572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/08(金) 23:53:37 ID:P5LyMysU
長船貞親暗殺事件
梟雄宇喜多直家に最古参の家臣として仕え、主家の発展に尽くし大いに活躍した長船貞親。
彼は常に岡山城の直家の元に詰めていたため、居城虎倉城は妹婿の石原新太郎が預かっていた。
1588年の正月の朔日、新太郎は貞親に「来る六日に新年の祝賀として料理を進めたい。」
という手紙を送った。
喜んだ貞親は弟源五郎や金光宗廻等近臣を連れて四日の昼ごろ虎倉城に到着し、一行と新太郎は
夜に入るまで酒宴を続け、夜更けにそれぞれの宿所に戻った。
翌朝の十時頃、貞親の末子や甥等の子供たちが集まって碁に興じているのを貞親が見物していたところ
櫓に登った新太郎が銃を撃ち、弾丸は貞親の眉間を撃ち抜いた。
周りに居合わせたものは狼狽し、貞親の介抱をしたが貞親はすでに絶命していた。
するとそこに当時十八歳だった新太郎の長男新介と新太郎の妻が現れ、いきなり源五郎を一刀の元に斬り倒した。
新介はその場にいた者に即座に殺されたのだが、新太郎の妻は薙刀で源五郎に止めを刺し奥に駆け込むと
貞親や源五郎の幼い子供たちを皆刺し殺し、その足で夫の篭る櫓に駆け込んだ。
長船の家来も石原の家来も何故こんなことになってしまったのかがわからないままに斬り合っていたのだが
宗廻が「主君の意趣も知らず、訳もわからず斬り死にすることは全く道理に合わない話である。これは
新太郎が乱心したのだろう。
皆のもの、まずは静まれ」と押しとどめ、事の次第を岡山へ報告した。
暫くすると新太郎夫妻は櫓に火を放って自害し、折からの西風に烈しく煽られた炎は櫓や塀を伝って燃え上がった。
残った石原一族は近くの寺に入り皆自害したという。
さて岡山でこの事件の注進を受けた貞親の嫡子綱直は非常に驚き、取るものも取らず
裸馬に跨り駆け出した。家臣もこれに従い夕刻に虎倉城に到着したのだが
その頃には城は完全に焼け落ち、見るも無残な焦土を化していた。
落胆した綱直は貞親、源五郎や幼子達の遺体を取り収めて岡山へ帰還した。
なぜ綱直が助かったかというと、彼も新太郎から招待を受けていたのだが
日ごろから二人は不仲であったため綱直は仮病を使って参加しなかったのだ。
結局この事件の首謀者である石原夫妻とその一族は悉く死に絶えたので、事件の真相は分からずじまいだった。
573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:07:34 ID:Q1dQHMRj
ニヤリィ
574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:14:15 ID:GdHO35lq
直家「私には動機がないんだよ、動機が。どうして私が忠臣であった貞親を殺さなければならないんだね?」
575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:24:51 ID:MWbNvv0L
動機以前に直家さんもうとっくに死んでるんだが
576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:25:43 ID:O8ACmmnU
以上、戦国頭の悪い話ですたw
577 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/09(土) 00:39:33 ID:GdHO35lq
ぬぅ…
勉強してきます…
長船貞親暗殺事件
梟雄宇喜多直家に最古参の家臣として仕え、主家の発展に尽くし大いに活躍した長船貞親。
彼は常に岡山城の直家の元に詰めていたため、居城虎倉城は妹婿の石原新太郎が預かっていた。
1588年の正月の朔日、新太郎は貞親に「来る六日に新年の祝賀として料理を進めたい。」
という手紙を送った。
喜んだ貞親は弟源五郎や金光宗廻等近臣を連れて四日の昼ごろ虎倉城に到着し、一行と新太郎は
夜に入るまで酒宴を続け、夜更けにそれぞれの宿所に戻った。
翌朝の十時頃、貞親の末子や甥等の子供たちが集まって碁に興じているのを貞親が見物していたところ
櫓に登った新太郎が銃を撃ち、弾丸は貞親の眉間を撃ち抜いた。
周りに居合わせたものは狼狽し、貞親の介抱をしたが貞親はすでに絶命していた。
するとそこに当時十八歳だった新太郎の長男新介と新太郎の妻が現れ、いきなり源五郎を一刀の元に斬り倒した。
新介はその場にいた者に即座に殺されたのだが、新太郎の妻は薙刀で源五郎に止めを刺し奥に駆け込むと
貞親や源五郎の幼い子供たちを皆刺し殺し、その足で夫の篭る櫓に駆け込んだ。
長船の家来も石原の家来も何故こんなことになってしまったのかがわからないままに斬り合っていたのだが
宗廻が「主君の意趣も知らず、訳もわからず斬り死にすることは全く道理に合わない話である。これは
新太郎が乱心したのだろう。
皆のもの、まずは静まれ」と押しとどめ、事の次第を岡山へ報告した。
暫くすると新太郎夫妻は櫓に火を放って自害し、折からの西風に烈しく煽られた炎は櫓や塀を伝って燃え上がった。
残った石原一族は近くの寺に入り皆自害したという。
さて岡山でこの事件の注進を受けた貞親の嫡子綱直は非常に驚き、取るものも取らず
裸馬に跨り駆け出した。家臣もこれに従い夕刻に虎倉城に到着したのだが
その頃には城は完全に焼け落ち、見るも無残な焦土を化していた。
落胆した綱直は貞親、源五郎や幼子達の遺体を取り収めて岡山へ帰還した。
なぜ綱直が助かったかというと、彼も新太郎から招待を受けていたのだが
日ごろから二人は不仲であったため綱直は仮病を使って参加しなかったのだ。
結局この事件の首謀者である石原夫妻とその一族は悉く死に絶えたので、事件の真相は分からずじまいだった。
573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:07:34 ID:Q1dQHMRj
ニヤリィ
574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:14:15 ID:GdHO35lq
直家「私には動機がないんだよ、動機が。どうして私が忠臣であった貞親を殺さなければならないんだね?」
575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:24:51 ID:MWbNvv0L
動機以前に直家さんもうとっくに死んでるんだが
576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:25:43 ID:O8ACmmnU
以上、戦国頭の悪い話ですたw
577 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/09(土) 00:39:33 ID:GdHO35lq
ぬぅ…
勉強してきます…
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