中筋村の飢饉 ~妙玄寺縁起~

2017年02月11日 17:06

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/10(金) 16:06:11.92 ID:DUhfrXD6
中筋村の飢饉 ~妙玄寺縁起~


『宝塚の民話』より
慶長7(1602)年の秋は大変な不作でした。
旗本の渡辺氏が治めていた中筋村も納める年貢に困っていました。
代官からは毎日のように
「あわ、ひえでも良いから納めなさい」と矢のような催促が来ます。
「あわやひえまでも納めたら我々は一体何を食べたらいいんだ。
 全員が餓死してしまうではないか」
村人たちは代官所へ行き、何とか一年待ってもらいたいと願い出ましたが
聞き入れられません。

困り果てていたその時たまたま村人のひとりが
米俵を積んだ舟が淀川筋を登っていくのを見かけました。
聞くところによるとその米は、姫路藩主・池田輝政の幼い息女が亡くなり
その百か日の法事の御供養米として、京都の法華宗・本禅寺へ
お届けする品だということでした。
そのことを知ると村民の代表達が本禅寺へ馳せ参じ事の次第を話し
「村民をお救い下さい」と嘆願しました。

話を聴いた寺の日邵上人は
「お困りなのはよく分かったが、法華宗の宗義として他宗のものには
 米一粒、銭を一銭たりとも援助することはできないのです。
 たとえ何人かの法華宗のものがいたとしても、村全体のために
 米を分けてやる訳にはいきません」
との返答です。

その返事を聞いて急いで村へ戻ると、村人すべてを集めて訳を話しました。
「食べるものがなくなり、子どもたちまで死なせるくらいなら」
と今度は村民全員で本禅寺へ行き
「村に住む者は皆、法華宗に帰依します。
 これは子々孫々まで変わることはありません。
 このたびの願い、どうぞかなえてください」
と申しあげ、お願いしました。

そして気持ちの変わらない証(あかし)として
一 中筋村に暮らすものは全員、法華宗を守り、子々孫々まで法灯をかかげます。
一 他の宗派から宗旨がえを求められても応じません。
一 前の宗派へ隠れて詣でることもしません。
という証文をお寺に差し出しました。

ようやくのことお米を融通してもらい年貢を納めることができた中筋村は
全員あげて法華宗の陣門流に帰依しました。
それからしばらくして京都に詣でるには道のりが遠いことから
古くからあった村の寺を建て直しました。

その寺の名は、亡くなった池田輝政の息女の法名
"縁了院殿妙幻叔霊"の妙幻に因み"妙玄寺"としました。
その上村の角には"南無妙法蓮華経 法界"と刻まれた法界石を建て
村の宗派が法華宗であることを明らかにしたということです。


以上の話は宝塚市の妙玄寺に実際に伝わる話だが、ここで出て来る輝政の娘は
どうも督姫の連れ子で池田利隆と婚約していた万姫のことらしい。
近年になって鳥取市の正栄山妙要寺に肖像画が発見されたとか。



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池田輝政"せいひく舞"を舞う

2017年01月18日 10:09

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/18(水) 09:25:57.67 ID:hBfDZdGf
池田輝政"せいひく舞"を舞う

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7820.html
↑の話の微妙に違うバージョン

輝政卿と同輩の大名が宴会の座にいるとき
輝政が矮人であることを笑うものがいたので、(輝政は)
「それならば自分は矮舞という新曲をやろうではないか」
と急に立ち上がって、自らせいひく舞を見さいなと打ち返し囃して
「播磨備前淡路の三カ国の主なので"せいひくし"とは思わない」
とうたいながら舞ったので、座中が興に入ったと言い伝わっている。


――『思ひ出草』



池田家臣伊木豊後と若原右京の衝突(未遂)事件

2017年01月16日 10:23

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/15(日) 17:52:22.35 ID:ryfezp7n
池田家臣伊木豊後と若原右京の衝突(未遂)事件


ある時、伊木豊後(忠次)と若原右京には確執があった。
豊後は第一の寵臣で播州三木の城主であり、若原右京は中村主殿と同じく
領国の仕置を掌っており、その威勢は肩を並べる者はいなかった。
豊後は右京と常に不和だったので、双方の家臣も不通であり
互いに己の主の権勢を恃みにし、何事も負けないと争い合っていた。

右京が姫路に登城しようとして、大手(正門)で馬から降り歩いていると
豊後の鑓持ちの男が両足を投げ出して、打ち仰いで髭を抜いていた。
右京が前に来ても両足を引こうともせず、人がいないような態度でいたので
右京は怒り刀を抜いて、そのままその男の両足を切り落とした。

(右京は)登城せず急ぎ馬に乗って引き返し、己の屋敷に馳せ帰ると
「豊後が程なくして寄せ来るだろうから、その用意をしろ」
と言い、与力の士五十騎、足軽二百人に自分の人数を加えて
屋敷の四方に隙間なく配置し、鉄砲兵はみな屋根に上げて
自らも六文目の鉄砲を持って書院の棟に打ち跨り
豊後が来たら討ち取ってやると待ち構えた。

豊後も右京の大手での振る舞いを聞き、同様に下城して人数を揃えて
右京の屋敷に押し寄せようと鬩いでいたところ、国清公(輝政)の耳にも入り
(輝政は)急ぎ使者を以って先に豊後を呼ばれ
「右京の所業で、そのほうが立腹するのは尤もなことだが
 今押し寄せて攻めるのは、我に免じて堪忍してくれ
 そのほうが遺恨のないように(右京に)申し付けろ」
と仰せられ無理に留め置いたところで、右京を呼ばれた。

右京も豊後が静まったのを聞いて登城したが、(輝政は)右京が普段から
豊後に対し過ぎた振る舞いをしていることを(豊後から)聞いたために
「今日の粗忽は言語道断である。当家にいることは叶わないだろう。
 どこへなりとも立ち退くように」
と仰せられたのですぐに退出しようとしたが
これを聞いた豊後が御前に出てきて
「只今の指図は忝ない仕合わせに存じますが、右京に暇を与えるのは
 私の本意ではありません。右京のような者と権威を争ったと
 他家の人が評論することになるのは恥ずかしく、当惑しています。
 是非とも右京を召し返して下さい」
と申し上げたので、公もお許しになり急ぎ召し返された。

右京は何事だろうと再出し、御前近くに呼ばれこのことを聞いたので
このときから右京は豊後に心服し、懇ろに会釈などをするようになった。
この豊後は東照神君(家康)も懇ろにお会いする者だったので
この頃の勢いは申すに及ばず、姫路では平時の供廻りが三百人いた。
時々摂州(摂津)にも踏み込み、鷹狩りなどをしたのに咎める者がいなかったとか。
その他の事跡については推して知るべし。


――『池田家履歴略記』

あわや大惨事……。



池田輝政「もし槍先ならば」

2016年12月30日 18:19

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/29(木) 22:43:08.83 ID:nt8Yb9I9
池田輝政「もし槍先ならば」

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-226.html
↑の話の詳しい版

輝政卿の親しい同輩の大名福島正則など二、三人が集まって物語りをしていたとき
輝政へ出入りする盲人がその場にいたので、輝政に申し上げさせるようにわざと
「三左衛門(輝政)は今大国を領しているといっても、畢竟は大御所の婿だからだろう
 我らは槍先で取った国だが、陰茎の先で取ったのは格別だ」
と言ったので、盲人が果たしてこのように告げると、輝政は笑われて
「『輝政が領する国は陰茎にて取ったが、もし槍先ならば天下を取ってしまうので
 槍を用いなかったのだ』と各々にこう申せ」
と仰せられたので、同輩の衆はその滑稽を笑われたのだという。

実際は岐阜城攻めのときに、(輝政は)正則と先を争い共に大功を立てたが
輝政は五十万石を賜ったのに対し、正則には四十九万石だったため
正則がかねがね不満に思っていたのを、輝政は知っておられ
当たらず触らず戯れ言を以って返事なされたのだとか。


――『藩鑑』



淡路国をしてやったり

2016年12月27日 19:10

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/26(月) 16:00:30.58 ID:7PUV8B8k
淡路国をしてやったり


慶長15年2月、池田輝政は駿府で家康に謁し、淡路国六万六千石を加増された。
これは三男の忠雄殿(このとき9歳)が賜ったところである。

この時に浅野幸長も登城していたので、世上の風聞では
「今日、池田浅野両家のうちどちらかに淡路を賜うだろう」
と言われていたので、両家の伴人は皆耳をそばだてて待っていた。

輝政が玄関から出てこられ、お供の士の安藤牟三郎をお呼びになり
「お前はどこそこに行って『今日御前において淡路を我にお預けになった』
 と言ってくれ」
と仰せられたので安藤は承り走り出たので、呼び返しになられて
「お預かりと申せ、拝領とは申すな」
と命じられたが、其の頃の天下諸士は闊達であるのが流行っていたので
安藤が下馬の橋を走り出たのを、傍輩が立ちふさがって
「安藤いかにいかに」
と言葉をかけると、牟三郎は扇を開いて頭より上に高くあげ大音声で
「淡路国をしてやったり、してやったり」
と叫ぶと、池田の士が不覚にも一度にあっと声を出したので
下馬中の一同はどよめき声は静まらなかった。


――『池田家履歴略記』



ある日、姫路城の池田輝政に手紙が届きますた・・・

2016年12月24日 09:54

455 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/24(土) 00:09:06.06 ID:vAaOz2Je
池田輝政の死因

      ある日、姫路城の池田輝政
       手紙が届きますた・・・
          _____
         / ヽ____//
         /   /   /
        /   /   /
        /   /   /
       / 刑 /   /
       / 部 /   /
      /   /   /
       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

         | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
         |                    |
         |   前略 池田輝政 様   |
       /    ̄ ̄ ̄ ̄     /____
       / 呪いを掛けました /ヽ__//
.     /        殺すぞ   /   /    /
.     / 死にたくなかったら/   /    /
    / 大八天神を祀れ___   ./   /    /
   /        刑部   /  ./    /
 /             /   /    /
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/   /    /


スルーした池田輝政は徐々に体調がおかしくなり、慌てて言う通りにしましたが時すでにお寿司。そのまま悶死したそうな。めでたしめでたし。
      r ‐、
      | ○ |         r‐‐、     
     _,;ト - イ、      ∧l☆│∧  良い子の諸君!
   (⌒`    ⌒ヽ   /,、,,ト.-イ/,、 l  困った時の神頼み!
    |ヽ  ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) 
   │ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /| とよく言うが、
   │  〉    |│  |`ー^ー― r' | 困った時に神頼みしても
   │ /───| |  |/ |  l  ト、 |  手遅れな場合もあるから気をつけるんだぞ!
   |  irー-、 ー ,} |    /     i      
   | /   `X´ ヽ    /   入  | 普段から神様祭事慶弔行事は大事にするんだぞ!


本当は怖い日本の城より

456 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/24(土) 00:35:11.91 ID:vAaOz2Je
>姫路城の怪異と輝政の死・天守の五層目に、夜な夜な怪しい灯火がともされたり、真夜中に突然大きな太鼓の音とともに悪鬼が現れて人々をとり殺したり、
あるいは夜半に大勢の女子供の泣きわめく声が突如として、湧き起こったりした。さらに若い女中がさらわれたり、白昼傘をさしたまま侍が空中に吊り上げられるなど、
不気味な事件が昼夜の別なく城内のあちこちでありました。
ついに怪異は、輝政本人をも襲いました。輝政の枕元に現れた美しい上臈が、近日中に病気になるだろうと予言した。天守閣が完成した直後の慶長十四年には、実際に奇妙な書状が届けられた。
『播磨主大天神東禅坊・都の主千松』なる人物から輝政・督姫・輝政の母に宛てた文で、『此九月にもな、物にくるいつるおな、きつねよなとかつてん(合点)しつるかな、
これもとうとみのくに(遠江国)の天神そや、すなわちくわん(願)あかりてな、三りんほうが、はやはやよりんほうになりたるそや伝々』
と言う様な呪いの言葉が、書き連ねられていた。その要旨は、『遠江の四りん坊なる天神(天狗)が三りん坊なる天神を誘って姫路城の鬼門から侵入し、輝政らの命を奪おうとしている』
この呪いから逃れる為には、城の鬼門に『八天塔』すなわち『八天大塔護摩堂』を建立し、大八天神を祀って護摩の秘法で祈祷を納めなければならない。
と言う様な意味でした。この怪文書は、現在、小野市浄土寺と多可郡円満寺に所蔵されていると言います。
剛毅な輝政が打ち捨てていたところ、城内で怪異がつづき、とうとう輝政自身も病の床についた。さすがに気味悪く、輝政は八天堂を建立、
円満寺の僧を招いて悪魔調伏の護摩修法を行った。だが時すでに遅し、輝政は外出中、にわかに苦しみだし、急ぎ帰城する途中、輿にカラスが次々にぶち当たって来た。
この後、輝政は一時的に回復したが、病室の障子や壁に群れをなしたカラスが突き当たってはバタバタと、地上に落ちて死ぬなど不吉な現象が続き、慶長十八、ついに帰らぬ人となった。

おそらくは中気の再発だろうが、ただ、吐血して突然死を遂げた事から、毒殺の噂が立ちました。

http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1268371737

後、祥伝社文庫の『江戸の怪』中江克己 著
にも少し内容が異なるけど池田輝政怪死の話が載ってる模様




457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/24(土) 07:18:59.17 ID:dgj9qo97
どうせなら鴉じゃなくて蝙蝠にすりゃええのに

458 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/24(土) 08:23:15.36 ID:vAaOz2Je
>>457
    (\_/)
  /( (゚(M)゚) ハ 日中仕事するとか眠たい
 / | Y (゚Д゚)Y|
`| |  (ノミミミ|)||
 \(⌒Yミミミノ⌒)/
     ∪∪

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/24(土) 08:36:03.66 ID:dgj9qo97
いや、石燕は蝙蝠と一緒に長壁姫を描いてるからさ

てか、知恵袋から引っ張ってきたのか

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/24(土) 09:23:19.51 ID:aP1ZLklG
根岸鎮衛「知恵袋とは耳嚢(みみぶくろ)のようなものですか?」

461 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/24(土) 09:27:49.94 ID:vAaOz2Je
>>459
知恵袋は書き込んだ後で見つけた。
祥伝社文庫の本に載ってるのとでまた若干細部が違うし、池田輝政 死因 呪い とか、姫路城 呪い でggってみるとよろしよ

462 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/24(土) 11:47:20.54 ID:vAaOz2Je
>>460
左様ですな、現代に於ける様々な人々の言葉が詰まったさながら塵袋、芥袋と呼ぶに相応しき物かと存じます

鏡石神社

2016年12月18日 10:46

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/18(日) 10:41:21.49 ID:Wpo5C6J5
鏡石神社


岡山県備前市八木山にある鏡石神社の御祭神は日乃星照の命(池田輝政)で
その縁起は以下のようになっている。

八木山村に住んでいた八木浄慶は、この地方の蝋石を発見したといわれ
蝋石で仏像を造ることをなりわいとしていた。
備前市三石光明寺・西片上真光寺・蕃山正楽寺などに伝来する大日如来坐像
大滝山実相院の虚空蔵菩薩像などが浄慶作として知られる。

『備前孝子伝』によると、慶長7(1602)年に岡山藩主だった池田忠継の父輝政が
浄慶の親孝行の志が篤いことを聞き浄慶を褒め称え、永代扶持の高六石を与えた。
感激した浄慶は、その後慶長18年(1613)年に輝政が没したことを聞くと
蝋石で輝政の像を刻み、朝夕これを拝礼して輝政の恩に報いた。
また死に臨み、その子八木左衛門に僧となって輝政の像を祭祀するよう遺言した。

八木左衛門は父の遺言に従い出家して輝政像を祭祀することにしたが
母への孝心が厚いことを聞いたその時の岡山藩主池田光政が
「お前が出家して子孫が断たれるのは親への不孝のはじまりで
 輝政像を祀る者も絶えることになろう」
と諭したところ悔い改めたので、還俗させて八木左衛門復善と名乗らせ
十三石余を加増して二十石の土地を与え、八木山山中に祠を建てて
輝政の像を納めさせたので、左衛門の子孫が代々お祀りするようになったという。

池田輝政の像は今も同社の御神体として祭祀されており
万治三(1660)年に光政が与えた感状などが鏡石神社の神主の八木家に伝来している。


――『岡山県総合文化センターニュース No.412』



425 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/18(日) 10:54:08.32 ID:W3oghmAZ
>>424
MTMS「†悔い改めて†」
八木左衛門 彡(゚)(゚)「おかのした」

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/19(月) 10:50:32.72 ID:Gv33q/C1
父の遺言に従ったら親不孝の始まりといわれて悔い改めるとかいろいろ大変だ

一乱の前年に逝去したのは

2016年12月01日 16:20

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/30(水) 17:24:29.85 ID:uyfCbhaP
一乱の前年に逝去したのは


池田輝政の妹は秀次の御台所だったので、そのことから
秀次が持っていた薬師院肩衝を輝政が所望したことがあった。
太閤はそれを聞いて
「その茶入は三左衛門(輝政)に与えなさい、その代わりに投頭巾の茶入をあげよう」
と言って秀次に投頭巾の茶入をやったが、秀次は薬師院の茶入を輝政に与えなかった。

その後秀次は生害し、聚楽の御殿は破却され宝物は悉く伏見の御城へ上り
薬師院の茶入も伏見へ上っていた。諸大名の内で秀次へ一味した者がいないかと
ご吟味があり(輝政は)誓詞を仰せ付けられた。

ある人が
「三左衛門は秀次の縁者なので一番にご吟味されるべきだ!」
と言うと、太閤は
「三左衛門が一味ではないのは明らかである。
 その訳は(輝政が)所望の茶入の代わりを(秀次が)受け取りながら
 三左衛門に与えなかったというこの恨みは深いので疑う所はない」
とし、その後太閤は薬師院の茶入を三左衛門に与えられたという。

以上のことは真田将監(池田家臣)が物語したことだが、池田家譜で
秀次から拝領したとしているのは誤りだろうか。
秀次の御台所は一乱(秀次事件)の前年に聚楽で逝去していたので、
そのことを池田家の吉事と言ったという。


――『古老物語聞書』



伊木清兵衛、池田輝政に家督を継がせ

2016年11月09日 13:37

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/09(水) 01:44:51.50 ID:eCKCRg+Q
伊木清兵衛池田輝政に家督を継がせ


(小牧・長久手の戦いの後)ある人が語ったところによると
参州(三河)への中入りは勝入(池田恒興)が再三願ったから
(やらせたのに)そのせいで秀次は大いに敗軍した。
勝入と嫡子(之助、輝政の兄)などは猛将勇士といえども討ち死にし
秀吉は大いに(勝入が)不覚を取ったことを怒っていたので
勝入の跡目はどうなるだろうと危ぶまれていた。

勝入の家臣伊木清兵衛は元来秀吉と情が厚かったので
(輝政に継がせるように)度々申していた内に
(秀吉の)陣屋に輝政や他の家臣を伴って参上するように
指示があったのでいずれも参上した。

陣屋は秀吉がいる間は八畳、次の間は十二畳あるところで
輝政は敷居の内際、清兵衛は敷居の外際、森寺清右衛門・土倉四郎兵衛・
片桐半右衛門・日置猪右衛門・和田八郎等は清兵衛のあとに並んで俯伏していた。

「勝入の今までの居城、大垣は輝政に与える。
 輝政は年若なので老功の清兵衛を勝入同然に思うように。
 家老どもも清兵衛の差図に背くことなく輝政に忠勤をするように」

と(秀吉が)おっしゃったので、各々拝礼をして退出するときに
清兵衛が喜びの余り臥し転ぶ(体を地に投げ出して、あちこちと転げ回った)のを
秀吉が見て、喜びが身に余って見えるのは忠誠心からなのだなぁと感心して褒めたという。


――『池田軍功記』



307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/09(水) 02:50:49.10 ID:DAC+KoZN
まるで犬

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/09(水) 05:57:38.99 ID:UIGOKJU/
たそがれはかわいいなあ

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/09(水) 09:45:18.72 ID:ywcH1qs3
武者は犬ともいへと?

池田輝政は数百人の牢人を扶助し

2016年04月25日 18:33

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/25(月) 14:05:16.66 ID:uDiaW7d3
池田三左衛門輝政は、その寵臣である若原右京、中村主殿をして、諸国の牢人の中で
武名才気ある者へは常に米穀、あるいは金銀を与えて扶助し、その数は数百人であった。
思う所あってその米穀金銀は出納を通さなかっら。

これは大阪に変が有れば、関東の出馬を待たず、播磨、備後、淡路の兵にこの牢人を加え、
自ら率いて一人でこれに当る事を欲したためであった。それは、彼が関東より殊遇されていたため、
殊忠を致さなければならないと思っていたためである。

この為、彼は自ら婦女への愛や器物への愛玩等の費えを禁じた。
彼は人に常に言っていた

「今日、大国に封じられた者は礼遇にのみ篤く、手足の労を以って仕え難い。それゆえ
私はただ多士を育んで天下の干城にならんと思い、これによって自分の娯楽を抑損して、その財を以って
武備に散ずるのだ。」

実に輝政の如きは忠尽の将と言うべきであろう。
(慶元記)



「姫路の城、化物の事」

2015年03月27日 18:02

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 00:30:34.08 ID:Gi6hkyQT
祝!グランドオープン!ってことで、「姫路の城、化物の事」

池田輝政はある夜、御座の間に家中の者を集め、
「この城の天守五重目に夜な夜な火をともしている怪しい奴がいるのだが、様子を見に行く者はおらぬか?」と問うた。
我こそはと名乗りを上げるものは一人もいない・・・と見えたその時、18歳になるある侍が、「私が見て参りましょう。」と申し出たので、
輝政は彼に提灯を渡すと「証拠としてあの火をこの提灯に灯して参れ。」と命じた。

侍が天守の五重目まで上ると、そこにはただ一人、17~8歳くらい女郎がいて、十二単を着て火を灯していた。
女郎は侍に問いかける。
「汝は何とて、ここへ来たるぞ?」
「私は主人の仰せによってここまで来たのです。どうかその火をこの提灯に灯してくださいませ。」
と彼が答えると、「主命とあれば許してとらせん。」と言って、女郎は提灯に火を灯してくれた。

侍は嬉しく思って御座の間へ帰ろうとしたが、三重目まで下りたところで提灯の火が消えてしまったので、もう一度五重目へ戻り、
「今度は少々のことでは消えぬようにしてくださいませ。」と言うと、女郎は蝋燭を取り換えて再び火を灯してくれた。
さらに「これを証拠にせよ。」と言って一本の櫛を持たせてくれたので、侍は喜んで主君の所へ立ち返り、提灯を差し上げた。

輝政は奇特なことであるといい、提灯の火を消そうとしたがどうしても消えなかった。しかしかの侍が消せばすぐに消えたのである。
「他に不思議なことはなかったか?」
「そういえば、この櫛を預かったのですが・・・」
「ややっ!これは、具足櫃に入れておいた櫛ではないか!」
不思議に思って具足櫃を開けてみると、一対入れておいたはずの櫛の片方が無い!

「なんか凄いじゃないか、うちの城!儂もちょっと行ってくるわ!」
輝政はすぐに単身天守に上がっていったが、そこには女郎などおらず、ただ灯がともっているだけだった。

しばらく天守にいた輝政のもとに、いつも召している座頭がやってきた。
「おい、なんでこんな所にきたのだ?」
「はい。殿がお一人で心細い思いをしているのではないかと思い、琴でも弾いて差し上げようかと参上したのですが・・・実は、この琴の爪箱の蓋が空かずに困っているのです。」
「そうか。よし、儂が開けてやろう。これへよこせ。」
輝政はそう言って爪箱を受け取ると、その爪箱が手に吸い付いてきてどうやっても離れない!
「口惜しや!謀られたか!」と叫んで足で踏み割ろうとすると、爪箱は足にも吸い付いて離れない!

輝政がもがいていると、今度は座頭が巨大化して身の丈1丈ほどの鬼神となり、
「我はこの城の主なり!我を疎かにして尊まずんば、お前を今ここで引き裂き殺してくれよう!」とこの城を魔改造した歴戦の男に脅しをかけた。
さすがの輝政も、両手と足を小箱に吸い付かせた状態ではどうすることもできず、ただただ化物に降参するしかなかった。
すると、爪箱は輝政から離れた。程なく夜も明けた。

我に返った輝政が周りを見渡すと、そこは天守の五重目ではなく、いつもの御座の間だったという。
(播陽諸所古今物語)




611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 08:17:56.40 ID:RMyjTiBD
姫路の主ってクロカン?

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 09:03:44.72 ID:7X/0UXhu
刑部姫のことでしょ

現在では代官と言われる者さえ

2014年12月12日 18:35

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/12(金) 01:57:05.44 ID:iPgindBB

池田輝政が播磨の領主であった時代、直に村々に触れられて、一石につき二升宛の年貢免除を許された。
この事について、堀甚兵衛という名主の家には今も、輝政自筆の免状が伝わっている。
このように大名が村に直接指示を出したというのは、戦国の時であったからそんな事もあったのだと
言う人がいるが、新太郎少将(池田光政)の時代でも、その領内の村々を、大名自ら万事委細に理解し
扱いを行っていたのである。

現在では代官と言われる者さえその管理する村について知らない事すらある。

(明良洪範)




輝政は栗を手に受けて

2013年08月26日 19:50

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/26(月) 18:02:06.74 ID:vLA1EGRy
ある日、池田恒興は囲炉裏で栗を焼いて食べていた。この時、側には十歳ほどの輝政がいた。
恒興は輝政を試してみようとして「この栗が欲しいか」と尋ねると、輝政は「欲しいです」と言った。

そこで恒興は火箸で火の中にある焼栗を取り出して、そのまま差し出した。輝政は栗を手に受けて
押し戴き、何気ない様子で食べた。

――『名将言行録』




968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/26(月) 18:27:25.40 ID:U43fJV3M
リアクション芸人じゃないんだからw

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/26(月) 19:24:24.41 ID:T+mlkPFf
そういや池田家じゃなかったっけ饅頭苦手な小姓に持たせたら、手が腐って死んだとか言う話

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/26(月) 19:52:04.41 ID:2J+/Kijn
饅頭恐い

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/26(月) 20:36:39.54 ID:NdSD+sXp
苦手とかそういうレベルを超えているなw

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/26(月) 21:29:08.02 ID:n5dbDePS
そろそろ熱いお茶が恐ろしゅうございます

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/26(月) 22:05:58.03 ID:LnviN91z
饅頭アレルギー?なんてあるのか

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/27(火) 14:08:22.86 ID:3a8FtYZC
なにそれこわい

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/27(火) 15:53:53.35 ID:tcK433oS
蕎麦アレルギー、米アレルギー、小豆アレルギー
↑饅頭に使いそうじゃね?

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/27(火) 15:56:19.95 ID:U2EEhzjR
小麦スルーしてどうする

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/27(火) 16:01:26.87 ID:76msazCA
持っただけで手が腐って死ぬとか、アレルギー云々の問題じゃねーよwww

すると輝政は扇を挙げ

2013年08月25日 19:55

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/25(日) 16:10:02.98 ID:34rycCVL
池田輝政が大封を得た後に、諸大名の宴会があった。この時、ある人が
こっそりと輝政の身長の低さを嘲った。

すると輝政は扇を挙げ、起き上がって舞い「このように勇功があって、
このように領地がある。どうして身の丈を求めるだろうか」と言った。

――『名将言行録』

関連
池田輝政"せいひく舞"を舞う


211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/25(日) 22:25:41.69 ID:rqFQLPPA
>>209
馬に乗って前立の長い兜をかぶればいいんだよ

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/25(日) 23:16:26.75 ID:SZgVdbxB
>>209
輝政は寝てたのか?w

219 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/08/27(火) 18:15:46.93 ID:9PJ9+7on
>>209
してその嘲った者の名は何と?
政宗?

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/27(火) 18:37:57.79 ID:tL85zpxm
酒の席での市松の不安…

伊木忠次の諫言

2013年08月09日 19:52

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/09(金) 17:24:09.88 ID:Gn3m6Oux
伊木清兵衛(忠次)は池田三左衛門尉(輝政)の家老である。

清兵衛は病気で死に際の時に「今生の望みに、今一度公の御目にかかりたい」と言った。
三左衛門尉は急いでやって来て「どうしたのだ清兵衛。近頃そのような望みがあるとは
知らなかった。申しておきたい事があるならば申すがよい」と言った。

清兵衛は頭を上げて手を合わせ「これまでの入御有難く存じ奉ります。
ただ一言申したき事がございますので、これを申し上げます。君はいつも掘り出しを
御好みになられ、ひたすら士の掘り出しを第一とお思いになられています。

これはよからぬ御癖です。士はその身の程よりも一際相応に仰せ付けられてこそ、
永く御家を立ち去らずに忠勤を致すものです。この事を申すために御目にかかりたかった
のです」と言った。

これに三左衛門尉は「今の諫言はもっともだ。その志は山よりも高く、海よりも深い。
わしは決して忘れない」と、清兵衛の手を取り、涙を流して別れた。

それより池田家の家風はよくなったということである。

――『責而者草(古実話)』





舟戸久左衛門、長束正家への降伏勧告の使者となる

2012年09月06日 20:30

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/05(水) 22:16:31.38 ID:+M9VKx6M
関ヶ原の決戦の後、近江水口城に籠る長束正家に対し、池田輝政は家臣。舟戸久左衛門を遣わして
降伏の説得をするようにと命じた。

これに舟戸久左衛門は困惑した。「わたしはその様な事のできる器ではありません。もっと老巧の者を
選んで遣わすべきです。」

しかし輝政は聞かず、強いて彼を使者とした。舟戸は致し方なくその命を排し、それから鍛冶の命じて
一辺3,4寸の、方形の鉄板を作らせこれを懐に入れ水口城に至り、案内を乞うて入城し、正家に対面すると
懇切に、主人輝政の言葉を言上した

「今降伏なされば、貴方様の一命のみならず、本領も安堵され士卒も助かるのです。」

長束正家はこれを聞くと
「その志、たいへんかたじけなく思う。その仰せに従って降伏することが可能なら降伏したいのだが、
我が士卒達は伊勢阿野津の城攻めに疲れて関ヶ原の戦場で功がなかったのを憤慨し、この城を枕として
目に立つほどの一戦をすることを、必死の思いで期待している。ならば士卒の心を問わずに私一人が降伏して、
何の益があるだろうか。
この趣を以って、宜しくそなたの主人の返答申されよ。」

その言葉に、降伏を受け入れる様子は見えなかった。

ここで舟戸、正家の小姓を呼び、懐の鉄板を取り出して言った

「これを火にて焼いて下さい。我が主人輝政の志、私の言葉、これらが長束様を欺くものではない証拠として、
貴方様の眼前で鉄火を行います!」

そしてまた懐中より午王の神符を取り出し、片手に握った。
その決意は顔前に溢れ、これを見た正家は涙をポロポロと流し

「貴殿のそのような真心に接しては、私はもう致し方ない。まさしく誠の武士で有るかな。この上は
たとえ欺かれて降伏したとしても、これもまた武士の一義、恨み悔いるには及ばない。」

そう言うと小姓を呼んで何事か囁いたが、暫くして小姓が脇差一腰を持って出てきた所を、
正家は舟戸に親しく声をかけ

「これは見苦しいものであるが、いささかお主のこの度の志に報いようとしたものである。帰ってお主の主人に
私の降伏を伝えられよ。」

と、それを与えた。
ところがそれでも舟戸が、なかなか座を立ちかねている体を見て正家

「ああ、私が忘れていた。」と小姓を呼び硯を取り寄せ、證文を書いてこれを与えた。
舟戸はが立ち返りこの旨を申し上げると、池田輝政は彼を激賞した。
ちなみにこの時長束正家舟戸久左衛門に与えた脇差は、無銘で一尺あまりの貞宗鍛えだという。

舟戸久左衛門長束正家への降伏勧告の使者となる。という逸話である。
(武士道美譚)

まあ正家さん、懸念した通り欺かれて切腹させられちゃうんですけどね。




319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/05(水) 22:24:53.41 ID:+EboGKCu
正家さんの正室は本多忠勝の妹だそうだが
このだまし討ちで本多と池田の仲が悪くなって姫路城奪われた
なんて話はないよね

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/05(水) 22:37:42.16 ID:djK8oeQ1
忠勝妹は本多家に返されたけど腫れ物扱いだった、とかそういう話を何処かで読んだな

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 00:10:44.16 ID:QWniifPv
本領安堵とか言ってる時点で嘘だと見破れよ…

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 00:26:18.87 ID:y4TWJCG7
嘘つかなきゃならなかった舟戸も苦しかったろうな
明らかに助かる状況じゃないし
長束さんもわかってて降伏したんじゃない?

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 00:52:18.73 ID:Nrb5jCBI
いや正家も判っていたでしょ
判っていて、それでも舟戸の覚悟に感激して降伏を受諾した
だから池田輝政は舟戸を激賞したと

姫路城、小刑部大明神の怪異

2012年03月13日 21:31

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 12:17:09.15 ID:cqCta0mb
慶長十四年(1609)、池田輝政の居城、播州姫路城では不可解な怪異が起こっていた。
小刑部大明神というものが城中に現れ、そのため昼夜にわたって静謐という時がなかった。

この為池田輝政は国中から貴僧高僧を集め代わる代わる祈祷をさせたが、そのかいもなく小刑部大明神の祟は
一向に収まらなかった。

と、ここでその頃、圓満寺の明覚阿闍梨道義が殊の外優れた僧であるとの評判を輝政が耳にし、
彼を再三にわたって招致した。最初その招致を辞していた明覚もついに断りきれず、登城し祈祷を行う。

するとこの明覚の前に小刑部大明神が現れ、様々な怪異な姿に変化し明覚を惑わした。
が、明覚はこれに少しも動ずること無く、表情も変えずにこれに接する。

しばらくすると小刑部大明神は怪異の姿をやめ、明覚に対してこのように告げた

「この城内に、八天堂を建立するのだ。さすれば何の恨みがあろうか。」

明覚はこれを聞くと不思議に思って尋ねた

「私は一切経を暗記していますが、あなたの言ったものは聞いたことがありません。”八天堂”とは
一体何なのでしょうか?」

「ただ、名を”八天堂”として、一つの堂を建立すれば、それでいいのだ」

「そういった望みであれば、いと簡単なことです。」

そして明覚は輝政の御前に出て、この事を申し上げた。輝政は早速大工を呼び城内に八天堂なるお堂を
建立。以後、城内に怪異のことは全く起こらなくなったそうである。

姫路城、小刑部大明神の怪異。というお話
(姫陽秘鑑)




274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 20:05:36.39 ID:FIkKbFU0
ただ堂を建てれば良いって
一体何をしたかったのだろうか…

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 20:38:45.88 ID:BnhQ0bWB
人間の道理が通じないから妖かしなのだよ

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 21:44:18.30 ID:sw0H6BvQ
姫路はここから発展するんだよ

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 22:21:39.44 ID:2ag2Di5d
これやね
http://www.youtube.com/watch?v=1XNEWxxadPo&feature=youtube_gdata_player

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 22:25:44.78 ID:3+vATgQV
>>274
敬う姿勢を見せることが大事なんだよ

古事記とか昔話にはこんな話ゴロゴロしてるし
小刑部さんの妹?なんか猪苗代城代を「あいさつに来ない」ってだけで呪い殺してるし↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5655.html

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 22:38:21.69 ID:h09oriPp
>>273
刑部明神も面白い伝承だよな
一応、ぼんやりとした縁起は有って、神様として奉られてるのに、
一般には妖怪だったとして伝わってるという

やっぱり、姫路城自体の起源とかがはっきりしていなく、
さらに支配者が変わりまくったから、どんどん誤伝されてったのかね

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 22:43:37.46 ID:9DbZxq2U
>>273
「なにそれ聞いたことない、何か希望の様式とかあるの?」
「いや名前名前、そういう名前にしてって話」
っていうやりとりが微妙に細かくてリアルな感じがしてなんか笑える

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 23:02:31.34 ID:TJwLXqAl
>>273
八天堂って天守にあった神社みたいなことかな?
さい銭箱があって昆布が供えられてた。記帳するノートもあった。
あそこの城の階段は急なんだよな。
宮本武蔵が刀貰う逸話もあったよね。

番町皿屋敷のお菊の井戸も敷地内にあった。

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 23:14:23.14 ID:NVyoMEcm
>>280
ほのぼのとして良いよね。

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 00:18:04.46 ID:UxI2M5MJ
>>273
ハッテン堂…?

置塩の妙国寺

2011年12月24日 22:02

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 23:06:45.28 ID:HJ8lQWr+
置塩の妙国寺に、霊験あらたかな日蓮像が一人の苦行の者によってもたらされた。
なんでも、この像を持って現世・当来のことを祈るにその験あらずということ無しというのだ。
置塩城主・赤松則房も「奇なり」とし、則房の奉行人・鳥居安芸守や大路伊賀守によって保護され、
寺は大いに栄えたが、赤松氏が阿波に移転すると檀家も減少し、ついには無縁の地となってしまった。

やがて寺は置塩から姫路に移され、河間(こはざま)と言う所に仮の茅舎を結ったのだが、
隣家の失火で民家はことごとく焼失、寺も巻き込まれて経典も宝物も全て灰燼となってしまう。
住持の日受はこれを悲しみ嘆いていたが、一両日後に焼け跡から人の声が聞こえるので近付いてみると、
聖像が一樹の梢に座しているではないか!
これには万人、感嘆せぬものは無かった。

慶長年中、池田輝政によって寺は現在の場所に移される。
聖像の奇妙を聞いた輝政の令室はこの寺に祈願を修せしめ、毎年佳節ごとに修法の巻数を奉ったためか
この寺にはとにかく奇瑞が多いのだ。
ある時、盗人が寺に侵入した際なども、聖像は声を発し、賊はたちまち逃げ去ったという。
(播磨鑑)




115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 23:55:53.25 ID:w2HOH5sO
寺は廃寺、民家は火事、泥棒は逃走しても、
仏像だけは無事(笑)

善くも悪くも日蓮宗らしくて、いい話だな

池田輝政の家臣が寝ている間に

2011年01月12日 00:00

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/11(火) 19:16:03 ID:dH8D7VQL
池田輝政の家臣が寝ている間に大事な刀と脇差を盗まれてしまった。
周囲の者たちはそのことで家臣を罵り、嘲笑った。

家臣「あ~恥かいた。もうこの家出ていくか・・・」

嫌になった家臣は暇を願い出たのだが輝政は

輝政「あの佐藤忠信だって刀を盗まれた。寝入った時に刀を盗まれても
   何の恥にもならぬ。お前を悪く言う奴は処罰してやるから」

と言って家臣を大切にしたという。




208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/11(火) 19:27:35 ID:xqN/tkYZ
源平時代での例えはよく知らないからわかりにくい。
たしか源義経の部下だよね。


209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/11(火) 19:33:54 ID:49mysqFh
戦国武将たちがあこがれるスーパーヒーローだと思っとけば間違いない。

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/11(火) 20:56:19 ID:wZNSaqFG
江戸時代に入っても、鎌倉武士なんかは結構人気で、源平の武者で相撲番付「源平武者揃番付」なんかが作られたり
ttp://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike12.html
佐藤忠信は、下から二番目の右から5人目に入っていますね。それ以外でも、戦国武将のご先祖様がたくさん

池田輝政、闇討ちされた土肥周防を

2010年04月20日 00:10

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/19(月) 01:02:55 ID:pLGWgnKK
姫路宰相或いは西国将軍などと言われた池田輝政は剛毅、剛勇の士であり家康の娘婿でもあった。
そんな輝政のもとには全国から武功の士が集まってきており輝政はそれを選抜、臣下に組み入れていった。
ある日、そうして家臣になった土肥周防と言う武功の士が馬上で闇討ちにあう事件が発生する。
土肥は左ももを斬られた。
「無礼者!」そう叫んで土肥は刀を抜こうとしたが、その拍子に馬が驚いて跳ね、土肥は落馬してしまった。
従者が土肥に走り寄ったときには、刺客は闇夜に消えていた。
こののち良からぬ噂が立ち始めた。
曰く"土肥ともあろう者が刺客に何も出来なかった"
曰く"無様に落馬し立ち上がれなかった"
そんな噂は土肥の耳にも入った。言われてみればその通りで、土肥は深く恥じ入り、将来に絶望した。
そんな様子を知った輝政は、近臣を呼んでさりげなく言った。
「周防は、闇討ちにあってさすが武勇の周防らしいところを見せてくれたな」
近臣はいぶかしげに輝政を見た。
(武勇の周防?腰抜け周防ではないか)
相づちも打てぬ近臣たちには構わず、輝政は言った。
「周防を襲った者はまともには周防に勝てぬと思って闇討ちしたのであろう」
「しかし、一撃したものの、周防の武威に恐れ二撃はできずに闇夜に姿をくらました」
「白昼ならいざ知らず、闇夜に消えた刺客をどうやって討つのだ?」
「土肥周防でなければ、刺客に膾のように斬られていたかもしれんな。さすがは武勇の周防だ」
この言葉があって以来、土肥周防を謗る者は居なくなったそうな。