上杉憲盛の意味不明な寝返り

2010年07月22日 00:01

4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 21:51:02 ID:qSMIiSfj
武蔵国深谷城主、上杉憲盛。
苗字から判る通り、関東管領上杉氏の庶流であり、領地の名を取って深谷上杉氏と呼ばれる。
かつては奥州管領に封じられるなど、話題には上がらないながらも上杉諸氏の中ではそれなり
に重きをなした家であった。

しかし川越夜戦で扇谷上杉が滅び、山内上杉も北条の圧迫に耐えかねて越後に逃げ去ってしま
うと、周囲の豪族同様、北条家に膝を屈して生き延びるコトを選ぶ。

本庄城の本庄氏が成田氏に従っていたコトから、忍と本庄の成田領に挟まれた小豪族に過ぎな
い深谷氏ではあったが、その血筋の良さから、北条氏からは「深谷殿」と呼ばれて尊重されて
来た。

そして永禄十二年(1569年)、武田信玄の駿河攻撃によって甲相駿の三国同盟が破れ、北条氏
康は昨日までの天敵、上杉輝虎(謙信)と同盟を組むコトにした。

その同盟成立の矢先である七月、上杉憲盛は今までの主君、北条氏康に無断で輝虎に手紙を送
り、上杉氏への帰属を願い出る。
輝虎もそれを受け入れてしまったから北条側は激怒。
上野金山城主、由良成繁・国繁父子に宛てた手紙で、「輝虎は同盟を守るつもりがないのか!
ヤツがそのつもりなら上野国は上杉には渡さん!一国まとめて由良家に任せる!」とまで言っ
ている。

この同盟、憲盛の寝返りの後も氏康と輝虎の思惑は終始噛み合わず、早々に破綻を向かえるコ
トになる。

輝虎の去った武蔵はすぐに北条氏に再占領され、憲盛も再び北条家に膝を屈した。
やがてラスボスによる関東仕置きが行われると、深谷城は即開城したにも係わらず、改易とさ
れ、名門深谷上杉氏の名跡は途絶えることになった。


見る目がないとか、空気を読まないとか、そーゆーレベルじゃないよね、憲盛。
寝返りをするなら、何で北条の同盟相手に寝返るんだ? そこは武田信玄に寝返る所じゃない
のか?
んで、何で輝虎もそれを受け入れるんだ。ワケが判らん。

越相同盟破綻の一因にもなった、上杉憲盛の意味不明な寝返りのお話。





7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 22:27:06 ID:GOOAiIcs
>>4
一族的な感覚で宗家に従うつもりだった・・・にしては寝返りのタイミングが悪いわな
名門には微妙に甘めの秀吉も深谷上杉の名前には利用価値が無いと判断したのかねえ

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/20(火) 23:24:48 ID:hnbqTJj1
ラスボスは「娘を差し出す名門」に甘い印象が…

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/21(水) 00:33:35 ID:89wTiyyX
>>8
若い娘がいれば生き残れたかもしれんね
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