791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/19(土) 18:10:06.18 ID:YHu7a5p5
寛永2年(1625)、駿河大納言徳川忠長が鷹狩に出向いた所、空にわかにかき曇り寒風甚だしく
吹き荒れたため、とある庵室にて休憩をとった。
この時、家臣の一人、小浜七之助という者が、忠長がこの庵にいることを知らず、馬に乗ったまま
軒先まで乗り付けた。忠長はこれをキッと睨みつけ、顔色も少し損じた。
小浜は、ここに忠長がいると聞いて、馬を乗り放ちにし慌てて御前に伺候した。
忠長は小浜を召して命じた。
「囲炉裏の中に木をくべて、火を炊くように」
そこで住持の僧が薪柴を持って来た。しかし薪はその頃降り続いていた雪のため、みな湿っており
なかなか火が着かず、小浜は囲炉裏の方を向いて火を吹こうとした、
そこを忠長は佩刀にてただ一打ちに頸を打ち落とした。
「これを打ち捨てよ」
忠長の言葉に清水八郎右衛門という武士が参って小浜の死骸を取り収めた。すると今度は
「汝、この火を炊け」
普段近くに参らない者に命じた。
彼は恐る恐る這い寄り、薪をくべて火を炊こうとした。しかしその手は震え、息も切れ、
柴をかき乱し火を吹こうとしても息出ず、その上湿っているので火は燃えなかった。
男は生きた心地もせず、御前に伺候している人々も、『今斬られ参るか、今斬られ参るか』と、
魂が抜けるような思いをした。
しかし、この時は何のお咎めもなく、忠長はそのまま立ち出た。
このように科無き者を忠長自ら斬られた事、この年だけで6,7人に及んだという。
(藩翰譜)
792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/19(土) 18:22:16.89 ID:I/EI524C
小浜光隆の子の話か
寛永2年(1625)、駿河大納言徳川忠長が鷹狩に出向いた所、空にわかにかき曇り寒風甚だしく
吹き荒れたため、とある庵室にて休憩をとった。
この時、家臣の一人、小浜七之助という者が、忠長がこの庵にいることを知らず、馬に乗ったまま
軒先まで乗り付けた。忠長はこれをキッと睨みつけ、顔色も少し損じた。
小浜は、ここに忠長がいると聞いて、馬を乗り放ちにし慌てて御前に伺候した。
忠長は小浜を召して命じた。
「囲炉裏の中に木をくべて、火を炊くように」
そこで住持の僧が薪柴を持って来た。しかし薪はその頃降り続いていた雪のため、みな湿っており
なかなか火が着かず、小浜は囲炉裏の方を向いて火を吹こうとした、
そこを忠長は佩刀にてただ一打ちに頸を打ち落とした。
「これを打ち捨てよ」
忠長の言葉に清水八郎右衛門という武士が参って小浜の死骸を取り収めた。すると今度は
「汝、この火を炊け」
普段近くに参らない者に命じた。
彼は恐る恐る這い寄り、薪をくべて火を炊こうとした。しかしその手は震え、息も切れ、
柴をかき乱し火を吹こうとしても息出ず、その上湿っているので火は燃えなかった。
男は生きた心地もせず、御前に伺候している人々も、『今斬られ参るか、今斬られ参るか』と、
魂が抜けるような思いをした。
しかし、この時は何のお咎めもなく、忠長はそのまま立ち出た。
このように科無き者を忠長自ら斬られた事、この年だけで6,7人に及んだという。
(藩翰譜)
792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/19(土) 18:22:16.89 ID:I/EI524C
小浜光隆の子の話か
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