315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/09/06(日) 13:40:20.72 ID:J6DlKxxS
慶長十七年、江戸に於いて徒者たちが集まり、人を斬るという事が絶えなかった。
六月二十八日、柴山孫八(上口奉公の人也)が、そういった者共の一人を成敗した所、
彼の党類がその柴山の所にも奉公しており、「我が類を斬った」として、主人である
孫八を斬り殺した。
江戸中にもこういった徒者が、三百ほど有ると云われた。諸国で奉公しているこの類の者たちは、
合計で三千人とも云われた。
このような中、江戸中で穿鑿が行われ、九十人ほどが搦め捕られ、牢に入れられた。
かの柴山孫八を斬った者は、彼の小者であったのを取り立て、侍にして懇切にしていたのに、
その重恩を忘れ主の頭を斬るなど、是非に及ばぬ次第である。
かの者を生け捕り、類を尋ねた所、大将分は大鳥居一兵衛、大風嵐の介、大橋すりの介、
風吹はちり右衛門、天狗郷右衛門、などという名であった。
その白状に任せて捜索し、悉く搦め捕って成敗が行われた。
そうして京都に下知があり、大阪、堺、その他の国々に於いてかの一類を成敗有るべしとの事であった。
しかしこれによって、この頃無縁の者たちに対し宿を貸さなくなり、旅人はこのため迷惑した。
江戸の大将分であった大鳥居一兵衛は相撲を能く取り、兵法も能く使ったため、彼が若衆かぶきとは
知らずに近づいてきた者たちに、罪科を行わせ国々に遣わしたという。
『当代記』
慶長十七年、江戸に於いて徒者たちが集まり、人を斬るという事が絶えなかった。
六月二十八日、柴山孫八(上口奉公の人也)が、そういった者共の一人を成敗した所、
彼の党類がその柴山の所にも奉公しており、「我が類を斬った」として、主人である
孫八を斬り殺した。
江戸中にもこういった徒者が、三百ほど有ると云われた。諸国で奉公しているこの類の者たちは、
合計で三千人とも云われた。
このような中、江戸中で穿鑿が行われ、九十人ほどが搦め捕られ、牢に入れられた。
かの柴山孫八を斬った者は、彼の小者であったのを取り立て、侍にして懇切にしていたのに、
その重恩を忘れ主の頭を斬るなど、是非に及ばぬ次第である。
かの者を生け捕り、類を尋ねた所、大将分は大鳥居一兵衛、大風嵐の介、大橋すりの介、
風吹はちり右衛門、天狗郷右衛門、などという名であった。
その白状に任せて捜索し、悉く搦め捕って成敗が行われた。
そうして京都に下知があり、大阪、堺、その他の国々に於いてかの一類を成敗有るべしとの事であった。
しかしこれによって、この頃無縁の者たちに対し宿を貸さなくなり、旅人はこのため迷惑した。
江戸の大将分であった大鳥居一兵衛は相撲を能く取り、兵法も能く使ったため、彼が若衆かぶきとは
知らずに近づいてきた者たちに、罪科を行わせ国々に遣わしたという。
『当代記』
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