450 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/04/21(木) 23:14:59.11 ID:dsm5+nL8
立花家家臣、樺島家と壇家の断絶と復興
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで毛利輝元と石田三成の西軍に属して戦った立花宗茂とその一族郎党であったが、 関ヶ原の戦いはご存じのとおり西軍の敗北に終わり、
立花宗茂は残兵をまとめて大坂城に戻り、そこから紆余曲折を経て 領地である柳川に戻り、そこで鍋島・加藤・黒田の軍と一戦交えたのちに開城降伏した。
関ヶ原以後の立花宗茂の紆余曲折
西国無双 吼える
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13139.html
関ヶ原の戦いにおける宗茂
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3443.html
名将の降伏
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4344.html
その後、立花宗茂は改易となるが加藤清正はじめとする諸大名からの仕官の誘いを断り、肥後の玉名郡高瀬村の清源寺に入って 加藤清正の客分として遇されることとなり、
正室の立花誾千代は肥後国玉名郡腹赤村に寄宿することとなった。
改易された立花家に代わって柳川藩主として入ったのが田中吉政である。
慶長7年(1602年)7月11日、柳川と肥後の境近くにある面の坂にてこの前日に松風の関で 田中家の関守に捕らえられた松延村の樺島彦左衛門益義と本郷村の壇七郎兵衛忠重と
その一族の者らが磔刑に処され、 彼らの父親、松延村の庄屋・樺島式部(旧松延城主)は自宅にて切腹し、本郷村の庄屋・檀大炊介(旧松延城主)は 矢部川の川原にて斬首と相成った。
そして、樺島・壇両家は庄屋職を解かれた上で断絶となる。
何故にこのようなこととなったか?樺島・壇の両家とその一族は密かに当時は国(藩)をまたいでの 輸送は禁じられていた米と金品を塩と偽って塩俵に隠して、
味噌などと共に大八車に積んで毎月のように 旧主である立花宗茂と立花誾千代に届けていたのである。
肥後側の南関は清正から関守を任された加藤美作が色々目溢しをしていたようであるが、何者かが密告したか たまたまバレたのかは定かではないが、田中家の領内で捕まった樺島・壇の人々は僅か一日で処刑され、
それから3カ月ほどのちにはこの事件が原因かは分からないが、立花誾千代も34歳の若さでこの世を去ってしまうのである。
加藤清正、立花誾千代に兵糧を送る http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13129.html
この逸話もひょっとすると、今回のこの話に絡んでいたのかも知れない。 また、樺島・壇両家の仕送りに対して宗茂は脇差を礼として送っていたとも言い、 立花宗茂が田中吉政とその家臣を毛嫌いしていた?という既出の逸話もあり、
今回の逸話のことも 一因だったのではないか?とも個人的には思う。
>>450続き 本スレに投稿出来なかったのでこの場をお借りして
庄屋職を解かれた上に一族断絶とされた樺島・壇の両家であるが、 樺島益義と壇忠重、忠重とともに処刑された従弟・久左衛門にはそれぞれ子がおり、
久左衛門の一歳の子は折地村の下川家に匿われて育ち、のちに京で学んで医者となり 同地に戻っている。
また、幼かった益義の一子・益仁と忠重の一子・重貞も方々に匿われて成長したのち、 柳川藩主・田中家による難を逃れ、のちに吉政の死後、
跡を継いだ嫡子忠政が早世して田中家が無嗣断絶となって、立花宗茂が柳川藩主として旧領への復帰を果たした際、目通りを果たし、
それぞれ大庄屋として復帰し、10石どりの士分の立場と帯刀を許され再び立花家に仕えることとなった。
(旧柳川藩志などより)
樺島・壇両家が大八で米を運んだルート
ttps://i.imgur.com/bLMvJfV.jpg

ちなみに、この事件を機に面の坂はハタモン場(処刑場)となり、度々関所破りが囚われ処刑された松風の関跡は
現在も心霊スポットとして 当地にて語り継がれているのだという。
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立花家家臣、樺島家と壇家の断絶と復興
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで毛利輝元と石田三成の西軍に属して戦った立花宗茂とその一族郎党であったが、 関ヶ原の戦いはご存じのとおり西軍の敗北に終わり、
立花宗茂は残兵をまとめて大坂城に戻り、そこから紆余曲折を経て 領地である柳川に戻り、そこで鍋島・加藤・黒田の軍と一戦交えたのちに開城降伏した。
関ヶ原以後の立花宗茂の紆余曲折
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関ヶ原の戦いにおける宗茂
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名将の降伏
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その後、立花宗茂は改易となるが加藤清正はじめとする諸大名からの仕官の誘いを断り、肥後の玉名郡高瀬村の清源寺に入って 加藤清正の客分として遇されることとなり、
正室の立花誾千代は肥後国玉名郡腹赤村に寄宿することとなった。
改易された立花家に代わって柳川藩主として入ったのが田中吉政である。
慶長7年(1602年)7月11日、柳川と肥後の境近くにある面の坂にてこの前日に松風の関で 田中家の関守に捕らえられた松延村の樺島彦左衛門益義と本郷村の壇七郎兵衛忠重と
その一族の者らが磔刑に処され、 彼らの父親、松延村の庄屋・樺島式部(旧松延城主)は自宅にて切腹し、本郷村の庄屋・檀大炊介(旧松延城主)は 矢部川の川原にて斬首と相成った。
そして、樺島・壇両家は庄屋職を解かれた上で断絶となる。
何故にこのようなこととなったか?樺島・壇の両家とその一族は密かに当時は国(藩)をまたいでの 輸送は禁じられていた米と金品を塩と偽って塩俵に隠して、
味噌などと共に大八車に積んで毎月のように 旧主である立花宗茂と立花誾千代に届けていたのである。
肥後側の南関は清正から関守を任された加藤美作が色々目溢しをしていたようであるが、何者かが密告したか たまたまバレたのかは定かではないが、田中家の領内で捕まった樺島・壇の人々は僅か一日で処刑され、
それから3カ月ほどのちにはこの事件が原因かは分からないが、立花誾千代も34歳の若さでこの世を去ってしまうのである。
加藤清正、立花誾千代に兵糧を送る http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13129.html
この逸話もひょっとすると、今回のこの話に絡んでいたのかも知れない。 また、樺島・壇両家の仕送りに対して宗茂は脇差を礼として送っていたとも言い、 立花宗茂が田中吉政とその家臣を毛嫌いしていた?という既出の逸話もあり、
今回の逸話のことも 一因だったのではないか?とも個人的には思う。
>>450続き 本スレに投稿出来なかったのでこの場をお借りして
庄屋職を解かれた上に一族断絶とされた樺島・壇の両家であるが、 樺島益義と壇忠重、忠重とともに処刑された従弟・久左衛門にはそれぞれ子がおり、
久左衛門の一歳の子は折地村の下川家に匿われて育ち、のちに京で学んで医者となり 同地に戻っている。
また、幼かった益義の一子・益仁と忠重の一子・重貞も方々に匿われて成長したのち、 柳川藩主・田中家による難を逃れ、のちに吉政の死後、
跡を継いだ嫡子忠政が早世して田中家が無嗣断絶となって、立花宗茂が柳川藩主として旧領への復帰を果たした際、目通りを果たし、
それぞれ大庄屋として復帰し、10石どりの士分の立場と帯刀を許され再び立花家に仕えることとなった。
(旧柳川藩志などより)
樺島・壇両家が大八で米を運んだルート
ttps://i.imgur.com/bLMvJfV.jpg

ちなみに、この事件を機に面の坂はハタモン場(処刑場)となり、度々関所破りが囚われ処刑された松風の関跡は
現在も心霊スポットとして 当地にて語り継がれているのだという。
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