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酒井備後守忠利の温和

2012年11月03日 19:37

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 20:09:39.77 ID:ZSlyWsU9
徳川家康の家臣、酒井備後守忠利といえば、大変に温和な人であった。

彼は家康の関東移封後、武州川越三千石を与えられたのだが、ここに備後村という郷村があり、
その庄官は備後を名乗っていた。

これを知った忠利の家臣たちはこの備後に
「備後とはこの地の領主である殿の官名である。よってその名を改めよ。」

と伝えた。この時代、領民や家臣が主君と名乗りがかぶるのは不敬であり、この要請は常識的なことであった。
が、この備後は解明の要請を全く受け付けず、そのままの名乗りを押し通した。

そのうちに酒井忠利が領内を巡回した時、この庄官を呼び出し直接に言った

「お前の名はこの地の領主の名乗りと同じなのだ。よって改めよ。」

庄官は猛然と答えた
「これは近頃迷惑なことを承るものかな!私は人に勝って年貢を一番に納めています!
勿論公役に関しても他人よりも第一に勤めておりますれば、領主様からの掟に少しも背いて
おりません。それなのに、どんな過怠があって名を改めよと仰るのか!?
その上私の家は代々備後を名乗っておりますれば、改めること罷り成りません!
同じ名で都合がわるいというのなら、殿が名を改められよ!!」

領主に対して思い切ったことを言ったものである。ほとんど暴言であり、これで殺されても
全くおかしくはない。

が、酒井忠利は笑い出した

「ははは、そうか。年貢・公役を人より先に勤めるというのは一段と良いことである。
しからば己はここの備後よ。私は酒井備後守である!苦しからず、そのままにて居よ。」
そう、申し付けたそうである。
(武野燭談)

酒井忠利の温和、というお話。というかこの庄官ちょっと常識はずれに凄いw





226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 20:29:52.85 ID:KAsmxqon
武蔵の国でその村の名前は備後と名乗ってた武士が領主だったからその村の名前で
村役人はその末裔という可能性あるな
なら改名はしにくそうだ

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 22:06:39.59 ID:sI1PbU8g
いい殿様だな

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 22:25:11.94 ID:CqDydaVI
温和な人って他に誰がいる?

今思いついたのは維新様だけど
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2900.html

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 22:37:14.99 ID:sPEjkkGK
作左を始めとする家臣に好き放題やられる家康あたりは温和の部類に入る・・・のか?

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 22:40:50.89 ID:WQI/aA30
温厚な人なら中国では司馬光や呂布か

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 23:00:53.74 ID:CqDydaVI
>>230
そりゃ温侯やがな

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 23:32:10.99 ID:QTQCXNWi
濃い部下ばっかりのところとか・・・真田のおにーちゃんはどうだろ?

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 23:35:03.21 ID:rbbH17K0
そのお兄ちゃんに、柔和で怒ることが決してない、と言わせた信繁は

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/03(土) 02:24:18.40 ID:fReihmWi
お兄ちゃん、お金ちょうだい(ニッコリ

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/03(土) 08:45:37.07 ID:3/lmW+3v
温和なだけなら腐るほどいただろうけどそんな人柄で家臣をまとめきれた人はなかなかいなかっただろうな…

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/03(土) 10:08:05.29 ID:JUhweKVc
阿部忠秋とか優しすぎてほとんど仏だよな

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/03(土) 10:23:49.41 ID:MuaxDSke
誰かと同じでめんどくさいのに慣れているのでは?
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酒井忠利の意見

2010年09月08日 00:00

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 22:24:13 ID:XYp+MMHG
大坂の陣の時、酒井忠利は主の徳川家康に付いていく事を強く望んでいた。
しかし家康に「お前が残っているからこそ安心して行ける」と諭されて
関東の守りについた。

やがて戦が終わり、論功行賞が行われようとした。その時、忠利が意見した。
「戦場のお供は誰であってもしたいものです。私もお供したかったのですが
命により江戸に残りました。

こたびは我々が留守を堅固に守ったからこそ、案ずる事なく大坂へお出かけになれた
のです。留守の者たちの心がけが不十分であれば勝利はありえなかったでしょう。

ですから留守の者たちから論功をされるべきです。そうしなければ今後留守を
任された者たちは心がけを固くする意志を失ってしまいます。」
この忠利の意見は受け容れられ、留守の者たちから論功が始まったという。






900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 22:36:11 ID:E4dxct2B
井伊直政は、全身傷だらけというけど、武将の鎧は丈夫で、刀や槍で全身を傷つけるのは無理じゃないの?


902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 22:42:30 ID:aBiZOT4l
これは素直にいい話だな
この時の忠利はきっとそうしないと気が済まなかったというだけだと思うけど、
人間基本と発展があったら慣れるうちに発展にばかり目がいくようになるからな

衣食足りて礼節を知るのとおり、服もメシもなきゃお行儀もなにもない
そして本拠地の守りは服やメシ

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 22:51:20 ID:TKPNB/mP
七将「留守の者の心がけが不十分だと出兵しても負けるもんな」

910 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/07(火) 16:20:37 ID:AvDFNO/d

>今後留守を 任された者たちは心がけを固くする意志を失ってしまいます
今後が皆無だったのが悔しいところw

酒井備後守忠利の領地・備後村に

2010年07月26日 00:01

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/25(日) 19:19:49 ID:pt8OF3fd
酒井備後守忠利の領地・備後村に備後という庄屋がいた。
忠利の家臣は「おめえ、備後は殿様の名前だから改名しろ」と
命令したが、備後は名前を変えようとしなかった。
そんなときに忠利が村を巡察してきたので備後は言ってやった。

「私は殿様に文句があるのです。私はまっさきに年貢を納め、
公役も人より多くつとめとるし、罪も犯してないじゃあありませんか。
なんで改名しなきゃあならんのですか。
私は代々ここにすんどる備後ですよ。殿様は一代限りの備後でしょ。
ご都合が悪いんなら殿様がお変えになったら、いいじゃあないですか」

このクレームに忠利は
「年貢も公役も人よりつとめてるなら、責めたりしないヨ。
そのまま備後を使えよ。おめえはこの村の備後、おらあ酒井備後守だ」
と、怒ることなく答えてやった。

その後、この話を聞いた徳川家康は
「世の中の愚人はくだらないことで人を苦しめて、己の威を誇るために
つまらないことに力を入れるのだ。愚人はそうやって有用なことを
失うのだ。しかし、備後守は穏やかで仁愛深くて、頭もいい奴だぜ」
と、備後守の人物を讃えた。




309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/25(日) 19:38:01 ID:h9mQDY6d
家康「ひとつ、わしが彼に相応しい名前をくれてやろうかの?庄屋にでもよいな」

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/25(日) 20:02:38 ID:gH9ezzkh
現代なら「酒井BINGO!忠利」って芸名にしそうだ