稲葉淡路守は生まれつき無道残忍にして

2014年09月05日 18:58

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/05(金) 17:41:30.50 ID:f7PHqXLI
稲葉淡路守紀通は丹州福知山の城主である。生まれつき無道残忍にして限度を超えた悪行をした。

ある時、代官を勤める家士に私曲があるということで、淡路守はその者を禁獄し、私曲の虚実を
正さずにその妻子を始め、忌み掛かる者(親族)を皆召し捕らえた。そして庭に穴を掘らせて、
妻子らを首だけ出してその穴へ埋めさせ、その首に小桶を被せておいた。淡路守は毎日小桶を
取って見て回り、それを慰みになさった。

妻子らが追々死んでいく中で、代官を勤めた者だけは未だに死ななかった。その時、淡路守は
「妻子を始め、類族どもは皆死んだというのに、お前一人未だ死なないとは、よくよく因業深き
奴だな」と、言って嘲弄した。その者はそれまで目を閉じていたが、その言葉を聞くと両目を開き、

「今までは何とかして存命し、この恨みを報じようと思っていた。だが、妻子や類族まで死んだ
以上は、もはやこれまでだ。そのうえ、例え私に罪があっても、刑罰のやり方は法もあること
なのに、こんな刑罰のやり方をしたことこそ、恨みに思うぞ。見よ見よ、今に思い知らせてやる」
と言うと、はたと白眼で舌を噛み切って死んでしまった。

それからの淡路守は乱心して狂い回った。そしてある日、自ら我が身を鉄砲で撃ち貫いて死んだ。
そのため、家は断絶に及んだ。家士は皆淡路守を疎んでいたので、すぐに思い思いに退散した。

その中で種田勘九郎という者は一人残り、納戸の道具類やその他の物をともに、自分の預かりの
分はことごとく同姓の大助のところへ贈り、翌慶長2年(慶安2年の誤り)8月20日の亡主
1周忌の折に、廟前で自殺して果てた。書き置きが残され、「去年以来の殉死の存念を遂げた」
とのことである。また「曇りなき 月の光りに 誘はれて 浮世の雲も 晴てこそ行け」という
辞世の歌があった。

菩提所は雑花院(雑華院)で、水南和尚は石碑に俗称を彫り、法号を『義嶺祖高』となさった。
当座の殉死は簡単なことだが、このように一年の月日を過ぎても志を翻さず、廟前で殉死すること
こそ、大丈夫の忠臣というべきである。

このような悪君にもまた、このような忠臣がいたのである。『忠臣は亡国に現れる』とは本当に
もっともである。同姓の大助はその至忠を感じ、勘九郎の一子を呼び出し、厚く扶持なさった
ということである。

――『明良洪範』



728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/07(日) 18:25:54.56 ID:WjP/WeLG
>>711
腹切るくらいなら早めに止めろや、というのは言っちゃダメか

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/07(日) 20:55:48.08 ID:S9b8+mKr
>>728
「忠臣は亡国に現れる」って例とはちょっと違う気がするよな
何にしろ、良い話とは全然思えない・・・

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/08(月) 07:16:18.45 ID:WufHteIh
主君ではなく主家に対して忠義を尽くしたとか
狂人にたいして諫死するよりも殉死したほうが名誉と考えたかもしれんし

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寒ブリ事件

2010年08月12日 00:00

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 14:13:49 ID:1/7WiA1A
寒ブリ事件

丹波福知山藩主稲葉紀通。あの稲葉一鉄の曾孫に当たる男であるが、
藩内の政治は決して誉められたものではない、問題の多い君主であった。

彼は脂の乗った寒ブリが事の外好きであった。その年の冬、殊勝にも家臣たちに
寒ブリを振舞ってやりたいと考えた。が、福知山には海がない。
そこで海のある燐藩である丹後宮津藩の京極高広に頼むことにした

「すまないが家臣たちに振舞いたいので寒ブリを、100匹ほど分けてはくれないか?」

京極高広、この男も後に宮津藩改易の原因を作るなど、問題の多い男であった。
そんな問題の多い男は、言われたことを素直に受け取らない。

「ははん、稲葉紀通の奴そんな事を言って、寒ブリを幕府への献上品として
使う気だな?そうはいくものか!」

しばらくして福知山に宮津からの寒ブリ100匹が届いた。が、それは

高広は献上品として使えないよう、すべてのブリの頭をそぎ落とさせていた。

これを見て高広の心底を察した稲葉紀通は激怒した。
彼はすぐさま報復として、宮津藩の家臣であろうと領民であろうと、それらが自分の領内に入ったら
問答無用で殺すように、と命じた。そしてそれは実行された。

当然のことながら、たちまち問題になる。
京極高広は幕府に訴え、さらに紀通の悪政も表面化。幕府もこれを放置することは出来ず
ついに慶安元年(1648)、周辺諸藩に対し紀通討伐を命令。
稲葉紀通は居城福知山城に立てこもり、鉄砲で自殺して果てた。享年、46歳であったという。

寒ブリで滅んだ、稲葉一鉄の曾孫のおはなし。




414 名前:大関高増[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 16:06:12 ID:aeMCjtgD
なぜ信じる心をもてないのでしょうね?

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 16:18:04 ID:z1Karxv/
どこだっけ、友人の幕臣にジョークで
「謀反を起こすから賛同するように。」という諸大名の花押入りの連判状を送りつけて改易された家があったよね。

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 16:31:46 ID:7uSHrTLk
清正の息子だろ

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 16:32:41 ID:7uSHrTLk
いや孫か

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 17:59:02 ID:3ixWPum2
>>413
その逸話は新宮次郎の小説で読んだ
小説では寒ブリじゃなくて鯛だったが

>>415-417
清正の孫の加藤光広
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-123.html

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 18:42:45 ID:ruMvIuQS
>>413
頭悪いw

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 20:04:09 ID:TYpPVt/V
もっと時代が下れば殿様がアホな命令しても周囲がなあなあで納めちゃうけど
このへんの時代だと馬鹿正直に実行しちゃうんだよね。

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 20:12:34 ID:eoQeM17P
>>418
改易されたのが父親の忠広だから、そっちの方が馬鹿殿だったかのようなイメージがついちゃうなあ

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 20:15:24 ID:L/Lx/47I
>>413
もしかしたら直ぐに料理をできるように
頭を落としてくれただけかもしれなかったのに・・・

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 20:35:46 ID:xn41K1L7
稲葉紀通「ブリはカマが一番美味いんじゃあああああああ!!」

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 20:36:51 ID:EmlqQJco
ついでに三枚に下ろしてくれたらとっても親切だね

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 22:02:16 ID:Jbye63dq
>>424見た瞬間
「人を三枚に…だと…?!」
と勝手に勘違いし鬼武蔵を連想した俺はこのスレに毒されすぎたな…

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/11(水) 22:46:41 ID:YRlJo71o
>>425
人間無骨「よーし、パパ三枚におろしちゃうぞ
・・・でも人間に骨ってないよな」