出家とは家を出ると書くので

2016年09月18日 19:55

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/18(日) 15:45:37.41 ID:Z9kSc8Dz
板倉伊賀守(勝重)殿は、齢七十余りとなったので、功名がかない遂げたと身を退き、
嫡子周防守(重宗)殿がついで天下の所司代となった。

そのころ、上京のある家主が二十余りの子を残して亡くなった。
母は継母であった。
その母が
「子には家を渡してはならない。私が跡式を取れとの夫の遺言があった。」
と言う。
子は眼前の親子である私を除けて、他に誰が家を執れるだろうかと怒り、所司代へ双方が出頭した。
互いに自分の意向を口上していたが、その中で母が
「後家と書いて何と読みますか。」
と申した。周防守は
「後の家と読む」
と言うと
「そうならば、私が相続することが当然でしょう。」
と申す。そこで、
「まず帰って、重ねて詮索するとしよう。」
とのこととなった。
妻は宿に戻って、
「公事は勝った。ならば尼となろう。」
と親類と言い合せた。
再び裁許を下すとまた裁判の場に出て行くと、周防守は
「そちは髪を剃ったのか。」
母にたずねられた。
「そうでございます。二度夫を持ったり、憂世に望み持つことはありませんので
思いを決めて出家の姿になりました。」
そう言い終ったすぐに周防守殿は
「出家とは家を出ると書くので、この座敷からすぐに家を出よ」
と申し渡された。

(醒睡笑)



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いわんや平相国の公達であれば

2016年05月12日 14:40

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/11(水) 23:31:39.23 ID:RZRieaSv
知恩院と墨谷源空寺とに、平重衡が所持していたという松陰の硯という什物が、それぞれに相伝されていた。
その硯は自然と潤いのある希代の名物であると、それぞれ自寺のものを誇り、終に両寺は真偽を争い、
京都所司代へと訴え出た。

ここで板倉周防守(重宗)はこのように審判した
「両寺の僧衆はつくづく世事に疎いと見える。例えば私如き者ですら、硯をいくつも所持しているのだ。
いわんや平相国の公達であれば、松陰の硯を二面も持っているだろう。どちらもそれぞれの寺の重宝である。」

(新東鑑)



715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/12(木) 01:59:32.61 ID:kan8FPUc
良い裁きだと思うけど、それ以前に寺院の見栄に煩わされる所司代の仕事は面倒だなー

御主君はいかなる御装束であられたのか

2013年11月03日 18:50

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/03(日) 07:20:37.67 ID:WcF/FEFN
板倉周防守が京都所司代の時、歴々の公家衆へ路次において町人が慮外を働いたので
急ぎ処罰していただきたいと使者をもって周防守方へと申し入れがあった。

板倉周防守は畏まり奉りますとお受けして使者を帰し、それから慮外を働いた町人を
呼び出して「御歴々の公家衆へ慮外を働いたのは不届き至極である。今後、御歴々に
対し慮外あれば死罪を申し付けるぞ」と叱った。

次に公家衆の家人を一人呼んで対面し「町人が慮外した時、御主君はいかなる御装束
であられたのか」と問う。

家人は答えて「白衣にて羽織を着け、頭巾を深く被り草履取り一人を連れられており
ました」と言う。

周防守は「けしからぬことです。御歴々の身でありながら、そのような軽々しい下人
同様の出で立ちはあってはならぬ事です。以後は御身分に相応しい御装束と御供にて
外出なさるように仰せられるべし

今後もしこのような怪しい出で立ちならば、途中で町人どもがいかなる慮外を致そう
とも、こちらから沙汰は仕りませぬ。この事を急ぎ仰せあげられるべし」と申された。

家人は閉口して帰り、その事を申し述べたので主も大いに赤面し、周防守へと内々に
詫びを申し入れたと言う。

(明良洪範)

TPOは大事だねというお話




「笠を着て上を見るな」

2013年07月21日 18:54

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/21(日) 07:50:34.49 ID:NujmEwqj
板倉重宗が今だ御小姓だった頃、明年御上洛の御供支度について京に
いる父勝重の家老へと申し送ったが、どういう支障があったのか
秋の末まで一品も届かなかった。

再度連絡を入れ「以前に連絡した御供支度の品々が只今になっても一品
もやってこないのは、不届き千万です。早々に送っていただきたい」
と催促した。

十月になって荷物が一個届いたので家老どもがこれを披露した所、
重宗はすぐに「ここへ持参せよ」と申されたので、家老両人が
これを開けて中を見られると大きな竹の子笠が一つだけ入っていた。

家老たちは何れも呆れた様子であったが、重宗は何か気づいたようで
笑いながら「下げよ」と申された。

その時、谷三助と言うものがそばに居合わせ「なにやら御合点なされた
ように見受けますが、あの笠はいったい何の御用に立つものなので
ございましょうか」と尋ねると、重宗は「あの笠を着て上を見るなと
言う事だよ」と破顔一笑なされた。

三助は「親も親、子も子である」と感じ入ったと言う。

(古老雑話)

「笠を着て上を見るな」と題される板倉親子のコミニュケーション




741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/21(日) 09:05:02.77 ID:eAqvRqgq
どういうこと? 権力を笠に着て命令するなって意味? それとも質素にやれってこと?

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/21(日) 12:32:52.09 ID:kQ2J5fDN
上を見れば見栄を張りたくなってキリがないってことでしょ

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/22(月) 09:40:53.08 ID:C6lOJI8L
上の者が美々しい装束を次々買い換えて下げ渡せばいいんだよ

重宗はこの旨を伝えて、有無を言わさず

2013年02月16日 19:50

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 17:22:58.71 ID:sqKWkQoJ
ある時、後水尾法皇は高楼に上り、公卿以下の邸宅がひどく傷んでいるのを見た。
そこで、所司代の板倉重宗にこれを修繕させることにした。

ある日、重宗は烏丸光広の邸宅に来て事情を説明し「しばし他に移ってください」
と、頼んだ。しかし、光広は「東廂に雨が漏れたなら西室に避け、そこも傷んだなら
すぐに北舎に移る。我はそれを少しも厭わない。このまま放っておいてくれ」と断った。

重宗はすぐにこれを法皇に奏上した。法皇は「主人に管することなかれ(主人を気に掛けるな)」
と、言った。そこで重宗はこの旨を伝えて、有無を言わさず邸宅を修繕した。

――『近古禅林叢談』




593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 17:33:38.92 ID:TdPGBP3V
…え?

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 17:54:51.08 ID:XezMpZLU
法皇「そこの邸宅傷んでるから直した方がよくない?」

重宗「把握した。家主追い払って全部修復するわ」

光広「いや大丈夫だから。構わんといて」

重宗「は?」

法皇「家主が迷惑がってるならやめた方がいいよ」

重宗「把握した。家主追い払って全部修復するわ」


・・・こういう事?

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 17:57:08.52 ID:RrkEA/2p
修繕しましょうかなんて聞いたら公家のプライド?とかが邪魔していらないって言うに決まってるんだから
勝手にやっちゃった方がいいよってことなんじゃない?

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 18:08:26.52 ID:XezMpZLU
なるほど、そういう事か

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 19:00:19.10 ID:sqKWkQoJ
>>592
すいません誤訳です。本当に申し訳ありません…。
○「主人に管することなかれ(主人を気に掛けるな)」
道元の言葉にかけてるんですかね…。

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 19:06:17.32 ID:0Paxqfy/
>>592
強制排除ならぬ強制修繕かよ

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 20:04:24.94 ID:oe4uA0wP
烏丸さんって、ボロボロの着物でもそのまま着てた人だっけ
確かに壊れようが気にしなさそうだ

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 21:53:56.62 ID:Xp4iIm19
>>598
ということは>>595さんので正解か。
何にしても公家周辺のはなしは少ないので面白いな


板倉重宗の奇計

2012年11月11日 18:59

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/10(土) 19:43:10.97 ID:FB0+FVlN
今は昔、武州豊島郡田畑村(現在の東京都北区田端のあたり)の興楽寺に盗賊が多く押し入り、
僧侶らを多数惨殺して、霊宝・金銀などを盗んでいくという事件があった。
これは江戸御城下から遠くない、王子村(現東京都北区王子町)の御鷹場往還の前でもあり、
特に厳重な捜査が行われたが、犯人に関する証言もなく、犯人逮捕に繋がる情報に対し
懸賞金を懸けて尋ねさせたが、やはり情報は上がって来なかった。

そのころ京都より、所司代の板倉周防守重宗が江戸へと上がってきていたので、幕閣たちから、
この悪党どもを探し出す手立てはないかと相談を受けた。
そこで重宗は以前からの捜査状況を一つ一つ聞いて、「なるほど、では私がひとつ、手立てを
致してみようと思います。」と、板を一枚取り寄せそこに

『懸賞金の額が少なく、申し出ることが難しいのです。この倍を掛けられるのなら、
仲間共の在家を指し申します。』
と、いかにも読みやすいように、平仮名で筆太に書き記し、あの懸賞金の制札の側に立て掛けた。

これをあの盗賊の一人が見て驚いた
「さては仲間の中の誰かがこの札を立てたのか!そうであるなら人に先を越されてはならない!」
その日の内に奉行所に出て仲間をすべて告発したため、一人残らず召し取られ、忽ち法によって
処罰された。


それから暫く後、酒井讃岐守忠勝の屋敷で物の紛失したことがあった。
色々調べた上でも判明せず、これも懸賞金を以って告発を待ったが、それも効果がなかった。

この時酒井家家臣のある者が気がついて
「先年、興楽寺の盗人御詮索の時、板倉周防守殿の考えられた手段によって盗賊を尽く
召し捕らえました。であれば今回もあの手段を使ってみてはいかがでしょうか?」

酒井忠勝はこれを聞くと
「よく心付いたものである。」

と、そのものを褒めた。ところが
「ただし周防守などは、どんな手段を使っても盗賊などを捜索することを職分としているが、
私は今、天下の大老職に居る。
そんな私が人を陥れて利を得るということは、職の盗と言うものである。
尋ねて知ることが出来ないからといって、とうして偽りによってそれを成せるだろうか?
よってその考えは、取り上げることは出来ない。」

そう言ったのだという。

(武野燭談)


板倉重宗の奇計についての逸話である





「今食った餅、上と下、どっちの方がうまかった?」

2012年11月06日 20:00

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 09:11:26.15 ID:Azyn9z1G
板倉勝重の子、重宗が父に代わって京都所司代となり、祇園社に参詣に向かったとき、
神社の前に子供たちが集まって遊んでいた。
一人の子が「ひとつ、ふたつ…」と数字を数えていたのだが、ふと

「なんで『ひとつ』から『ここのつ』まではみんな語尾に『つ』がつくのに、『とお』には
『つ』がつかないのかな」

と呟いた。
子供たちは静まり返りってしまったが、その中の9歳の少年が答えて言った。

「そりゃそうさ。5の時に『いつつ』と『つ』を二つ使ったから、10の分が足りなくなっちゃったんだよ」

このやりとりを聞いていた重宗は少年に興味を持ち、翌日さっそく彼を招待し、
上下に二つ重なった餅を食べさせて、尋ねた。

「今食った餅、上と下、どっちの方がうまかった?」

少年はしばらく考え込んでいたが、突然両手をポンと打って

「今鳴ったのは、左手?右手?」

と問い返した。
重宗はいよいよ感心し、取り立てて自分の側においた。
成長した少年は重宗の一の側近になったという。

                    「明良洪範続」




312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 10:16:27.34 ID:NbK2TydX
質問に質問で答えるんじゃねーよゴラァ

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 11:11:33.76 ID:Azyn9z1G
>>312
口で説明するより実際に同じ気分を味あわせてやろうとか
そういう機転なんじゃない?

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 11:54:11.20 ID:2g0szYjX
鳴ったのは右手?左手?って禅問答があるんだよな。

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 11:59:45.26 ID:JBlHchof
頭の回転のよさをみたんだろな

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 12:13:23.15 ID:NrhQ01hW
のちの落語の佐々木政談である
しかし板倉重宗から後世の政談ものっていろいろパクってるんだな

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 17:27:24.90 ID:3lzC74sQ
>>311
旗が動いているのか?それとも風が動いているのか?
的な禅問答なんだろうね
「片腕しかない人の拍手の音を聴いてこい」て公案もあるけど禅て難しく感じる
なにが言いたいのかよくわからない

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 18:44:36.24 ID:JBlHchof
思考を繰り返すのがいいんだろ
実際たのしいぞ

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 18:51:54.82 ID:bajq3D94
禅は答えが永遠にでそうになくてうあああってなるわ

321 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/06(火) 19:14:05.93 ID:VS7Xiq+J
重宗「うあああ…よし、採用!」

板倉重宗は裁判の判決を下す際、必ずすることがあった

2011年03月19日 00:01

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/17(木) 22:52:06.12 ID:J7a4GCWI
板倉重宗は裁判の判決を下す際、必ずすることがあった。

彼は先ず西に向いた廊下ではるかに拝礼をした。そして判決を下す部屋に至るのだが、
ここには茶臼一つを置き明障子を立て、その内に座して手づから茶を挽きながら訴えを聞いていた。
これを人々は非常に不思議に思ったが、重宗がその理由を語ることはなかった。

しかしはるか後年、重宗が相当に老いた頃、昔話の合間にふと、その理由を語ったそうだ

「私が決断所に出る前に、西面の廊下で礼拝していたのは、愛宕権現に祈っていたのです。
多くの神の中で愛宕権現は特に霊験あらたかだと聞いています。それ故、それを拝んでいました。

私の所願はこういうものでした。『今日、重宗は訴えについての判決を下します。
もし、私の判断に少しでも私心がまじっていれば、直ちに私の命を奪い給え』と。

判決の判断が曇るのは、その判断に私心が入り込む故だと思っているからです。

それから、茶臼ですが、ほんとうに出来た人というのは、自分の心を自ら動揺さないよう
出来るものだそうです。が、この重宗はそこまで出来た人間ではありません。
そのため、我心が動いているか静かであるかを、茶を挽くことで知るのです。

心が定まって静かなときは、手もそれに応じて、臼の回転も一定で、挽かれて落ちる茶も、
いかにも細やかです。
この細やかな茶が落ちた時に至って初めて、自分の心も定まったと知り、そこで判決を
下すのです。

それから、明障子を隔てて訴えを聞くのは、おおよそ人の面貌を見れば、憎々しい顔、哀れ気な顔、
信用できない顔と、沢山の種類があります。

正直そうな顔の人の言うことは誠にように聞こえ、信用できそうにない者の言うことは、何を聞いても
嘘のように感じるものです。哀れがましい人の訴えは、何か不正なことをされた被害者であると
思わせ、憎々しい人の紛争の訴えは、当人のほうが悪いように思ってしまいがちです。

こう言った事は我が目が見たものが心に移され、彼らが言葉を出さないうちから、彼は邪である、
正しくない、正直ではないなどと、先入観が生まれてしまい、訴えを聞いても、その先入観を元に
言葉を判断してしまう。そんな事は多いのです。

裁判において、哀れがましい者に憎むべきことがあり、憎々しい者に哀れなる事があり、
まことしやかな者に嘘偽りが多い、そんな事例は実にたくさん有りました。

人の心は知り難く、その容貌を以て定められるものではありません。

古には訴えを聞くには、その表情をもって聴くのだと言ったそうです。
ですがそれは、心がとらわれる事の無い人にだけ出来ることです。
この重宗がごときは見たものに心がとらわれ、先入観を作ってしまうことが多いのです。

また本来人々は、裁判の場に出ること自体が恐ろしいと思っているのに、さらに目の前に
自分の生殺を握る人間を見れば、心が萎縮して言うべきことも言えず、罪科を受けるという人も
いるかもしれません。ですから、互いに顔を見も見せられもしないほうが良いと、
あのようにしたのです。」


板倉重宗の、訴訟を判断するに当たっての姿勢である。





387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/17(木) 23:14:24.30 ID:UX4B1y5T
板倉親子はソフィスティケートという言葉がしっくりくる

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/17(木) 23:31:37.79 ID:m8i/8Xcb
>>386
性格は人相に出ると思うんだけどなあ

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/18(金) 08:07:03.21 ID:1PrpjEl0
>>387
詭弁を弄する人って事?

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/18(金) 09:09:23.48 ID:S/gaJNjq
醜いヤシは成敗したほうが、、

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/18(金) 09:15:10.29 ID:eG0nUjmf
>>389
たしかにsophistication
はソフィストから派生した言葉だが、
詭弁のほかに洗練されたものという意味がある
承知の上での発言だとしたらスマン

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/18(金) 09:46:36.14 ID:qu/NMN3D
>>388
性格が悪い人でも、その訴えに関しては正しかったりするしねえ

年寄りの武辺争い

2011年01月29日 00:02

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 22:30:34 ID:I9P1dmMH
大坂の陣も終わり、世も太平となった頃の事、
永井善左衛門の所に、板倉重宗が招かれた。

この時相客は石谷十蔵、横田甚右衛門(尹松)、大久保彦左衛門(忠教)、今村九郎兵衛、であった。
みなみな戦場生き残りの、老勇者たちである。

この頃今村は槍奉行、大久保彦左衛門は御旗奉行であった。
まず、今村が彦左衛門に食って掛かる

「わしは長久手でもどこの鑓場でも、人が十回かかるほどの働きをやって来たというのに
何のご褒美もなかったわ!彦左、おぬしはどれほど優れた働きをして、その様な結構なお役を
頂いたのだ!?」

これに彦左衛門
「わしは長篠で、鬼神のごとくと言われた岡部丹波を切り落とし、本多主水(彦左衛門の郎党)にその首を
取らせたわ!その他にもちくちくした事は数多あるが、まあ、甲州者などでは逃げたことが高名になるそうだ。」

これを聞いて黙っていられないのがその甲州者、そして高天神落城の際脱出した旧武田家家臣横田甚右衛門である。

「それがしが高天神城にこもったのは、『この籠城は運を開くことは出来ません』と勝頼様に申したのに
同心いたして頂けなかったゆえ、しからば一応勤め、どうしても駄目になれば敵を切り抜け、再び勝頼様に
お目見えいたしますと君臣約束した故である!!」

そう聞いても彦左衛門
「それは狭間潜(さまくぐり:城中から狭間(さま)を潜って逃げる者。転じて、逃亡者、臆病者)というものじゃ!」

「はっ!しかしあの時わしは三河者の頭の上を越えて行ったが、そのわしを指さす者すらおらんかったわ!」

「それはまあいい、ほかに何か無いのか?」

「ふん、そうだな、芦田小屋(芦田城)でも最も骨を折ったのはこのわしであった!」

この言葉に彦左衛門
「ほほう!芦田小屋から横田が逃げたという話は聞いていなかった!」

これには横田たまらず
「皆の衆あれを聞いたか!?三河衆は口が悪いから、人の武辺を言い貶す!全く意地の悪いことだ!
近藤石川といった連中に起請を書かせた上で言わせれば、ありのままに話すのだろうが。」

老勇者たちのいがみ合いヒートアップ。今にも発火せんばかりの空気の中、
ここで板倉重宗が割って入った

「いやはやいやはや!皆様はもはや老年でもあり、孫や子の事ばかりお話されると思っていたのですが、
武辺争いをなさるとは、近頃奇特なる事で、若き者の後学の為にも良いことです。
さあどうぞどうぞ、いくらでもやってください!さましく御重宝というべきものです!」

…と

この板倉重宗の言葉に気恥ずかしくなったか逆に白けたか、老勇者たち黙ってしまい、座敷の空気も
静まったそうである。

年寄りの冷や水ならぬ年寄りの武辺争い、と言うお話。
しかしまあこの人達、仲が悪いというより、そう言うコミニュケーションだったんでしょうねw




446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 22:50:41 ID:Q9lZeOBv
>>444
乱世を生きた武人の気質なんだろうな
日露戦争時に薩長出身者が幕末の活躍を話してると、
桑名藩雷神隊だった立見尚文が、
「キミら、オレの隊からは逃げてたよね?」
みたいにチャチャ入れたりしてるしw

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 01:06:37 ID:swpyhMCd
しかし重宗もどうかしてるな
あの彦左がのほほんと孫の話なんてするわけがないくらいわかりそうなもんだが

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 01:10:14 ID:iRVaeWLn
だからあてつけというかしらばっくれというか、そういう事なんだよと思うよw>重宗
「あんたらもう孫がいるような歳なのに、そう言う子どもみたいな意地の張りあいしてて
それはどうなの?」
って底意で言っているんだよ。


451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 01:40:36 ID:hii+OybT
戦場往来の爺ちゃんたちは我が強すぎるねえw

452 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/28(金) 03:58:35 ID:MhR7EtTZ
どうにも収まりのつかない口喧嘩を全員誉め上げてて収める、
さすがは板倉Jr.という話




関連
大久保忠教と横田尹松が・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1658.html

板倉重宗と未解決の難事件

2010年09月30日 00:01

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 22:05:07 ID:ZSblyOze
まとめには載ってませんでしたが、「法曹夜話」にあった板倉重宗の話なんかは
さすがにスレ違いでしょうか?

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 22:34:04 ID:cLNlGhQO
取り合えず書いてみる!



306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 22:55:35 ID:ZSblyOze
では、既に戦国ではありませんが板倉重宗の話を(出典:法曹夜話(岩波文庫))

板倉重宗は、父勝重の後を継いで京都所司代となり、父に勝るとも劣らない名声を博した。
35年勤めあげ、いよいよ辞職の際、抱えていた仕事は全て整理し、後任の手を煩わせないようにしたが、
ただ一つ当時世間で評判となっていた難事件については、片付けずにそのまま後任の牧野佐渡守親成に
引き継いでしまった。

「佐渡?誰それ。周防殿ですら解決できないものがこんな奴に出来る訳ねーじゃん( ´,_ゝ`)プッ」

と着任前から散々な言われようだった牧野親成、いざ着任してみれば明快な調査、公平な判断で
事件をあっという間に解決してみせ、
「佐渡殿すげえ!これなら周防いらねーじゃん!」
てな具合に、新任所司代の名声はいやがおうにも高まったのであった。

…が、実はこの事件、板倉重宗は既に完璧な調査を終え、後は判決を言い渡すのみとなっていたのを
辞職に当たってあえて残し、さらに詳細な意見書まで書いて引き継ぎ、牧野親成はそれをただ読んで見せた
だけなのであった。

自分の功を誇らず、お上の威信のために後任に花を持たせた重宗のいい話。




307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 23:09:52 ID:vgZoZNko
板倉さんとこは親子でガチだね。

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 23:13:24 ID:ih/MKB6h
本多佐渡さん親子とは正反対だな

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 21:46:57 ID:U5dwo9l0
>>307
孫も立派だよな
3代続くのは珍しい