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酒井康治の弟、一位殿

2020年12月06日 18:04

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/06(日) 14:46:58.26 ID:HNbS3gTH
伯耆守殿(酒井康治)の弟に、僧となって一位と呼ばれた悪僧があった。
彼は生まれつき悪であり、善心の弁を知らぬ曲者であった故に、『一子出家すれば九族天に生ずる』の儀を
思し召され、坊主に成られたのである。

天正十八年正月二十三日、宮谷本國寺の日典上人が土気へ振舞に御出でになられた時、その昼に一位殿は
本國寺に参り
「愚僧こそ、今日よりこの寺の住僧である。皆々その事心得るべし!」
そう申すとすぐに磬台に登った。

寺檀は大いに驚き、早速土気へ申し上げると、殿様(酒井康治)は以ての外のご立腹で、早速対処するとの
事であったが、日典上人は先ず、畑ヶ中村にご住居になった事で、殿様のご立腹もいよいよ増し、
御役人に申し付け追い払わせられた。

この処置に一位殿も立腹されたが、力及ばぬ故に、すぐに房州に赴き、里見殿の元に罷り出て、
「土気の城を愚僧に給わるのであれば、兄伯耆守を討ち取り、首を御前に備え申さん。」
と、委細に披露した。

しかしその内に病に取り付かれ、長南まで来た所で相果てた。煩いは骨が痛む病気であったという。
浅ましいものである。例え仏道修行の心までは無くても、どうして方を猥りにし、その上恩愛の兄を
討とうなどと計ったのか。

経にも百千歳の間、百羅漢の供養をしても、一日の出家の功徳には及ばず、たとえば、人が有って
七宝の塔を建て、その高さ三十三天に至っても、一日の出家の功徳には猶及びがたしと見える。
このような無道の心を以て莫大の功徳を得られるだどうか、覚束ないことだ。

日典上人は翌年の正月まで畑ヶ中村に御座して帰寺遊ばされた。
私(著者)もこの件の解決について随分と骨を折り申した故に、このように書き置くのである。

『土氣古城再興傳來記』



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『土気古城再興伝来記』から康治さん涙目な悪い話

2010年11月27日 00:01

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 01:47:27 ID:BUtYr6Ey

ラスボス殿下の関東仕置きの時の事。
北条氏は配下の武将を全て小田原に呼び寄せ、篭城するという策を取った。
それに対して豊臣軍は圧倒的な戦力で小田原城を囲んだ上で、別働隊に関東各地に
散らばる北条方の城を虱潰しにさせるという作戦に出る。

酒井康治の上総国土気城もその例に漏れず、浅野弾正少弼らの軍勢に囲まれてしま
う。
上方軍は開城を命じるラスボスの書状を持ち、無条件降伏を呼びかける。
それに対して土気城は、
「今、うちの殿様、留守なんですよ。ちょっと待っててくれます?」
いやまぁ、そりゃ留守だろう。小田原に篭城してるんだし。

が、土気城の酒井家臣、単なる時間稼ぎのつもりではなかったようだ。
浅野から預かったラスボスの書状を持ち、使者を小田原に向かわせた。
本気で「主君に開城の許可を貰ってきますね。それまでちょっと待ってて」と言う
のである。

当然、小田原城は上方軍に包囲され、簡単には入城出来ない。
しかし酒井家中から選びぬかれた使者であり、勇者である。戦場での不測の事態に
備え、水練の訓練もしっかりと行っていた。
そう、彼等は迷わず水に飛び込み、海側から包囲網を突破、見事小田原城に忍び込
んだのである。

困ったのは篭城中の主君・酒井康治である。
わざわざ居城から使者が来たと思ったら、敵の総大将からの手紙を持って、
「開城しても良いっスか?」
と言うのである。
「うん、いいよ~」
などと返事の出来よう筈がない。
当然、北条氏からも疑いの目を向けられる。
必死の弁明で許しては貰えた物の、守備の受け持ちは交代させられ、城内では孤立
してしまう羽目となった。


『土気古城再興伝来記』から康治さん涙目な悪い話。つかお留守番の人達、もうち
ょっと空気読んであげて。
「攻撃に耐え切れず部下が開城を決めちゃった」なら康治さんの顔も立つんだから!
忍城の成田さんほど面の皮厚くないんだから!

ちなみに関東仕置き後、酒井康治は小田原で蟄居&病死。二人の息子が家康に仕え
たと言います。




760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 15:54:22 ID:AqGeQn5v
家来が真面目すぎたんだな。

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 16:21:46 ID:ndPVmgoe
攻撃が始まったら皆殺しにされる可能性が…
前田や上杉も降服開城させたら「何勝手に助けてんの?」とか
ラスボスに脅されてるし

『土気古城再興伝来記』より、転がりかけで治まってくれた兄弟喧嘩

2010年11月26日 00:00

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 01:22:20 ID:L/5g5H1K

上総国土気城の酒井康治には一人の弟がいた。
この弟は出家し、一位殿と呼ばれていたが、悪僧と名高い乱暴者であった。

ある時、酒井家の帰依している本国寺の日典上人が土気城に出向いている隙に、こ
の一位殿が本国寺にふらりと姿を現した。
そして、
「今日、この時からこの寺は俺様の寺だ!お前等もそのつもりで俺様に仕えろ!」

そんな無茶な。
そうは思うが領主の弟君である。寺としても下手に事を荒げる訳には行かない。
とりあえず土気城に使いをやり、日典上人と康治とに今起こっている事を説明した。

「あの馬鹿は何をやってるんだ!!」

話を聞いて激怒した康治は、すぐさま配下の者に命じて本国寺から弟を追い払わせ
た。
一位殿も弟の我儘の一つも聞き入れない兄の態度に激怒し、寺に籠もって抵抗する
も、手勢を持たぬ僧侶一人が何をやった所で領主には逆らえない。
遂には力尽き、酒井氏の領内から追い払われてしまった。

一位殿が抵抗する間、寺に帰れない日典上人は近くの畑ヶ中村に滞在せざるを得な
かった。その事がまた、康治の逆鱗に触れてしまった。
一方、弟は弟で、兄に対して怒り心頭であった。
兄は上総酒井家総領として踏ん反り返っていると言うのに、自分は出家させられた
のである。
せめて、兄が武家の上に立つなら、自分は僧侶の上に立つのが当然。そう考えて領
内で一番の寺を奪い取ったと言うのに……

こうしてこじれまくった兄弟の仲(片方は明らかに八つ当たりだが)は、どちらも
一歩も譲る事がなかった為、面倒臭い方向に転がり始める。


数日後、安房国里見家の門を叩く一位殿の姿があった。
「兵を貸してくれりゃぁ、俺様がクソ兄貴の首を取ってきてやる。その時ゃ酒井家の
総領として、里見家に仕えるのも吝かじゃぁないぜ」

だが、この一位殿による土気攻めは実現しないままに終わる。
一位殿が里見義弘に謁見した直後、この僧侶は病を発してしまうのである。
病のせいか否か、里見家では一位殿の計画に乗る事はなかったようだ。
安房を辞し、上総国長南の辺りまで来た所で、一位殿はあえなく死去してしまった
と言う。

出家の身でありながら、法を犯し、上を軽んじ、兄を討とうと企んだ。その浅まし
さ故に報いが下ったのだと、彼の顛末を知った人々は噂したという。


『土気古城再興伝来記』から面倒臭い方向に転がったけど、転がりかけで治まって
くれた兄弟喧嘩。
……これ、暗殺じゃね?