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守矢使者 「おい、来週は何があるか言ってみろ。」

2010年12月11日 00:00

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/10(金) 19:53:03 ID:CeVH3IYv
じゃあ御柱関連で

寛正五年(1464)
当時、甲斐国内では武田信昌と跡部景家が国内を二分し覇を争っていた。
武田信昌は跡部氏と蹴りを付ける為に諏訪勢に援軍を要請し、
これを受けた諏訪勢も大軍勢を仕立てて出陣したが、
甲斐国境で待ち受けていたのは跡部勢では無く、神官長守矢満実の使者だった。

守矢使者 「おい、来週は何があるか言ってみろ。」
諏訪光有 「え、そりゃ六年に一度の御柱で・・・。」
守矢使者 「ほう、御柱と戦どっちが大切だ?」
諏訪光有 「そりゃ血沸き肉踊る、漢たちが名と命をかけた・・・・御柱です。」

諏訪光有達は早速に軍勢を取って返し、祭日に間に合うように瞬く間に祭りの準備を済ませ
例年に増して盛大で熱狂的な御柱祭を執り行ったのであった。
その後、諏訪勢は再度援軍に出陣し、
跡部氏は、武田軍とやけにテンションの高い諏訪勢に挟撃され
当主と一族の多くを討ち取られ滅亡となった。

後日談、実は武田と跡部ともに守矢満実の檀家であり
守矢満実は跡部氏の戦勝祈祷も執り行ってたのがばれて謹慎させられてしまったとさ


出典、「守矢満実書留」




971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/10(金) 20:22:14 ID:HloUx1ZN
当時は戦争よりも御柱祭の方がむしろ危険だったりしたのかなw
もちろん現在の御柱祭よりもはるかに過激な祭りだったんだろうが

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/10(金) 20:59:40 ID:N6BLiUPb
戦は日常茶飯事だし従軍強制もあるからなあ
御柱祭はオリンピックみたいなもんか

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/10(金) 21:06:09 ID:HloUx1ZN
なるほど、古代ギリシャでオリンピック開催のために戦争を中止したのと同じか
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