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この事よりいよいよ光広の越度とされ

2022年06月06日 15:28

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/05(日) 21:37:41.84 ID:9WdqWwcm
加藤豊後守光正(光広)の外様の士に、広瀬庄兵衛という虚け者があった。然れども彼の先祖は、
代々武功を顕していたため、家督を継がせ置かれていたのだが、光広は普段から彼の虚気を慰みにしていた。

ある時、光広は広瀬を呼び寄せ言った
「内々一大事を思い立ち、近日挙兵するつもりだ。よって汝を一方の大将と定め、預け置くべき人数も
決定した。その支度をするように!」

これを聞いた広瀬はたちまち驚愕し、赤面して
「こは難儀なることを仰せ付けられ候。この段、偏に御免を蒙らん!」
と、慄えながら申し捨ててそのまま逃げていった。

この様子を光広は大いに悦び、その後、江戸の絵図を調え、広瀬にそれを見せ、その上で

「この間も申した通りに、近日、一大事を思い立った。然れば汝は、何れの口より攻め入るべきだと思うか、
思案せよ。」

と申した。広瀬は「私のような者を一方の大将に仰せ付けられるのでしたら、只今逐電仕らん!」
と涙を流して身を縮めた。
光広はいよいよ興に乗じ、重ねて
「この一大事、この度にわかに思い立ったことではない。先年大阪城普請の手伝いをした頃より思い立ち、
攻め入ること自在なるように、予て下知した上は近日大阪へ行き、御城を乗っ取って立て籠もり、世を奪うのだ!」
と申した

広瀬は言った
「かの御城は日本第一の要害にて、たとえ何万騎の軍勢を以て攻めても、口々を閉じていれば、天魔鬼神も
攻め入ること叶わずと承っています。ですのでこのような仰せを承っても、御前に於いて絶命してしまうでしょう。
この役儀を御免候へ!」
そう、転倒して喚いた。

光広は益々興じ、大名数十人が一味連判している謀書を認めてそれを見せ、また「誰それの書状」と、
自筆で謀書の品々を書き表し、状箱に入れて近臣に持たせ、それを広瀬の方に遣わし、口上にも

「かように大名数十人が一列している以上、以前より申す如く、汝一方の大将として、覚悟せよ。」
と申し送った。

広瀬はこの書状等を見て、肝を冷やし身震いし、固唾を飲んで思った
「これは、この事を一々御老中に申し上げ、主人の謀反を意見させて止めなければ!」
そう思い詰め、土井大炊頭利勝の邸宅に、かの状を持参して、以前よりの事共を残らず申し上げ、
「この事について意見を御申し下されますように。」
と申した。

大炊頭は多いに驚き、上聞に達した、広瀬庄兵衛は殿中に召され、御老中列座にてお尋ねの所、
彼は光広の申したことを一々に言上した。
然れども、この者魯鈍であり、三歳の童子の口上と変わらない有様であり、「彼が臆病なのを見て、
豊後守が興ある慰みにした者なのだろう。」と御評定あったのだが、自筆自判の謀反状、ことに
御城の絵図を出し、攻め入るべき方便、その他江戸中を焼き払い、将軍家、大名、町人まで途端に
迷わせる手段を考えていたことは、流石に捨て置くことは出来ないとして、この事よりいよいよ
光広の越度とされ、流刑となったという。

新東鑑



494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/05(日) 22:50:08.71 ID:1dRitSW5
主従ともにアホだったと

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/06(月) 09:12:34.72 ID:vyJx6K0k
命がけのコントやるなよw
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加藤光広の「徳川征伐」・悪い話

2008年10月16日 13:30

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 19:05:16 ID:LBReE+9y
江戸時代の毛利家で思い出したけど、元旦の問答の話。

家老が当主に向かって「今年こそ徳川を討つべし」
当主が答えて「未だその時期ではない」

このやり取りがお正月の恒例行事になってたらしい。
多分毛利家だったと思う、違ったら島津かな





169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 19:11:49 ID:tfyYMlnq
>>168
それは都市伝説で、おそらく実際には存在しなかった。

「徳川を討て」といえば、加藤光広(加藤清正の孫)が、これが典型的な暗君で、
重臣たちが困るのが面白くて、酒に酔っては「これより徳川を征伐に行くぞー!」って叫んでたりして、
しまいにゃ悪戯で徳川征伐の密書を作って、大騒ぎになったんだけど、結局これが元で
熊本の加藤家は改易された。




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 19:49:11 ID:cLCWFCXE
>>168
幕末の時はよしやれとかったんかね

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 19:56:28 ID:TzYJQqku
>>170
「そうせい」だろうな

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 20:08:04 ID:Yv/HL7M7
>>169
加藤・福島家の改易って、巷間言われてるような「言いがかりで改易」というよりは、
改易された側にもかなりの問題があったらしいしね

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 22:24:45 ID:cLCWFCXE
加藤(肥後も会津も)は残れたかもしれんね
福島は・・・改易なくてもドッカよそに移されそうだ
これは本当に「はめられた」って感じがするし
案外初期に潰れた大身外様大名で
どう頑張ってものこれなかった奴は少ないかもね
無嗣改易とか多いし
徳川が虎視眈々とつぶす気満々だったってのは疑問が残る

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 22:31:25 ID:sHaKSLri
前田も伊達も毛利も島津も、敢えて加えりゃ細川も黒田も大身だがうまく立ち回ってるぞ
福島は脳筋で加藤はバカ
幕府に従順な振りだけでもしときゃいいのに空気が読めないのはいつの世もハブられる運命
自業自得だろ

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 22:36:40 ID:tfyYMlnq
家光の時代くらいになると、旗本や親藩に、外様のロビー組織みたいなのが出来てて、
外様が存在していてこそ利益がある、って連中が幕府内部にもたくさんいた。

福島も、最初は城の破却で所領安堵、って裁定が下ったのに、不完全な破却にとどめて
それが幕府を逆撫でして、改易って事になってしまった。

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 22:38:35 ID:bP1pJXFJ
ただ、この辺は詳細がわからんからなんとも言えん。
ただの難癖かもしれん・・・・ってこういう話はお隣のスレだな