929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 19:03:52 ID:xeuXm/j1
屋代秀正という人がいる。
屋代氏は信濃の国人で元は信濃村上氏の家臣であったが、村上義清の没落後は武田信玄に仕え、
屋代秀正は天正四年(1576)に家督を継ぎ、武田勝頼の家臣となった。
そして天正10年(1582)武田が滅びると森長可に、本能寺で信長が滅びると上杉景勝に、と
この時代の信州の国人らしく、めまぐるしく主家を変えた。
上杉に属してからは、上杉の北信州における重要拠点である海津城の副将という重責を任された。
天正11年(1583)3月14日、そんな屋代秀正に、さらなる寝返りを誘ってくる者があった。
真田昌幸である。よりによって。
しかもその内容は
『徳川家康様におつきなされ!更級郡の安堵もお約束なされましたぞ!』
旧武田家の同僚であった真田昌幸から、徳川家康への臣従を誘われたのである。
屋代秀正は迷った。が、事態は屋代の迷いよりも早く進行した
上杉家が『なぜか』、この寝返りのことをいち早く察知したのである。
屋代秀正は危険を感じ海津城を出て荒砥城に籠る。が、景勝の軍勢に攻められ落城、
秀正は徳川家康を頼って敗走した。
天正11年(1583)ごろといえば、真田昌幸は天正壬午の乱の講和条件に反発し
家康を離れ密かに上杉家への接触を深めていた頃である。それが何故、屋代秀正に
徳川への寝返りを勧め、そしてその情報が即座に上杉家にキャッチされたのか…
なにはともあれ、屋代秀正の運が(いろんな意味で)悪かったおはなし。
930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 19:31:35 ID:cKgWu8++
>>929
Wikipediaで荒砥城の項目を見てみたけれど
本当に何でなのか全然判りませんでした(棒読み)
931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 19:33:14 ID:vx1RSXFL
真田さんが徳川様に伝を作っといてくれなかったら大変なことになるところでしたね!(棒読み)
936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:01:09 ID:lTH7HzRf
後々のこと考えればそんなに悪い話でもないな
このとき徳川についたおかげで結局屋代氏の家名は残ったんでしょ?
937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:17:58 ID:cUXoe1Sk
子孫は1万石の譜代大名、それが改易されても3000石の大身旗本だからなぁ
938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:22:21 ID:FIV0GwZY
真田の兄貴のおかげです・・ね・・?
939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:31:05 ID:cmoqVBhe
>>936>>937
うむむ 良かったのか悪かったのか
940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:59:01 ID:cUXoe1Sk
>>939
だって、もしあのまま上杉についていったら、将来的には米沢でせいぜい
1000石取り程度の家老がいいとこでそ。
941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 21:08:02 ID:xeuXm/j1
>>940
でもそれって「詐欺にあって全財産失ったけど、そこから一念発起で頑張って金持ちになった。
だから詐欺にあってよかった」って言っているようなもんだぞ?w
942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 21:41:52 ID:VKTklNGS
槍弾正「真田さんはイイヒトデスヨ?」
943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 21:59:49 ID:kzr/IRfS
>>929
表裏比興の人が暗躍してるような・・・
屋代秀正という人がいる。
屋代氏は信濃の国人で元は信濃村上氏の家臣であったが、村上義清の没落後は武田信玄に仕え、
屋代秀正は天正四年(1576)に家督を継ぎ、武田勝頼の家臣となった。
そして天正10年(1582)武田が滅びると森長可に、本能寺で信長が滅びると上杉景勝に、と
この時代の信州の国人らしく、めまぐるしく主家を変えた。
上杉に属してからは、上杉の北信州における重要拠点である海津城の副将という重責を任された。
天正11年(1583)3月14日、そんな屋代秀正に、さらなる寝返りを誘ってくる者があった。
真田昌幸である。よりによって。
しかもその内容は
『徳川家康様におつきなされ!更級郡の安堵もお約束なされましたぞ!』
旧武田家の同僚であった真田昌幸から、徳川家康への臣従を誘われたのである。
屋代秀正は迷った。が、事態は屋代の迷いよりも早く進行した
上杉家が『なぜか』、この寝返りのことをいち早く察知したのである。
屋代秀正は危険を感じ海津城を出て荒砥城に籠る。が、景勝の軍勢に攻められ落城、
秀正は徳川家康を頼って敗走した。
天正11年(1583)ごろといえば、真田昌幸は天正壬午の乱の講和条件に反発し
家康を離れ密かに上杉家への接触を深めていた頃である。それが何故、屋代秀正に
徳川への寝返りを勧め、そしてその情報が即座に上杉家にキャッチされたのか…
なにはともあれ、屋代秀正の運が(いろんな意味で)悪かったおはなし。
930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 19:31:35 ID:cKgWu8++
>>929
Wikipediaで荒砥城の項目を見てみたけれど
本当に何でなのか全然判りませんでした(棒読み)
931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 19:33:14 ID:vx1RSXFL
真田さんが徳川様に伝を作っといてくれなかったら大変なことになるところでしたね!(棒読み)
936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:01:09 ID:lTH7HzRf
後々のこと考えればそんなに悪い話でもないな
このとき徳川についたおかげで結局屋代氏の家名は残ったんでしょ?
937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:17:58 ID:cUXoe1Sk
子孫は1万石の譜代大名、それが改易されても3000石の大身旗本だからなぁ
938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:22:21 ID:FIV0GwZY
真田の兄貴のおかげです・・ね・・?
939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:31:05 ID:cmoqVBhe
>>936>>937
うむむ 良かったのか悪かったのか
940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:59:01 ID:cUXoe1Sk
>>939
だって、もしあのまま上杉についていったら、将来的には米沢でせいぜい
1000石取り程度の家老がいいとこでそ。
941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 21:08:02 ID:xeuXm/j1
>>940
でもそれって「詐欺にあって全財産失ったけど、そこから一念発起で頑張って金持ちになった。
だから詐欺にあってよかった」って言っているようなもんだぞ?w
942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 21:41:52 ID:VKTklNGS
槍弾正「真田さんはイイヒトデスヨ?」
943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 21:59:49 ID:kzr/IRfS
>>929
表裏比興の人が暗躍してるような・・・
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