謝名親方利山
503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 18:23:28 ID:v3aJbc2V
1609年(慶長14年)、島津氏は琉球へと侵攻した。
この時琉球側の中心となったのが謝名親方利山(じゃな うぇえかた りざん)である。
謝名親方は明よりの帰化人の子孫として那覇近くの久米村に生まれ
官費生として明への留学を果たした後、王の補佐官である三司官の一人となった。
島津氏の琉球侵攻に際し、琉球軍は精一杯の抵抗を示した。
謝名親方も自ら兵を率い、海上より那覇へと迫った島津軍を一度は撃退し
その後故郷久米村の三重城への立てこもり、三日三晩戦い抜いた。
しかし長く平和が続いた琉球の軍は
戦国の世で鍛えられ、最新の鉄砲を装備した島津軍に敵わず
尚寧王が和睦を申し入れて首里城は開城した。
この後王や三司官ら琉球王国の高官たちは薩摩に連行され
琉球統治に関する起請文に署名するように求められた。
他の高官たちが次々と署名していく中
「自由なくして生きるかい無し」とただ一人突っぱねたのが謝名親方であった。
島津氏は謝名親方を釜茹でにして処刑することとした。
処刑のとき謝名親方は脇にいた二人の刑吏の髻を掴むと
自ら煮えたぎる釜に身を投じた。
これに感動した尚寧王は、釜の中でぐるぐると絡まりあった三つの亡骸から
尚氏の家紋を「左三つ巴(ヒジャイグムン)」としたという。
504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 18:28:55 ID:ARCNXVlR
>>503
撃退したのはあくまでも別働隊で、島津の主力はあっさりと運天港から上陸して、ほとんどなんの抵抗もないまま
首里にまで迫ってしまった。なぜなら、
島津勢の上陸地点は那覇港のみと判断して、琉球軍の全兵力(2000人)を那覇と首里に集結させていたため・・・
というと悪い話になるな
505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 18:29:00 ID:Y1cMcW/p
いかにも琉球人の願望が作った逸話だな。
506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 18:29:06 ID:QCqwVLbZ
どの辺がいい話?
507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 18:45:29 ID:lmyC8c4t
もし悪久がいなかったら、沖縄は完全に中国領だったね。
政宗とか三歳がいなくても現在の日本に大して影響無かったけど
悪久が存在しなかったら歴史は大きく違ってた
508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 18:53:44 ID:ARCNXVlR
>>507
ただ悪久は「首里で籠城された場合には、速やかに撤退しろ」とも命令を出してたんで、場合によっちゃ悪久が居ても
どうしようもなかった可能性もあったけどね。結果はご存じのとおりですが
509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 19:01:55 ID:qaIgK9BW
歴史は偶然と必然の積み重ねだけど、
琉球の日本化は必然だと思う
誰が薩摩藩主でも琉球には攻めて行ったのではないか
510 名前:小田氏治[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 19:06:39 ID:pAiJvfLZ
速やかに琉球を併合する!
511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 19:15:16 ID:ARCNXVlR
でもまあ、沖縄本島は頑張った方なんだよ
奄美大島・・・要塞の門を手筒で破壊されて、ビビッてしまいあっさり降伏
喜界島・・・攻撃ルートにする予定もなかったけど、勝手に降伏
沖永良部島・・・周囲をサンゴ礁に囲まれた天然の要害なため、大型船が接近できないから負けないと思ってたら、
高波に乗ってあっさり上陸
即座に降伏
それに比べたら、まだ頑張った方かと。徳之島?聞かないで
512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 19:32:34 ID:MTn8HmrH
亀井さんがアップをはじめました
513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 20:21:46 ID:LoZun9NJ
>>503
なんとなく眉間尺の焼き直しの気が
てきとうあらすじ
戦国時代、楚王が名刀匠の莫耶に命じて刀を作らせた。
莫耶は一組の刀をつくりあげたが、片方の刀のみを楚王に献上し、もう一振りは妻の干将に
預けた。それを知った楚王は莫耶を殺し、片割れを求めたが、干将は莫耶の子を宿したまま逃亡。
やがて干将莫耶の子供は、眉の間が一尺もあるほどの巨人に成長したため「眉間尺」と呼ばれた。
眉間尺は父の仇、楚王を討とうとしたがこれを知った楚王は眉間尺に懸賞金をかけた。
逃亡している眉間尺のもとに旅人が現れ、言った。
「お前の首を渡せ。そうすれば代わりに私が仇討をする」
眉間尺は快く自刎し、旅人は眉間尺の首を持って王のもとへ出向いた。
喜んだ王は沸騰した鍋の中に眉間尺の首を入れたが、なぜか煮崩れしないままであった。
不審に思った王が鍋を覗いた瞬間、旅人は王の首をはね、首を鍋に落とした。
王の側近も慌てて旅人の首をはねたため、鍋は眉間尺、王、旅人の三つの首が入ることとなった。
結果、鍋からはぼろぼろとなった三つの首が出てきたが、どれが王の首か判断できなかったため、
三つの首を王墓に葬ることとなり、眉間尺の復讐はなった。
いろいろツッコみたいし、この話も荊軻・樊於期・始皇帝の焼き直しの気がするが気にしない。
514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 23:22:23 ID:CITQ/8+r
悪久本人はそこに弱そうな獲物がいたから本能のままに狩ったまでで
後世に与える影響なんか考えてなかったろ
ヘンリー8世が離婚したいという理由で国教会始めたけど、後世に宗教改革として
扱われてるようなもんだ
515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 23:30:45 ID:dS6Xp7vh
>>511
>徳之島?聞かないで
どうして肝心のそこを飛ばすw
516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 23:34:32 ID:NiXaZ5ex
琉球の風で奄美だったかの戦闘で、住民が熱湯を島津兵にかけてるシーンを思いだした
この大河で琉球について興味持ったんだよな。今キャスト見直してみたらさりげなく謝名親方いたわ
江守徹が演じてたとは知らなかった
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