星野兄弟の玉砕

2010年09月08日 00:01

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/07(火) 00:41:34 ID:IuiZOPR7
耳川の合戦の大敗北で、大友配下の豪族に動揺が走る。
別に珍しい話でも無いが、配下の豪族たちが大友家を見限り始めたのだ。
星野中務大輔鎮胤(吉実)も大友から離反し、秋月家と組んで原鶴合戦を引き起こした。
以後、大友方と小競り合いを繰り返し、島津家が北上し始めると、さっそく手を結んだ。
当初は正に勝ち馬に乗った状態だったのだが、天正14年、豊臣軍の九州来援によって、全てが逆転してしまう。
島津軍は本国に引き上げ始め、星野家は最前線の筑前粕屋の高鳥居城に取り残されてしまったのである。
ここで城内は高鳥居城を死守するか、筑後の本領に引き上げるかで意見が分かれた。
が、当主の中務大輔鎮胤(吉実)と弟の鎮元(吉兼)は、
「相手が大軍だからって、一戦も交えず退却することは武門の名折れだ!」として籠城に決した。
押し寄せて来るのは実父の敵討ちに燃える立花統虎(宗茂)。
すでに撤退中の島津軍を痛撃する武勲を上げており、勢いにのって毛利軍と共に攻めかかってきた。
星野軍も勇戦し、宗茂の兜に銃弾が当たるほどの激戦の末、300余名ことごとく玉砕したという。
……敵の大軍を最前線で食い止める勝ち目の無い篭城戦といい、全員玉砕といい、なんとなく
「高橋紹運」と似ていないだろうか?
ほとんど同じ時期のすぐ近所の似たような合戦でありながら、一方は後世に高名を残し、
一方は全く無名のまま一族滅亡。
まあ、武将としての格が違いすぎるというのもあるんだが。
現在では星野兄弟(吉実・吉兼)の首を埋めた場所が博多区「吉塚」という地名に残るのみである。
なんとなく割りに合わない玉砕ということでこちらに。




815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/07(火) 00:54:49 ID:p1lA/SDE
流石島津
必要とあれば
一族丸ごと釣り野伏せり

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/07(火) 01:14:32 ID:5b2+FVac
>>814
武将としての格云々以前に戦闘行為の意味が全然違うからなぁ。
高橋紹運のほうは籠城戦で足止めすることで援軍到着までの時間稼ぎという戦略的判断もあっての玉砕。
一方のこの逸話はここで取り上げられてるだけなら無駄死に極まりない。
島津軍撤退の時間稼ぎのためという悲壮感もないし。
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