両酒井氏の交換トレード?

2012年11月09日 20:01

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 22:22:32.73 ID:Saa11suA
第二次国府台の合戦の折、

北条方の土気城主酒井胤治は合戦の準備に手間取っていた。
というのも年の初めに急に合戦が始まったため、年始の行事と重なって大わらわになっていたのだ。
これに北条氏康は疑いを持ち始める。
「やる気がないのか?ひょっとして裏切る気なんじゃ…?」
この噂を耳にした胤治は頭にきた。
「今まで北条家に尽くしてきたのに疑われるとは!もういい、だったら里見につく!」
こうして胤治は里見方になってしまった。

一方上総にはもう一つ酒井家があった。
東金城主酒井敏房である。
彼は里見方として活動していたが、第二次国府台の合戦では北条有利とみて北条方に寝返っていた。


両酒井氏の交換トレード?な話




273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 23:31:56.09 ID:nmbePeny
酒井をやっつけろ酒井

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 23:39:08.55 ID:vjEutOzM
土気酒井と東金酒井が分岐してまだそんなに年月経っていないので
敏房と胤治ははとこ同士なんだよね

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 23:49:49.48 ID:jRh1W7Cs
>>272
合戦始まっちゃったなら年始の行事はキャンセルしようよ…。
まさかの年始の行事≧合戦?

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 23:57:20.66 ID:BIRB/1cl
>>277
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6137.html
>正月も何も関係ありません!かつて大内家が崩壊するとき、日頼様(元就)は正月の儀式をとりやめられ
>弓矢を取ってご出陣成されました。
>逆に尼子経久は毛利に攻めいった時も正月の儀式をし、恐れながらこれにより我々は神風を得ました。
>こう見れば正月の儀式など、目出度いことではありません。

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 00:06:42.81 ID:gGK1oXY9
>>278
尼子経久が正月に計略で月山冨田城奪い返したの知らなかったんだな

生臭坊主の浅知恵よ

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 03:41:43.45 ID:Mh5PjjTA

>>278>>280
尼子さん…
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竹内太郎左衛門の功

2010年11月25日 00:01

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/24(水) 00:48:12 ID:UDaj1NRj

第二次国府台合戦の結果、里見家の勢力は大きく減退する事になった。
北条家は下総、上総を踏み潰し、そのまま安房まで攻め込もうと大軍を動員。手始
めに池野和田城の多加蔵人を攻め、自害に追い込む。

国府台合戦の折には北条勢の追撃を食い止め、敗走中の里見勢を無事に逃がした土
気城の酒井中務丞胤治。
当然、自分も攻められると考え、半ば以上切腹も覚悟で篭城の準備を進めていた。

が、そんな所にやってきたのは北条家からの使者。
なんと和睦に応じて欲しいと北条家の方から打診してきたのである。

「上総酒井家の初代・定隆公は遠江の出身。その頃に今川家の客将であった我が北
条家初代・早雲公が定隆公と入魂のお付き合いをさせていただいておりました。
我等としては胤治殿に何の恨みも持っておりません。昔の友誼を忘れず、我等に力
を貸してはいただけぬでしょうか? 北条家には早雲公と定隆公で交わした手紙も
残っております。その様な縁がある家を、我等の手で滅ぼしたくはないのです」

胤治は和睦に応じ、息子を人質として小田原に送る事になった。

この和睦に激怒したのは里見義弘。
「裏切り者の末路として見せしめにしてやる」
と意気込み、六百騎の軍勢を土気城に送り込んだ。
しかし、安房からの遠征で疲れが取れない所を土気勢に攻め立てられ、逆に敗走に
追い込まれてしまう。

酒井家中の竹内太郎左衛門、逃げる里見勢を見て、
「こんな事もあろうかと、抜け道を準備してたんだよ!」
と、里見勢の敗走路に先回り。物陰から弓の狙撃であっと言う間に十四、五人を打
ち落としてしまう。
里見勢はこれを一人だとは思わず、別働隊による奇襲にあったと勘違い。パニック
を起こしたように散り散りになって安房に逃げ帰ったと言う。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/24(水) 00:49:45 ID:UDaj1NRj

戦後、論功恩賞の場で
「一番の手柄は竹内太郎左衛門を置いて他にはいない」
と皆が口をそろえるが、そんな中ただ一人富田伊豆守が、
「太郎左衛門が十数人を討ち取ったと言っても、勝ちに乗る味方に追い立てられて
逃げ回る連中を討ったに過ぎない。敵に打ち勝ち、敗走させた我々を差し置いて、
そのおこぼれに預かった太郎左衛門が一番手柄とは納得出来ない。それに、奴は討
ち取った連中から武具やら衣服やらを剥ぎ取って自分の物にしている。それだけで
十分の恩賞といえるんじゃないか?」

この言葉によって議論は紛糾。
「富田の言葉にも一理ある」「いや、でも竹内が十数人を討ったのは事実だぞ」
主君重臣を交えて様々な意見が噴出する中、板倉長門守が口を開く。
(>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4895.html の板倉大蔵の息子)

「味方の武士が敵に向かって命を賭け、謀を巡らすのはすべて恩賞の為だ。功を立
てたのに恩賞をケチッては誰も戦場で働かず、国が成り立たない。ここは当然、太
郎左衛門への恩賞はケチるべきじゃない。それに太郎左衛門は人より抜きん出た手
柄を立てようと謀を巡らせた結果の手柄だ。伊豆守は彼のような謀を持たなかった。
当然、一番手柄は太郎左衛門の物だと言うべきだろう。そもそも太郎左衛門が敵か
ら剥ぎ取った武具等は、主君から下された恩賞ではない。その様な物を理由に恩賞
を減らされたのでは道理が立ち行かなくなってしまうではないか」

これによって竹内太郎左衛門の一番手柄が決まり、恩賞が下された。
しかし富田伊豆守は板倉長門守を恨み、これ以降不和になったと言う。


流れで一緒に並べてしまったけど、『土気古城再興伝来記』から北条家&酒井家の
旧交のお話と、スタンドプレーでの手柄も超OK!な戦争のお話。

……長台詞が多いな。我ながら読みづらい。orz