志村光安の容貌

2014年11月07日 18:44

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/05(水) 14:23:13.92 ID:bsemGf33
志村光安の容貌

山形県S市の某所に志村光安の甲冑が伝えられている

平成前期に山形市の最上義光歴史館で特別展示がなされた志村光安の兜はそれまでの出羽の甲冑師の作とは大きく異なり、
二段の淵がある背高南蛮傘風の筋兜鉢に総覆面の面金が付いており、胴廻りが1メートル近くのアンコ体型の巨大な小札胴とセットになっている

全体的な劣化の為に通常一般公開はなされておらず、ネット上画像も検出出来ない模様

例えるなら芦屋雁之助や松村邦洋に南蛮傘風の兜を被せ、その体型に合わせた胴を誂えたかの様なイメージ

延沢満延や楯岡満茂とは異なり、もちもち体型と思われる志村光安の甲冑のお話


695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/05(水) 14:58:25.57 ID:bsemGf33
>>694
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0017731
↑こちらを筋兜にした様な形状です



701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/07(金) 01:22:14.39 ID:tHXFCF8o
S市って新庄市か酒田市と寒河江市か

スポンサーサイト

直江隊を足止めするか

2014年09月04日 18:53

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 19:47:54.23 ID:9YxrKypW
志村光安「吾等の役目は如何に直江隊を足止めするかである」

慶長5(1600)年9月13日、畑谷城を落とした直江兼続は山形盆地へ向け進軍。14日に富神山を抜け、
菅沢の丘に現れると早速長谷堂城を攻めた

長谷堂には最上方の守将志村光安と増援の鮭延秀綱が兵1200~1300ほどで詰めていた

鮭延秀綱「お出で早々に攻めて来るとは上杉ん奴腹め、あがすけが(お調子者が。調子に乗りやがって)!」

志村光安「人馬で菅沢が埋まり、山の裾野まで陣が張り出してますな。どんだけの軍兵を連れて来てんだが」

秀綱「いっそ夜襲を掛けてやりますか?まさか初っ端から大軍の上杉に寡兵の吾等が攻めるとは思いますまいに」

光安「秀綱殿、殿(最上義光)の命令では『安易に討って出る事を自重し、なにがあっても城を守れ』が
命令だったのでは?」

秀綱「200くらいの兵をお貸し頂ければ私がやって来ます。夜襲の成否に関わらず、上杉の目をしばらくは
長谷堂に引き付ける事は出来るでしょう」

光安「これは尤もな策でありますな。では一撃だけを食らわし、深追いはなされないと約束くだされ。
それとくれぐれも慎重に」

その夜鮭延隊は闇に紛れて奇襲を掛け、上杉兵百以上の首級を挙げて凱旋した

秀綱「ご覧の通り、まずは重畳」

光安「これで怒り狂った上杉兵は長谷堂を意地でも落としたくなるでしょう」

翌日上杉方の春日元忠の隊が再び長谷堂城を攻めた

光安「寄せて寄せて、畠の畔(あぜ)を越えて来たら射かけよ。さすれば外れ矢玉少なく、敵を数多く
討ち取れようぞ」

城に近付いた春日隊を数百の鉄砲と弓が釣瓶撃ちに襲い、上杉軍にはまた多くの被害が出た

直江兼続「篭城されたままでは厄介だ。野戦に持ち込み殲滅しよう」

上杉兵は弓や鉄砲の射程外で苅田狼藉をはじめた

長谷堂城兵「ぐぬぬ…わしらの田が…稲が…」

血気盛んな若い兵らが光安に出陣を願ったが、光安は兵らを宥(なだ)めて言った

志村光安「吾等の役目は如何に直江隊を足止めするかである」

光安は筆を取ると矢文を拵え、弓の得意な者に上杉兵へ向けて射掛けさせた

兼続「これがその矢文か」

上杉兵「は」

兼続が矢文のこよりを解くと、紙にはただ二文字「笑止」とだけ書かれていた




679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 20:13:55.23 ID:45eDskxa
その前に謝罪と賠償を要求する

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 20:30:02.97 ID:chQfmHAE
続きがあるのかと思ったけどそうではないのか

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/03(水) 20:35:36.35 ID:+5Z98Y21
千万とかいて下の句とした。

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/04(木) 02:35:59.79 ID:MqisPoNo
直江の評価ってなんで高いんだろうな
全くの不思議。

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/04(木) 03:38:29.06 ID:CNyl6IWU
そのあたりの時代の奴らは評価がしづらい

とある士の死

2014年08月29日 18:53

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/29(金) 07:22:31.86 ID:tayKb6Jk
とある士の死

慶長6(1601)年、志村光安の軍が上杉領東禅寺城を攻めたときの話である

城攻めの最中、光安は城下で上杉軍の哨戒部隊と遭遇し、交戦の末一人の眉目麗しい若武者を捕縛した

若武者は光安に「死んだ仲間に申し訳がない。武士の名誉を知るならどうか殺してくれないか」と涙ながらに頼んだが、光安は「(東禅寺)城は(最上軍に囲まれ)孤立無援で間もなく落ちる。せっかく生き永らえた命を粗末にせぬ様に」と説得をした

しばらくし東禅寺城は最上軍に降伏し、開城

最上義光の命で庄内にいた上杉兵は米沢への帰途についたが
眉間に皺を寄せ、米沢行きに葛藤を覚える様に見えた若武者に光安は
「上杉家に戻るのに後ろめたさを感じるのなら、我が下で働かぬか?」と彼を勧誘した

光安は彼を気に掛け、若武者も光安に次第に心を開き、酒田三万石に加増となった光安は彼を常に近くに置き可愛がった

1609年、死の枕元で光安は彼に「儂が死んだ後も子の光惟を頼む」と言伝をして逝世した

しかし1614年
彼が別の用事で庄内を空けている間に一栗の反乱により志村光惟が暗殺された



光惟の葬儀が終わり
慶長19(1614)年暮秋、一人の士が酒田青原寺の志村光安の墓の前で腹を斬った



かつての若武者の名は力丸所左衛門。上杉の重臣で東禅寺城主であった志駄義秀の甥の話である

『奥羽永慶軍記』ほか




志村光安、織田信長に面会を許される

2014年01月27日 19:05

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 03:41:26.99 ID:t92X13ZI
志村光安織田信長に面会を許される

1580年代、出羽の有力国人の一人である谷地の白鳥長久は次第に勢力を拡大する山形の最上義光に恐れを抱き、
強大な後楯を得ようと中央で急成長をする織田信長に「我は信長様を敬い、また現状は出羽をまとめる者である、
そこで出羽守である事を認めてほしい」と使者を送った。

これを知った最上義光は「羽州探題と出羽守は最上家が名誉、なぜに長久が詐称をするのか」と怒りを顕にし、
家臣の志村光安を使者として、
最上家の系図と大きな白鷹、出羽産の名馬、月山打の長身の槍や刀を持たせて安土の信長の下へと派遣した。

面会の申請をしてそう日を経ず信長に呼ばれた光安は
出羽における最上の役割と
白鳥長久の非を丁重に、かつ簡潔に信長公へと申し上げた

信長「羽州の事柄には疎い部分があり、白鳥某の言う事を疑いもせずに信じてしまったのはこちらの非。
山形殿(義光)、いや、『山形出羽守』殿には大変に悪い事をした」

-と信長公は光安の口上に「正当な出羽守は最上義光である」といった書面を書き与えた

(つづく)

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 03:49:18.68 ID:t92X13ZI
(つづき)

信長「地域の者にあって、そち(光安)は珍しく口才名誉(達者)であるな」

-と、信長公は手ずから三宝に金兵糖(金平糖)を盛り、光安に褒美として渡し
重臣に命じて城と安土の町を案内させて饗(もてな)したとも言う

現在山形市の最上義光歴史館に飾られている
長谷堂合戦で最上義光が被り直江兼続に撃たれた弾跡の残る兜は
この面会により信長公から最上義光に贈られた物だと伝えられています

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 03:52:37.76 ID:t92X13ZI
※当時のコンペイトウを復元したものは
「戦国魂」のホームページ「信長の金平糖」で形が確認出来ますが
現在の形に比べ突起が少なくなだらかで
形状はでん六豆を小振りにした様なものになります

207 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/27(月) 04:09:07.29 ID:t92X13ZI
信長の金平糖
ttp://www.sengokudama.jp/m/sengokudama/confeito

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 04:12:25.69 ID:t92X13ZI
長宗我部元親の「饅頭」の話以外にも
外交でお菓子が用いられる例があったという事で




209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 04:49:27.38 ID:kLmfAAz2
三成「干し柿はいかがかな?」

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 04:52:13.58 ID:M8AqJ2j9
実際あんた忠興に柿出してましたやん

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/27(月) 05:10:10.79 ID:LUyerPKn
>>205
んでこの数年後に白鳥は桜の木に血を吸わせることになるのか…
[ 続きを読む ]

志村光安の黒歴史

2013年11月10日 18:51

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/10(日) 08:00:19.98 ID:mw4AMHgm
志村光安の黒歴史

志村光安と言えば氏家守棟と並び最上義光を支えた名臣で
最上家を代表して織田信長に面会を許されたり、慶長出羽合戦では寡兵で長谷堂城を守り、「口才達者」「文武両道の将」とも称された人物である。

現在の山形県天童市の若松観音堂に、重要文化財、武人画家として高名な郷目貞繁筆の「板絵著色神馬図」がある。
永禄6年(1563)寄進のものだが、その余白下部にとんでもない落書きが残されていた…

「志村九郎!」



志村光安「俺参上!参拝記念!」

…現在でも観光名所への落書きはなにかとマナーを問われるものとされている。

志村光安のなにげなく書いちゃった落書きのバツの悪い話。

(`・ω・´)「犯人はヤス!」
志村光安「!」




689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/10(日) 18:49:39.30 ID:KQwH1Oxz
修学旅行生かw

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/11(月) 00:07:48.16 ID:t49SQDtm
カンボジアの仏教寺院の柱に自分の名前と来訪した理由刻んだ森本右近太夫思い出した

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/11(月) 00:13:10.18 ID:TmIJCJik
そんな人物が居たんだw

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/11(月) 00:13:13.85 ID:6zTV38AG
ピラミッドに大量に刻まれてる各文化圏の落書きのお陰で色々分かることもある
まあ、志村さんの場合はそういう意味では糞の役にも立たないアレな代物だけど

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/11(月) 00:13:42.89 ID:xj+efbRH
あれ、墨書だけじゃなかったっけ

縁起を担ぐ

2010年11月07日 00:01

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/05(金) 21:41:29 ID:DL81c4Z+
縁起を担ぐ

志村光安は最上家の家臣である。
光安は上杉合戦では長谷堂を守備し、城山が甲羅に籠った亀の様にも見える事から長谷堂城を「亀ヶ城」と呼んだ。
縁起を担いだとする一方、上杉に攻められなかなか反撃に移れない事から「堅固」な城というより
「手も足も出ない」状況を自笑したのかも知れない。
後に上杉軍の志田義秀が籠もる庄内の東禅寺城(酒田城)攻撃にも加わり、これを落とし、
酒田に巨大亀が上陸し、亀の献上を主君・最上義光に報告したところこれを「吉兆」として
「東禅寺城」が「亀ヶ崎城」、「大宝寺城」が「鶴ヶ岡城」と改められた。

長谷堂合戦図屏風の志村の旗印は「鹿角」。これは「深い山合いにも武名・名声が鳴り響く様に」との
思いで付けられたらしい。

(´・ω・`)「でも名前は苦労(九郎)なのよね」
光安「・・・果たして誰のせいですかね・・・」





志村光安の「殿といっしょ」

2010年07月21日 00:00

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 09:17:17 ID:QrB8LLln
志村光安の「殿といっしょ」

○月○日(晴)
本日、大殿と殿が喧嘩す。
家督相続問題とはいえ頭が痛い。

X月○日(曇)
本日、天童が叛意を示す。
殿は何も考えていないようで、何か考えてる事を祈る。

△月□日(晴)
本日、殿が先陣を切って敵陣に突っ込む。
兜首採ったって、バカなの?なんなの?

X月X日(雨)
本日、殿と輝宗殿とが大殿の見舞いで口論す。
食欲が無い。夏バテで無い事は確かだ。

○月●日(晴)
本日、改易にあった大崎殿他家中の者を山形に迎える。
色々とやらなければならない事が多くて大変だ。

●月X日(晴)
本日、九州の殿から手紙が届く。
山形の水が飲みたいっていうのはムリでも鮭を包んで送ってあげよう。

△月○日(曇)
本日、長谷堂守備を命ぜられ、虎の子の種子島一千と精兵1500を預かった。
やさしすぎるのが殿の良い点でもあり欠点でもある。

△月△日(晴)
本日、長谷堂城から山形城へ戦勝報告に向かう。
突出した殿を堀殿が引きとめようとしたらしいが、堀殿では止められなかっただろうに・・・

□月○日(晴)
本日、北楯殿の開発地から壷に入った小判が出土したとの風評を聞く。
殿に差し上げた壷と同じ種類のものらしいというのが気にかかる。

△月○日(晴)
本日、殿が人足に渡す賃金を上げる様に話しかけてきた。
隠居城がまともに作れませんよ、おかずの鮭も減らしますよと言ったら
悲しそうな顔をしながらすごすごと表に出て行った。
・・・あの顔に弱いんだよな・・・

□月●日(晴)
まだ・・・心残り・・・が・・・殿、・・・に・・・




992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 11:38:42 ID:uManm9cI
こんなの他人に読まれたら自分だったら顔から火吹くわw

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 12:24:35 ID:S0hXd6na
かゆ

            うま



3 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 20:42:03 ID:A0uZ+P+b
>>1乙
ところで前スレの>>991は本当の逸話?
最上は一時期創作があったようだから分かりにくくて

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 21:57:48 ID:qSMIiSfj
>>3
書いてある内容自体は本当にあったこと。
でも志村光安がこーゆー日記をつけてたという事実は多分ないと思う。