6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 18:00:47 ID:4QJyzayn
後花園天皇の時代、永享(1429~40)の頃の事だそうだ。
その頃、京では夜、西洞院通より怪鳥が飛び来たり、禁裏の殿上にとどまり光を放つ、という
怪異があった。主上はじめ禁裏の人々これに大いに驚き賜い、数夜にわたってこれが続いたため
ついに公卿達によって詮議が行われた。
「上古、源三位頼政が鵺を射たためしがある。この度も武家に命じて射さしむべし。」
すぐに将軍家へと勅使が立った。
その頃京に参勤し将軍家に将軍家に仕えていた者の中に、讃岐の住人、三谷弥七景春があった。
彼は当時、射手として類なき精兵と知られており、将軍家は彼を派遣することとした。
彼は参内し殿上の床に上って、怪鳥の来る時刻を待った。
しばらくすると怪鳥飛び来たり、禁裏の上まで来るとまばゆい光を発する。
三谷弥七景春心中に神明の擁護を祈り、これに、射る。
射応えあり。
矢は誤たず当たり、怪鳥は地面へと落ちた。
三谷景春はこれを確認しようと階を下らんとしたところ、段を踏み外し下まで落下してしまった。
それを見た公卿が
「そなたは怪鳥を射落とす程の者、心遅れるようなことはないだろうに、
今階段から落ちたのはどういう事か?」
と尋ねると景春
「不詳の身の私が参内をいたしただけでなく、階上にまで登りました。
その事を恐れたゆえに計らずも落下してしまったのです。」
そう答えた。
この事は帝の叡聞に達し帝感美ましまし、昔の頼政が官位であると、三谷弥七景春を
兵庫頭になし賜い、これより兵庫頭と弥七が、三谷家の通名となったそうである。
三谷氏に伝わる、通名についての伝承である。
8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 20:50:06 ID:auyGLiEU
ものすごくいい加減に官位やるんだな
9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 20:53:49 ID:8ZNC1BDz
猫&犬「陛下のペットなんで官位持ちですwwフヒヒwwwwサーセンwwwww」
10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 21:22:32 ID:9aBb5P9U
官位というとこんな話が。江戸後期なのでおもいっきりスレ違いなのだが参考までにw
天明元年(1781)、姫路城主の酒井雅楽頭(忠以)は将軍の命により上京することとなった。
ところでその頃、忠以は狆を大変に愛玩して数匹を飼い、その中でも特に気に入った一匹に
いたっては、どこに行くにも連れて回っていた。であったが今回の上京は将軍の命による
公の重き御用であるため連れては行けぬと、江戸の屋敷に置いていくこととした。
ところが出立の日、この狆が駕籠の廻りを離れず、隙あらば主人の居る中に入ろうとする。
近習の者達駕籠に入れてはならぬとこれを防いだが、あるいは吠えあるいは噛み付き、
なかなか手に余る抵抗を示した。
困った忠以は
「とにかく品川の駅まで連れていこう。品川から返してしまおう。」として、
品川に着くとそこから返そうと色々と手を尽くしたが、先と同じく狆は頑強な抵抗を示し、
如何ともしがたく返すのを諦め、ついに上方まで連れていった。
さてさて忠以が京に着くと既に彼の狆のことは話題になっており、帝の叡聞にまで達した。
そして
「畜類ながらその主人の跡を追う心の哀れなり」
とて、六位を賜ったのだとか。
これを聞いて、いたずら事を好む殿上人の口ずさみだろうか、あるいは京童が言ったことだろうか、
こんな狂歌が出回ったそうだ
『くらいつく 犬ぞとかねてしるならば みな世の人の うやまわんわん』
右は根拠のない話ではあるが、当時所々で取りざたされていたので、ここに記す。
『耳袋』より
12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 22:32:03 ID:XD/8lSBN
カリグラ帝「我が愛馬インキタトゥスよ、将来執政官にしてやぞ」
14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 22:37:05 ID:zL7vx2/c
>>12
僕のインキンタムシも執政官になれますか?
15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 22:48:01 ID:XD/8lSBN
>>14
つ横光利一「ナポレオンと田虫」
頑張って皇帝になってくれ
後花園天皇の時代、永享(1429~40)の頃の事だそうだ。
その頃、京では夜、西洞院通より怪鳥が飛び来たり、禁裏の殿上にとどまり光を放つ、という
怪異があった。主上はじめ禁裏の人々これに大いに驚き賜い、数夜にわたってこれが続いたため
ついに公卿達によって詮議が行われた。
「上古、源三位頼政が鵺を射たためしがある。この度も武家に命じて射さしむべし。」
すぐに将軍家へと勅使が立った。
その頃京に参勤し将軍家に将軍家に仕えていた者の中に、讃岐の住人、三谷弥七景春があった。
彼は当時、射手として類なき精兵と知られており、将軍家は彼を派遣することとした。
彼は参内し殿上の床に上って、怪鳥の来る時刻を待った。
しばらくすると怪鳥飛び来たり、禁裏の上まで来るとまばゆい光を発する。
三谷弥七景春心中に神明の擁護を祈り、これに、射る。
射応えあり。
矢は誤たず当たり、怪鳥は地面へと落ちた。
三谷景春はこれを確認しようと階を下らんとしたところ、段を踏み外し下まで落下してしまった。
それを見た公卿が
「そなたは怪鳥を射落とす程の者、心遅れるようなことはないだろうに、
今階段から落ちたのはどういう事か?」
と尋ねると景春
「不詳の身の私が参内をいたしただけでなく、階上にまで登りました。
その事を恐れたゆえに計らずも落下してしまったのです。」
そう答えた。
この事は帝の叡聞に達し帝感美ましまし、昔の頼政が官位であると、三谷弥七景春を
兵庫頭になし賜い、これより兵庫頭と弥七が、三谷家の通名となったそうである。
三谷氏に伝わる、通名についての伝承である。
8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 20:50:06 ID:auyGLiEU
ものすごくいい加減に官位やるんだな
9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 20:53:49 ID:8ZNC1BDz
猫&犬「陛下のペットなんで官位持ちですwwフヒヒwwwwサーセンwwwww」
10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 21:22:32 ID:9aBb5P9U
官位というとこんな話が。江戸後期なのでおもいっきりスレ違いなのだが参考までにw
天明元年(1781)、姫路城主の酒井雅楽頭(忠以)は将軍の命により上京することとなった。
ところでその頃、忠以は狆を大変に愛玩して数匹を飼い、その中でも特に気に入った一匹に
いたっては、どこに行くにも連れて回っていた。であったが今回の上京は将軍の命による
公の重き御用であるため連れては行けぬと、江戸の屋敷に置いていくこととした。
ところが出立の日、この狆が駕籠の廻りを離れず、隙あらば主人の居る中に入ろうとする。
近習の者達駕籠に入れてはならぬとこれを防いだが、あるいは吠えあるいは噛み付き、
なかなか手に余る抵抗を示した。
困った忠以は
「とにかく品川の駅まで連れていこう。品川から返してしまおう。」として、
品川に着くとそこから返そうと色々と手を尽くしたが、先と同じく狆は頑強な抵抗を示し、
如何ともしがたく返すのを諦め、ついに上方まで連れていった。
さてさて忠以が京に着くと既に彼の狆のことは話題になっており、帝の叡聞にまで達した。
そして
「畜類ながらその主人の跡を追う心の哀れなり」
とて、六位を賜ったのだとか。
これを聞いて、いたずら事を好む殿上人の口ずさみだろうか、あるいは京童が言ったことだろうか、
こんな狂歌が出回ったそうだ
『くらいつく 犬ぞとかねてしるならば みな世の人の うやまわんわん』
右は根拠のない話ではあるが、当時所々で取りざたされていたので、ここに記す。
『耳袋』より
12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 22:32:03 ID:XD/8lSBN
カリグラ帝「我が愛馬インキタトゥスよ、将来執政官にしてやぞ」
14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 22:37:05 ID:zL7vx2/c
>>12
僕のインキンタムシも執政官になれますか?
15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 22:48:01 ID:XD/8lSBN
>>14
つ横光利一「ナポレオンと田虫」
頑張って皇帝になってくれ
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