『土気古城再興伝来記』より、土気&東金家大喧嘩のお話

2010年11月23日 00:00

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/22(月) 09:51:01 ID:aHSadx3y

第一次国府台合戦の結果、生実御所(小弓御所)が滅亡。上総に北条家の勢力が少
しずつ進出してくる。
ある者は北条に従い、ある者は北条に対抗する為、常陸の佐竹家に助けを求めた。
一時は「上総の三分の二を支配する」とまで言われた土気酒井氏も、佐竹と北条に
圧迫を受け、その威勢は衰えて昔と比べるべくもなかった。

当時の土気酒井家の当主は、左衛門次郎玄治。初代越中守定隆の孫に当たる人物で
ある。
この玄治には息子が一人あったのだが、足に障害を抱えており、腰から下にくびれ
がなかった。(足の関節がなかったという事?)
それでも努力の末、家中に並ぶ者なしというほどの馬術の達人となった息子である
が、流石に当主として家中を纏めるのはどうか、と考え、重臣から養子を取って酒
井家を継がせる事となった。

この養子が中務丞胤治。障害を抱えた実の息子は別家を立て、板倉大蔵介と名乗っ
たという。

しかし、これに反発したのが同族の東金酒井氏。
家臣筋の胤治を総領と認める事が気に入らなかったのか、定隆の後を継いだ二代目
定治&東金初代の隆敏の代にまで遡って、
「我が東金家こそが定隆公の正当な跡継ぎであり、上総酒井家の総領である!」
と逆に土気家に対して臣従を求めてきたのである。

ただでさえ分裂し、がたがたになっている上総国の中、同族同士で争われては堪ら
ない。
特に実際に戦争となると、両家がそれぞれ他国の勢力を国内に引き込んでの争いに
発展しかねない。
当時勢力を伸ばし、「上下両総の旗頭」と呼ばれていた臼井城の原式部大輔の仲介
によって漸く和睦。最悪のシナリオだけは回避されたのである。


『土気古城再興伝来記』から土気&東金家大喧嘩のお話。
結局この後、両家とも北条に臣従。土気家は里見に寝返るものの、北条・東金から
の圧迫で降伏する羽目になっちゃうんですけどね。





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