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〇〇落としの谷、由来

2010年10月27日 00:00

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/26(火) 01:26:16 ID:jRdGAN47
遠江に横地城という城がある。別名を金寿城。

文明8年(1476)今川義忠の攻撃により城主横地太郎秀国が討たれ落城。
ところがこの後、今川義忠が駿河に帰還する途中、残党の襲撃に会い討死。
これから駿河は義忠の嫡男龍王丸(今川氏親)を要する一派と、今川一門の
小鹿範満を要する一派との内戦が起り、その調停のため京より、北条早雲こと
伊勢新九郎盛時が派遣され戦国史に華々しいデビューを飾ることに成るのだ…が、

で、ここで語りたいのは、その横地城において行われた、ある特殊な軍事訓練について、なのである。
横地城の城兵は戦闘訓練として、城の近くにある膝つき谷と言う谷の底に連れていかれ、
そこに膝をついて待機。

すると谷の上から、太鼓の合図と共に金の玉が谷底に向かって落とされる。

これと同時に谷底の兵は駆け上がり一斉に玉を探し出す。
玉を見つけた兵は谷の上に駆け上がり、賞を得、大いに讃えられた。
これが横地城の軍事訓練であった。

このような訓練が行われてていたため、この谷は一般に、膝つき谷ではなく
訓練に由来した別の名で呼ばれ、今もその名が残る。曰く

『金玉落としの谷』


金玉落としの谷、由来のおはなし。




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