戦場に出れば我らはただただ、

2010年07月21日 00:01

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 01:23:00 ID:JLZJSvzF
よもやの平和ボケか、四代目の家臣団。
とあるもののふの精神論を、愉快な藤堂家からひとつ。

1600年9月15日、関が原の戦いも勝敗がつき、家康は戦功のあった武士を呼び集め
酒宴を催した。列席の勇者らはみな深手を負っていた。
福島正則家臣大崎玄蕃、吉村又左衛門、可児才蔵らは耳が聞こえず、鼻が欠け、片目となっていた。
池田輝政家臣建部内匠は手指三本を失い、田宮次郎右衛門は片目が潰れて大きな傷跡があった。
藤堂家からは、頭から目の下にかけて大きな傷をおっていた藤堂仁右衛門、
まるで渋紙のように満身に傷跡がある藤堂新七郎良勝、そして渡辺作左衛門は左腕がなかった。
このほか細川、井伊、本多、榊原以下諸家の勇士93人はみな満身創痍だった。

家康は言う「お前達は強く勇ましく多くの兵を励まして戦勝をおさめた。
これは第一にわしの幸いになり、第二にそれぞれの主人の手柄になり、第三にお前達自身の
武勇の名が轟くことになる。一挙三得じゃ。今後ますます人に勝った忠勤に励め。」

諸士は感じ入って目を伏したが、渡辺作左衛門は一人勇み立ち、
「一挙三得など、知った事ではございません。戦場に出れば我らはただただ、稼ぐのみ。
他のことなど思いも及びませぬ」と言い放った。
家康は作左衛門の率直で偽りなき言動を喜んだと言う。

作左衛門は、ご存知渡辺勘兵衛の甥っ子。
処置なしの深手を負った左手を、自ら切り落とした武勇伝はガイシュツのとおり。




243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 01:54:25 ID:wer508Hj
外様の陪臣を集めて声をかけるもんなんかね?

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 01:59:51 ID:8+svO9rb
>>243
外様っていっても福島、池田、藤堂、細川と関ヶ原の貢献度や徳川との結び付きが強い家だし、
陪臣たちも錚々たるメンツだからありえない話ではないだろ

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 12:10:43 ID:S7Fjd1c/
ノブヤボとかでプレイヤーが統一間近になると、戦国オールスターズで軍団を作って攻めるように、
家康もちょっと心が緩んで、槍手柄オールスターズを従えて飲み会したかったんじゃね?
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