『徹斎、諸国における試合の覚え』

2011年07月13日 23:05

4 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/13(水) 18:14:26.34 ID:zXZRlqOA
『徹斎、諸国における試合の覚え』

 タイ捨流の開祖、丸目蔵人佐長恵(まるめくらんどのすけながよし)。晩年には徹斎と号し、齢九十の長寿を全うした
剣士の生涯を記録した文書が、「徹斎於諸国仕合之覚」として今も熊本県球磨郡の丸目家に現存する。

 この文書。表題の通りに摂州の「仮名田熊左衛門」との仕合から、真剣勝負を望む「豊後の鎌仕の名人」を
刀の棟で打ち倒すまでの戦歴が記載されている。
 
 中には、薩摩国菱刈郡大口の「快鏡」という大勢の弟子を抱える兵法仕(へいほうつかい)が、様々詫び言して
仕合を免れた不戦勝の記録まで網羅されている。

 そんな中、十条目にさりげなく、このような文章が。

「摂津の国において、上泉伊勢守の弟子になる時。

上泉門下に諸侯から参じていた弟子、およそ六十数名。徹老(若き日の蔵人助)は一度に七~八人ずつまとめて
打ち伏せ、小休憩してからまた複数を同時に打ち伏せ、対には兄弟子が全て新参の徹老に指南される事となった」

 実際。足利義輝の御前で伊勢守の打太刀役を(新参にも関わらず)つとめているので、蔵人助が強かったのは
事実でしょう。

 が、さりげなく「上泉伊勢守の弟子に成り居られ候時」と記述していますが、どうして弟子入りしたかは
スルーしている事に疑問を抱くのは、勘繰りすぎでしょうか?





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『相良家の剣聖』

2010年08月16日 00:00

466 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/08/14(土) 22:37:44 ID:ukzFpy1u
九州ネタ来てるね!ここで九州のマイナー大名(大村とか相良とか秋月とか松浦とか)ネタを所望いたす。



473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/15(日) 18:22:01 ID:SWGjrNTe
>>466
お望み通りマイナーな相良家のネタ
『相良家の剣聖』
相良家の家臣にタイ捨流の開祖である丸目蔵人という剣豪がいた
19の時より剣聖上泉伊勢守信綱の元で剣術を学び
新陰流の免許皆伝を授けられた
信綱が足利義輝の前で演武をした時も打太刀の役目をこなし
かの宝蔵院胤栄や柳生石舟斎とも親交があり
新陰流と自身のタイ捨流を九州中に広げ、立花宗茂も弟子入りしたという
さて時は太平の世に移りある日
江戸にて天下一を標榜する輩が出てきた
その名も柳生宗矩、元同門で将軍家指南役を務める男だ
指南役とはいえ自分を差し置いて天下一を掲げるとはおさまりが悪い
そこで蔵人は江戸に出向くと高札を掲げた
「御前試合にて柳生の新陰流と俺のタイ捨流、どっちが天下一かを決めようか」
これに焦ったのが柳生宗矩
まさか天下の新陰流に喧嘩を売る奴がいるとは思ってもなかった
しかも相手は新陰流にとって考え得る上で最悪な相手
しかも負けたらヤバい、新陰流の面目以前に殺害されかねない
ブルったは宗矩は
「東国一は柳生の新陰流、西国一は丸目のタイ捨流」と言い直し
事なきを得たのだが…


474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/15(日) 18:32:04 ID:SWGjrNTe
しかし、それで納得する蔵人でも無い
( ̄ー ̄)「オマエんちの柳生忍軍だっけ、便利そうだよな?」
(・ω・)「(何が言いたいんで?)」
( ̄ー ̄)「今度、相良家でも忍軍つくりたいんだが協力しろ」
(〇ω○)「ダダ、ダメに決まってるでしょそんなの」
( ̄ー ̄)「そうか、じゃあ、天下一を賭けて御前試合やるか」
(○ω○)「俺の一存で決められる訳がないでしょ」
( ̄ー ̄)「仕方ないな、じゃあサクッと御前死合いを」
(・ω・)「うちの柳生忍軍の組織編成はですね…」
( ̄ー ̄)「じゃあ、それパクるわ、悪いね」
などのやりとりがあったのか
相良家でも柳生忍軍と同じタイプのタイ捨流による忍軍
相良忍軍をつくる許可を得る事に成功した
事なきを得た宗矩をよそに蔵人は
件の柳生への挑戦状ともいえる高札を記念に清水寺に奉納して飾っていた
しかしコレを知った宗矩は高札が残ってると柳生の名に傷がつくと
流石に憤り柳生忍軍を清水寺に派遣して
清 水 寺 ご と 燃 や し て し ま っ た
【↑ココちょっと悪い話ね】
なお、その後つつがなくに組織された相良忍軍は
某忍者軍団とかと死闘を演じるのだが
それは、また別の話…
※タイ捨流に伝わる伝承で根拠史料は微妙です




475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/15(日) 20:28:25 ID:KO+ruH6q
卜伝「ワシも混ぜてくれ」

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/15(日) 21:38:16 ID:uqm7ND7p
家久(悪)「お、なんだか面白そうなことやってるな。重位、ちょっとお前も行ってこい」

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/15(日) 21:57:57 ID:Vf0htymN
死ぬことと見つけたりでタイ捨流名前出てたなあ
タイがカタカナなのは、タイの意味を特定しないようにだったっけ

丸目蔵人佐、兵法者は戦下手・悪い話

2009年01月17日 00:03

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/16(金) 03:43:18 ID:PiCDnkZC
兵法者は戦下手
南国肥後相良の丸目蔵人佐(長恵)は、タイ捨流の祖で九州に新陰流を広めたお人だが戦は下手だったようだ。
この蔵人、19歳で上洛し上泉信綱に師事し新陰流を学ぶ。時の将軍足利義輝の御前で師の信綱と模擬戦を披露するよにまで名を上げた。
そして意気揚々と南肥後の人吉に帰国したところ、相良氏は薩摩島津との戦の準備の真っ最中。
戦の理由は相良と友好関係にあった薩摩菱刈氏の大口城近くに、島津配下の新納忠元が市山城を築き戦い避けられぬ状況になったため。
さて、都会で兵法者として名を上げた蔵人、意気揚々とこの大口城に後詰めとして入ったのだが、たいするは島津四兄弟の末弟島津家久(善)。
例によって島津お得意の釣り野伏せ、ごく少数のおとり部隊が大口城に攻撃を仕掛けてきた。

蔵人「島津の小童めあのような小勢で城攻めなど片腹痛いは!おらおら突撃だー!」

だが相良勢の中にも釣り野伏せを見破った人物がいる。赤池長任臣下の小田八郎右衛門である。
小田「ちょっとちょっと、あの家久(善)があんな小勢で攻めてくるわけないでしょ、あれ絶対囮ですよ!」

しかし都会帰りで意気揚々の蔵人は聞く耳をもたない。
蔵人「んなこたあ無いよ!将軍様お目見えの兵法者の俺を信じなよ!ほら突撃突撃!」

こうして蔵人の指揮の下、まんま城外へとにおびき出された相良勢は島津家久(善)の伏兵に取り囲まれ全滅の危機に瀕する。
そんな蔵人の危機を救ったのは釣り野伏せを見破った小田八郎右衛門。
敵軍に突撃し蔵人達が逃げる時間を稼ぐが、そこで討ち死にしてしまった。

こうして命からがら人吉に逃げ帰った蔵人だが戦は大敗。京仕込みの兵法者の効能もさすがに色あせ、相良義陽は蔵人に蟄居3年を命じるのであった。

兵法者に踊らされた者達にはちょっと悪い話でした。