矢倉秀親VS伊賀者たち

2010年07月17日 00:01

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 01:27:10 ID:/KOVaFdS
もひとつ藤堂家で。なんか悪いスレのほうで評判がよかったので藤堂家の矢倉秀親の話をもう一つ。


慶長十三年、藤堂高虎は大坂の陣の功により、畿内の喉元・伊勢伊賀二十二万石に加増転封となった。
さて、藤堂家の老将、矢倉大右衛門秀親である。
この武将、

・有名な三成と高虎の鉄砲隊の逸話の後に鉄砲頭を務める
・長宗我部浪人を採用する藤堂家のリクルートを担当
・西園寺残党の一揆勢を騙し打ち
・普請奉行しながら城で鉄砲をぶっ放し、にこやかな笑み

と相当マルチな人物なのだが、この時に入国に際して責任者たる入国総奉行を命じられた。

さて高虎は有事の際の本拠地を伊賀上野に定めたのだが、伊賀というのは当時難治の地であった。
忍者で有名な、伊賀者として知られる土豪の勢力が強く、また先代の領主である筒井定次の弛みきった
悪政のために豪族が上下乱れる有様だったと伝えられる。

藤堂高虎は伊賀者を懐柔するために、土豪の大将で有名な服部半蔵正成の従兄でもある保田采女を取り立て、
藤堂姓を与えたりした。
采女はそうとう優秀な武将で代々藤堂家で活躍することになるのだが、しかしながらこの場はどうにもまとまらなかった。

さしあたって年貢を集める段取りをつける必要もある。高虎は矢倉に現地の土豪を集めて会議をまとめるよう命じた。
さっそく伊賀の有力者が集められ、総奉行も務める矢倉以下、伊賀の奉行衆が丁重に出迎える。
しかし話にならない。筒井時代のやる気のなさに慣れた有力者たちはめいめいの利益を主張してはばからない。
こりゃどうにもならないと思ったのか矢倉は有力者たちにいったん出直すように命じた。

数日後、
「新しい殿さまも大したことあらませんなあ」「そやそや」
とでも言いながら指定された有力者たちは会議の場に現れたのだろうか。だが、様子がどうもおかしい。

通された間にはいかめしい顔をした奉行衆。そして……、
磔用の十字の木柱、二十個、その他拷問器具もろもろが部屋の中に所狭しと並べられていたのだ。
通された伊賀の有力者、おそらく二十人ほどだったのだろうか。たちまち皆真っ青になる。

「あとは、言わなくても……わかるな?それでは『話し合い』を始めようか」

高虎の伊賀統治はその後順調にいったようだ。ある意味無茶な方法でも政道を改める藤堂家の老将のいい話?




184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 01:31:58 ID:Gx/9XZvj
>>183
矢倉さんはあくまで戦国基準だが、確かにとびっきり優秀な人だわ。
直江の閻魔様よりこっちの方がよほど穏便だしw

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 07:24:11 ID:bf0Hg3/4
>>183
てっきり山内さんとこと同じことするんだとwktkしてたのに。
そういえばいい話スレのほうでしたね。

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 07:37:46 ID:VIJoLXYc
殺さずに脅迫だけして言うこと聞かせたのは偉いな
これじゃ山内さんの非道ぶりがますます・・・

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 13:19:55 ID:sIIEMCcH
佐竹「今度宴会するから、うちの城にみんなで来てね」

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 13:45:36 ID:/KOVaFdS
松永「今度茶会を開くので、ささ、信貴山にぜひ参られよ」

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 13:51:50 ID:8HLMGYv7
宇喜多「義父上、今日は我が城へ泊まっていきなされ」

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 14:04:08 ID:1EacYEDn
むさし「今日は弟の葬儀を営む予定でござる」

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 14:23:38 ID:ElHCC/rY
>>187‐>>190
※宇喜多忠家さんがアップを始めました(鎖帷子着ながら)

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 14:32:16 ID:bULyfYkG
三歳「そう。かように恐ろしい風評をばらまくことで、無用の殺生をさけるのが一流に御座る。
    え? 歌仙兼定? もちろんコレもそうした脅しに御座るよ。
    何故か妙に噂が広まってしまい、少々薬が効きすぎましたかなはっはっはっは」

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 14:35:51 ID:/KOVaFdS
>>193
庭師「今日は奥さまの披露会と聞いて参ったのですが……。なにしろ三歳様の奥方は噂の美人、楽
しみでございますなあ!!ハハハ!!」

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 14:37:31 ID:6ERfDayu
山内「そんな事より皆で相撲やろうぜ」

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 14:44:24 ID:bULyfYkG
>>194
    ●
   .∵  ○ ノ
   ':.  | ̄
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197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 14:51:02 ID:LCy2aUGA
隆信「わしんとこでも酒盛りやるけん、来んしゃい来んしゃい」

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 14:56:24 ID:/KOVaFdS
>>196
    ●    ●    ●    ●    ●    ●
   .∵     ∵    .∵    .∵    .∵    .∵  ③ ノ 六歌仙!
   ':.    ':.    ':.   ':.    ':.    ':.   | ̄
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199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 15:00:50 ID:65W0zxiz
最上「俺は病でもう永くないかもしれん、後事を託したいので至急城まで参られよ」

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/16(金) 19:45:47 ID:GZmNYHu1
>>198
今日も?見事な首のはねっぷりですね三歳さん
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宇和島城改築、藤堂高虎はある問題を抱えていた

2010年07月14日 00:00

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 21:30:23 ID:yRyntpwr
慶長年間、三大築城名人が一人・藤堂高虎が伊予半国時代に宇和島城を改築した時のこと。
自らが設計した宇和島城の改築が進むなか、高虎はある問題を抱えていた。

その問題とは、鬼門封じである。本来宇和島城クラスの城となると鬼門(北東)の方向に鬼門封じの
寺院を建立することになっている。
しかし高虎は城の防御のために、どうしても北東方向に防衛拠点となる矢倉を建てたかった。

「とはいえ縁起もあるし、ここの矢倉を無視するわけにはいかないしな……。矢倉か……」

そこで高虎が思いついたことは、
「矢倉、矢倉をなんとかしろ」
家臣の矢倉秀親に丸投げすることだった。

矢倉秀親は高虎が20代の頃から仕えている宿将で、関ヶ原・朝鮮役にも征った歴戦の将である。
建築名人の藤堂家の中でも普請奉行を長年務めていただけあって、高虎の無茶にも
「なんとかしましょう。少し準備をしますのでお待ちを」
と答えた。

さて高虎、どうするのかと見守っていたところ、秀親は三百丁もの鉄砲を持ち出して、

      ./       ;ヽ 
      l  _,,,,,,,,_,;;;;i  <いいぞ ベイべー!
      l l''|~___;;、_y__ lミ;l  逃げる奴は鬼が外だ!!
      ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i |  逃げない奴はよく訓練された鬼だ!!
     ,r''i ヽ, '~rーj`c=/ 
   ,/  ヽ  ヽ`ー"/:: `ヽ
  /     ゙ヽ   ̄、:::::  ゙l, ホント 築城は地獄だぜ! フゥハハハーハァー
 |;/"⌒ヽ,  \  ヽ:   _l_        ri                   ri
 l l    ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| |                   / |
 ゙l゙l,     l,|`゙゙゙''―ll___l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l
 | ヽ     ヽ   _|_  _       "l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |二;;二二;;二=''''''''''' ̄ノ
 /"ヽ     'j_/ヽヽ, ̄ ,,,/"''''''''''''⊃r‐l'二二二T ̄ ̄ ̄  [i゙''''''''''''''''"゙゙゙ ̄`"
/  ヽ    ー──''''''""(;;)   `゙,j"  |  | |

残らず鬼門方向にぶち込んだ。一斉射撃である。
「これでさすがの鬼もくたばったことでしょう!とっとと矢倉を完成させてしまいましょう!」

この行動に高虎がどう思ったかは史書には記されていない。しかし、藤堂藩史書(宗国史)の秀親の記録には、
この一件についてわざわざこう記されている。
「  伝  説  に曰く……」
どうやら藤堂家の面々も、この秀親の行動はさすがに無茶だと考えたようだ。

結局寺は建てられず、宇和島城の鬼門に寺が建立されたのは伊達家が入ってからの元和元年(1615年)まで
待つことになる。
鬼門封じに無茶と言うかそもそも三百丁の斉射とか弾代もバカにならないだろうにと思う悪い話。





852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 21:57:28 ID:8DVdquRo
矢倉のいい話に思える

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 22:02:26 ID:GOXcTd0/
要塞寺院があるなら矢倉寺院があってもいいのではないだろうか