582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 22:51:07 ID:vV0cZMmP
武田信虎のころ、甲斐河内に武田正昌という、鷹に詳しい男がいた。
当時の戦乱からか、鷹狩りが上方では流行っており、それが地方にも伝播してきていた(この頃には上方では
茶が流行り出す)。
信虎も鷹が大好きで、ある日目利きと噂の正昌が所用で登城した際に、とっておきの鷹を見せた。
正昌は「地暮らしの柔鷹とは思えない、どこで手に入れたのですか」と口を極めて褒めた。
実はこの鷹、長尾為景から北条氏綱に贈られたもので、信虎が難癖を付けてぶんどったのである。
それを聞いた正昌、急に大声で叫んだ。
「なんと、伊勢(北条)のものたちが、いついつごろ領内を通ったので荷を改めましたがそれですか。
ならば、もう一匹、耳の後ろの毛が縞に荒れた、小さい鷹がいませんでしたか。あれこそが至高の鷹です」
信虎は仰天した。立派な鷹のほうが良いと思って、大きい一匹を召し上げてもう一匹は残してやったのである。
普通ならここで諦めるところだが、なにせ大名から大名へ贈られた荷をカツアゲしてしまう男である。
すぐに使いを立てて、鷹を交換させようとした。
それも、偽物と交換されたら大変だとでも思ったのか、この武田正昌を使いにしたのである。
可哀想なのは氏綱である。一匹は取り上げられたが、配下とより良い鷹が残ったので愛でていたら交換しろである。
氏綱は当時敵に囲まれており、武田正昌は甲斐河内の実力者であり、無念のほぞをかんだ。
ちなみに武田正昌は晴信のクーデターの時抵抗するが、穴山氏の仲介で血脈を保っている。
武田正昌と虎と鷹のおはなし。
583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 22:57:56 ID:SeIaibzf
>>582
逸話とは直接関係ないのだが…
> 武田正昌
読みは”たけだまさまさ”?
584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:09:09 ID:IjrTzsR4
むう。こういうことか?
武田(丹沢)正信 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4699.html
│
武田(丹沢)正昌 ←今ココ
│
丹沢正俊
│
丹沢(田沢)正忠 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3726.html
585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:18:05 ID:vV0cZMmP
すまん、栃木の人間で、武田はよく知らないのだ。狩猟習俗って本に書いてあったことのほぼ丸写し。
586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:27:00 ID:wrl66x6D
感情ではともかく、鷹一羽で武田が味方になってくれるなら安いもの
ってこれ後世の逸話じゃなくて、文書が残ってる歴とした史実なんだよなw
587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:33:05 ID:vV0cZMmP
>>584
いまリンク先読んだのですが、元々鷹狩りの一族だったっぽいですね。ありがとうございました。
588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:41:37 ID:BPyfmfao
この丹沢氏は武田信長系の武田氏。
上総武田氏や真理谷氏と近く、和歌でも名を残した家柄。
鷹狩は丹沢山で生きるために身につけたのでは、と前前スレでは推測してたけど、
都の流行に敏感だったからかもしれないね。
武田が味方に、というよりは不可侵でいてくれる程度だな。
あと当時の名鷹は小城の一つくらいする値段。
591 名前:前スレ401[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:59:20 ID:bf/H7pq2
話が戻って済みません。ムダに長い丹沢正信のものを投下した奴ですが、
「正」名前の読み方に
592 名前:前スレ401[sage] 投稿日:2010/11/14(日) 00:24:35 ID:IJVByBoq
途中で手が滑りました……。
この一族の「正」の読み方なのですが、結論から言えば「ただ」ではないかと思います。
>>584さんと>>588の説の通り、この一族は
武田信長――武田信武―――(中略)―――武田信正――武田正信――武田正昌――武田正俊――武田正忠――
↑(上総武田初代) ↑(甲斐に戻る、新千載和歌集) ↑(ここから丹沢とも、初の鷹匠) ↑(駿河へ) ↑(ここから田沢。多摩へ)
という感じらしいです。
そのころ、武田信昌など、「信」系統が宗家嫡男の一文字目として流行っていたので、「正」を頭にしたのではないでしょうか。
つまり、 のぶただ――ただのぶ――ただまさ――ただとし――ただのり(ただあつ) ではないでしょうか。
そうしないと「まさまさ」「ただただ」になってしまうのですよ。
いま、「武田の分家が戦国時代を生き残るようです」あたりを書こうかと戦国時代初期~中期の武田氏を整理しているのですが、
何ですかこの戦闘民族。島津に匹敵するgdgd&ヒャッハー具合です。あと豪族、それも由緒正しい甲斐源氏多すぎワロタ。
信虎の子供たちって、武田宗家としては相当珍しいタイプだったんじゃないでしょうか。
593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/14(日) 00:33:45 ID:Vo7pMxvP
そもそも武田の祖先はヒャッハー!のやりすぎで
苗字の地である常陸の武田荘から追放されて甲斐に流れ着いたからなw
594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/14(日) 00:49:54 ID:CHcnIVJB
武田信武をググッたら武田宗家第十代当主の方が出てきて困惑してしまったんだぜ。
武田信長も自分の高祖父(祖父の祖父)と同じ名前を嫡男じゃない子供に付けんなw
595 名前:前スレ401[sage] 投稿日:2010/11/14(日) 01:23:19 ID:IJVByBoq
お説ごもっともですが、そんなことを言い出すと、信正――正信のコンボもなかなかだと思いますww
もしかしたら、ひっくり返したのは「信」系統の宗家と名前がごちゃ混ぜになるからかもですねwww
武田信虎のころ、甲斐河内に武田正昌という、鷹に詳しい男がいた。
当時の戦乱からか、鷹狩りが上方では流行っており、それが地方にも伝播してきていた(この頃には上方では
茶が流行り出す)。
信虎も鷹が大好きで、ある日目利きと噂の正昌が所用で登城した際に、とっておきの鷹を見せた。
正昌は「地暮らしの柔鷹とは思えない、どこで手に入れたのですか」と口を極めて褒めた。
実はこの鷹、長尾為景から北条氏綱に贈られたもので、信虎が難癖を付けてぶんどったのである。
それを聞いた正昌、急に大声で叫んだ。
「なんと、伊勢(北条)のものたちが、いついつごろ領内を通ったので荷を改めましたがそれですか。
ならば、もう一匹、耳の後ろの毛が縞に荒れた、小さい鷹がいませんでしたか。あれこそが至高の鷹です」
信虎は仰天した。立派な鷹のほうが良いと思って、大きい一匹を召し上げてもう一匹は残してやったのである。
普通ならここで諦めるところだが、なにせ大名から大名へ贈られた荷をカツアゲしてしまう男である。
すぐに使いを立てて、鷹を交換させようとした。
それも、偽物と交換されたら大変だとでも思ったのか、この武田正昌を使いにしたのである。
可哀想なのは氏綱である。一匹は取り上げられたが、配下とより良い鷹が残ったので愛でていたら交換しろである。
氏綱は当時敵に囲まれており、武田正昌は甲斐河内の実力者であり、無念のほぞをかんだ。
ちなみに武田正昌は晴信のクーデターの時抵抗するが、穴山氏の仲介で血脈を保っている。
武田正昌と虎と鷹のおはなし。
583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 22:57:56 ID:SeIaibzf
>>582
逸話とは直接関係ないのだが…
> 武田正昌
読みは”たけだまさまさ”?
584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:09:09 ID:IjrTzsR4
むう。こういうことか?
武田(丹沢)正信 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4699.html
│
武田(丹沢)正昌 ←今ココ
│
丹沢正俊
│
丹沢(田沢)正忠 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3726.html
585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:18:05 ID:vV0cZMmP
すまん、栃木の人間で、武田はよく知らないのだ。狩猟習俗って本に書いてあったことのほぼ丸写し。
586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:27:00 ID:wrl66x6D
感情ではともかく、鷹一羽で武田が味方になってくれるなら安いもの
ってこれ後世の逸話じゃなくて、文書が残ってる歴とした史実なんだよなw
587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:33:05 ID:vV0cZMmP
>>584
いまリンク先読んだのですが、元々鷹狩りの一族だったっぽいですね。ありがとうございました。
588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:41:37 ID:BPyfmfao
この丹沢氏は武田信長系の武田氏。
上総武田氏や真理谷氏と近く、和歌でも名を残した家柄。
鷹狩は丹沢山で生きるために身につけたのでは、と前前スレでは推測してたけど、
都の流行に敏感だったからかもしれないね。
武田が味方に、というよりは不可侵でいてくれる程度だな。
あと当時の名鷹は小城の一つくらいする値段。
591 名前:前スレ401[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 23:59:20 ID:bf/H7pq2
話が戻って済みません。ムダに長い丹沢正信のものを投下した奴ですが、
「正」名前の読み方に
592 名前:前スレ401[sage] 投稿日:2010/11/14(日) 00:24:35 ID:IJVByBoq
途中で手が滑りました……。
この一族の「正」の読み方なのですが、結論から言えば「ただ」ではないかと思います。
>>584さんと>>588の説の通り、この一族は
武田信長――武田信武―――(中略)―――武田信正――武田正信――武田正昌――武田正俊――武田正忠――
↑(上総武田初代) ↑(甲斐に戻る、新千載和歌集) ↑(ここから丹沢とも、初の鷹匠) ↑(駿河へ) ↑(ここから田沢。多摩へ)
という感じらしいです。
そのころ、武田信昌など、「信」系統が宗家嫡男の一文字目として流行っていたので、「正」を頭にしたのではないでしょうか。
つまり、 のぶただ――ただのぶ――ただまさ――ただとし――ただのり(ただあつ) ではないでしょうか。
そうしないと「まさまさ」「ただただ」になってしまうのですよ。
いま、「武田の分家が戦国時代を生き残るようです」あたりを書こうかと戦国時代初期~中期の武田氏を整理しているのですが、
何ですかこの戦闘民族。島津に匹敵するgdgd&ヒャッハー具合です。あと豪族、それも由緒正しい甲斐源氏多すぎワロタ。
信虎の子供たちって、武田宗家としては相当珍しいタイプだったんじゃないでしょうか。
593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/14(日) 00:33:45 ID:Vo7pMxvP
そもそも武田の祖先はヒャッハー!のやりすぎで
苗字の地である常陸の武田荘から追放されて甲斐に流れ着いたからなw
594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/14(日) 00:49:54 ID:CHcnIVJB
武田信武をググッたら武田宗家第十代当主の方が出てきて困惑してしまったんだぜ。
武田信長も自分の高祖父(祖父の祖父)と同じ名前を嫡男じゃない子供に付けんなw
595 名前:前スレ401[sage] 投稿日:2010/11/14(日) 01:23:19 ID:IJVByBoq
お説ごもっともですが、そんなことを言い出すと、信正――正信のコンボもなかなかだと思いますww
もしかしたら、ひっくり返したのは「信」系統の宗家と名前がごちゃ混ぜになるからかもですねwww
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