154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/30(土) 18:40:38 ID:70ZQeu6q
成沢道忠と龍の兜
昔話なんで深く突っ込まないで欲しい。
最上四十八楯の一角に長谷堂と双璧を成す成沢館という岡城があった。
館主は米沢の伊達侵攻の際にも家名を保った最上義定の一門成沢氏。
天文の大乱にも参加した成沢氏には家宝とも伝わる龍の前立ての兜があった。
多くの最上重臣が討たれた対伊達家の長谷堂の戦いでも成沢氏の武名と家名を守った栄光の兜である。
やがて時が流れこの兜の噂を聞きつけ氏家守棟の嫡子が成沢館を訪れた。
氏家某「それがし初陣はまだ叶わないものの、初陣の折には是非高名なる兜をお借りできませんでしょうか?」
成沢道忠「この兜は当家の宝にて、お貸しするワケには参りません」
氏家「そこをなんとか・・・」
成沢「くどいですぞ!実子の光氏にもそれがしが死んだらくれてやると言ってるくらい大切なものです。お引取りくだされ」
連日に渡って陳情しに来る氏家に、道忠も熱意に打たれ(いい加減に折れて)ついに家伝の兜を戦の時に
貸すことと成った。
龍の兜を被った氏家が参加したのは「十五里ヶ原の戦い」
知る人ぞ知る、「最上義光の代で最大の負け戦」である。
氏家は戦死したが、兜だけは後に成沢家に戻ってきたという。
事の詳細は判らない。
龍の兜は二度と被られることは無く、
成沢道忠の息子の光氏は後に氏家守棟の養子となり、名門成沢家は家名を失った。
件の龍の兜の行方は現在判っていない。
「山形の昔話」より
155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/30(土) 19:06:54 ID:fjcYRv8S
>>154
三河武士が聞いたら説教しそうな話だな
縁起のいい兜に浮かれて自ら心に油断を生じさせるとは何事かと
157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/30(土) 20:25:47 ID:tgUgFv5D
>>155
三河にも良く似た話があるな。
結末は全然違うけど……
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%CB%DC%C2%BF%C3%E9%BE%A1%A1%A1%B5%CB%B9%BC
162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/30(土) 22:08:21 ID:Vr7GhCm5
>>154補足
諸説色々あるが
1570年代に伊達勢に後押しされた上山軍が最上を攻めてる。
この時迎撃したのが資料では「成沢道仲(みちなか・どうちゅう)」
1580年代後半に大崎合戦の傍ら行われた「十五里ヶ原合戦」には
「成沢道忠(みちただ・どうちゅう)」が60-70歳で出撃しているとある。
最上義光が死んだ1614年には成沢道忠入道が「山野辺義忠」を主君に据えようとして失敗し、
伊達領松島に逃げ、この子孫は現在も伝わっていると最上歴史館の人物史に表記がある。
同一人物だったらゆうに100歳越えてるわな。
道仲と道忠は二代だという説もあるけど
史料ではっきりとしないバツの悪い話って事で。
あと、この龍の兜「水魚の立ち物」とも「鯉の兜」とも言われてるみたい。
決して鮭の被り物じゃないよ。
成沢道忠と龍の兜
昔話なんで深く突っ込まないで欲しい。
最上四十八楯の一角に長谷堂と双璧を成す成沢館という岡城があった。
館主は米沢の伊達侵攻の際にも家名を保った最上義定の一門成沢氏。
天文の大乱にも参加した成沢氏には家宝とも伝わる龍の前立ての兜があった。
多くの最上重臣が討たれた対伊達家の長谷堂の戦いでも成沢氏の武名と家名を守った栄光の兜である。
やがて時が流れこの兜の噂を聞きつけ氏家守棟の嫡子が成沢館を訪れた。
氏家某「それがし初陣はまだ叶わないものの、初陣の折には是非高名なる兜をお借りできませんでしょうか?」
成沢道忠「この兜は当家の宝にて、お貸しするワケには参りません」
氏家「そこをなんとか・・・」
成沢「くどいですぞ!実子の光氏にもそれがしが死んだらくれてやると言ってるくらい大切なものです。お引取りくだされ」
連日に渡って陳情しに来る氏家に、道忠も熱意に打たれ(いい加減に折れて)ついに家伝の兜を戦の時に
貸すことと成った。
龍の兜を被った氏家が参加したのは「十五里ヶ原の戦い」
知る人ぞ知る、「最上義光の代で最大の負け戦」である。
氏家は戦死したが、兜だけは後に成沢家に戻ってきたという。
事の詳細は判らない。
龍の兜は二度と被られることは無く、
成沢道忠の息子の光氏は後に氏家守棟の養子となり、名門成沢家は家名を失った。
件の龍の兜の行方は現在判っていない。
「山形の昔話」より
155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/30(土) 19:06:54 ID:fjcYRv8S
>>154
三河武士が聞いたら説教しそうな話だな
縁起のいい兜に浮かれて自ら心に油断を生じさせるとは何事かと
157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/30(土) 20:25:47 ID:tgUgFv5D
>>155
三河にも良く似た話があるな。
結末は全然違うけど……
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%CB%DC%C2%BF%C3%E9%BE%A1%A1%A1%B5%CB%B9%BC
162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/30(土) 22:08:21 ID:Vr7GhCm5
>>154補足
諸説色々あるが
1570年代に伊達勢に後押しされた上山軍が最上を攻めてる。
この時迎撃したのが資料では「成沢道仲(みちなか・どうちゅう)」
1580年代後半に大崎合戦の傍ら行われた「十五里ヶ原合戦」には
「成沢道忠(みちただ・どうちゅう)」が60-70歳で出撃しているとある。
最上義光が死んだ1614年には成沢道忠入道が「山野辺義忠」を主君に据えようとして失敗し、
伊達領松島に逃げ、この子孫は現在も伝わっていると最上歴史館の人物史に表記がある。
同一人物だったらゆうに100歳越えてるわな。
道仲と道忠は二代だという説もあるけど
史料ではっきりとしないバツの悪い話って事で。
あと、この龍の兜「水魚の立ち物」とも「鯉の兜」とも言われてるみたい。
決して鮭の被り物じゃないよ。
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