八朔の雛祭り

2010年08月30日 00:00

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/29(日) 13:11:36 ID:aKLR2lm7
八朔の雛祭り

八朔とは「8月の朔日」、すなわち8月1日のこと。

永禄の頃より、西讃岐の仁尾、吉津、比地中村といった地域は、仁尾城を居城とした
細川土佐守頼弘によって治められていた。

この細川頼弘、経歴はよく解らないのだが、讃岐らしく細川京兆家に連なる人物だったようである。
この地域は戦国とは言え、それなりに平穏に治められていたらしい。
領民たちも頼弘をよく、慕っていたようである。

天正7年(1579)、その平穏がついに破られる。2月に始まった、長宗我部元親による西讃岐侵攻である。

他の西讃岐の国人と共に、細川頼弘もこれに激しく抵抗した。しかし衆寡敵せず
西尾城は落ち、頼弘は切腹して果てた。
この時土佐兵は、仁尾の街はもとより細川家の菩提寺である金光寺など、すべてを焼き尽くしたそうである。
これは3月3日のことだという。

これより後、西尾の町では頼弘や戦死者の慰霊のため、3月3日に雛祭りを行わず、
かわりに旧暦8月1日の八朔の日に、雛祭りもあわせて行うようになった。

これは「八朔人形まつり」と呼ばれ、店舗や座敷に設えた舞台に、箱庭の山川渓谷を作り、人形で
おとぎ話や歴史上の物語の場面を再現したという。
この風習は久しく途絶えていたが、最近になって復活したのだそうだ。

八朔に雛祭りを行う町と、その由来についてのお話である。




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