細川さんちが小倉で国産ワインの製造を命じた文書が見つかったというお話

2016年11月03日 15:13

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/02(水) 22:14:22.27 ID:MIvruat+
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/1102/mai_161102_4352371837.html

細川さんちが小倉で国産ワインの製造を命じた文書が見つかったというお話
他にも、「いかにも甘き」ワインを輸入するよう命じた忠利直筆の手紙も見つかったそうです



286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/02(水) 22:54:54.53 ID:oFK8FDpW
>>285
甘いワインってことはシェリーやマデイラみたいな酒精強化ワインだったのかなあ
野ブドウを醸してワインにしても、あんまり甘くはならないだろうし
忠利が理想のワインに巡り合えたのかが気になる

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/02(水) 23:06:56.57 ID:wccSttQ4
       |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
   /  .`´  \
     ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    (・∀・∩< 甘き葡萄を栽培しよう!
    (つ徳本丿 \_________
    ⊂_ ノ
      (_)

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/02(水) 23:07:11.99 ID:RxU77vvr
ドイツの白ワイン(シュペートレーゼとアウスレーゼ)や貴腐ワインなら、文句なしの甘さ

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/03(木) 00:05:13.00 ID:9LycuP5d
そういえば江戸期の茶会では、ワインが「甘味」として出されたとか。

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/03(木) 00:43:33.79 ID:M2mN9eiG
葡萄酒作りの記録は以前から確認されてたけどもうちょっと詳細に古文書で確定って所なんだろうか

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/03(木) 03:07:50.26 ID:Ft/TeWNl
>>286
甲州ブドウは空海が日本に伝えたんだぞ(逸話的には)

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細川忠利「うつけ者!」+「おまけ」

2016年10月05日 11:54

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/04(火) 23:20:15.20 ID:EUk1JjrN
細川忠利「うつけ者!」

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3506.html
↑この話で森忠政の跡継ぎになった長継と細川忠利のその後の話

将軍家光公の御上洛の折、森美作守(森忠政)様が京都で亡くなられたのを、
忠利公は代々心安く(森家に)出入りされていたので既に存じられていた。

何某とか名は覚えていないが「最早お亡くなりになられました」と(忠利に)申し上げると
「うつけ者!」とお叱りになられ(忠政が)ご存命のときの如く(森家へ)直に行き
「内々お願いしていた通り、内記(長継)殿ご養子のお願いは妥当だと思われているので
正式に認められるまでの間、少しも気になさらない様に」
と高々と引き受けられ、お帰りの時にご家来共歴々に
「最期のお願いは聞き届けられました、いずれも安心して下さい」とおっしゃられたので
先程叱られていた人も感涙し、その他の歴々ご家来共もまた涙を流しありがたがった。

このような様子だったので、内記様は美作十八万石と津山城を無事拝領された。
内記様という御名も(長継の)御所望にて(忠利の初任官時の官職、内記にちなんで)
おつけになられたと承っている。

――『旦夕覚書』

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/04(火) 23:20:56.20 ID:EUk1JjrN
おまけ

寛永十四年十月十二日 森長継細川忠利書状

「一筆申し入れます。貴方から鹿毛の馬を頂いたとき『よそへやるようなことがあれば
貴方に絶対お返しします』と約束しました。この馬を肥後守(光尚、忠利嫡男)が見る度に
『乗りたい!』と言って借りるので、常時貸すことになってしまいました。
もっとも貸すことはないと言っていましたが、貸したと言っても我らの所にいるのは変わらず
(光尚は他人ではないので)この馬を借りたときのまま約束は破っていません。このことを
お聞きになられて、肥後守に勝手にやったのかと思われたら迷惑なので書きます。恐惶謹言」

――『細川家史料』




223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/04(火) 23:45:37.14 ID:yrg8J4ID
>>221-222
…まあ三斎様の息子らしい、としか言えんw

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/05(水) 00:29:50.65 ID:gOIwRA7i
できすぎ君忠利

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/05(水) 01:14:22.18 ID:OZ+2mprs
忠利は優等生なイメージもあるけどやる事はやる

細川忠利と『南蛮起請』

2010年09月09日 00:01

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/07(火) 23:33:06 ID:sYHBuVTN
細川忠興の三男で、忠興の後を継いだ細川忠利。
このスレの人たちには、伊達政宗の江戸での行状などを赤裸々に記録した『細川忠興・忠利往復書簡』などで
その名を知られているだろう。

ところでこの忠利、キリシタンである細川ガラシアを母としているにもかかわらず、いや、むしろ
母としているためと言うべきか、大のキリシタン嫌いであった。

彼は自分の領内のみらなず、幕府にも積極的に対キリシタン対策の必要を訴えていた。
そして寛永12年(1653)、忠利は幕府老中に

「日本国きりしたん改一同につかまつるべし(日本国中のキリシタンの改宗を、一斉に行ないましょう)」

との提言をした。この忠利の提言により『南蛮起請』という、非常にえぐい政策が生まれる。

さて、南蛮起請とは何か。
これはキリシタンからの改宗を宣言し、二度とキリシタンに立ち返ることはないと約束する起請文である。

が、この南蛮起請のえぐさは、ここから先である。この起請文を破ると罰がある。
その罰がどんなものか、原文から見てみよう


『上には天公・デウス・サンタマリアをはじめたてまつり、諸々のアンジョ(エンジェル・天使)の御罰を蒙り、
死にてはインフェルノ(地獄)と言う獄所において諸天狗の手に渡り、永々五衰三熱の苦しみを請け、
重ねてまた現世にては、おっつけラザル(らい病者)になり、人に白らい黒らいと呼ばれるべきもの也。
よって恐ろしきシュラメント(誓詞)、件の如し。』

そう、キリシタンに立ち返れば、キリシタンの神の罰を受ける、と言う内容を、キリシタンの言葉で記した
恐るべき誓約書であったのだ。
これは当時「きりしたんのいやがり候文言の書き物」と表現された。


細川忠利の提言によって生まれた「南蛮起請」についてのお話。




844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 11:04:32 ID:c+/CnA4y
忠利は、ガラシャの子供じゃなくて、
ガラシャが細川家に嫁いできたときに一緒にきた、
小侍従を三歳が孕ませて、ガラシャと自分の子だとした、
という話を熊本の本妙寺の一族から聞いたんだが、
アレどうなんだろうなあ。
小侍従の方は家臣に下げ渡されたんだが。


851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 13:20:19 ID:ZWK6xvSz
>>844
山田風太郎の小説でも、ガラシャの子じゃないってなってたな。
忠興が謀反人の子供に細川家の家督を継がす事はできないからって。

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 22:29:43 ID:WMwx+cv6
>>844
ときたま聞く話だけど、どうなんだろうなあ。
有名な「霜女覚書」によると、当時ガラシャのそばで仕えていた忠利の乳母に、
内記様(忠利)への形見をを託した、という話が出てくるし、まあおそらく忠興の男子の
上三人はガラシャの子とみるのが自然だろうな。
小侍従というと、ガラシャの代わりに秀吉のところへ行ったという話が出てくる侍女だよね確か。

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 23:11:55 ID:GCvOMTff
どうでもいいけど「ガラシャ」と「乳」が同じ行に出てくると「ブラジャ」みたいに見えてくるな…

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/08(水) 23:11:55 ID:GCvOMTff
どうでもいいけど「ガラシャ」と「乳」が同じ行に出てくると「ブラジャ」みたいに見えてくるな…

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/09(木) 02:27:03 ID:LGA3Mvz0
>>865

三斎さんが「三十六歌仙」を「百人一首」にすべく
アップをはじめました

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/09(木) 03:02:06 ID:rEIW7TRq
まとめブログなんで>>865まで含んだw