849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 19:41:38 ID:CZqwlplX
1582年、武田家滅亡
遺された家臣たちは諸国へ散っていった。
摂津芥川にも対馬という老人とその孫である甚太郎という少年が流れてきた。
この甚太郎、かの「退き弾正」高坂昌信の子であり
その成人まで待って二人は世を忍び隠れ住んでいたのだいう。
そして甚太郎11歳の年、この家に一人の武芸者が一夜の宿を求めてきた。
なんとこの武芸者はかの剣豪宮本武蔵だったのだ!!
武蔵の人物を見込んだ対馬は孫を託すことを決意し
武蔵も受け入れた為、甚太郎は武蔵と共に諸国を放浪することとなる。
10年後、21歳となった甚太郎は武蔵とともに江戸に来ていた。
この頃の甚太郎はすでに奥義を極めていたが、若さゆえに自分を抑えることができず
夜な夜な辻斬りを行うようになっていた。
そしてある夜飛脚を切って50両もの大金を手に入れた甚太郎は
酒色に荒み、更なる悪事を重ねるようになってついに破門されてしまう。
しばらく相模平塚に身を隠した後、箱根の山に同類を集め名を「甚内」と改める。
後に江戸を騒がせた盗賊「神崎甚内」の誕生である。
神崎甚内は資料によって「向崎」「向坂」「幸坂」とも書かれる。
これらは皆読もうと思えば「こうさか」と読めなくもない…んだけどね。
まあ1578年に死んだ昌信の子が11歳で武蔵の弟子という時点でアレなんだが、そこは逸話ということで。
850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 20:03:07 ID:CZqwlplX
で、もう一つ後日談的な話
神崎甚内は慶長18年に磔にされた。
甚内が最期に「瘧となった者は治してやる」と言い残した。
結果処刑場となった浅草鳥越に「甚内神社」ができたのだが…
この甚内神社、大繁盛だったらしい。
甚内の磔から200年後の文化年間の書物に甚内神社のことが出てくるのであるが
この頃小出兵庫という旗本の屋敷内にあった甚内神社の九尺二間の小さな社には
人々から寄進された燈明や手水鉢が並び、沢山の供物してある厨子の前には「永護霊神」と額が掛けてある。
拝殿の机の上には「幸坂様」「甚内様」と上書きされた願書が山のようになっていて
願いが適えば近くの鳥越橋から干物と酒を流してお礼参りをする。
毎月12日が縁日で、甚内が処刑された8月12日の例祭は近所の人々も出て賑やかなものだったという。
罪人が死後ここまでの扱いを受けるというのも珍しい話かもしれない。
1582年、武田家滅亡
遺された家臣たちは諸国へ散っていった。
摂津芥川にも対馬という老人とその孫である甚太郎という少年が流れてきた。
この甚太郎、かの「退き弾正」高坂昌信の子であり
その成人まで待って二人は世を忍び隠れ住んでいたのだいう。
そして甚太郎11歳の年、この家に一人の武芸者が一夜の宿を求めてきた。
なんとこの武芸者はかの剣豪宮本武蔵だったのだ!!
武蔵の人物を見込んだ対馬は孫を託すことを決意し
武蔵も受け入れた為、甚太郎は武蔵と共に諸国を放浪することとなる。
10年後、21歳となった甚太郎は武蔵とともに江戸に来ていた。
この頃の甚太郎はすでに奥義を極めていたが、若さゆえに自分を抑えることができず
夜な夜な辻斬りを行うようになっていた。
そしてある夜飛脚を切って50両もの大金を手に入れた甚太郎は
酒色に荒み、更なる悪事を重ねるようになってついに破門されてしまう。
しばらく相模平塚に身を隠した後、箱根の山に同類を集め名を「甚内」と改める。
後に江戸を騒がせた盗賊「神崎甚内」の誕生である。
神崎甚内は資料によって「向崎」「向坂」「幸坂」とも書かれる。
これらは皆読もうと思えば「こうさか」と読めなくもない…んだけどね。
まあ1578年に死んだ昌信の子が11歳で武蔵の弟子という時点でアレなんだが、そこは逸話ということで。
850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 20:03:07 ID:CZqwlplX
で、もう一つ後日談的な話
神崎甚内は慶長18年に磔にされた。
甚内が最期に「瘧となった者は治してやる」と言い残した。
結果処刑場となった浅草鳥越に「甚内神社」ができたのだが…
この甚内神社、大繁盛だったらしい。
甚内の磔から200年後の文化年間の書物に甚内神社のことが出てくるのであるが
この頃小出兵庫という旗本の屋敷内にあった甚内神社の九尺二間の小さな社には
人々から寄進された燈明や手水鉢が並び、沢山の供物してある厨子の前には「永護霊神」と額が掛けてある。
拝殿の机の上には「幸坂様」「甚内様」と上書きされた願書が山のようになっていて
願いが適えば近くの鳥越橋から干物と酒を流してお礼参りをする。
毎月12日が縁日で、甚内が処刑された8月12日の例祭は近所の人々も出て賑やかなものだったという。
罪人が死後ここまでの扱いを受けるというのも珍しい話かもしれない。
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