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この徳山五兵衛の分別のために

2022年12月12日 19:09

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/11(日) 22:31:18.66 ID:cJv5e76e
慶長二年酉の年、太閤様の御代であったが、その四月の頃、(伊達)政宗殿が洛外において花見の遊山をされたそうだ。
建仁寺の藤を一日中、一両日を過ごし、藤の森の入江の花見を、いかにも密かに、遊び者などを召し連れて遊山の所に、洛中のスリ共がこれを聞き出し、政宗一項をひしひしと取り巻いて

「我々は飢えており、金銀を頂きたいのです。」と申し掛けた所、

「安き程の義である。しかしここには金銀を持ってきていない。」そのように断ったが、

「ならば御腰の物、御供の衆迄のものを下さりますように。」
と申し上げた。これに対して「刀、脇差は如何であろうか。」と屋敷へ人を使わして金を取り寄せ、彼らに取らせてようやくそこから退くことが出来た。

悪事千里と言うが、五日のうちにこの話は京伏見に広まり、世間では「政宗殿が両腰の物まで奪い取られた、との風聞が専ら取り沙汰された。

このような所に、その頃加賀大納言(前田利家)殿と政宗とは、関係があまり良くなかったのだが、大納言殿はこの事を聞きつけられ、使番の北村という若者にこう言い含められた

「政宗殿の所へ参り、『最近承った事には、藤の森にてスリにお逢いに成ったとのこと。笑止(気の毒)に思います。』と伝えるように。」

この時、大納言殿の側廻りに居た徳山五兵衛(則秀)はこれを聞くとこのように考えた

『以ての外の大事なる事を仰せ使わされるつもりだろうか?その使いに対し、定めて政宗殿からは『懇ろなる使、忝なく存じます。そして(我々がスリに遭ったという)証拠を下さりますように。』
と言って来るだろう。そう言われた場合、我々に確かな証拠は無い。となれば伊達家との関係が大事になる事は必定である』

そのように分別し、『そのような使いは御無用にて候』と申すべきだと胸中には思っていたが、大納言殿の癖として、一旦腹(一度言い出したことは反論を聞かない)なる人であるから、
そんな事を言えば猶以て早々に使いを出しかねないと案じ、あえて反対をせず「使いには私が参りましょう。」と申し上げた。
「ならば五兵衛が参るように」と仰せになられると、この使いの事を五兵衛は留めて、二、三日が過ぎた。
大納言殿より「五兵衛、政宗殿の汚き事についてはどうなったのか」と尋ねられたが、これに対し「これは大事の御使であります。伊達家より証拠を求められた時はいかがすべきでしょうか。」
と申し上げた。しかし「スリに遭った事は必定である。五兵衛が参らぬのなら他の者を遣わす」と仰せになった。そこで「ならば私が参ります。」との事に成った。

徳山五兵衛は政宗殿の元に参り、大納言殿の言った通りに申し渡すと、案の定、政宗殿は自身で出てきて書院において対面し、その返事には

「そのような事を能く聞かれ届けられました。願わくばその証拠を出し、我々に下さりますように。」

との事であった。五兵衛は挨拶仕り、「この事は、先に申し上げたように世間がそう取り沙汰している事です。
大納言に対し、証拠を出すようにとの御返事でありますが、そのようば御返事では、私は罷り帰ることが出来ません。使いが不調法であった、という事に成るからです。である以上、慮外ではありますが、
御椽を汚し申します。(椽側で切腹するということ)

五兵衛の覚悟が強く見えたのを、政宗殿はとっさにその気色を悟り、
「そういう事であるのなら、世間の取り沙汰もあるのだろうか、仰せを聞き置こう。それは世間の悪口でもあるのだろうが、御心安く思って頂きたい。そのような事は身に覚えが無い。
御内証、忝なく存じ奉り候」

と、直に返事をされた。徳山五兵衛は分別し、この返事を聞いても証拠が無いと考え、「今暫く、申し上げたい事があります。」と言ってその座を立ち、政宗殿の屋敷に近い、
糟屋内膳殿、土方勘兵衛へ使いを立て『これへ早々御出下さりますように、急用のこと御座候』と申し遣わした所、この両人が参り「このような使いのため、大納言の所より参りました。」と
説明し、この両人を先に立て、再び政宗殿に逢い、

「最前の御返事はあのようでしたが、その後に御言葉が有れば、後の両家の申し事に成ってしまいます。証拠のために、この両人を御前に在られて、御返事の内容を承ります。」
と申し上げた。

この後に取り沙汰されたことには、この徳山五兵衛の分別のために、政宗殿と大納言殿との間に物言いが起こらなかった。これは偏に臣下の徳山のおかげであると、この話を聞く者たちは
五兵衛に感じ入ったと聞こえている。

(川角太閤記)



509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/12(月) 14:01:29.35 ID:r1ZE6v21
ロリコンさぁ

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/12(月) 17:23:24.85 ID:AEhmbMhj
五兵衛さんのいい話であり
利家の悪い話でもある

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/12(月) 18:46:55.40 ID:GZ/44Pjx
>>509
つまらん頭してるな
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徳山則秀と徳山英行

2021年11月19日 17:31

800 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/11/19(金) 02:35:02.72 ID:kcCwIa2J
徳山則秀と徳山英行
 
賤ヶ岳の敗戦後、徳山則秀がひそかに養育した人物が鬼玄蕃こと佐久間盛政の息子である徳山英行です。
賤ヶ岳で則秀とともに戦った佐久間盛政は刑死し則秀は悲運に死んだ戦友の遺児を引き取り成長後は徳山英行と名乗らせて娘婿に迎えています。
1606年に則秀が亡くなった後、家督を継いだ嫡男である直政は若年のため姉婿である英行に2千石を与えて後見役とし(則秀の事前指名か?)、直政は3千石(のち3,243石)を相続しました。しかし英行は後見役を辞退し2千石は幕府に没収されてしまいました。
なぜ後見役を辞退したかは三つの説があります。
・僧となる志があって逐電したという説
・養父則秀への追慕と感謝の気持ちがあったからという説
・義弟直政に憚ったという説
があります。



801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/19(金) 08:29:54.35 ID:73lL6Gjh
徳山則秀って勝家の養女を娶った事で柴田家中から重用されたけど
実際の徳山氏の嫡流は則秀がいた時代でも他にちゃんといて健在だったのに
どうしてその中から則秀が娘婿として抜擢されたんだろう?


21

802 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/11/19(金) 10:17:56.88 ID:Afz+aD5S
>>801
兄貴が病弱だったからとか、勝家に気に入られたとかかな...わからないけど

806 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/11/19(金) 10:49:47.65 ID:kcCwIa2J
>>800
則秀と盛政の関係性が少しわかったかもな

809 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/11/19(金) 12:04:07.45 ID:Afz+aD5S
>>800
気遣いで辞退したつもりなら幕府に没収されちゃったから裏目に出てしまったな...

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/19(金) 14:06:55.12 ID:tqj7QyJe
なぜか壊れかけのレディオが頭の中で流れる

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/19(金) 15:00:33.95 ID:a3sY0J16
>>809
五千石だから、若年の当主じゃ不安で後見人つけろって言ったのに、無しにするって言われたから削ったのかな
この場合、幕府が後見人として英行を指名したことになるが
見方によったら義兄が五千石中、ニ千石握ってる状態だと、色々問題が起こるから却って良かったのかも

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/19(金) 17:00:44.81 ID:73lL6Gjh
徳山氏にも武田家と今川家の間で起こったような塩留めの逸話があるんだな
今更ながら南北朝時代の敵対関係の話掘り起こされて主家の土岐家から塩留めされてしまった
朝倉氏に泣きついて越前府中の塩が売買されている市の側に領地貰って一時的に家臣となった
朝倉氏の美濃侵攻の手先となって何度か土岐・斎藤陣営と敵対してる

813 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/11/19(金) 17:01:11.61 ID:Afz+aD5S
>>811
本人たちにその気がなくても軋轢生みかねないしな

徳山則秀の分別

2010年10月15日 00:00

676 名前:1/2[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 17:36:21 ID:bwxF3gue
豊臣秀吉の時代、慶長2年(1597)、4月の頃のことだという。

この時、京にあった伊達政宗は洛外にて花見遊山をした。
建仁寺の藤の森にて一両日を過ごし、大いに杯を重ね、政宗らしく派手に遊んだようである。
ところが、この政宗の遊ぶ音を聞いて、このあたりに巣食うならず者たちが集まり、大勢で政宗の周りを
ひしひしと取り巻き、こんなことを言ってきた

「我々は大変ふところを寂しくしている。あなたから金銀を頂きたい。」

ゆすりである。

これに政宗
「そんな事は容易いが、今我々は金銀を持ちあわせていない。」

「ならばお供の衆の腰のものを頂きたい。」

よりにもよって武士の刀をよこせという。数を頼んでかならず者共、政宗一行をなめきっているのだ。
政宗も後年であれば、こう言った連中相手に大立ち回りを演じたであろうが、このころは未だ
秀吉も生きている時代である。大事にしてはいけないと、理性が働いた。
政宗は屋敷に人をやり金を取り寄せ、それを渡してならず者たちを引き取らせたのだ。

さてこの事件、京伏見にあっという間に噂として広まった。
しかもその噂では、政宗自身の両腰までゆすり取られた、という事になっていた。

ところでこの頃、加賀大納言前田利家は伊達政宗とあまり上手くいっていなかった。
そんな時にこの風聞を聞いた利家は、使番の北村という若者を呼んでこう申し付けた

「政宗のところにこう使いせよ!昨今うけたまわった所では、貴殿は藤の森にてゆすりにあったそうだが、
大変笑止なことである!と。」

この利家の口上をたまたま聞いたのが、利家の側廻りの一人、徳山五兵衛則秀であった。
徳山は慌てて利家に言上する

「何と以ての外の大事なることを仰せになり、それを遣わされるのですか!?
そのような事を政宗殿に言えば、向こうから確認の使者が送られ、『その証拠を見せろ!』との
書状が来るのは間違いありません。

ところがこちらには、確たる証拠を持っているわけではありません。これでは前田家と伊達家の間で
大事になること、間違いありません!この徳山が考えるに、そのような使者を出すのは、害のみあって
全く無用のことです!」

こう諫言したが、前田利家という人は性格として一旦腹(一度口に出したことは変えない)であったので、
それでもなお

「かまわぬ!早々に使者を出せ!」

と言いはった。ここに徳山

「ならば私が使者として赴きます」

利家もこれを許可した。

677 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 17:37:30 ID:bwxF3gue
ところが徳山、なんのかんのと理由をつけ、ずるずると出立を伸ばす。
もしかすると利家が心変わりするのを待っていたのかもしれない。
が、2,3日経って利家は

「政宗への使いはどうした!?」

これに徳山は問い返した
「これは大事の使者です。政宗殿からは殿が笑止と考えたに至る証拠を必ず求められますが、
その時はいかが致しましょうか?」

しかし利家
「政宗がゆすりにあったのは確実なのであろう!?ならば何の問題があるのか!
お主がゆかぬと言うなら他の者に任せる!」

そう言われてもはや致し方なく、「ならば私が、これより使い致します」と徳山則秀は政宗の屋敷を訪ねた。


前田家重臣の一人である徳山則秀を、政宗は白書院に通し自身で対面した。
利家の言を伝えたところ、政宗からの返事は案の定

「大納言殿がそのように言われるなら、その証拠を示すべきである!」

との事であった。
ところが徳山はこれを聞くと

「そのようなご返事では拙者、罷り帰る事叶わず!」

と言い出した

「そのような返事を持ち帰るだけなど、使者として不調法、不面目この上ないことでござる。
そうであれば大変申し訳ありませぬが、御縁を汚すことと相成ります。」

徳山はここで切腹する、と言っているのだ。
彼の強烈な覚悟を見て取った政宗は、ふと態度を改め

「あなた方が言われているのは、世間の風聞に過ぎぬものである。
大納言殿が聞かれたのはそのような、世間の無責任な悪口に過ぎない。
その噂のような事実は有りませんでしたので、大納言殿にはどうぞ、安心してほしいと
言ってもらいたい。」

と、徳山に直に言った。
ところが徳山

「今の政宗様のご発言には、その発言をしたという証拠がございませぬ。少々お待ちください!」

そう言って一旦伊達屋敷を出て、その近くに屋敷のあった糟屋武則、土方雄久の所に使いを立て
緊急に呼び出した。その上で糟屋、土方の両名と共に政宗の元へ戻り

「先のご発言、後に何かの問題が起こらないためにもこのご両人を証人として、もう一度
おっしゃってください!」

政宗は素直に、再び同じことを言った。

この時の徳山則秀の分別が正しかったため、この後この件で政宗と利家の間に問題が起こることは
一切なかった、と言う。


徳山則秀、前田と伊達の紛争の危機を見事な使者ぶりで防止する、と言うお話。




678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 18:30:15 ID:HzK/UU5e
メンドクセーなーもうw

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 18:34:15 ID:GRhgb3zp
出典は知らんけど
この話には徳山の手柄話だけじゃない意図もあるのかもな。
いろんなやり方があるもんだし。

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 18:36:31 ID:HzK/UU5e
政宗って戦には負け続けて、中央からの命令を無視し、てやりたい放題だったのにたのに
何で領土広げて生き残ったんだろう・・・

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 19:01:16 ID:fAC7J8ij
面積は増えたが、石高は減ってる

未開の宮城を開墾したから、百万石相当の実高に戻っただけで

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 19:38:53 ID:qpGVOixJ
>>680
??「死ねば助かるのさ」

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 20:28:13 ID:XWr3f8GV
本当にゆすられたのなら前田利家が武士の立場から考えて怒る気持ちがわかる。

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 20:38:53 ID:o4T4dul+
まーくん晩年の頃に出てきて欲しかったなこの強請り
ならず者相手にヒャッハーしてくれると思ったのに...(´З`)チェッ

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 20:41:42 ID:VNWaa3Bu
政宗好きじゃないけど
利家も本当にくだらないことでお互いの家を滅ぼしかねない嫌味を言うよなw
利家に何の得があってこういうことをするんだ?

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1843.html
景勝に嫌味を言った逸話もあるし、相当嫌味な性格だったのか、犬っころ?

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 20:58:17 ID:XWr3f8GV
当時武士は治安維持の役割も兼ねているから嫌味だけでなく、
武士の体面からの怒りもあったと思うけどな。
ゆすりをする集団は町人にも迷惑かけている可能性は高いわけで。
政宗の領地でのことではないから、義理はないと言えばそうだけど。

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 21:06:14 ID:Rw8J6i2k
まあ、犬っころの息子が浪人中の立花宗茂に「10万石で雇ってやるよ」と声をかけたら
「腰抜け風情の息子が何をぬかすか!」って一喝されたっていう話もあるしな。
土下座王に腰抜けの犬っころがけんかを仕掛けたという『けちな話だなw

688 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/14(木) 21:55:11 ID:s8+Y2qM9
揺すられるような人数で領外出歩くなよバカ宗www

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 22:19:47 ID:qpAWh6j8
屋敷に使いを出したら応援呼ばれて逆襲される、という心配はしなかったんだろうか。
それとも山賊に高度な政治判断能力があったのかw


690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 22:22:56 ID:pTw4fgIG
その後、山賊がどうなったかはかかれていない以上、
「その後山賊は政宗率いる応援部隊がおいしく頂きました」となってる可能性は高いのでわ?

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 22:47:20 ID:XWr3f8GV
幕末だと新撰組と力士集団が町で大喧嘩してるな。
その後、和解して侍と力士で大宴会してるw

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 22:50:12 ID:WWq5WD2S
>>691
あれ、てっきり芹沢鴨が暴走して相撲取りを返り討ちにしたと思ってた

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 22:54:20 ID:XWr3f8GV
>>692
きっかけは勿論、芹沢鴨w
その後に力士たちが新撰組のいる所におしかけてきて新撰組が応戦。
土方歳三、永倉新八といった主力級もこの喧嘩に参加してる。

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 22:57:33 ID:OzQQucne
>>690
スレ違いだがカエサルの青年時代にもこんな話があったな。
あっちは最後は賊はあの世行きだった。政宗が山賊見逃すとは思えんなあ。

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 23:05:19 ID:dxQ3z5oU
なんで利家は犬っころと呼ばれているんだ?

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 23:07:20 ID:WWq5WD2S
>>695
幼名が犬千代だから

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 23:13:03 ID:c2J+9xA+
四つんばいになるから

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 23:15:19 ID:FMN/Gz+R
信長とわんわんおだから

699 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/14(木) 23:17:14 ID:Rw8J6i2k
>>695
愛玩犬 ノブ専用バター犬
狂犬  発病して茶坊主を食い殺す
忠犬  再就職後はね
番犬  柴田の親父さんの監視
迷犬  賤ヶ岳
駄犬  末森城から小田原陣
老犬  五大老時代

すべて犬ふがつく人生、ゆえに犬っころ