この様相での出立に、諸人は目を驚かせたが、これらはあまりに重すぎて馬が進まず、
戦場でも人より遅れて功もなく、残念に思っていた所、家中からも武道不案内の者との評判に会い、
虎之助は心中これを恥じ憤り、食を絶って20日ばかりの内に死去した。
誠に惜しき士であった。

凡そ甲冑指物等には心得があるべきなのだ。目立つのはその大小には寄らない。小印だ大印だなどと
言われるが、小印であっても大いに目立つ指物もあるのだ。

(明良洪範)

関連
豊国祭礼図屏風」(伝・岩佐又兵衛作)について


287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 06:38:13.47 ID:21kY6S2M
ワロタw
見た目特化は男子の夢だから仕方ない

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 07:18:18.20 ID:FHW/AJiO
準備は大事だねー

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 08:23:24.61 ID:EsXIyVPY
指物が駄目だったかな

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 10:42:55.65 ID:EsXIyVPY
大坂方なら塙団右衛門みたいに持て囃されたかもしれないのに…
でも重すぎてろくに動けないのはやっぱり突っ込まれるなw

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:24:23.08 ID:NoFUxqT+
まぁ戦国武将は目立ってなんぼだからな
せっかく勲功上げても誰も見てないんじゃアレだし

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:41:03.05 ID:iCbg1FQ+
稲富祐直「鉄砲持てば鎧が重くても大丈夫よ」

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:44:49.85 ID:WzSeADYm
砲術書の図ではふんどししか装備してないじゃないですか…

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 12:55:09.46 ID:WTOzLdeR
可児才蔵「フッ…(ドヤ顔)」

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 13:42:03.33 ID:JttA5Pst
蒲生氏郷「カブトで目立つべき」

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 17:32:40.63 ID:vZ3cSi9X
橙武者が通りますよ・・・

>>286
有名すぎるくらいの話と思ってたが、このスレでは初めてだったんだ

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 17:46:01.59 ID:gWxu6Ktj
全身に鈴ってのは実に合理的な手段だったんだな

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 17:55:36.45 ID:M3qJal5E
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-979.html
矢部虎之助の「位牌」・悪い話
まあ既出ではあった

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 12:23:21.22 ID:FDoaW1L5
よく討ち取られる人「鎧をあげると何度でも討ち取られるよ!」

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 13:38:27.95 ID:rfjCCa7E
「いきすぎたりや、廿三、八まんひけはとるまい」

もう23歳だ。生きすぎたくらいだろう。
この喧嘩、八幡大菩薩に誓って、退かないぞ

訳するとこんな感じ?でいいのかな?
古文得意な方教えてください

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/19(金) 22:19:56.78 ID:PrWfNCVT
>>302
全盛期の一条信龍伝説

・3出陣5討ち死には当たり前、3出陣8討ち死にも
・感状発給討ち死にを頻発
・一番槍討ち死にも日常茶飯
・甲州崩れ、三河勢1万に対し手勢3百から1人で討ち死に
・駿府城代も余裕で討ち死に
・一回の戦で討ち死にが三回起こる
・殿で討ち死にが特技
・討ち死にでも納得いかなければ三途の川を渡らないで帰ってきてた
・合戦の無い移動日でも2討ち死に
・刀を使わずに手で討ち死にしたことも
・自分の討ち死にを自分で捕縛して弓矢で射返す
・所領巡察で討ち死になんてザラ、2周することも
・三段撃ちしようとした射手と、それを受け止めようとした二番備、遊撃、中堅の武将ともども討ち死にした
・唐入りの朝鮮人のヤジに流暢な朝鮮語で反論しながら背面討ち死に
・グッと鬨の声を挙げただけで5回くらい討ち死にした
・討ち死にでハリケーンが起きたことは有名
・湾岸戦争が始まったきっかけは信龍の討ち死に
・甲斐の深い位置から木曽谷のウグイスも討ち死にしていた
・自分の討ち死にに飛び乗って涅槃まで行くという功徳積み
・信龍の討ち死にによる衝撃波で体が真っ二つになった武将がいた
・スカイフィッシュの正体は信龍の討ち死に
・討ち死にで全米が泣いた
・信龍の出陣のときだけ犯罪率が下がる
・討ち死にのおかげで信龍の出陣のときだけ地球の気温が2度下がった
・流れ星の正体は信龍の討ち死に
・実はノドンで一度討ち死にしてる
・数字の1は信龍の討ち死にした姿がモデル
・信龍の出陣のときの視聴率は200%。2~3台のテレビで見る公家もざら
・日本には討ち死にに乗って帰る
・信龍は、いつも店先のトランペットを物欲しそうに眺める家臣に自身の武具を贈ってあげたことがある

ただ何ということも無い様子

2014年08月01日 18:55

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/01(金) 10:57:36.83 ID:GX53B0Pc
酒井忠勝は安藤直次に会って、紀州にいる自分の親戚のことを頼み込んだ。

これに直次は、「こちらの者は皆麾下の縁りの人々なので、そのもとの仰せに
従うためには、皆々の依頼にも従いませねば叶い難いので、御容赦ください」

と言って、ただ何ということも無い様子であったという。

――『名将言行録』




備前がそのような了見であるのなら

2014年02月24日 19:10

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/23(日) 20:56:20.44 ID:vLF4YCSg
水戸頼房公は齢若し頃、殊の外男伊達をなされ、梅花皮鮫(かいらぎさめ)の皮のかかった
長刀に金鍔を打ち、衣服等にも紅裏をつけ、その他不行跡な事があり、江戸中の上下の取りざたとなり、
お付の家老、中山備前守(信吉)が、毎回色々と異見申し上げても、それを聞くことはなかった。

ある時、幕府の老中より備前守に奉書を以って『御用の義これ有り候。明四ツ時(午前10時頃)
登城候様に』との命があったので、備前守が登城した所、老中たちは彼に

「今日そこもとを召した御用に関しては、我々も存じていません。この後、公方様(秀忠)の御前において、
直接に御用を申し付けられる、とのことです。」

これを聞くと中山は
「皆様いずれもご存じない御用のことで、私が御前に召される、と言うことは、私にも存じ当たりが
あります。これはきっと、水戸殿(頼房)の行跡についてお尋ねになるのだと、推察いたします。
つまり、有り体に申し上げれば、主人の悪事を訴えろ、ということです。

しかし、『何事も私は知りません』と申し上げる、もしくは悪しき事をも宜しきように取りなして
申し上げるというのは、御上を欺く、後ろ暗いと申すものです。
ですので、私は御前に出てしまっては、もうどうしようもありません。
私が御前に召されるという件については、登城はいたしましたが、このまま退出させていただきます。
この場合、御上の御意に違うのは私のことであり、その御機嫌を損ないお仕置きなどを仰せ付けられても、
それは覚悟しております。」

老中たちはこれを聞いて何れも留まるように説得したが、備前守は承知せず帰宅した。
帰宅の途中、中山は水戸家の上屋敷に立ち寄った。そこでは頼房も、この日備前守一人が
御用として召されたことを納得できずに居たので、御用が済んで備前守が帰ってくるのを待っていたため、
早速召し出すと、備前守は江戸城内での次第を申し上げ

「私については、公方様より、今後どんなお咎めを受けるかわかりません。わたしは切腹と
覚悟を決めております。ですが、この上ながら残念なことが3つあります。

1つは、私に才知が無いため、御前様(頼房)のご行跡を聞くたびに、それをお改めなされるように
ご異見申し上げても、これを聞き入れて頂くことが出来ませんでした。

2つ目は、御前様はご若年でありますが、この備前守を付ければ気遣いもない、とご安堵なされた
権現様のおめがねを相違いになし奉ってしまい、これは今更申し訳も出来ないことです。

3つには、とくに考えていなかったわけではないのですが、かれこれと見合わせているうちに
すっかり引き伸びにしてしまいまい、御前様の不行跡の相手をする、不届きの奴原を成敗せずに
安穏に差し置いたまま私が相果ててしまえば、いよいよその行跡に差し障るのは必定です。

たとえ、私は切腹しこの身命が終わりましても、魂はここで、殿のお側を離れません!
願わくば、ご行跡をお改に成り、御上の思し召しにも叶いあそばされるようあってほしいと、存じ奉ります。
これは、私の今生の暇乞いですので、願わくば御酒を頂戴いたしたく、これを持ってくるように
申し付けさせて下さい。小姓衆!酒と盃を!」

そう備前守が言った所、頼房は小納戸衆を呼び集め、日頃用いていた伊達な拵えの刀、脇差、衣服等
尽く取り出し持ってくるように、と命じ、備前守の見ている前で、それらを小姓衆に残らず分け下し、
その上で挿していた脇差しの鍔元を小刀で打ち、
「今後は行跡を改める!であるので、備前守も気遣いせぬように!」
と言った。

ところでこの時の、中山備前守が無断で江戸城から帰宅したことについては、その内容が
老中達から秀忠の上聞に達し、秀忠は

「備前がそのような了見であるのなら、水戸の行跡もきっと治るであろう。重畳の事だ。」
と語ったそうである。
(駿河土産)

中山備前守、命がけで徳川頼房の不行跡を改めさせる、というお話




449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/23(日) 21:15:54.81 ID:JJQL3nwu
これは誰もが格好の良い逸話だね。

命がけで諌める中山備前守
金打までして誓って見せる頼房
そして安定の秀忠クオリティ

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/23(日) 23:18:29.25 ID:WFUz0RTY
やはり本気ってのは善くも悪くも人を動かすね
今回の話は善く動かす典型だ

徳川頼宣、火事の話

2013年10月31日 19:18

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 07:20:40.17 ID:RaiMKiAr
紀州和歌山で失火があった時、家老久野和泉守は預かりの櫓へと人数を上せらせ
「一人でも降りるものは切り捨てにすべし、消防できずば皆焼死せよ」と下知して、
自分も家人もあちこちに怪我はしたが櫓は無事に残した。

この働きを和歌山中の者は貴賤ともに賞賛しないものは一人も無かった。
しかし頼宣卿は何とも仰せられず、その他にあちこちで火を防いだ者にも一言の
御意もなかったので、家老を始め下々の者まで不審に思っていた。

それより二、三年過ぎて御近習の士を集めてお話になられていた時、火事の話に
なり仰せられたのは

「失火の際に消防に身命を軽んじて働くのは血気の勇で、真の義勇にはあらず。
ただ智が足りないだけだ。

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 07:22:50.00 ID:RaiMKiAr
火は無情のもので天気が乾いて風が烈しい時はなかなか人力の及ばざるものだ。
ただし水がよく行き届く時は消防も行き届くが、もし水が行き届かない時は家屋は
もちろん人まで焼亡してしまう。

どうして家屋が燃えつきる事を厭って人を損ずるべきであろうか。これは無智の勇に
して、ただ血気の勇である

いかなる金殿玉楼であろうとも人には替えられない。家は幾度消失してもまた元の
通りに造れるが、家人一人を損じたらその家人はもう戻ってこない。

失火の為に我が大切な軍兵を失えば、それこそ不自由というものだ」と仰せられた。

久野和泉守はこれを聞いて感心していたと紀州家の三刀谷伴蔵が物語った。

(明良洪範)




456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 09:21:12.96 ID:loSbYA7v
久野和泉守が本当だとしたら1643年生まれなんですけど
スレタイわかってる?

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 09:35:35.20 ID:DhARhHe+
頼宣がスレの範疇だろ

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 12:58:30.02 ID:eqnLTJY5
忠勤を誉めてやったうえで
命には代えられないといってやればいいのに。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/31(木) 13:04:41.64 ID:X2DSLFvN
他に何を言ってもお褒めの言葉があれば良い行いだと認定してしまったことになって家の名誉になるし
ダメだと思う

久世三左衛門の評言

2013年09月13日 20:23

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/13(金) 16:28:08.60 ID:QxYbf4H+
久世三左衛門の評言

江戸で紀伊頼宜卿が新参の士である村上彦右衛門通清に武者奉行を仰せ付けた。

これを譜代の面々が「かかる重役を新参者に仰せ付けられるとは、御家には
人が居ないと言っているようなものではないか」と憤っていた。

久世三左衛門(広宣)はこれに頭を振って「それがしはそうは思いません。御家
にはあなた方のような御譜代の士が居るのだから、人が居ないなどとは誰も
思いません。

このように仰せ付けられた事で紀州は古新に差別なく、ただ勇士を御賞玩に
なると噂になり天下の諸士を集める良き謀だと存じます」と申したので、
これを聞いた人は感心したと言う。

(翁草)

なんか譜代の連中がうまい事まるめこまれてる気がするお話





きりっと申し上げられよ

2013年08月05日 20:02

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 18:31:16.43 ID:o+ON1Rcr
徳川頼宣が加納五郎左衛門に何事かを尋ねた時、その返答が頼宣の思いに叶わなかった。

頼宣は「どうして其の方のことを、きっと他の年寄どもよりもすぐれた分別だ、
と思ったのだろう」と言うと、三浦長門守を呼んで、

「加納はこう申すが、わしはこう思う。どちらがもっともだと思うか」と尋ねた。
これに三浦は「思召しの事が御もっともです」と申し上げた。

その時、五郎左衛門が三浦に向かって「殿の思召しが御もっともにお思いとのことですが、
それに偽りがないのならば、今御前で『仰せ御もっともに存じ奉る』と誓言を立てて、
きりっと申し上げられよ」と言うと、返答できず赤面したという。

――『責而者草(加納五郎左衛門行状)』




130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 18:34:27.77 ID:IRvoSj8I
嘘でも良いから本当の事を言ってやれよ


加納五郎左衛門(直恒)は紀州徳川家の長臣である

2013年08月04日 19:17

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 14:35:23.06 ID:ZzcTcTMI
加納五郎左衛門(直恒)は紀州徳川家の長臣である。

彼の平生の志は「主君に仕え奉るのに、一命を上へ差し上げていなければ、
いつも御手討にされると思っていなければ忠臣ではない」というものであったという。
これゆえに、彼はいつも妻子に暇乞いして出仕していた。

彼は御前に出る時には「いつだろうと顔を犯して争い諫め、御手討にされるつもりで」
と、志を定めていたという。ある時、徳川頼宣が何事かを言った時に、

彼は頼宣の腹を指して「今の御意と御腹中とは違いがあります。
よくよく御顧みになってください」と、苦々しく申し上げたということである。

――『責而者草(加納五郎左衛門行状)』




826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 14:47:17.57 ID:i8cdWFgq
生きる屍ですな(いい意味で)

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 12:57:16.76 ID:FBEQmZBK
暴れん坊将軍のは何代目五郎左衛門なんだ?

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 21:35:20.67 ID:C7EKiTsx
直恒から数えると3代目、というか孫
大名にまでなった

南龍公「やあ、十兵衛のタワケめが!」

2013年07月16日 19:55

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 20:31:53.28 ID:oWhbnNWM
ある時のこと、南龍公・徳川頼宣が岩手川にて川狩りを行い、鮎を炙らせ
酒樽を開くなど大いに興じていたが、若者たちに泳がせれば一段の興があると、
「水泳せよ」と命じた。

そうでなくても泳ぎたいと思っていた若侍達は一斉に川に入り、様々に手練を尽くして
泳いでいた中に、佐渡与助というものがあった。

しかしこの佐渡与助、水泳不調法にて沈むこと度々であった。
ちょうど水野十兵衛という侍が、小舟に乗って近くに在ったが、これを見て声をかけた

「与助よ!叶わずば船に取り付け!」

この時、頼宣は河原に床机を立てていたのであるが、この十兵衛の言葉を聞いて、
大音声で怒鳴った!

「やあ、十兵衛のタワケめが!士(サムライ)に対して『叶わずば船に取り付け』などと
言う者があるか!?そんな言われ方をすれば、士たる者、死んでも船に取り付くものか!
たわけた事を言って、惜しき侍一人を殺すな!

同じ意味であってもそう言う時には、『与助、船に取り付いて休め』と言えば、
与助も船に取り付くことが出来るものだ。この十兵衛の大たわけめ!!」

そう、叱りつけたという。
(徳川武士銘々伝)

武士って本当にめんどくさいですね




50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 20:38:43.89 ID:WBNfB4LV
>>49
ここに出てくる話の詳細版かな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2095.html

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 22:24:13.19 ID:RmD7XNEm
結局与助さんは船に取りついたのだろうか。

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 22:59:23.40 ID:+Kdi+tp7
>>49
いや現代にも通じるものがあるよ
部下にもそういう気遣いができればいい仕事ができる
現代も人への気遣いが必要なんだよ

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 23:01:11.81 ID:1C2ekzU+
>>49
悪い話しって言うより良い話しに見える逸話だね

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 09:51:11.15 ID:HWogeOzq
十兵衛さんが叱られてる間に沈んでいったというなら
このスレにピッタリの話なるな。

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 12:47:03.09 ID:Klx7VTID
古式泳法って、甲冑着たまま水濠渡れるくらいだし、
着込んでない状態で溺れるってかなりクリティカルな
失敗な気がするけど...

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 14:48:11.52 ID:+Kiq6xSd
マスターしてない人にとって水は凶器だろ

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/16(火) 16:04:21.16 ID:Klx7VTID
頼宣の頃の紀州でなら良いけど、既に高級官僚化した幕府旗本に
水練を強要する暴れん坊将軍

安藤帯刀「権現様も凡夫にて御座候ぞ」

2013年07月13日 18:01

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 20:10:02.04 ID:XFzDdm9d
南龍公・徳川頼宣は天下の人が仰ぎ見る勇猛な人であったが、ある時、紀州藩の
附徒歩の衆に盗みをしたものが在り、頼宣はこれを庭前に引き出させると、自ら業物を
抜き放ち、袈裟懸けに斬って捨てた。
そして徒歩頭の水野甚三郎を諸士並み居る中に呼び出し

「甚三郎!自分の組下にこのような悪人が居ることも知らぬ愚か者め!
汝もこのように罪人を斬って見せよ!」
と、怒鳴りつけた。

甚三郎は主人と言えども、諸人の面前でこのように辱められたことに強く憤り、頼信が
奥殿に下がった後、感情が爆発した

「親の心すら子知らず、という!ましてや組子の心の中など知る事ができるだろうか!?
なんと無理なことを仰せ付けられるのだろう。
侍に対しこのような辱めを受けた以上、御奉公も今日これまでである!面白からず!」

そう叫びながら脇差で髻を掴んで切り払い、家にも帰らず和歌山城下を立ち去った。
翌朝、頼信はこの甚三郎の小舅である、水野淡路守重良を召し出し

「淡路!其方の親類であるが、徒歩頭の水野甚三郎はよくよくのたわけ者である!
私の耳に入るまで、組下の者が城下にて盗みをいたすを心得ず、私がその者を手討ちにして
恥ずかしむれば、主に暇をとって立ち退く有様である。
淡路、汝の親類であるぞ!いかに心得るのか!?」

そう言って淡路守を叱責したが、淡路守重良も甚三郎の小舅であるので申し開きをすることも
憚られ、ただ頭を伏して当惑するのみであった。

その時、傍にあったのは徳川家康によって頼宣に付けられた安藤帯刀直次であったが、
彼は頼宣が淡路守を責めるのを聞くと、こう、声を上げた

「淡路守殿!甚三郎を呼び戻されよ!」

淡路守は御前であるのでとかくの返事も出来なかったが、帯刀は再三同じ言葉を繰り返したため、
頼宣も気に触り、彼の方を見て言った

「帯刀は何と心得てそのように言うのか!?組下に悪人があるのを知らず、それを咎めれば
主に暇をとって立ち退くような奴を、戻す道理などあるものか!」

帯刀、頼宣に向かって

「親の心も子は知らず、まして組子の心など、頭が知れるわけがありません!
これは無理なご批判でござる!」

しかし頼宣は納得しない

「帯刀は知らないのか!?権現様(家康)の時代、徒歩の者が奥女中に文を遣わすという
罪を犯した。そしてその罪で徒歩頭の松平若狭守は改易になったのだ。そのような先例もあるのだぞ!」

これに帯刀は立ち上がり、頼宣を睨みつけ、大声で怒鳴りつけた

「権現様も、凡夫ではありませんか!決して仏でも神でもない!
親のしたことであっても、阿呆なる事まで子は学ぶべきでしょうか!?」

(権現様も凡夫にて御座候ぞ、佛にても神にてもなし。
親のしたる事にても、あほうなる事は子はまなぶ物にて候歟)

そう言い放つと御前を退出した。
(徳川武士銘々伝)

安藤帯刀直次の、強烈な諫言についての逸話である。




675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 20:57:02.54 ID:x78r2ohj
安藤さんその後どうなったんやろ?

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 22:21:19.39 ID:o9g1z5M4
いつもの安藤帯刀さんですね。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 22:33:00.71 ID:XsRHo0Kf
>>675
この程度で安藤帯刀をどうにかしていては
紀州の主は務まらない

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 07:11:51.75 ID:SnZQXFKP
頼宣も叫ぶ、勘三郎も叫ぶ、帯刀も叫ぶ、今のドラマみたいだなw

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 08:55:55.31 ID:a0sRqpWE
頼宣と帯刀っていつもブチ切れあってるけど仲いいよな

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 09:23:56.08 ID:Ws5UmFIv
ただ仲が悪いからブチキレてるワケじゃないしね

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 10:47:22.62 ID:jAEdRPYB
なんだ、ただの三河武士の日常じゃないか

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 10:51:25.70 ID:CojEoLp9
仲が良いと今言ってるのは諌言だと受け止めて貰うのが大変だから強烈になっていくんだろうな

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 12:44:55.40 ID:5Gws/2E1
諫言ってほんとうに難しいよな
主従相互の信頼感が無いと絶対にできない

その点この二人は、なんのかんのでちゃんと信頼しあってるよね
ちょっと強烈すぎるけど

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 21:52:07.36 ID:p+FSF0e8
>>681
やっと理解できた

水野淡路守重良、咎める

2013年06月23日 19:05

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/22(土) 22:53:08.22 ID:UCq9J5lC
水野淡路守重良は紀州徳川家の附家老である。大納言が若年の頃、鎧着初めの節に
井伊掃部頭が参り「物の具がよく御似合いです。天晴れ、よき御大将かな。

若君を御大将に私が御先手を仕って、一戦仕りたい」との挨拶をすると、
一座もめでたいと同音に申し上げた。

すると重良が進み出て「貴殿は公方様の御先手だ。この若君の先手は淡路守である。
いやしくも我等がおりますというのに、どうしてこの君の先手を他へ致させることだろう。
思いも寄らないことだ」と掃部頭を咎めたので、一座は重良に感じ入った。
これは板坂卜斎の咄である。

重良は新宮の城主であり、殊に大坂で功名があった。

――『責而者草(古実話)』





安藤重長は何かを察して

2012年11月24日 19:51

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 17:07:12.77 ID:QdRWouJn
ある日、安藤直次が同じ苗字の安藤重長のところへ「今晩そちらへ
参って料理を賜りたい」と申し伝えた。重長は「これは珍しいことだ。
何を思はれて申し越されたのだろう」と殊の外喜んで直次を饗応した。

直次は機嫌良く料理を賜り、緩々と話して帰っていった。
その後、重長は刀が残されているのを見つけ「うっかりお忘れになったのか」
と思い、近習に命じて直次の乗物を追わせた。

乗物に追いついた近習は側に寄って「御腰物でございます」と申し上げた。
すると直次は乗物の戸を開けて中より刀を取り出し「武士が刀を忘れるわけ
ないだろう」と言って刀を見せると、戸をひしと閉じて帰っていった。

仰天した近習が重長にしかじかと報告すると、重長は何かを察して涙を流した。

「さては今度在所へ帰国される時に隠居なさるおつもりであるぞ。
その刀はそれがしに形見として賜わるということに違いない」

重長の思った通り、直次はその月すぐに紀州へ帰りその年のうちに隠居した。

――『名将言行録』






551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 19:50:56.20 ID:01bEDd5W
安藤さんは粋だなぁ

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 20:11:18.83 ID:veBfM4Uc
三河者は面倒臭いけどカッコいいよな

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 20:52:57.25 ID:a+JjAOIw
めんどくさくない三河者など石川数正と本多正信しかおらん!

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 20:56:52.15 ID:LnYNdIpJ
>>553
御大将の家康はどうだったんだろう?w

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 21:24:06.04 ID:veBfM4Uc
本能寺の時には信長の後を追うとか切腹するとのたまって忠勝に窘められたりとか
腫れ物出来た時にはムカついて無理矢理膿を出したら悪化して生死の境をさまよったりとか、
その時に遺言とか形見分けをし始めて死ぬ気満々で医療を拒否し始めて作左に叱られたりとか、
わりと面倒くさい

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 22:03:10.72 ID:ZeZjyIdy
方向性は違うが本多正信もかなりめんどくさいと思う。

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 22:25:07.04 ID:/MJ8+Crr
>>550
ググったら、安藤重長は、安藤直次の弟の安藤重信の跡継ぎなんだね

実際には、重長は重信の娘の子(外孫)なんだけど、養子ということに
して跡を継がせた
重長からすると、重次は形の上では伯父、実際は大伯父

つまり、ふだんあまり付き合いのない親戚のオッチャン(しかも幕府の
老中もつとめたエラい人)が突然訪ねてきて、機嫌よく飲み食いして
帰っていったというお話

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 22:26:37.34 ID:/MJ8+Crr
>>557
>重長からすると、重次は形の上では伯父、実際は大伯父

失礼、訂正。
○重長からすると、直次は形の上では伯父、実際は大伯父

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 00:16:56.97 ID:3jF6m7+6
直次さんは三河者のなかでもかなり異色だと思う
田舎臭さがなく結構粋だよね

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 03:38:56.83 ID:CJcrbyrs
死ぬ死ぬ言う奴に限って死んだためしが無いてのを地で行ってるな、家康て

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 04:29:08.05 ID:UJeJOoWB
瞬間沸騰型だがすぐ冷静になるんだろうね

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 04:45:47.47 ID:V3jPIT9D
そういう逸話にしないと盛り上がらないだろ