戦国時代の空手マスターの話

2010年07月27日 00:00

尚真   
178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/26(月) 16:14:23 ID:ICHZWcj2
戦国時代の空手マスターの話

琉球王家には三振りの宝刀「千代金丸」「治金丸」「北谷菜切」が伝来し、現在は那覇市歴史博物館の
所蔵となり、国宝に指定されている。
このうち治金丸は、1522年に宮古島の豪族から献上されたものだという。

琉球王尚真がある時この刀を見たところ、異常が(多分、錆びでしょう)あったので阿波根実基(あはごん・じっき)、
唐名(中国風の漢字名)虞建極を遣わして、京都の研ぎ師に研がせることにした。
刀を受け取って琉球に帰ったのだが、実は研ぎ師が刀身をすり替えて、偽物を鞘に入れていたのだった。

無事帰り着いて、王に報告したが、王妃が刀を抜いて見たところ、全く違う刀である。
そこで阿波根は、取り返すまで帰ってくるなと命令されたのであった。

再び京都に戻っても、あの研ぎ師は行方をくらませてしまっていた。それにもめげず心を込めて探索を続け、
策も用いた上で遂に取り返した時は、3年の月日が流れていた。

琉球に戻った阿波根は王からのお褒めと周囲の賞賛を受けて、以後は「京阿波根」と呼ばれるようになった。


179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/26(月) 16:16:24 ID:ICHZWcj2
しかしここからが悪い話。
真直ぐな性格なので周りとぶつかることが多く、遂に讒言を真に受けた王は、京阿波根の暗殺を決意する。
京阿波根は殿中に招かれ、茶を馳走されたが、王の命を受けた少年に、隙を狙って短刀で刺されてしまった。
丸腰の京阿波根は、素手で暗殺者の少年の股間を粉砕し、城外に逃げ出したがそこで力尽きて倒れたという。

琉球の正史「球陽」でのこの場面の記述、「手に寸鉄無く、但空手を以て童子の両股を折破し」が文献上、
素手(空手)の技での格闘の初出である。これにより、京阿波根が琉球空手の祖と言われている。

京都で空手使いが3年間も冒険活劇をしていたなんていうのは、誰か小説にでもしてくれないかと思う。
尚真王の在位が1526年までなので(旧暦年末に逝去してるので、本によっては新暦換算で27年初になってます)、
1522年~1526年までの内の3年間てことでしょうか。

ところで琉球時代の沖縄の名前は面倒で・・
阿波根というのは、阿波根村の地頭ということですから、出世して領地が変わると名乗りも変わります。
だから、血縁関係にない阿波根さんが同時代の記録に複数存在したりするわけですね。
まあ、日本の○○守みたいなもんですが。





180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/26(月) 18:00:44 ID:Ka7/v23d
>>179
股間というか両大腿をへし折ったのかもしれんね。    空手は唐手・・・なんて謂いもあったな
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