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晴宗は大身であることに奢り

2017年01月20日 16:45

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/20(金) 12:52:13.09 ID:Q8kJutz3
天文11年、伊達晴宗はその父・稙宗を西山城に幽閉した。晴宗はそれ以前の稙宗の行動に懲り、
彼を幽閉した座敷の廻りを厚い板で釘付けにし、食物を出す口ひとつだけを開け、番の兵士により
厳しく監視させた。

この状況に、懸田義宗などの一族衆は晴宗に対し申し上げた
「稙宗様との仲については、去年の遠征の時に晴宗様に御異見申し上げ、無事に取扱になったはずです。
であるのに、突然その約束を変じてこのような不義を成すとは、先の取扱に協力した相馬などへの
聞こえも宜しからずと存じます。」

そう言葉を尽くして異見したものの、晴宗は屈せず、「こうなった以上もはや変えられない」と
拒絶した。

一族衆は話し合い、懸田俊宗・義宗父子より相馬顕胤に、晴宗を説得してもらえるよう使者を遣わした。

相馬顕胤は自身で出馬し、14,5騎、上下70名ほどで晴宗の元に出向き、稙宗の幽閉を解くよう、
相馬方の老臣たちと伊達家の老臣たちとの間で議論を重ねたが、顕胤の訴えを晴宗は受け付けず、
晴宗からは顕胤にこう言った
「貴方から何度承っても、この事について従うことは出来ない。貴方が長々とここに滞在されるのも
無駄なことであるから、早々に帰館されるべきだ。」

顕胤はこう返答した
「御心底が変わるまで、この地に滞在し訴訟申す他ありません。」

しかし後には、伊達家の家臣たちすら顕胤からの遣いを受け付けることすら拒否するように成り、
申し出自体が不可能になった。
これに顕胤は老臣たちに

「晴宗は大身であることに奢り、去年の約を変ずるのみならず、父兄の礼を致しても取り合わない有様
である。この上は晴宗と運の勝負をするしかない。相馬の人数をあつめよ。」

そう下知したのである。

(奧相茶話記)

天文の乱(洞の乱)に至るお話



532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/20(金) 23:45:05.76 ID:MPgyUaul
武田といい伊達といい、遺伝子に欠陥でもあるのか?

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/21(土) 01:00:00.58 ID:eT8dTXut
親子喧嘩はたいていどこでもやっとる
命を取られんだけでも有難いじゃろ
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えくぼ姫争奪戦

2010年11月08日 00:00

447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/07(日) 19:30:23 ID:EpOZWkRo
戦国の略奪婚いわゆるえくぼ姫争奪戦

有名な話だけど、載ってないので投下。

陸奥の岩城重隆に久保姫という奥州一の美少女がいた。史書では「久保姫」だが、『奥羽永慶軍記』は
「笑窪御前」と記されていて、
「みどりごの頃から色白で美しく、靨(えくぼ)があったので、笑窪御前とよんでいた」とまで大絶賛(尤もこれは
江戸時代の書物だが)。

そのえくぼ姫だが、父重隆の政略で白河の結城晴綱に嫁ぐことになった。
しかし、その直後伊達稙宗から「岩城の久保姫を、わが息子晴宗の嫁に貰い受けたい」という申し入れがあったが、
重隆は「結城との約束があるから」と拒否した。

これに激怒したのが稙宗の息子晴宗。予てよりえくぼ姫の美貌を知って惚れ込んでいた彼はその後何としても
手に入れようと企んだ。

そして輿入れの日。白河に行くえくぼ姫の一列が岩城と白河の中間地点滑井に差し掛かったその時、
突然行列の前に山賊が現れた。しかし山賊にしては身なりがいい。そしてその先頭には…

晴宗「はっはっはー!久保姫は俺が貰い受ける!」

なんとこの伊達の御曹司、自ら「軍勢」を牽き連れ花嫁行列を襲撃したのだ。
護衛の兵は蹴散らかされ、えくぼ姫の輿もつき従っていた侍女達もろとも拿捕。輿は向きを変えて伊達領へ向かった。

これに驚いたのが花嫁を待ってた白河の結城家。急変を聞いてあわてて軍勢を整えたが、
嫁取りかと思いきや、花嫁を強奪されたというので、
酒宴の準備を急遽、合戦の仕度に切り替え、慌てて馬に鞍も置かずに駆け出したり、
具足を半分つけただけで走り出す者もいたらしい。

晴綱「追いつけー!何としても久保姫を取り返せー!」

その結城方の猛追で、えくぼ姫の輿を運ぶ伊達勢に追いついたが、
なにせ十里ばかりの山坂道を疾駆してきたために、迎え撃つ伊達勢の前に敗退してしまった。

晴宗「思い知ったか晴綱め!はっはっは…」

その後強引に正室にした晴宗。当然岩城家はカンカンになるが、相手は急成長中の伊達家さらには
アンチ伊達の相馬家が親伊達の時代。
結局、「最初に生まれた男の子を岩城の跡継ぎに」ということで終結となった。

こんな経緯で正室にされたのだからさぞかし仲が悪い…と思ったら案外仲が良く、
岳父の重隆とも仲直りして天文の乱の際には援助を受けている。
晴宗は記録上側室がいない珍しいタイプであり、尚且つ子供の数が六男五女。
よほどえくぼ姫を気に入っていたのだろう。
(因みに最初の子岩城親隆が生まれた時、晴宗は十九歳であった。)

一方、「元」婚約者の結城晴綱は佐竹・那須と連戦。次第に勢力を失い、挙句に失明する。
晩年は家臣の小峰義親に実権を奪われてしまった。

えくぼ姫は晴宗の死後出家し栽松院と名乗り宝積寺を建立し夫を供養した。
文禄三年(1594)六月九日、孫の政宗を頼って白石で没した。遺言によって宝積寺に葬られた。

その宝積寺の御利益が「待ち人きたる」「子宝に恵まれる」というのがなんとも…www




448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/07(日) 19:43:12 ID:OWdkGusy
ホント伊達さんちは代々ぶっ飛んでるなあw

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/07(日) 19:47:56 ID:613oJlxN
>>447
いや、この話既出じゃなかったか?このスレで見た覚えが有る様な・・・

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/07(日) 19:56:30 ID:CQaztpDU
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-491.html
政宗と政宗シニアの女房略奪・悪い話


これだね

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/07(日) 20:02:50 ID:qvUwjqt+
>>447
 当時の結婚は、親が決めるんで相手が自分のこと、どう思ってるかわからないし、既に愛人が
いるかもしれない。そんな相手よりだな。
「俺はお前に惚れてるんだ。俺の嫁になれや!」という晴宗を見たえくぼ姫、その場で惚れちゃった
んじゃないの?その上、側室なしのオンリーワン状態だから、当時の女としては最高の勝ち組かも

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/07(日) 20:04:06 ID:613oJlxN
>>450
ありがとう、でもこれじゃ検索にかからんなw
>>447の方が詳しくて良いかもしれん

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/07(日) 20:06:44 ID:RPwpiP4X
ただの田舎のDQNじゃん・・・
しかも代々・・・

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/07(日) 22:29:13 ID:Kb2+d64v
確か当時晴宗16歳、久保姫14歳とかだったような。
青春ですねー
この夫婦は大勢の子供を成人するまで育て上げてるとこが何気にすごいと思う。