474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/06(日) 14:46:58.26 ID:HNbS3gTH
伯耆守殿(酒井康治)の弟に、僧となって一位と呼ばれた悪僧があった。
彼は生まれつき悪であり、善心の弁を知らぬ曲者であった故に、『一子出家すれば九族天に生ずる』の儀を
思し召され、坊主に成られたのである。
天正十八年正月二十三日、宮谷本國寺の日典上人が土気へ振舞に御出でになられた時、その昼に一位殿は
本國寺に参り
「愚僧こそ、今日よりこの寺の住僧である。皆々その事心得るべし!」
そう申すとすぐに磬台に登った。
寺檀は大いに驚き、早速土気へ申し上げると、殿様(酒井康治)は以ての外のご立腹で、早速対処するとの
事であったが、日典上人は先ず、畑ヶ中村にご住居になった事で、殿様のご立腹もいよいよ増し、
御役人に申し付け追い払わせられた。
この処置に一位殿も立腹されたが、力及ばぬ故に、すぐに房州に赴き、里見殿の元に罷り出て、
「土気の城を愚僧に給わるのであれば、兄伯耆守を討ち取り、首を御前に備え申さん。」
と、委細に披露した。
しかしその内に病に取り付かれ、長南まで来た所で相果てた。煩いは骨が痛む病気であったという。
浅ましいものである。例え仏道修行の心までは無くても、どうして方を猥りにし、その上恩愛の兄を
討とうなどと計ったのか。
経にも百千歳の間、百羅漢の供養をしても、一日の出家の功徳には及ばず、たとえば、人が有って
七宝の塔を建て、その高さ三十三天に至っても、一日の出家の功徳には猶及びがたしと見える。
このような無道の心を以て莫大の功徳を得られるだどうか、覚束ないことだ。
日典上人は翌年の正月まで畑ヶ中村に御座して帰寺遊ばされた。
私(著者)もこの件の解決について随分と骨を折り申した故に、このように書き置くのである。
『土氣古城再興傳來記』
伯耆守殿(酒井康治)の弟に、僧となって一位と呼ばれた悪僧があった。
彼は生まれつき悪であり、善心の弁を知らぬ曲者であった故に、『一子出家すれば九族天に生ずる』の儀を
思し召され、坊主に成られたのである。
天正十八年正月二十三日、宮谷本國寺の日典上人が土気へ振舞に御出でになられた時、その昼に一位殿は
本國寺に参り
「愚僧こそ、今日よりこの寺の住僧である。皆々その事心得るべし!」
そう申すとすぐに磬台に登った。
寺檀は大いに驚き、早速土気へ申し上げると、殿様(酒井康治)は以ての外のご立腹で、早速対処するとの
事であったが、日典上人は先ず、畑ヶ中村にご住居になった事で、殿様のご立腹もいよいよ増し、
御役人に申し付け追い払わせられた。
この処置に一位殿も立腹されたが、力及ばぬ故に、すぐに房州に赴き、里見殿の元に罷り出て、
「土気の城を愚僧に給わるのであれば、兄伯耆守を討ち取り、首を御前に備え申さん。」
と、委細に披露した。
しかしその内に病に取り付かれ、長南まで来た所で相果てた。煩いは骨が痛む病気であったという。
浅ましいものである。例え仏道修行の心までは無くても、どうして方を猥りにし、その上恩愛の兄を
討とうなどと計ったのか。
経にも百千歳の間、百羅漢の供養をしても、一日の出家の功徳には及ばず、たとえば、人が有って
七宝の塔を建て、その高さ三十三天に至っても、一日の出家の功徳には猶及びがたしと見える。
このような無道の心を以て莫大の功徳を得られるだどうか、覚束ないことだ。
日典上人は翌年の正月まで畑ヶ中村に御座して帰寺遊ばされた。
私(著者)もこの件の解決について随分と骨を折り申した故に、このように書き置くのである。
『土氣古城再興傳來記』
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