大内晴持の顛末

2010年08月08日 00:06

347 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/08/06(金) 22:44:22 ID:4qpgEtsS
大内晴持単独がなかったから投下
過去の「大内義隆と溺愛した養子・悪い話」と一部被ります
大永4年(1524年)に土佐一条家に次男として生まれる。
父一条房冬。母は側室で大内義隆の姉。(房冬の父房家の四男説あるらしい)
兄の房基の母親は皇族伏見宮邦高親王の娘でありどう転んでも当主にはなれない。
一生冷や飯を食うかどこかに養子に飛ばされるのがおちである。

ちょうどその頃母方の実家には跡継ぎがいなかった。
実家とは当時の西日本屈指の勢力を持ち、あちこちで戦をする武闘派であり、
勘合貿易でガッポリ稼いだり、代々海賊との黒い交友があったり、
金の力で冠位をもぎ取るタイトル王だったり、ニート公家の保護活動を行なってたり、
某王族の末裔の称したり、とマルチな活躍をする大内家だ。
そこへ養子に行くことになった。
冷や飯食らい候補から一転、シンデレラストーリーである。

分家とはいえ公家の名門一条家の血筋でありとても義隆から可愛がられた。
晴持もよくそれに答え文武に秀で大内家必須教養の和歌も身に付け、いわゆるエリートに育っていった。

このまま終われば良かったのだが天文11年(1542年)晴持18才の時に悲劇が訪れる。
大内義隆が1万5千の兵を率い尼子討伐に向かうことになり晴持も一緒に出陣した。
当時おそらく日本最動員じゃないかな?普通負けない。
だが尼子のゲリラ戦や裏切りでまさかの敗北、撤退することになった。

撤退の最中、運の悪いことに義隆とはぐれてしまった。
船に乗って逃げるとき、後から後から兵士が詰め掛け船が転覆し溺死してしまった。
義隆の乗った船は冷泉隆豊が薙刀を振り回し船にしがみつく兵士の腕をばったばったと切り落とし無事生還。

晴持の死の衝撃があまりに大きかったため義隆は・・・。
後は知ってのとおり。
はぐれてしまったばっかりに自らの命を失ったばかりか義隆の心まで失わせてしまったちょっと悪い話。




349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/06(金) 23:38:56 ID:COa1+Kvx
義隆は死んだ晴持の為にわざわざ将軍家に働きかけて
義の字つけさせるくらいだからな
養子に肩入れしすぎ

晴持が出雲遠征から無事生還した場合
その後、義隆に実子が生まれた時どういう扱いを受けるか考えると興味深い

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/06(金) 23:44:09 ID:Q7+VBvnP
長慶「息子が死んだからって廃人になるとか、精神的に脆過ぎませんか」
元親「まったく、そんなガラスのハートで戦国の世を渡ろうとするとは、馬鹿げた話ですな」

帯刀「…犬にでも食わせとけ(ボソ」

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/06(金) 23:48:27 ID:llZRZTw8
ちょ、待て!その三人はせつな過ぎる!

352 名前:菅谷[sage] 投稿日:2010/08/06(金) 23:57:43 ID:u/sO4BTE
息子よ、殿のために氏ね

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/06(金) 23:59:17 ID:SWsDxRbS
まったくもって常真殿は親孝行な息子でございますな

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/07(土) 13:48:34 ID:P2qwTDdz
>>350
マイナーな話題ですまんが、この間のやる夫真田見たばっかだから、
2番目の人が切なすぎるw
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